本の製造業の弱点があらわになった典型的な事例の一つであることがわかる。日本の製造業は、モノづくりや技術(目に見える製品や技術、生産ライン等)には集中して取り組むが、目に見えないものを軽視する傾向がある。ソフトウェア、アーキテクチャー、コンセプト、エコシステム、ビジョン・・今回の事例からもわかるように、勝敗を決定的に左右する『重要な要素』は皆、目に見えない(見えにくい)。
>これはロボットだけの問題ではなく日本の産業に巣食う官僚主義的な閉鎖的構造を作ってしまったことに大きな原因があると思う。産業の衰退は国力の衰退にもつながりひいては支那に対抗する力をも削ぐ結果となる。
大手家電やソニーなども例外ではない。
もう『ロボット大国日本』が幻だと思う3つの理由
■オバマ大統領を迎えるASIMO
18年ぶりの国賓として来日した米国のバラク・オバマ大統領は、日本科学未来館を訪問して、 ホンダの二足歩行型ロボットASIMOから歓迎の挨拶を受けたというニュースは、大統領の来日中の微笑ましいエピソードとして繰り返し報道されていた。ASIMOは愛嬌たっぷりに英語で挨拶し、走ったりとんだり、ボールを蹴ってみせた。ASIMOは、ロボット大国日本の大使として、従来から欧米をまわり、アメリカのディズニーランドでも人気があるという。米国大統領来日ともなれば、お迎えに登場するのも当然ということになるのだろう。
だが、正直なところ私は、このニュースを見て非常に複雑な気持ちが湧き上がるのを禁じ得なかった。もしかすると、何年か後に振り返った時、今回のASIMOのオバマ大統領への応接は、かつて世界にその名を轟かせた『ロボット大国日本』の最後の花道、最後の晴れ舞台であったと、時々誰かが思い出すようなエピソードになってしまうのではないか。確かに、ある時期、日本は自他ともに認める『ロボット大国』だった。しかしながら、大変に残念なことだが、もはや『ロボット大国日本』という栄誉あるタイトルは、返上せざるをえなくなっていると思う。
■3つの理由
私がそのように考える理由は3つある。
1. ハードからソフトへ
2. 閉鎖的な環境
3. 倫理/思想のなさ
順を追って説明してみたい。
■ハードからソフトへ
日本のロボット技術の優れているところはハードウェアやメカトロニクス(機械工学、電気工学、電子工学、情報工学の知識・技術を融合させることにより、従来手法を越える新たな工学的解を生み出す学問・技術分野)であり、研究資金もその方面に集中的に投入されてきた。しかしながら、昨今のロボットの進化はソフトウェアやセンサー技術、処理技術、人工知能(AI)等が鍵であり、高度なロボットは人間のような推論が求められるようになってきている。そのような技術分野は昨今欧米を中心に長足の進化を遂げてきているが、日本企業は(全般にハード重視でソフトを軽視してきた経緯もあり)、明らかに遅れをとっていると言わざるをえない。
論より証拠、グーグルが買収して話題になった、ボストン・ダイナミクス社が開発した2足歩行ロボットである『Atlas』の動画を見てみるといい。2足歩行どころか、20ポンドの重りをぶち当てられても、平気で片足で立っている。
■閉鎖的な環境
事故がおきた福島第一原発では、原子炉建屋内の人の立ち入りが難しい危険作業が激増したわけだが、これこそ、ASIMOの晴れ舞台、世界にロボット大国日本をアピールするチャンス、と思った人は少なくなかろう。ところが、ホンダはそれが不可能であることを認め、しかも初めて投入されたロボットは米国製だったことは記憶に新しい。それは、ロボット大国の覇権が日本を去ったことを象徴する事件であったといっても過言ではない。
こんなことが起きてしまった原因を探ってみると、技術の優劣という以上に、ロボット開発に関わる環境という点で、日本より米国のほうが勝っていることが大きいようだ。日本のロボット市場は実績のある大手企業や有名大学が独占し、如何に優れた技術があってもベンチャー企業は参入は困難だし、そもそも資金の援助を得ることも難しい。『閉鎖的』、ということだ。
原発で作業するには高い放射線量など過酷な環境での作業にも耐えられる設計にしなければならないが、それには度重なる実証試験のために多額の資金や国の支援が不可欠だ。しかしベンチャー企業は資金的余裕も国の支援を受けるチャンスも少なく、「宝の持ち腐れ」になっているのが現状だ。「国の支援を実際に受けられるのは大手企業や有名大学に限られている。災害用ロボットの市場は実に閉鎖的だ」。前述の社員は残念そうに打ち明ける。
一方米国は、ベンチャー企業に対する資金援助の仕組みも充実しており、市場の門戸も開かれている。昨年12月の米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が主催する災害対応ロボットの競技会には、東京大学発のベンチャー企業「SCHAFT」のチームが1位になった。彼らはDARPAから開発資金を得て競技会に参加し(2年間で競い、途中審査を通過したチームには開発資金が最大400万ドル与えられる)、最終的にGoogleに買収されることになる。当初、SCHAFTチームは国内のベンチャー投資会社を回ったものの、資金はまったく集まらなかったという。やむなく海外の投資会社をあたるうちに、Google本体が興味を持ち買収される運びとなった。
米国には、ロボットのオープンソース団体もある(OSRF)。*1 ベンチャー投資会社から資金を引き出せる可能性も日本よりずっと大きい。そして、Googleのように無尽蔵の資金を持ち、あふれるような人材に恵まれ、理解のあるCEOが陣頭指揮をとる会社もある。あらためて比較してみると、日米の環境は天地ほども違う。
■倫理/思想のなさ
日本人はロボットが好きだ。『鉄腕アトム』に始まり、『鉄人28号』、『ドラえもん』など日本人の心に残るロボットは大抵、『友達』であり『正義の味方』だ。だからこそ、日本では産業用ロボットの導入が世界に先駆けて進んだし、実際、今でも日本メーカーは世界の産業用ロボット市場で5割超のシェアを持つ。ソニーのAIBOもそうだが、このホンダのASIMOのようなロボットが生まれてくることに何の抵抗もなかったどころか、今でもロボットの進化に明るい未来のイメージを重ねる人は少なくない。
だが、欧米ではそうではない。もちろん中には、『宇宙家族ロビンソン』の『フライデー』や『スターウオーズ』の『R2-D2』、『C-3PO』など、人間の友達としてのロボットがいないわけではないが(そして、これらのロボットは皆、日本人に非常に人気があると思うが)、小説、映画やTVなどで一般的に浸透しているロボット/人造人間、あるいはコンピューターのイメージは、『いつ人間に反逆するかわからない不気味な存在』だろう。『フランケンシュタイン』、『2001年宇宙の旅』『ターミネーター』『宇宙空母ギャラクティカ』等々、いくらでもその例をあげることができる。
ロボットに関しては、性善説の日本と性悪説の欧米というはっきりした対局の構図がある(その背後にはそれぞれの宗教観があるが、その点は今回は深入りしないでおく)。そして今、ロボットを開発し実用化するにあたっては、性悪説をベースに、真剣にリスクや倫理の問題に取り組む必要が出て来ている。
自律ロボットの頭脳、すなわち機械学習を重ねて賢くなった人工知能は、必ずしも人間のような倫理的な振る舞いをするとは限らず、自主的に法律を遵守するようにつくられているわけではない。正直、素人の私にも、本当に映画『ターミネーター』のようなこと(人間に反逆すること)が起きる可能性も否定できないのでは? と思えて来る。
開発現場にいる人でも、この懸念を口にする人がいる。週刊ニューズウイーク日本版(2014年4/29・5/6合併号)の『鉄腕アトムおあきらめないで』という記事に紹介されているが、Googleが買収した人工知能の会社、ディープ・マインド社の設立に参加した、シェーン・レッグ氏は『行き着く先は人類滅亡。しかも、テクノロジーがそれに手を貸す恐れがある。AI(人工知能)こそ今世紀最大のリスク要因』と語り、Googleに買収される条件として、ディープマインドの技術の応用について判断する社内倫理委員会の設置をGoogleに要求したという。
また、『Beyond AI: Creating the Conscience of a Machine』(人工知能を超えて:機械の意識を作る)*2の著者である科学者のJosh Hall氏は、「人工知能を作る場合、その道徳感覚を考慮しなかったり、何か間違いを犯したことに後悔の念を抱くような意識感覚を作らないのであれば、技術的に言って、その人工知能は精神病だ」と述べる。
このごとく、ロボット/人工知能は、深い倫理的/思想的な問題を惹起する存在になりつつあり、参入したければ、哲学論争を制するくらいの覚悟がなければ、先に進めることはできなくなっていくことが予想されるが、皮肉なことに性善説/楽観論が支配する日本ではそのような議論にはほとんどお目にかかったことがない。
この事例とも言うべきエピソードが、『Robot Ethics(ロボット倫理学)』*3という本を出版し、リード・エディターを務めた、カリフォルニア理工州立大学のパトリック・リン准教授のコメントに見られる。リン准教授は、この本を編集するにあたって、ロボット・技術倫理分野の同僚たちに声を掛け、ロボット倫理に関する優れた論文を集めることができたとしながら、ロボット分野で世界的にも盛んな日本の学者、業界の専門家の論文を掲載したかったが、うまく見つからなかったという。
だが、もっとシリアスなのは、次の指摘だ。
一般的に米国では技術に関連した問題が発生したとき、メディアが大きく取り上げるだけでなく、社会全般が自己組織化し、声高に、積極的に変革を推し進めようとする。日本では、福島の惨事のような深刻でとんでもない状況下でも、そのような行動はあまり見られない」
残念なことに、日本では原発という非常にリスクの高い技術を用いるにあたって『社会全般の自己組織化』は未成熟で、政府や行政機関の取り組みも驚くほど拙劣だったことが福島で大事故が起きてみてわかったわけだが、その日本に、原発に劣らぬほどのリスクがありうる新技術を扱う資格があるのだろうか。少なくとも、世界をリードするほどの準備ができているとは言い難いと思う。
■日本の弱点
あらためてこうして見てみると、さんざん語られて来た日本の製造業の弱点があらわになった典型的な事例の一つであることがわかる。日本の製造業は、モノづくりや技術(目に見える製品や技術、生産ライン等)には集中して取り組むが、目に見えないものを軽視する傾向がある。ソフトウェア、アーキテクチャー、コンセプト、エコシステム、ビジョン・・今回の事例からもわかるように、勝敗を決定的に左右する『重要な要素』は皆、目に見えない(見えにくい)。だが、この見えない要素にどう取り組むのか、どう独自のポジションを持つのかが、勝敗をわける時代になってしまったことは素直に認めるしかないはずだ。これまでと同じでは、日本の製造業に未来はない。
ロボットについて言えば、日本には、欧米勢の隙をつけるチャンスや要素(技術の高さ、優秀な人材、ロボットを受け入れる国民感情等)はまだ沢山あると思われるのだが、目に見えない部分を見ようとしないのであれば、それも宝の持ち腐れだ。敵を知り、おのれを知ること、特におのれを知ること、それも骨の髄から知ることが今何より大事だと思う。