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徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?

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このあたりの真相は本当にわかりにくい。
真相は果たしてどうなのか?
 
 
 
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         二・二六事件は青年将校のクーデターだけを取上げても本質は見えません
 
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BS歴史館「徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?~」
昭和11年2月26日、早朝。近代日本最大のクーデターといわれる二・二六事件が起きた。裁判記録の最新研究から、東京中枢を数時間で占拠した陸軍の青年将校たちの意外な事実が明らかになった。将校グループは決して一枚岩ではなかったのだ。なぜか? 
さらに事件後、陸軍で台頭したのは、若手の革新幕僚。陸軍を大きく変えた、その手腕と狙いは? 事件は日本をどのように変えたのか、議論しつくす。(2013221日放送)
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226日。今から77年前のことです。
今では多くの日本人が知ることのない二・二六事件。
この事件が日本の近代史のなかでいかに大きな位置にあるかと思うと、きちんと学校で教えるべきであります。今や、五・一五事件と二・二六事件の区別さえつかないのが日本人です。
 
二・二六事件は「陸軍の一部青年将校が政治勢力を倒し天皇を中心とする軍事政権樹立を目指して武力行為に踏み切りました。千数百名の兵が東京の中心部を占拠し、首相官邸や警視庁を襲い、主だった政治家や大臣を殺害しました。以後、政治は軍の意向を無視できなくなりました。」というのが学校の“良識ある部類の教科書”に書かれている内容です。
しかし、これでは二・二六事件の本質を全く理解できないですし、どう考えても軍事政権をつくるためにわざわざ政治家を殺害し、武力行為なんか起こさないでしょう。まして当時の青年将校というのは非常に優秀な方たちです。
 
二・二六事件に関しては戦前この時代に生きて方たちでもほとんど正しく理解できていないのです。なぜなら二・二六事件直後、主導権を握った軍人(いわゆる統制派)が徹底的に言論取り締まりを行い、新聞・雑誌の記事は検閲され、青年将校(いわゆる皇道派)に同情の記事は片っ端から発売禁止にされ、憲兵隊の取り調べを受け、民間人も検挙されたりしたのです。つまりこのことは一切口に出来ず、真実は闇の中であったのです。
 
当時、陸軍はわかりやすく分けると「統制派」と「皇道派」に分かれていました。
「統制派」は東條英機などのちに戦争を戦っていく主力となる方たちですが、彼らはこの時すでに支那進出準備を進めており、国家総動員の統制された高度国防国家を目指していました。
これに対して「皇道派」は現状の日本の困窮状況を鑑みればとても支那との戦争などすべきではない。まして支那に手を出せば世界戦争に巻き込まれてしまう。日本は天皇陛下を中心にして国内を固め、支那では蒋介石とは手を握り、本当の敵であるソ連にこそしっかり守りを固めていくべきである、という考えです。
後の歴史を知る現代の目で見ればどちらの主張が正しいかは明らかです。
つまり時代をみる目は皇道派にあったといえるのではないでしょうか。
 
後に処刑された皇道派の当時24歳の安田優少尉は法廷でこのように熱弁をふるいました。
「軍上層部が戦時統制経済によって独占利益をむさぼろうとする財閥に懐柔され思うがままに操られてしまうと、国家は意図的に引き起こされる戦争によって滅亡の危機に直面しかねない。三井はじめとする各財閥が皇道・統制両派の将軍たちはもちろん、佐官クラスの軍幕僚や尉官クラスの青年将校たちに手広く金をばらまきはじめ、軍全体を背後から操りだしている」。
24歳にしてこの洞察力です。この言葉に当時の日本の置かれている危機がよく語られています。
 
つまり財閥がお金で軍を操っている。そのお金の出所はコミンテルンであったり、国際金融資本であるのです。つまり日本を戦争に引き込むために軍部を利用していたのです。これに気付いていた皇道派はこういう勢力にとって邪魔であります。つまり統制派を利用して皇道派の追い出しをはかったのです。この罠に青年将校ははまったのです。
コミンテルンの関わりについては青年将校の裁判の主任検察官であった匂坂春平法務官の“匂坂資料”に書かれてあると京都大学教授の中西輝政教授が著書に書かれています。
 
皇道派を一掃した統制派は心おきなく支那進出を行います。
二・二六事件が起きたのは昭和11226日です。盧溝橋事件は翌年の77日、そして同年813日に上海事変が起こり、支那事変が深みにはまっていきます
コミンテルンはソ連の一番の脅威であった日本軍を支那や南方に向けさせる事に成功しました。それが遂に大東亜戦争となり日本は敗戦へと向かっていくことになるのです。
つまり二・二六事件から日本は本格的な世界戦争に巻き込まれていくことになる日本にとっては大きな分岐点になる事件であったのです。
二・二六事件を深く理解するには昭和6年の「三月事件」から昭和9年の「士官学校事件」、さらには昭和10年の「相沢事件」を知ることで理解が深まることでしょう。
 
さてこの度、中公文庫から『私の昭和史 二・二六事件異聞』上下2冊が223日に出版されました。この本は二・二六事件の時の青年将校でこの事件により禁固刑に処されて軍から追放された末松太平さんの書かれた貴重な本です。
「私が最も感銘を受けた人生の本と言えば末松太平氏の『私の昭和史』をあげなければならない。かつての青年将校が冷静に当時の自分と自分の周囲を書きだした回想録である。軍人の書いた文章とは思えぬほど見事な洗練された文章であり、立派な一篇の文学である」(三島由紀夫)
 
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 画像は末松太平様のご長男である末松建比古様からお借りいたしました)
 

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