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約3000人の日本人訪中団を歓迎 習近平の演説に隠された意図

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“懐柔政策”は中共にとっての十八番
対中慎重派を取り込むための抑止構造か。
 共産党という組織は、機能不全に陥るリスクに見舞われると予測する。また、私がワシントンDCで話をうかがった複数の中国問題専門家や対中政策立案者が、「習近平に権力が集まりすぎるのはリスキー」という観点から、太平洋の向こう側の政治情勢を眺めている。日本でも、朝日新聞国際報道部の峯村健司・機動特派委員が著書『十三億分の一の男:中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)のなかで、“頂層設計(トップダウンによる政策設計)の弱点”として、「私が想定する最大のリスクは“強大になり過ぎる習近平”だ」と主張している。
 
日本は支那人観光客が増えたといって喜んでいるがそれは習近平のひとつの謀略に過ぎない。
あくまで将来日本は支那の一自治州に取り込む方針は微塵も変えていないことを肝に銘じるべき時だ。
 こんな事を言うとそれはあまりに警戒のしすぎだと馬鹿なこと言うサヨクがいるが、支那の空軍機が日本領空にわざと侵入しようとして自衛隊機がやむなくスクランブル発進する回数が年間250回以上というのを見れば誰でも習近平の言う日中友好が嘘だというのが分かるではないか。
 もし自衛隊がスクランブルしなければ支那の空軍機は堂々と沖縄の上空に侵入し威嚇をするのは間違いない。
 そういうことを翁長知事は分かっているのか。
 今の支那では習近平の権力が毛沢東に次ぐ大きなものになってきている。
それは非常に危険なことでもある。
観光客が増えて日本の観光産業に恩恵を与えているのには喜ばしいことだがそれも習近平の一言で
いつストップされるかわからないことも念頭に置くべき。
 今のフィリピンのように。
 

約3000人の日本人訪中団を歓迎
習近平の演説に隠された意図 加藤嘉一 [国際コラムニスト]

先日、習首席が日本人訪中団を前に行った演説は、日本との外交関係を高度に重視している内容だった。演説の背景には、どんな意思があったのだろうか Photo:REUTERS/AFLO
 5月24日、朝7時、北京時間――。
 中国共産党中央で外交政策の立案に携わる幹部から、ショートメールが送られてきた。そこには前日の夜、習近平国家主席が、訪中した自民党の二階俊博総務会長に同行した約3000人の日本人訪中団を前に、演説を行ったことを受けたコメントが記されていた。
 「故郷と歴史を大切にする習主席が、地元の陝西省を引き合いに出しながら、西安が中日交流史の窓口になった歴史、しかも日本の使節を代表する阿倍仲麻呂と唐代詩人を代表する李白や王維らが深い友情を築いた歴史を、自らの言葉で振り返った。日本との外交関係を高度に重視している証拠だ。現に習主席は演説の内容や文言にとことんこだわっていた」
 共産党機関紙である『人民日報』は、5月24日付の一面トップで、習主席が日本の3000人訪中団の前で演説をしたことを報じた。写真には、紅字で記された「中日友好交流大会」という壁をバックに、青いネクタイを着用した習主席が比較的穏やかな表情で映っていた。
 「中国は中日関係の発展を高度に重視している。中日関係は困難な時期を経てきているが、この基本方針は終始変わらないし、これからも変わらない。我々は日本側と手を携えて、4つの政治文書の基礎の上、両国間の善隣、友好、協力関係を推進していきたいと願っている」
 このように、対日関係重視という基本方針がこれまでもこれからも変わらない政治的立場を自ら主張した習主席の「中日友好交流大会」への出席と演説を大々的に報じたのは、前述の『人民日報』だけではなかった。共産党のマウスピースと称される国営新華社通信は5月24日、“習近平:中日友好的根基在民間”と名づけた記事をヘッドラインで配信した。習主席が演説のなかで最後の主張として口にした「中日友好の根幹と基礎は民間にある」という一節である。
 党中央でプロパガンダを担当する宣伝部の知人に確認してみると、「習主席があそこまで対日関係を重視されている。我々の立場も、中日友好の重要性を全面的に宣伝する方向で一致した」とのことであった。
 確かに、私が本稿を執筆している2015年5月25日4時(北京時間)の時点で、新華網(新華社通信ウェブ版)、人民網(人民日報ウェブ版)、央視網(中国中央電視台ウェブ版)、鳳凰網(香港フェニックスグループのウェブメディア)、そして中国の4大ポータルサイトと称されることもある新浪、網易、捜狐、騰迅すべてのサイトにおいて、習近平国家主席が中日友好交流大会に出席し、演説をした旨がヘッドライン(トップ記事)として報じられていた。
 
習近平国家主席の対日関係重視を象徴するケースを扱ってきたが、本稿の目的は“日中友好”をプロパガンダすることにはない。標的はあくまで、本連載の核心的テーマである中国民主化研究である。そして、中国民主化研究とは相当程度において中国共産党研究であり、とりわけ昨今の政治情勢に基づいて見れば、中国共産党研究とは相当程度において習近平研究である。
 習近平研究という視角に考えを及ぼした場合、習近平国家主席が、日本の主要新聞に“異例”とまで言わせるほど(『日中、進む対話…二階氏訪中、異例の歓迎』:読売新聞5月24日、『習主席の訪中団への演説、異例の1面トップ 人民日報』朝日新聞5月24日)約3000人の訪中団を熱烈に歓迎し、対日関係重視を鮮明に打ち出したという現実は、重要な参考材料となるはずだ。

習首席と対日関係を
解き明かすケーススタディ

 習近平研究を対日関係というケーススタディを通じて掘り下げることを主旨とする本稿では、1つの結論と3つの留意点を提起し、検証する。
 結論を述べる。
 国内の反対勢力、タカ派、そして排外的なナショナリズムに満ちた一部の大衆世論から“日本に弱腰過ぎる”と非難されかねないような“異例”の対日重視と友好ムードを大胆不敵に打ち出した事実から判断して、習近平の共産党内外、および中国政治社会における権力基盤と威信は相当程度強固になっていると言える。
 この現状は、習氏自身の意図や信条に基づいて、周りに無駄な遠慮をすることなく政策や対策を打ち出しやすいという文脈において、対日関係にとってだけでなく、政治・経済・社会レベルなどにおける改革事業にとって有利に働くと言える。そして、現状から判断する限り、具体的なアプローチや優先順位はさておき、習主席が対日関係の改善だけでなく、改革事業の促進に後ろ向きだと断定する根拠を見出すことは難しい。
 党内で権力基盤を固め、社会で威信を築いてきた源泉は、本連載でも度々扱ってきた“反腐敗闘争”にあるだろう。闘争を通じて党内における政敵や政権運営にとって邪魔な勢力を打倒し、と同時に、お上の腐敗に対して極めて敏感、かつ憤慨的な反応を示してきた大衆に対して「習近平は人民に味方する素晴らしい指導者だ」という印象を抱かせた。大衆のあいだでニックネーム化して久しい“習大大”(習おじさん)という呼称が、その印象を可視化している。
 
私は個人的に、都市部の道端で暇そうに雑談をしている住民や(拙書『われ日本海の橋とならん』(ダイヤモンド社)/第四章“「暇人」のエレガントな生活”ご参照)、就職先が見つからず、日々ネット上で不満をぶちまける大学生たちだけでなく、北京大学の教授や市民派ジャーナリストといった知識層までもが“習大大”という呼称を口にしながら習主席の存在と業績を絶賛していたことに、驚きを隠せなかった。
 中国共産党の最近の対日外交を振り返ってみよう。昨年11月、北京で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に際して行われた安倍晋三-習近平会談を皮切りに、4月下旬にはインドネシアで開催されたバンドン会議に際して、安倍—習体制となって2回目となる日中首脳間の会談が行われた。習主席に笑顔がなかった1回目に比べて、2回目の会談では、習主席もわりと和やかな表情で、ソファに座り込んで安倍首相と語り合った。この間、3月には日中安保対話が4年ぶりに、日中韓外相会談が3年ぶりに再開されている。日中間のハイレベル対話は、多角的に機能しつつある。
 中国国内には、「安倍首相はバンドン会議での演説で“植民地支配”や“侵略”という言葉を使わず、“お詫び”もしなかったのに、習主席はなぜ安倍晋三に会ったのだ?そこまで日本側の面子を立てる必要はどこにあるのか?」といった猜疑的な見方も存在した。実際に、中国の知識人たちからも、私の元にそのようなコメントが飛んできた。

「親日的」という雑音を浴びても
跳ね返すだけの権力基盤がある

 しかしながら、である。
 周永康・元政治局常務委員や徐才厚・元中央軍事委員会主席といった大物を政治的失脚に追い込み、何より無産階級の政党である中国共産党にとって、どんな勢力よりも味方につけておきたい“群衆”という勢力が習近平を“全体的”に支持している状況下において、習近平のやり方に公然とノーを叩きつけたり、習近平の政策を公の場で名指しで批判したりする知識人は、一部の“異見分子”を除いて限りなくゼロに近いという状況である。
 冒頭の党中央幹部は言う。
 「確かに、ここ半年における習主席の対日政策は“親日的”に映る。実際にそうかもしれない。しかし、仮にそのようなレッテルを誰かに貼られたとしても、そんな雑音を平然と無視し、跳ね返すだけの権力基盤がいまの習主席にはある」
 実際、習主席は“反腐敗闘争”でモノにした権力基盤と威信を武器に、トップダウンで改革を推し進めるための“改革小組”といったワーキンググループなどを活用しつつ、経済・社会レベルの構造改革を中心にダイナミックな政策を打ち出している。政策がどこまで果実となるかはいまだ定かではないが、少なくとも「習近平政権=改革派政権」というイメージは先行している。
 
結論部分を簡単にまとめると、習近平の対日重視→権力基盤が強固な根拠→改革事業に有利、という構造になるであろう。これは、以前【全3回短期集中考察:“民主化”と“反日”の関係(3):中国の民主化を促すために日本が持つべき3つの視座】で指摘した「中国共産党のガバナンス力が強化・健全化することが、トップダウン型の民主化政策につながり、その過程でこそ健全な対日世論・政策環境が生まれる」というロジックともつながっている。
 もちろん、本連載でも度々検証してきたように、習近平は「改革重視=政治改革に意欲的」とは必ずしもならないし、「政治改革に意欲的=民主化への布石」という具合に方程式が成り立つほど、中国共産党を取り巻く政治的・歴史的情勢は単純ではない。習主席は西側発の自由民主主義を“輸入”することには否定的な態度を示してきており、西側の政治制度を“真似る”類の政治改革に突っ込む可能性は極めて小さいと言わざるをえない。
 ただ、それでも改革事業を重視し、物事を変えていくこと自体に大胆かつ意欲的な習近平政権には、引き続き政治レベルの改革という世紀ミッションが現実味を帯びるであろうし、本連載で度々主張してきたように、私自身は、仮に中国共産党が民主化も視野に入れた政治改革を実行するのであれば、習近平政権が最大、そして最後のチャンスだと見ている。

習近平の権力が強大化することは
重大な政治&統治リスクにもなり得る

 ここからは3つの留意点である。これは、前述の結論に対する、あるいは結論を受けた上で、それでも留意すべきポイントという意味である。
 1つ目。習近平国家主席の権力基盤と威信が強固になるプロセスは、対日政策にとっても改革事業にとっても、相当程度有利に働く局面が増えていくことを意味するが、と同時に、習主席の権力や威信そのものが強大化、肥大化し過ぎることは、それ自体が、中国共産党体制にとって重大な政治&統治リスクになる点に留意したい。
 私から見て、習近平に権力が集中する状況下での共産党という組織形態は、内政も外交も、政治も経済も、軍事も社会も、すべての分野で習近平が自ら決定し、実行しなければ物事が進められない。誰も習近平に代わって、あるいは習近平を凌駕する形で物事を決定し、実行することができない一種の“恐怖政治”が党内外の構造と空気を覆っている。このような状況下において、仮に習近平国家主席の身に何か不測の事態が起きたとしたら……。
 私は共産党という組織は、機能不全に陥るリスクに見舞われると予測する。また、私がワシントンDCで話をうかがった複数の中国問題専門家や対中政策立案者が、「習近平に権力が集まりすぎるのはリスキー」という観点から、太平洋の向こう側の政治情勢を眺めている。日本でも、朝日新聞国際報道部の峯村健司・機動特派委員が著書『十三億分の一の男:中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)のなかで、“頂層設計(トップダウンによる政策設計)の弱点”として、「私が想定する最大のリスクは“強大になり過ぎる習近平”だ」と主張している(第九章:紅二代、303頁)。
 
2つ目。【全3回短期集中考察:“民主化”と“反日”の関係(2):中国共産党の正当性としての“反日”は弱まっている】のなかで“反日→反党・反政府→中国共産党一党独裁体制の崩壊→民主化”というシナリオを、具体的事例を挙げながら検証したが、習近平主席も“行き過ぎた反日感情は人民のナショナリズムを狭隘・排他的なものへと膨らませ、社会不安とガバナンスリスクを煽る”という懸念を念頭に、対日関係をマネージしようとしているように見える点に留意したい。
 2005年と2012年に中国各地で大規模かつ連鎖的に勃発したような反日デモ運動が再来し、それらを制御できなくなり、共産党の統治力や正統性そのものに疑問が投げかけられるリスクを懸念しているのだろう。私自身は、習主席は、前述のシナリオにあるように、“反日”は結果的に“中国共産党一党独裁体制の崩壊”をももたらし得る破壊力をもったファクターだと認識している、と考えている。
 ちなみに、対日政策が“親日的”になりすぎることによって、党内の保守派やタカ派、一部の一般大衆から叩かれる可能性については、前述したように、現時点での権力基盤をもってすれば抑え込めると踏んでいるだろう。

“懐柔政策”は中共にとっての十八番
対中慎重派を取り込むための抑止構造か?

 3つ目。これは日本の対中政策にも直結してくるポイントであるが、日本政府・社会・国民としては、習近平国家主席が、日中関係が“友好的”だったとされる1980年代の胡耀邦時代を想起させるような約3000人の訪中団を熱烈に歓迎し、異例の待遇を施したことに鼻の下を伸ばしている場合では決してない現実を、心に留めたい。二階俊博・自民党総務会長を含めた対中友好派を戦略的に取り込むという“懐柔政策”は、中国共産党にとっての十八番だ。内政、外交を問わず、である。
 習主席を含めた党指導部の脳裏には、友好派を取り込むことによって、対中慎重派、あるいは強硬派を牽制するという抑止構造が描かれているだろう(本来、日本の対中的な立場や見方は“友好派・慎重派・強硬派”のように単純にカテゴライズできるものでも、されるべきものでもないが、現実問題として、中国共産党が自らの政治的立場に端を発し、日本の対中勢力を分裂的に捉える傾向があるため、あえてこのように記したー筆者注)。そして、その構造のなかの中心人物が安倍晋三首相であり、中心アジェンダが9月3日に予定されている“中国人民抗日戦争勝利70周年式典”であることは、言うまでもない。
 習主席は中日友好交流協会での演説で、次のように述べている。
 「当時、日本軍国主義が犯した侵略の罪を覆い隠すことは許さない。歴史の真相を歪曲することも許さない。日本軍国主義による侵略の歴史を歪曲・美化しようと企む如何なる言動を中国人民とアジアの被害国は受け入れない。そして、正義と良心を持った日本国民もそれを受け入れないと信じている」

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