今のほとんどのマスコミは安保法案に反対する意見だけしか取り上げていない。安保法制ができると戦前のような軍国主義復活というありえないこと言って反対するのは馬鹿げている。
戦争は誰でも嫌だ。
しかし戦争が起きる原因で多くの場合ロシア等の拡大主義の強国が弱い国を我が物にしようと盗賊と同じように攻め込んでその国の財産、国民の自由を奪い取る・・・このケースが過去の歴史から一番多いケースだ。
支那中共は現に国土の半分以上がチベットやウイグル、モンゴル、他の少数民族から奪ったものだ。
チベットなどの国がまだ軍事力が強ければ侵略されずに済んだものを。
支那は土地の個人の所有を認めないすなわち中共のもの=中共幹部の個人のものとなる(元からの民族は土地は支那から借りる形となる)。
今まさに支那は日本を乗っ取ることを長期計画をたて実行中なのだ。中共にとって日中戦争は未だ継続中なのだ。(それは本音として時々中共の幹部が話すしそのために日本を取り込んだ列島線なるものを堂々と公表している。)
だから日本は弱点を見せるわけには行かない。
(何もこちらから戦争を仕掛けるわけではない)
いつまでも平和憲法が日本を守ってくれるという子供の空想で日本が守れるわけないのだから。
かの永世中立国スイスは国民皆兵制で軍備をいつも戦える状態に準備している。(スイスはドイツから攻められなかったのはその軍備とスイスそのものが国際金融資本家が統治しているからだ)日本とは国民の意識が天と地ほど違うということを日本人は知らない。
スイス国民はヨーロッパの長年の戦争の歴史から平和は国民が軍備で自衛して守れるということを歴史から学んでいるのだ。日本人は島国で他国から占領されたのが1度だけでそれもアメリカという民主化された国だから大量虐殺を免れた。ソ連やシナだったら戦中の地獄の苦しみがそのまま続いただろう。
反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ。
早稲田大学の水島朝穂教授が、安保法案に反対するSEALDsのデモに参加して、次のように発言したという。
「今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。これなんですよ。俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。廃案しかない。廃案しかあり得ない。がんばりましょう」
学生と学者が歩くのがそんなに感動的なのかどうかしらないが、それは個人の感性の問題だから、どうでもいい。しかし、どうしても気になるのが後半の部分だ。
「民主主義って何だ」「これだ」
要するにこのデモこそが民主主義だといいたいらしい。
さらに、33年間研究してきたという憲法も、「これ」だということが分かったという。
こんなに酷い民主主義解釈も、憲法解釈もないだろう。いくら、興奮した状態の発言とはいえ、これは酷すぎる。33年間、本当に研究してきたのだろうかと疑わざるを得ない。次の発言に至っては、もう驚くしかない。
「俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。」
この水島教授の論法に従えば、安保法案に反対するデモこそが、民主主義であり、憲法であり、さらに人民なのだという。では、安保法案に賛成する人間は、全て「反民主主義」であり、「非憲法」であり、「非人民」ということになるのだろうか。
私はここに正義に陶酔する政治的イデオローグたちの危うさを見る。かつて『逆説の政治哲学』という本を書いたときに、サブタイトルを「正義が人を殺すとき」にした。
フランス革命にせよ、ロシア革命にせよ、ナチズムにせよ、大量殺戮に手を染めた人々の中には「正義」の観念が宿る場合が多い。自分たちだけが正義を体現しているのであって、自分たちに逆らうのは、「正義」に対する拒絶、すなわち、「不正義」に他ならないという論法だ。
正義に溺れる政治的イデオローグを描いた作品として、アナトール・フランスの『神々は渇く』が有名だが、直近の作品では、「デス・ノート」をあげることが出来るだろう。私は漫画やアニメの類が苦手なので、映画で観たのだが、よく出来ていて面白かった。この主人公は決して、悪人ではない。もともとは善人なのだ。
日本におけるあさま山荘事件もそうだが、彼ら一人一人は、決して真面目で、純粋な人間なのだろう。
しかし、「正義」の観念に取りつかれて、反対派を悪魔化して大量殺戮に至るのだ。
安保法案に反対するのは自由だし、デモも自由だ。そういう自由を侵害するつもりは全くない。
だが、反対派の人々にも覚えておいてもらいたいのは、この国には、賛成派も存在するという事実だ。
以前、芸能人のつるの剛士さんが、ツイッターで次のように呟いたことがあった。
『反対反対』ばかりで『賛成』の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ。大切なコトたからこそ若い子達だって感情的、短絡的な意見にならないために色んなこと公平に一緒に考えたいよね
これは多くの国民が感じていることなのではないだろうか。反対派が存在するのは事実だが、賛成派が存在するのも事実だ。まるで賛成派を悪魔化して、戦争を好む人々やナチス呼ばわりするような非難は、あまりに極端ではないだろうか。日本の平和と繁栄、そして国際貢献を願うからこそ、今回の法案に賛同する人が存在するのだ。
「俺たちが人民なんです」というが、「国民」はあなたたちだけではない。大声をあげることはないかもしれないが、静かに安倍内閣を支持し、今回の安保法案にも賛成している国民も数多く存在するのだ。「俺たちの声もきけ」というなら理解できるが、「俺たちの声こそが人民の声だ」とばかりに、自らに反対する人々の存在を無視するかのような発言は、極端に傲慢な発言だし、みずからの正義に溺れる人間の発言だといわざるをえないだろう。