一切「謝罪」しなかったドイツ元大統領
謝罪については、ドイツの元大統領のワイツゼッカー氏が戦後40年に議会で行った演説が“バイブル”といわれています。
彼は「謝罪」という言葉を一度も使っていません。出てくるのは「心に刻む」「思い起こす」という意味のドイツ語「gedenken」という言葉だけです。子々孫々あったことを忘れてはいけませんよ、心に刻みましょうと呼びかけていますが、謝罪は一切ありません。
むしろ、「われわれもやられた」とも言っています。確かにドイツ人が戦地から引き揚げるとき、相当の仕打ちをされています。それを逆手にとって、「われわれもやられている。心に刻みましょう」としています。今日の人口の大部分は、戦争当時は子供だったか、まだ生まれていない世代です。この人たちが、自分が下していない行為に対して自らの罪を告白することはできない-とワイツゼッカー氏は言っています。当たり前のことです。日本も堂々と言えば良いんですよ。なぜこんなに謝りまくっているのですか。
>全く同意。ドイツを見習えと言いたい。
中韓の恫喝、唯々諾々と受け入れ…「英霊に対する冒涜だ」 猪口勇さん講演
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戦艦「武蔵」最後の艦長、猪口敏平(としひら)中将の四男、勇さん(76)が鳥取市で行った講演は、戦後日本が置かれた立場に及んだ。中国や韓国から恫喝(どうかつ)に近いことを求められて、素直に謝りまくる日本政府に「英霊に対する冒涜」と断罪した。(坂下芳樹)
GHQによって日本は骨抜きに…
日本のために命をささげた英霊をまつっている日本の(靖国)神社に、日本の首相が足を踏み入れないなんてことがあってよいのでしょうか。しかも、それが中国や韓国の恫喝によって、(日本政府が)唯々諾々として受け入れている。これは、英霊に対する冒涜じゃないでしょうか。
ただ、これには原因があります。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)が行った政策で、日本は徹底的に骨抜きにされました。
勝手に法律を作って東京裁判が開かれ、中立であるはずの裁判官は全部戦勝国が務めました。人道平和の罪において裁くと言っていますが、原爆を投下したアメリカにそういう資格があるのでしょうか。その一方で、BC級の戦犯がどんどん挙げられ、片っ端から処刑されます。GHQはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムなる言論統制を敷いて新聞などを全部検閲しているので、批判も反論も一切できません。
そんななかで、戦前に左翼視されて不遇をかこっていた人たちが息を吹き返し、戦後の論壇、マスコミなどはそういう人たちで占められていきます。そういう流れですから、日本がここまで根性を抜き去られてもしようがありません。現在は、とにかく歴代の首相が中国、韓国に謝りまくっていますね。
謝罪は個人が個人に対してやるべきで、国が「心から謝罪する」というのはあり得ません。国家間の争いごとの決着は条約です。賠償金を支払うとか、責任者を処罰するとかで終わりなんです。
しかし、国家が謝罪するということは、国家が存続する限り謝罪し続けないといけません。ということは、子々孫々の代まで謝り続けないといけません。子や孫は何もやっていないし、何のことか分かりませんよ。なぜ謝らないといけないんですか。謝罪を続ける歴代首相たちは国のために殉じた英霊を足蹴りにし、次代を背負う若者たちから誇りと勇気を奪っているのです。こんなことは断じて許せることではありません。
一切「謝罪」しなかったドイツ元大統領
謝罪については、ドイツの元大統領のワイツゼッカー氏が戦後40年に議会で行った演説が“バイブル”といわれています。
彼は「謝罪」という言葉を一度も使っていません。出てくるのは「心に刻む」「思い起こす」という意味のドイツ語「gedenken」という言葉だけです。子々孫々あったことを忘れてはいけませんよ、心に刻みましょうと呼びかけていますが、謝罪は一切ありません。
むしろ、「われわれもやられた」とも言っています。確かにドイツ人が戦地から引き揚げるとき、相当の仕打ちをされています。それを逆手にとって、「われわれもやられている。心に刻みましょう」としています。今日の人口の大部分は、戦争当時は子供だったか、まだ生まれていない世代です。この人たちが、自分が下していない行為に対して自らの罪を告白することはできない-とワイツゼッカー氏は言っています。当たり前のことです。日本も堂々と言えば良いんですよ。なぜこんなに謝りまくっているのですか。
それから、日本人は言うべきことを言いません。慰安婦問題でも、韓国に言われたら常に謝っていますけど、「やっていない」ときっぱりと言わないといけません。反論しなければ、事実として通ってしまいます。慰安婦問題も南京大虐殺も日本が反論しないから、世界各国の教科書に載ってしまっています。「国際法的に解決済みです」と言うだけでは、世界には通用しませんよ。具体的に反論しなければ。
誇りと自信を取り戻して
外国では小さい頃からディベートの教育をします。最初は人前で話をすることに慣れさせて、高学年になるとディベートになります。例えば、「黒」と「白」の2つの立場に分かれて論争するとします。自分は「黒」と思っていても「白」の側になったら、「白」のつもりで「黒」に反論しなければなりません。
日本人のじれったい「沈黙は金」とはまったく違います。国際舞台で何か争おうと思ったら、口が武器です。自らの説明だけでなく、相手の弱点を突く必要もあります。中国や韓国がいろいろと言っていますが、「われわれが歩いてきた道をちゃんと見てください。世界平和に対してこれだけ貢献してきた」とちゃんと説明しないといけません。中国に対しては文化大革命や天安門事件に関する言論封殺、チベット・ウイグルで行っている民族浄化、国際法無視のやりたい放題の領土拡張こそ止めるべきではないか、というぐらい反論すべきじゃないですか。言われるままに「はいはい」と答えていれば、自分は良くても、それは子々孫々に負の遺産を残し、子供たちが謝り続けないといけないんです。そんな自分たちの国に誇りを持てないような国は、存続しないんじゃないでしょうか。
英霊のみなさんは「こんな誇り、毅然(きぜん)さを失った国のために命をささげたのではない」と仰っているような気がしてなりません。今回の戦艦「武蔵」発見は、230万の英霊の「しっかり歴史を勉強し、次世代のためにも日本に誇りと勇気と自信を取り戻してください」という声なき声のような気がしています。