人口減は国力の衰退、国防の衰退と直結する。
福島の子どもたちに発見されている甲状腺がんが原発事故による発症である疑いが決定的になってきました。原発サイトからの放射能流出が長期に渡った点も新たに判明、原因でないと否定していた行政側見解が崩壊です
福島の子どもたちに発見されている甲状腺がんが原発事故による発症である疑いが決定的になってきました。原発サイトからの放射能流出が長期に渡った点も新たに判明、原因でないと否定していた行政側見解が崩壊です
2012.1.8 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーリ・バンダシェフスキー(バンダジェフスキー) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1986年4月のチェルノブイリ原発事故後7-8年経て、ウクライナとベラルーシは激しい人口の自然減に見舞われた。その要因は「出生」(生児出生)の急激な減少と「死亡」の急増だった。「人口統計学上の大惨事」といわれるゆえんである。その人口変動のカーブは驚くほどよく似ている。 両国とも旧ソ連政府の放射線汚染食品の制限値を採用して、放射線保護食品行政にあたったが事実上汚染食品制限はないも同様だった。1991年のソ連崩壊後、ウクライナとベラルーシは独自の放射線食品保護行政を採用することができ、ウクライナは1997年、ベラルーシは99年に、画期的な制限値(特に毎日大量に摂取する飲料水)を持つ放射線汚染食品制限を実施した。 一つの国の人口変動を「放射線汚染食品」の1点から眺めるのは危険なことではあるが、チェルノブイリ事故から放出された「死の灰」(放射性物質フォールアウト)をもろに受けた両国の事情はあまりにもよく似ており、「死の灰」が共通の大きな要因の一つであることほぼ間違いない。 抜本的な食品規制から、ほぼ4-5年して「出生」に歯止めがかかり、10年近く経って「死亡」に歯止めがかかるかのようになった。両国とも人口減少傾向に歯止めがかかった状態とは言えないが、その減少傾向だけを見ると歯止めがかかりつつあるように見える。 しかし、ウクライナ、ベラルーシ政府も自ら進んでこうした厳しい「放射線汚染食品」制限をもうけたわけではない。一部の良心的科学者と自らの健康と安全を守ろうとする多くの市民が、放射線の低線量被曝の危険、特に食品摂取を通じての危険を明らかにし、「核推進」に固執する政府に迫って、「放射線汚染食品」の厳しい制限を実現させた。(その意味では核推進勢力はいまだに強力であり、これら制限もまだ十分とは言い難い。) そうした実情をベラルーシに例をとってみてみよう、というところまでが前回の流れだった。 ベラルーシでチェルノブイリ事故による放射性降下物から受ける低線量被曝の危険についてもっとも優れた研究をし、警鐘を鳴らし続けたのは、ユーリ・バンダシェフスキーとそのチームだった。 バンダシェフスキーについて日本語Wikipedia「ユーリ・バンダジェフスキー」は優れた記述をしている。(「バンダジェフスキー」、と濁るのが正解のようだが、ここでは「バンダシェフスキー」と表記する) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
死の灰に覆われたゴメリ地方 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本語Wikipediaの記述を引用する。
ゴメリ地方は、チェルノブイリ事故でもっとも放射性降下物の影響を被った地域である。下図がベラルーシの主要都位置図である。 べラルーシは、首都のミンスクの他6つの行政区分に分かれている。ホメリ州はチェルノブイリ原発にもっとも近い州である。(「ホメリ」と表記するのが正しいようであるが「ゴメリ」と表記する。)ゴメリはゴメリ(ホメリ)州の州都であり、首都ミンスク(人口;約165万人)に次いで第二番目の都市(人口:約49万人)である。 チェルノブイリ原発からの死の灰は特にこのゴメリ州をおそった。 下記の表は2006年にIAEAが発表した「セシウム137によるヨーロッパ国別汚染状況」の表である。IAEAの表なので、頭から信用はできないが、それでもベラルーシの汚染がもっとも深刻でかつロシアと並んで広範囲だったことがわかるだろう。
また下図は、チェルノブイリ事故から10年後の1996年時点におけるセシウム137の汚染状況である。(英語Wikipedia“Chernobyl disaster”(チェルノブイリ大惨事)から引用して加工) (クリックすると大きな画像でご覧いただけます) ベラルーシのゴメリ地方がいかにチェルノブイリ事故による放射性降下物によって長く、また広く深く汚染されたかわかるであろう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
核論争」を報道するスイステレビ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本語Wikipedia「ユーリ・バンダジェフスキー」の記述を続けよう。
1990年といえば、ベラルーシがソ連からの独立を宣言した年だ。翌91年、ソ連が崩壊ベラルーシの独立は承認された。ベラルーシの人口は対前年比0.5%以下ではあったが辛うじて増加していた。しかしすでに生児出生は、89年15万3449人、90年14万2167人、91年13万2045人と激しく落ち込みを見せた時だ。以後ベラルーシの出生は今に至るも11万人台を回復していない。
日本語ウィキペディアのこの部分の記述には、註が打ってあり、その註には「スイステレビ「Nuclear Controvesy(核論争)」2004年放送。動画6分00秒でバンダジェフスキーの場面(英語字幕)」(http://www.youtube.com/watch?v=LqHjfyT5Dmk)と記載されている。先ほども見たようにスイスもまた、チェルノブイリ事故で放射性降下物が大量に降りており、「原発と放射線」に対する関心も高い。原発からの全面撤退も決定した。どうもこれは2004年放送のドキュメンタリー番組らしい。(2004年放送とするとつじつまの合わないところが出てくるが・・・) 横道にそれるようだが(決してそれていないのだが)、このビデオをのぞいておこう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このシーンは、WHOが2001年6月4日に、ウクライナの首都キエフで開催した「チェルノブイリ原発事故による人体への影響に関する国際シンポジウム」の一こまである。
冒頭プレゼンテーションをしているのは、「原子放射線の人体に対する影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)のN. ゲントナー(N. Gentner)という人物である。UNSCEARはIAEAや全米科学アカデミー、イギリス放射線防護審議会と並んでICRP派の牙城である。WHOはもちろんIAEAに従属している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アレクセイ・ヤーブロコフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲントナーは、(チェルノブイリ)事故とがんや白血病との増加には明白な科学的証拠は見いだせない、と云う内容の話をしている。このゲントナーの話を、白いあごひげを蓄えた顎を突き出すようにして憮然とした表情で聞いているのは、ロシアの科学者アレクセイ・ヤーブロコフ(Alexey V. Yablokov)だ。ヤーブロコフは欧州放射線リスク委員会(ECRR)の2010年勧告の編集委員にも名前を連ねている。 ゲントナーのプレゼンの後、今の話を聞いて「ショッキングだ、ショッキングだ」というヤーブロコフが画面に登場する。
「何故?」という質問にヤーブロコフは、
スイステレビのインタビューに答える形で、ヤーブロコフはさらに続ける。
ここで突然画面が切り替わり、どこかスラブ風の農家のおばあさんが登場する。スイステレビのインタビュアがこのおばあさんに「放射能は問題ではありませんか?」と水を向ける。 おばあさんは―。
インタビュアは、「放射能は健康にいいという人もいますがね。」と聞いて寡黙なおばあさんから話を引き出そうとする。
「子どもたちについてはどうですか?」とインタビュア。それには直接おばあさんは答えず、
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IAEAのイデオロギー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここでまた画面は切り替わって、先ほどの科学者会議の場面。今度はヤーブロコフのプレゼンの番らしい。マイクをもつヤーブロコフ。
ブリックス博士というのは当時IAEAの事務局長だったスエーデンのハンス・ブリックスのことである。チェルノブイリ事故後の86年8月、IAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァレリー・レガソフ(後に自殺)は、当時放射線医学の根拠とされていた唯一のサンプル調査であった広島原爆での結果から、4万人が癌で死亡するという推計を発表した。しかし、広島での原爆から試算した理論上の数字に過ぎないとして会議では4000人と結論された。この時の会議を主導したのがブリックスである。 広島原爆の被害は、一切内部被曝を無視して算定されているのでそれ自体が過小評価である。その過小評価に基づいてレガソフとソ連政府は4万人と推定したのだが、当時核推進派が完全に主導権を握っていたIAEA(いまでもそうだが)は、それをさらに1/10に値切った。IAEAは意図的に2重の過小評価をおこなったわけだ。
と日本語Wikipedia「チェルノブイリ原発事故の影響」は記述している。 (なおここの記述はIAEAが2005年に発表した「Chernobyl’s Legacy: Health, Environmental and Socio-Economic Impacts and Recommendations to the Governments of Belarus,the Russian Federation and Ukraine」という報告書に基づいている) さてヤーブロコフのプレゼンを続けよう。
ここでスイステレビのナレーションが入る。 「ロシア連邦科学アカデミーの中央環境科学会議の議長である環境学者のアレクセイ・ヤーブロコフは、世界の原子力産業からの核廃棄物を喜んで受け入れようとするプーチン政権に強く反対しました。」 (なお日本語Wikipedia「アレクセイ・ヤブロコフ」と表記しているが、スイステレビのナレーターは「ヤーブロコフ」と発音しており、またECRR2010年勧告の編集委員のリストにも「アレクセイ・ヤーブロコフ」と表記している。私もそれに従う。) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会議に出席できなかったバンダシェフスキー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再びヤーブロコフ。 『ここに取り返しのつかないほど歪められた公式発表のデータがあります。』とIAEAの発表した公式数字をOHPで提示する仕草。
日本語ウィキ「ユーリ・バンダジェフスキー」は次のように記述している。
ヤーブロコフ。
そしてバンダシェフスキーの研究をスクリーンに表示しながら、
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「子どもたちは死につつある」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで突然画面が変わる。画面中央に一人の男のシルエットが浮かんで、その男の独白が画面にかぶる。
画面に、チェルノブイリ事故で汚染された地域の研究を9年間続けた後、バンダシェフスキー教授は低レベルで汚染された食物が生命器官を破壊することを突き止めた、という意味合いのナレーションがかぶる。そこでテロップとともにこのシルエットの人物がユーリ・バンダシェフスキーその人であることがわかる。彼は「病理学者」と紹介されている。 さらにナレーションは、放射線の影響が不可逆的な段階に至ると突然死することがある、子どもでも例外ではない、この結果を発表した後、政府から激しい非難を浴び、投獄された、という内容に続く。バンダシェフスキーの奥さんは次のように説明する。奥さんのガリーナも小児科医である。
ここでバンダジェフスキーがたまらなくなったように口を挟む。
「原因を探索すること?」とスイステレビのインタビュア。
シドローフ、ペトローフはこのインタビューに同席している彼の子供たちだろう。「私たちの子どもたちは死につつあるのです」というバンダシェフスキーの言葉は、「フクシマ」という現実を前に、私にはとても切実に響く。
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「長期複合放射線核種症候群」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンダシェフスキーの逮捕、投獄に世界の良心的な科学者や市民は憤激した。そして国際世論を動かした。その結果ベラルーシのルカシェンコ政権(世界的な核推進勢力の支援を受けた。今ではアメリカのオバマ政権も形ばかりのルカシェンコ政権批判をするようになったが、それは形ばかりだ。それが証拠にルカシェンコ独裁政権は今も続いている)は、バンダシェフスキーを2005年8月5日に釈放せざるを得なかった。ただし5ヶ月の自宅軟禁という条件つきだった。 だからこのスイステレビの取材は、釈放の直後、自宅軟禁中に行われたものだと思う。 画面は再びキエフの国際シンポジウムのヤーブロコフのプレゼンのシーンに戻る。
次に演壇に立つのはロシアの科学者・放射線生物学者、ヤルモネンコ(S. Yarmonenko)教授である。彼はこういう。
ここで彼の演説は会場からの鋭い女性のヤジに中断される。そのヤジは「・・・・。誰がその演説に金を払っているの!」といっている。「ン?」と一瞬絶句するロシアの科学者。
結局このロシアの科学者は予定された演者ではなく、これだけをいうための飛び入りだったようだ。(なおも続く女性のヤジ) 反論するように再び演壇に立つヤーブロコフ。
不機嫌そうなヤルモネンコの映像が映る。ナレーションはヤルモネンコが、チェルノブイリ事故の後、さほど危険はないとして住民の避難を止めた人物、35ミリレム(350ミリシーベルト)まではこどもを含めて放射線の影響はないとした人物として紹介している。さしずめ、ロシアの山下教授、神谷教授といったところだろう。(ヤルモネンコは両教授より大物かな) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルカシェンコ政権と日本政府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このスイステレビのドキュメントはこうした論争を紹介するのだが、明らかにヨーロッパではICRP学派に対する激しい批判と反撃が起こっている。かつては考えられないことだったが、反ICRP派の学説は徐々に欧州一部政府の放射線防護行政の中に取り込まれはじめてすらいる。 この記事の「その①」や「その②」でも触れたウクライナやベラルーシの放射線汚染食品防護行政などはその端的な例であろう。 さて再び日本語ウィキディア「ユーリ・バンダジェフスキー」の記述に戻ろう。
このルカシェンコ政権の対応は、なおも汚染されたフクシマに人々を縛り付け、除染を行って避難市民を呼び戻そうとする日本政府の対応とダブって見える。 軟禁を解かれたバンダシェフスキーは出国が可能となり、
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コリン・コバヤシのメールとネステレンコ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在、フランスに在住している反原発・反被曝市民運動家のコリン・コバヤシは、このバンダシェフスキーを日本に呼んで、彼の研究成果を広く日本の市民に知らせようとしている。コバヤシの電子メールを引用する。<()内青字は私の註。>
コリン・コバヤシのメール文中のワシーリ・ネステレンコもバンダシェフスキー同様、ベラルーシで反被曝に向けて闘った核物理学者で、ベラルーシ核エネルギー研究所の所長を務めた人である。2008年に亡くなった。日本語ウィキペディア「ワシリー・ネステレンコ」から引用する。
このネステレンコと前述のヤーブロコフが共同で2007年に発表した報告書が『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』である。「ヤーブロコフ・ネステレンコ報告」と呼ばれている。この報告は86年のチェルノブイリ事故発生から2004年までで、事故のために死亡した人は約100万人と推定している。(Webサイト「チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト」に詳しい) さて、バンダシェフスキーはどんな研究成果をえたのだろうか?それを次回に詳しく見てみることにする。 |
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お気に入り追加福島の子どもたちに発見されている甲状腺がんが原発事故による発症である疑いが決定的になってきました。原発サイトからの放射能流出が長期に渡った点も新たに判明、原因でないと否定していた行政側見解が崩壊です。
原因でないと否定していた行政側見解が崩壊です。事故直後の甲状腺検査で異常なしだった子ども4人に、今年になって2巡目の検査で「がんの疑い」が報じられました。
日経新聞の《子供4人、甲状腺がん疑い 原発事故直後「異常なし」》がこう伝えました。《今回判明したがんの疑いの4人は震災当時6~17歳の男女。1巡目の検査で「異常なし」とされていた。4人は今年4月からの2巡目検査を受診し、1次検査で「B」と判定され、2次検査で細胞などを調べた結果「がんの疑い」と診断された。また、1巡目で、がんの診断が「確定」した子どもは8月公表時の57人から27人増え84人に、がんの「疑い」は24人(8月時点で46人)になったことも新たに判明した》