ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff、1847年1月10日 - 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカの銀行家です。
高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入しました。後に、勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られています。
日露戦争の第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要でした。これを日本は獲得できずにいました。ある銀行家の晩餐会で高橋は、隣席したシフから「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問をうけ、高橋が応答すると、翌朝500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられました。
1904年5月、日本は戦時国債を発行することに「成功」した
以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現しました。日本にとっては単純な戦時国債調達は、相手にとってはもっと大きな意味を持っていたのです。
日本がロシアと戦争をしようとしていたとき、シフらは、ソビエトの成立を経済支援していました。ユダヤ人を迫害した帝政ロシアに対する敵意があったとも言われています。
実は30年戦争以降の全ての国際戦争でユダヤ系資本が戦費調達に使われていました。彼は、見込みのない戦争を見込みのある戦争にすることで『相場操縦』を行うことに成功したのです。
粗悪な石炭しか積めなかったので、吐き出す黒煙の量が多い。ロシア海軍は、戦力は日本海軍の三倍あったといわれています。
バルト海からはるばる日本海まで出兵したために負けた、などと言われることもあります。これは、後に米国がパナマ運河建設を強く望んだ理由になりました。
シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、帝政ロシアへの資金提供は妨害した
1917年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。経営者一族がシフの縁戚となっていたファースト・ナショナル銀行ニューヨークは、ロックフェラーのチェース・マンハッタン、J・P・モルガン・アンド・カンパニーと協調して、ソビエトに対する融資を継続していました。
ロシア帝政末期現在のウクライナ・ポーランド地域では、民衆によって大規模なユダヤ人迫害(ポグロム)が行われた。ユダヤ人活動家にとって反ロシアは共通の目標となっていった。
日本は当時敗戦すると言われていたため、国債金利は高く設定しないと買い手がつかない状態にありました。
ロシア革命によるソビエト成立も、実態は完全なロシア人民衆の革命ではありません。迫害されるユダヤ人の解放運動という側面もありました。
ソビエトの初代閣僚の顔ぶれには、本来わずかな人口比率を占めるに過ぎないはずのユダヤ人が多く含まれていました。
ロシア革命は、社会主義革命という一面の一方で、ユダヤ人解放運動という側面を持っていました。ロシア革命の指導者達の多くは、ユダヤ人であり、最初のソ連の閣僚の8割がユダヤ人だったと言われることもあります。これは、当時のソ連のユダヤ人比率が1%未満であったことを考えれば驚くべき数字です。
ジェイコブ・シフは、強引に日本の戦勝を誘導することで、さらにロシア革命をバックアップし、ソビエトの成立を支援することで、結果的に莫大な富によってコントロールしうる政府を作ることに成功したのです。
わが政府は、シフがしたことをけっして許しも忘れもしない。彼ひとりがアメリカ市場における日本の資金獲得を可能にした。海外でわれわれに敵対するもっとも危険な人物である
帝政ロシアの大蔵大臣は、シフを敵として認識していました。彼は明確にロシアの体制を破壊する目的で投資活動を行っており、それは世界中で認知されていたのです。理解しようとせず、あるいは理解しても、道具として利用されることを選んだのは日本人でした。
1904年から1906年にかけ合計6次の外債発行により、借り換え調達を含め総額1万3000ポンド(約13億円)の外貨公債を日本は発行した。
結果的に当時のカネで膨大な負債を積み上げた日本は、日露戦争後ロシアから戦争賠償金を得ることができませんでした。実際の所、シフはソビエトにも貸し付けており、ロシアは滅亡する運命にありました。
ユダヤ人によるソビエト連邦は成立した。シフは日本とソビエトの両方の国民から、負債を取り立てる立場になったのです。
日本の歴史教科書でもポーツマス条約は日露の「休戦条約」と位置づけられています。「日本海海戦に勝利した」としても日露戦争に勝利したわけではありません。この部分は非常に重要であるにもかかわらず、多くの日本人が誤解しています。百年以上も前の戦争が教科書でごまかされるのは何故でしょう?
日本海海戦に勝利した日本海軍、風刺画では殴られる役回りになっています。
日露戦争の死者
戦死者 日本 88429人 ロシア 25331人
病死者 日本 27192人 ロシア 11170人