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永遠に謝罪し続けろ。これは韓国社会が抱える「集団的うつ病」が原因である。

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韓国は集団的うつ病ストーカー症候群。
そんな国とはできるだけ付き合わないように言うべきことはビシッと言ってやらなきゃダメだ。
 
 

永遠に謝罪し続けろ。これは韓国社会が抱える「集団的うつ病」が原因である。

2015年05月19日 | 歴史

一回限りの「謝罪」では、韓国を満足させられない。永遠に謝罪し
続けろ。これは韓国社会が抱える「集団的うつ病」が原因である。


2015年5月19日 火曜日

韓国、「集団的うつ病」日本に謝罪を求め続ける「病理」の本質  5月19日 勝又壽良

韓国社会学者の妄言
トインビー理論に学べ

本来、隣国の批判は慎むべきことであろう。ましてや、民主主義政治体制の国に対して、タイトルのような「集団的うつ病」というレッテル張りが、いかに礼を失しているか。私は、それを十分に心得ている積もりだ。こうした人間的「規範」を飛び越えて、このテーマで書こうと決意した背景には、後掲のソウル大学社会学教授の日本批判が、韓国紙『中央日報』に掲載されたからだ。ならば、私もその批判に応えて、韓国の「社会病理」を書いて、韓国に反省を求めたい。そういう気持ちに傾いたのである。

小難しい議論をしようとは思わない。ただ、社会学の教授が執筆したエッセイは反論する題材として好適である。これを使って、韓国社会がいかに「病んでいるか」を明確にしたいと思う。70年前の問題を引っ張り出して、戦後日本が相変わらず蛮行を継続している。そんな前提での「日本批判」に、一度は歴史学的な見地から真っ当に応えておきたいのだ。

一回限りの「謝罪」では、韓国を満足させられない。永遠に謝罪し続けろ。間欠泉のごとく、定期的に噴き出す「日本批判」は、そういう意味であろう。こうなると、日本自体に問題があるのでなく、韓国社会が抱える「集団的うつ病」が原因である。韓国自身が、その病理を治癒すべく内省することが先決であろう。私は強くそう思う。

一般的な「うつ病」克服と同じ治療法の採用を勧めたい。医学的な処方を施しても、「うつ病」は完治しない。本人がその原因を自覚し、自らが内省して克服する。それが最善の治療法であろう。韓国も同じである。過去1000年以上、中国の属国として生きてきた。その間の鬱積した不満が、形を変えて「日本批判」になっている。韓国自身がそれに気づいていないのだ。人間に喩えれば、幼児期に受けた精神的なダメージが、成人になって「うつ病」として発症するのと同じ理屈である。今こそ、韓国の「精神分析」が必要である。

韓国社会学者の妄言
韓国紙『中央日報』(5月6日付け)は、宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授(社会学)のコラム「ワシントンに桜が咲く」を掲載した。

① 「4月末、安倍首相が戦後初めて米上下両院合同会議で演説をした日にも、10万本の桜の花が一斉に降り、ワシントンDCを覆ったはずだ。そのためか起立拍手を10回も受けた。米議会があれほど薄情に思えることはなかった。『不動の軍事同盟』を担保に日本右翼の念願だった『平和憲法改正』に目をつぶったオバマ大統領もそうだった。世界最強の軍事同盟になったというのに感激しないはずはない。さらに『軍隊のない国』の70年の歳月に終止符を打ったのだから。安倍首相は感慨に浸り、賛辞を惜しまなかった」。


美文調である。感情移入が過多とも言える。社会科学者が書くエッセイとしては悪い意味での「出色」である。社会科学の視点から執筆するエッセイには、論理と根拠が不可欠である。残念ながら、その二つを欠いているから散漫な美文調になるのだろう。若干の「自己陶酔」も感じられる。自らの心情と違う相手を「右翼」と分類して攻撃する。これは、学問をする人間の立場を著しく逸脱するものだ。なぜ「右翼」は悪く、「左翼」は良いのか。この延長線に立てば、韓国や中国も「左翼」である。こういった分類は非論理的である。ソウル大学教授の肩書きに傷がつくだろう。

米国上下両院の合同会議では、安倍演説に対して15回ものスタンディング・オーベーションがあった。ただの拍手でなく、席から立ち上がっての拍手喝采である。韓国が国会議長まで米国へ送り込んで、安倍演説を阻止しようとしたのだから、この光景は最も見たくなかったに違いない。だからといって、「米議会があれほど薄情に思えることはなかった」という表現のなかに、韓国の「感情論」が明確に投影されている。学者のエッセイとしては「不合格」という烙印が押されるのだ。(中略)

トインビー理論に学べ
韓国が、執拗なまでに日本へ「謝罪」を求めるのは、「復古主義」から一歩も出られない証拠である。過去にこだわり未来を見ない。この頑なな姿勢は、「ゼロット派」特有の動きである。日本を過去のレベルに引き戻し、「謝罪」させて優越感に浸る。劣等感を癒すのであろう。韓国人の意識では、朝鮮李朝時代まで文化的に日本より勝っていた。この意識から抜け出せないのだ。「後発国」日本への恨み辛みが、それ以来ずっと堆積して消えることはない。

日本に謝罪させる。これが現在、どのような価値を生み出すのか。日本は1965年の日韓基本条約で深い謝罪と賠償金を払っている。一件落着のはずだが、韓国は劣等感から抜け出せずにいる。だから、間欠泉のように「日本批判」が飛び出してくるのであろう。日本は「ペロデ派」である。絶えず未来に焦点を合わせている文化だ。繰り返される「日本批判」と謝罪要求には、「またか」と言った感じが正直なところだ。「韓国疲れ」している。

「過去が自覚的に現実と向き合わないこうした構造を、丸山教授は『無責任の伝統』と呼んだ。『過去を押しのけて新しいものにいちはやく取り替える』日本精神史の病理的症状だ。それで『過去の歴史を十分に謝罪した』とか『韓国・台湾・中国の発展に寄与した』という没歴史的発言が可能になる。このような特質が遺憾なく発揮された安倍外交のワシントン決裁式が『大アジア主義』被害国には帝国侵略に対する一括的免罪符のように見える理由だ」。

日本は「無責任の伝統」があるという。「過去を押しのけて新しいものにいちはやく取り替える」のは、「ペロデ派」の証拠であろう。これがなぜ、批判されるのか。前述の通り、明治維新と戦後の戦争放棄は、「ペロデ派」だから可能であった。韓国が、これを批判するのは劣等感の裏返しである。朝鮮李朝は近代化を拒絶したのだ。明治新政府が李朝に新政府を説明する公文書を届けたが、日本が天皇を意味する「皇」という字を使ったとして、公文章受け取りを拒否した。これこそ「復古主義」と言わずに何と表現するのか。朝鮮自らの閉鎖主義を反省して当然である。日本批判はまったく当たらない。

太平洋戦争では、中国のほかに広くアジア諸国にも甚大な被害を及ぼしている。だが、アジア諸国は日本の謝罪と賠償を受け入れ、その後一度も中韓のような「謝罪のやり直し」を求められたケースはない。ODA(政府開発援助)による経済支援と日本企業の現地進出がもたらす経済開発をもって「了」としたのだ。現実に、日本のASEAN(東南アジア職連合)への直接投資では、対中国投資を上回っている。互いに理解し合える関係を構築した結果であろう。

アジア諸国は、中韓のような儒教国家ではない。したがって、「復古主義」に囚われていないのだ。日本の精神文化史は世界的な視野で見れば、「ペロデ派」である。中韓の「ゼロット派」と齟齬が生まれるのは不可避である。日本は、そう思って諦めるしかないであろう。日本が中韓に対して誠意を持って話しをし、その時は一応の納得が得られる。時間が経てばまた、「日本批判」が生まれる。そういう精神文化が中韓なのだ。(後略)
 
 

韓国政府や韓国国民の日本に対する憎悪感情は当然あるのでしょうが、韓国政府や韓国国民がそれを克服できないのはどうしてであろうか? 個人にしても思い出したくないような不快な出来事がありますが、いつまでもその事に拘っていたらそれこそ精神に異常をきたして「うつ病」になってしまうでしょう。

中国の反日はそれなりの計算が有るから、反日が効果が無いと分かれば方針転換するでしょう。しかし韓国の反日は、韓国にとっても利益にならないにもかかわらず反日感情が収まらない。それだけ精神的に未熟なのでしょうが、あるいは精神的な病気にかかってしまっているのでしょうか。

不快な出来事や受け入れがたい事実に直面すれば誰もが憂鬱になりますが、これは正常な反応であり憂鬱にならない方がおかしい。私自身もバブルの崩壊でホームレスも覚悟しなければならないような状況になり「うつ状態」になりましたが、これは病気ではなく正常な反応だ。

しかしこれと言った原因も無いのに「うつ状態」になるのは病気であり、普通は鬱になる原因が無くなれば「うつ状態」は解消されて行く。しかし過去に起きた不愉快な出来事に拘っていれば「うつ状態」は解消されず「うつ病」と言う病気になってしまう。

韓国政府や韓国国民も70年以上前に起きた出来事に拘っていれば、いつまでたっても心が癒されずに精神的な病気になってしまう。韓国国民には仏教やキリスト教にある「赦し」の教えが無く、昔は仏教国であり現在はキリスト教国になっても「赦し」の教えは韓国国民の心の中には無いようだ。

韓国国民の心の支柱は儒教であり中華思想と深く結びついている。中国や韓国が反日で歴史戦争を仕掛けてきているのは、中華思想から来るものであり日本が先進国であることが受け入れなれないのだ。中国人や韓国人との関係では上下関係が厳しく、1歳年が違っても言葉づかいまで変えなければならない。中韓には対等の考えが無いのだ。

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