県外企業や県外在住者が、こぞって沖縄に押しかけてきてお金を使わないかぎり、需要は満たされません。
>沖縄県議会事務局よ、大嘘を県民にばらまくのはやめよう。
普天間基地の辺野古移設に強硬に反対している人たちの主張の中には「基地がなくなったほうが沖縄は豊かになる」というものがある。
「会談拒否」騒動も予定調和? 翁長沖縄県知事の思惑を読み解く 篠原章(評論家)
その根拠の一つとなっているのが、沖縄県議会事務局による「全基地返還がもたらす経済効果」の試算だ。
2010年9月に公表されたこの試算(「米軍基地に関する各種経済波及効果」に掲載)によると、基地全面返還後の経済波及効果を生産誘発額で年9155億円としている。細かい計算は省くが、県内総生産(県レベルでのGDP)に換算すると5154億円の経済効果があるという試算である。
何せ、この数字を試算時の県内総生産に対比すると、期待できる成長率は年率14・0%! ピーク時の中国を上回る成長率だというのだ。
しかし、この計算はおかしい、と疑義を唱えるのが『沖縄の不都合な真実』の著者の一人である篠原章氏。そもそもこの「経済効果」の試算には、ウソがある、というのだ。
「よく見てみると、一連の試算には重要な計算過程が抜け落ちているのです。返還後の経済効果から基地の現状を前提とした経済効果を差し引かなければ実質的な効果は出てきません。ところがその計算が試算には存在しないのです。
基地がなくなることが前提ですから今現在基地からもたらされている経済効果が消滅するわけで、その部分を差し引かなければ意味がありません」(同書より)
要するにこの試算は
「県内総生産(現状の基地ありを前提)」-「全基地固定のままの経済効果」+「全基地返還で生ずる経済効果」
でなければならないものが、
「県内総生産(現状の基地ありを前提、「全基地固定のままの経済効果」を含む)」+「全基地返還で生ずる経済効果」
と、単純に足したものになっているというのである。
篠原氏が独自に計算し直した結果では、全基地返還の場合、経済効果は生産誘発額ベースで4950億円ほど、県内総生産ベースでは1900億円ほどにとどまるという。
「試算のような経済効果はきわめて怪しいもの、信頼に足らないものと結論づけざるを得ません。このような怪しげな数字が一人歩きすることは沖縄の先行きにとって何の得ももたらしません。
が、関係者もメディアも、こうした怪しげな数字の一人歩きを放置しています。それどころか、彼らは9155億円が現実に生まれるかのように話すこともしばしばです。
お伽噺だけが語られ、真実が追求されていません」
9155億円はオーバーにしても、プラスになるのならばいいではないか。そうした意見に篠原氏はこう指摘する。
「百歩譲ってこれが実現可能な経済効果だとしても、なお大きな問題が残されます。試算の内容に沿った開発が進められれば、沖縄じゅうの基地の跡地に巨大なテーマパーク、ショッピングモール、リゾートホテル、マンション群が立ち並ぶことになりますが、そうした施設をいったい誰が利用し、誰が購入するのでしょうか。明らかに供給過剰です。
県外企業や県外在住者が、こぞって沖縄に押しかけてきてお金を使わないかぎり、需要は満たされません。
おまけに基地跡地を軒並み開発したら、深刻な環境破壊も発生するでしょう。
常識で考えれば、そんなことは誰にでもわかることです。
このような机上の計算が一人歩きする事態は、とても危険です」(同)
■地価暴落のリスク
さらに篠原氏は、試算では触れていない点として、地価暴落のリスクを指摘する。すでに返還が決まっている南部五基地の面積だけで、沖縄県全体の宅地は確実に供給過剰になると予測され、これが全基地返還となったら地価の暴落は避けられない、というのだ。
さまざまな条件を冷静に見ると、「基地さえなくなれば経済成長できる」という主張には無理がある、と篠原氏はいう。
「たとえば、2009年の1人当たり市町村民所得ランキング(沖縄本島26市町村)の上位を占めるのはすべて基地のある市町村です。トップは米軍基地(米軍施設)面積が町の面積の82・5%を占める嘉手納町です。2位も基地面積が53%近い北谷町です。
さらに、1996年から2009年までの市町村所得(沖縄本島26市町村)の伸び率を見ると、トップは基地面積が41%を超える東村です。2位は所得額でトップの嘉手納町でした。
つまり、『基地さえなくなれば経済成長できる』という話はこれらの数値を見るだけで眉唾だということがわかります。
基地がなくなったら所得を生み出しにくくなる可能性はあっても、基地がなくなったからといってあらたな所得が生まれるとはいえないのです。神話の類だと考えてよいでしょう」(同)
篠原氏は、米軍基地を減らしていく方向に進めるためにも、まずは沖縄経済が基地依存、補助金依存になっているという事実を認めたうえで、その先の議論をすべきだと提案している。