朝鮮総督府は「一枚岩の、覇権主義に走る強大な悪魔的機構」ではない。「絶対的な権力を誇っていた」というのは事実誤認である。それどころか、「将来の必要性を予測する洞察力に欠け」、「応急処置的な対応を迫られ」る不完全な権力であり、「複雑な法体系を作り上げ、朝鮮社会に対する過度な抑圧を可能な限り避けるよう努めた」官僚組織だった、というのである。
以上のことは、日本の植民地支配を免罪することではない。むしろ、異なった民俗と伝統の中で暮らしてきた民族を、容易に手なずけることができない、不得手な分野に進出した日本のナイーブさが、朝鮮人たちのしたたかさと対比され、浮かび上がってくる。西側の植民地支配者から見たら、なんとブザマなと、嘲笑されかねない統治なのだ。
以上のことは、日本の植民地支配を免罪することではない。むしろ、異なった民俗と伝統の中で暮らしてきた民族を、容易に手なずけることができない、不得手な分野に進出した日本のナイーブさが、朝鮮人たちのしたたかさと対比され、浮かび上がってくる。西側の植民地支配者から見たら、なんとブザマなと、嘲笑されかねない統治なのだ。
>戦前戦中、半島の統治機関、日本の朝鮮総督府について我々ももっと知らねばならない。
「敵国日本」のために戦った朝鮮兵たち/『検証 日本統治下朝鮮の戦時動員1937-1945』
朝日新聞社長の引責辞任で、慰安婦問題は国内的にはほぼ決着がついた。日本の植民地統治を弾劾してやまない韓日合邦の「民族主義的史観」の一角は崩れたかに見える。しかし、植民地支配という一点を拠り所に、「広義の強制性」という都合のいい観念による日本糾弾は、これからも生き延びていくだろう。
本書はアメリカ人の朝鮮史研究者により二〇〇三年に提出された博士論文をもとにした日本統治下の朝鮮の実証的研究である。「民族主義的史観」が「強固な既得権」を持っているこの分野では少数派である。慰安婦(「性奴隷」)こそテーマにしていないが、歴史的にはより重要な、朝鮮総督府による徴兵、労働動員(「強制連行」)がテーマである。時宜を得た刊行であり、知りたい事実がふんだんに書かれた本である。
著者は未編集の史料を精査していく過程で、「極めておぞましい記述のみが活字になる」現状に気づく。英語圏の研究もそれに引き摺られている。日本での研究の主流は「日本政府が謝罪し、賠償金を支払わせるための議論の材料」を提供する側面が強いとのことである。「やれやれ」の世界である。
著者は、偏見と予断を排し、「戦時中の朝鮮人民の体験をより詳細に調査」する。その際、これまで等閑視されてきた朝鮮総督府の官僚たちの視点を重視する。朝鮮史における「悪役」の声にも耳を傾けている。
朝鮮総督府は「一枚岩の、覇権主義に走る強大な悪魔的機構」ではない。「絶対的な権力を誇っていた」というのは事実誤認である。それどころか、「将来の必要性を予測する洞察力に欠け」、「応急処置的な対応を迫られ」る不完全な権力であり、「複雑な法体系を作り上げ、朝鮮社会に対する過度な抑圧を可能な限り避けるよう努めた」官僚組織だった、というのである。
以上のことは、日本の植民地支配を免罪することではない。むしろ、異なった民俗と伝統の中で暮らしてきた民族を、容易に手なずけることができない、不得手な分野に進出した日本のナイーブさが、朝鮮人たちのしたたかさと対比され、浮かび上がってくる。西側の植民地支配者から見たら、なんとブザマなと、嘲笑されかねない統治なのだ。
日本政府は「朝鮮人を兵力よりも労働資源とみなした」。朝鮮人の忠誠心と能力に疑問を持ち、参政権の要求をも警戒していたからだ。事変から戦争へと戦場が拡大して、兵員不足でそうも言っているわけにもいかず、徴兵制が実施されるのは昭和十九年(一九四四)である。本書の一番の読みどころは、朝鮮人を「皇国の兵士」に仕立て上げようとする、緩やかな足どりを追った部分である。
「朝鮮人特別志願兵制度」が始まるのが、昭和十三年である。以後、六年間で八十万人の応募があり、一万七千人が入隊を許可された。なんという「狭き門」か。当局の朝鮮青年への不信感の根強さを感じさせる数字である。
志願制度の宣撫工作を著者は「“ご機嫌取り”の努力」と評している。「一視同仁」「天皇の慈愛」といった理想を掲げ、「朝鮮同胞の胸底深く眠り続けていた日本人たる意識」を呼び覚ますことに躍起になる。政府刊行物は「朝鮮をにわかに、“半島”ではなく“道義朝鮮”と呼ぶようになった」。
こうした総督府の動きに応える志願者もいた。「私は肉体的にも精神的にも日本人になる用意ができており、天皇陛下のために喜んで命を捧げます」。血判状に記されたこの熱い言葉の主は、若き日の朴正熙、つまり、朴槿恵(パククネ)大統領のお父上である。
昭和十三年はまた徴兵制導入に備えて、教育制度を改革した年でもあった。普通学校は国民学校に変わり、義務教育を実施する。配属将校も派遣され、身体訓練が実施される。日本語を使わせ、神社への参拝を奨励する。「総督府には朝鮮民族としての尊厳を認めたうえで朝鮮人民を動員する余裕がなかったのである」。
『戦争×文学17 帝国日本と朝鮮・樺太』(集英社)に収録された当時の小説二編を読むと、対日協力をした半島作家の志願兵制度への複雑な感情が伝わってくる。張赫宙の「岩本志願兵」と鄭人沢の「かえりみはせじ」は、ともに表向きは志願兵制度を賛美しながら、むしろ朝鮮民族の哀しみが読後には残るのだ。
「かえりみはせじ」の主人公は、「靖国神社に神と祀られる」喜びを語り、親に先立つ不孝を詫びながら、「忠義をつくして死ぬ」ことは「もっと大きな孝行なのです」と母親を説得する。玉砕戦に身を投じる直前に、「オカアサンモ コクゴコウシュウカイデ ナラワレタニ チガイナイ」『海ゆかば』を一緒に歌って下さい、そう綴って、この書簡体小説は終わっている。
家族への義務感が国家への忠誠よりもはるかに強かったことは、本書でも指摘されている。この母親への呼びかけは、朝鮮社会では空しく響いたことであろう。
戦争末期の無理な動員が、禍根を残したのはその通りである。本書には、その一方で、「敵国日本の戦争を戦った朝鮮の人々」(これが本書の英語原題である)の諸相が多層的に描かれ、たくさんの証言が活用されている。
ちなみに、「職業的詐話師」吉田清治の“証言”も半信半疑ながら取り上げられている。訳注でその旨は注記され、著者はコメントを寄せている。
「これまでに読んだ慰安婦関連の話の多くから判断するに、筆者は彼女らの多くは日本に恨みを抱いていないと考えるものである」。