2共通項は法匪。国家・国民の生存に向け憲法・法律を活用するのではなく、国家・国民の生存権を侵害しようとも憲法・法律を狭小解釈したがる悪癖の持ち主だ。・・・2011年のリビア内戦で、中国軍は自国民退避用にフリゲートを派遣したが、邦人は【スペイン軍機】などに乗せていただいた。中国以下の無責任な棄民政策ではないか。・・・・。「軍事力行使を伴わない平和協力」との反論は詭弁だと断言しておく。文民・民間を派遣できぬ民間人輸送に軍が出動するとき、軍事力行使は絶対視野に入れる。結局、外国軍は日本を助け、日本は外国を助けない。
>自分らの主張の矛盾に気がつこうとしないアホサヨク。バカにつける薬はない。
「健康のためなら死んでもよい」と同じ? 摩訶不思議な集団的自衛権反対論
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【野口裕之の軍事情勢】
死を迎える直前まで六法全書を離さなかった法律家は立派だが、敵ミサイルがあと数分で首相官邸や国会議事堂に到達する逼迫した事態で、対処の法的根拠を確認する政治家がいたとしたら狂っている。ところが、ブラック・コメディーを地で行く政治家が実在するのだから驚かされる。東日本大震災(2011年3月11日)における東京電力福島原子力発電所事故当時の首相・菅直人氏(68)を頂点とする民主党の政治家は、加速度的に危険性を増している状況をよそに、本気で六法をめくった。各種調査報告書や、当時の経済産業相・海江田万里氏(66)の証言などを総合すると、危機対処を迅速・強化すべく、海江田氏は原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言の発令を求めたが、菅氏や官房長官、官房副長官、首相補佐官、秘書官らが六法や法文のコピーと首っ引きで、首相権限など関係法令の確認作業に追われたという。発令まで貴重な1時間20分が無駄に流れた。
■法匪が論じる自衛権
国会での安全保障関連法案に関する審議・質疑に合点がいった。原発事故勃発直後の最も重大な初動時機に「関係法令勉強会」を開いた民主党国会議員と、衆議院平和安全法制特別委員会で質問に立つ顔ぶれは一部重複する。共通項は法匪。国家・国民の生存に向け憲法・法律を活用するのではなく、国家・国民の生存権を侵害しようとも憲法・法律を狭小解釈したがる悪癖の持ち主だ。野党議員は国会で憲法学者とタッグを組み、安倍晋三政権が進める集団的自衛権の限定的行使を可能する法案を葬ろうと謀るが「健康(憲法・法律)のためには死んでもよい」と考えているとしか思えない。健康(憲法・法律)は国家・国民の寿命(生存権)を向上させる手段・過程に過ぎぬ。政治家は憲法原理主義学者に惑わされず、何が最終目的なのか自らの頭で考えよ。
日本と中国の法体系に、日本人が思うほどの大差はない。何しろ、安全保障体制や関係国内法は国際社会で希少・異端に属す故、国際的安全保障問題へは国際法や国際慣習の枠外で対応する。従って、国際社会と安全保障上の協調行動が難しい。「安全保障上の鎖国政策」が、孤立を誘発する危険な国策だと気付かぬ幼さも同じ。
ただし、侵略も含め、安全保障上「何でもアリ」の中国と違い、日本はほぼ「何でもナシ」。世界中の国家が権利も行使も国際法上認められる集団的自衛権の、しかも自国防衛とほとんど同義の限定的行使もダメ。個別的自衛権行使もダメとは、さすがに左翼も言いづらい社会環境に半歩前進したが、自国防衛に備える法的要件も異様なほどハードルが高い。
■他国の「軍靴」は酷使
「軍靴の音」を嫌う“平和国家”がご自慢の一方で、他国の「軍靴」は平気で酷使する。例えば海外で危機に瀕した邦人の自衛隊による《救出》。現行法では不可で、できるのは救出後の《輸送》のみ。おまけに、安全見通しが前提で民間にも務まる。キナ臭い局面では、自衛隊の身代わりとして外国軍を文字通り矢面に立てる。カンボジアで起きた軍閥同士の銃撃戦に伴い【タイ軍機】が邦人440人を救出(1997年)▽エリトリアで発生したエチオピアとの国境紛争時も、邦人3人が【米軍機】で避難(98年)…など、隠したい恥史には事欠かぬ。
日中両国とも、独善性がいかに国際に迷惑をかけるかも気付かぬのだが、国内で人民弾圧を平然と行う中国は外面だけは繕う。2011年のリビア内戦で、中国軍は自国民退避用にフリゲートを派遣したが、邦人は【スペイン軍機】などに乗せていただいた。中国以下の無責任な棄民政策ではないか。
日本とタイ/スペインとの明らかな軍事協力でもある。だのに、左翼は口数が少ない。「軍事力行使を伴わない平和協力」との反論は詭弁だと断言しておく。文民・民間を派遣できぬ民間人輸送に軍が出動するとき、軍事力行使は絶対視野に入れる。結局、外国軍は日本を助け、日本は外国を助けない。当然、日本政府がチャーターした民間機で救助した例もあるが、日本の民間航空会社の拒否で、外国民航が助けた信じ難い行為さえ犯した。これが現行法が描き出す、醜くも哀れな日本の姿だ。
■問われる日本の外交常識
安全保障関連法成立後、自衛隊が邦人救出に権能を有しても、現地軍の支援をあおぐ局面には引き続き遭遇する。その際、現地軍が邦人を守るために軍事力を行使したら“平和国家・日本”は抗議するのか。「ありがとうございます」が常識でしょう。集団的自衛権の限定的行使に関わる法案も、日本防衛目的で来援する外国軍が危険にさらされた場合ぐらいは、外国軍を支援しよう-という主旨を込める。こちらも「ありがとうございます」が筋なのに「外国の戦争に巻き込まれる」の大合唱となる。野党の反発が少ない《邦人救出法》と「戦争法案」扱いされる《集団的自衛権法》が成立するか否か、わが国の外交常識が問われている。
一部の特殊例を除き、大多数の国は集団的自衛権はじめ外国との軍事協力を国防力に算入して、予算も含め合理的国防体制を構築する。しかし日本は戦後70年、「平和憲法」で国防体制?を構築できると錯覚し、実際は軍事上の現実を見ぬよう思考停止してきた。この知的怠慢は、安全保障関連法制を「丁寧に説明する」危険な環境を育んでしまう。積極的平和主義への動きを、中国など敵性国家を除き、世界中の国々が歓迎しているものの、安全保障関連法成立で限定的ながら集団的自衛権行使の対象となる国は内心ヒヤヒヤしているやもしれぬ。国会では、議員が個別具体的ケースを絵を交えて「パネル展示」。法案成立後の「できる軍事行動」「できない軍事行動」を世界に垂れ流している。中国や北朝鮮は、日本防衛の欠陥を探らんと、国会中継を録画して繰り返し観ているはず。欠陥だらけで、欠陥がいずこにあるかカムフラージュできていれば僥倖だ。
左翼が目指すのは国家・国民を幸せにする憲法・法律が治める法治国家ではなく、国家・国民が持つべき暴力・無法への抵抗力を無力化する硬直した法匪国家。「城を枕に討ち死に」ならぬ「六法を枕にのたれ死に」は、国際社会の奇観である。(政治部専門委員 野口裕之)