日本人の欠点、上層部が責任回避する体質いつも蜥蜴の尻尾切りでバカを見るのは末端の人間。
政策(企業でも)の大きなミスは国民につけが回っていくシステム。
陸軍ではそれが最たるののだった。
巨大組織陸軍暴走のメカニズム:日本人はなぜ戦争へと向かったのか |
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」の第二回目は、「巨大組織陸軍暴走のメカニズム」と題して、日本陸軍に焦点をあてていた。 外交を担当した指導者たちの間で無責任体質が染み渡っていたのと同じように、陸軍にも構造的な無責任体質があったことを検証した番組だ。外交の無定見が日本の国益を大きく損なったことは言うまでもないが、軍という特別な組織の無責任体質は、国を直接滅亡に追いやるわけだから、いっそうたちが悪い、というより致命的なことだ。 番組は前回と同じように、陸軍の指導者たちの直接の証言記録を紹介しながら、検証を進めていく。海軍の指導者たちが、戦後自分たちの犯した過ちを組織的に検証した「海軍反省会」の記録に比べれば、散発的かつ断片的なようだが、それでも陸軍という巨大組織の内部実態について、いくばくかは伺い知ることができる。 番組はまず、元陸軍中将鈴木貞一の証言から始めていた。陸軍内の有力派閥一夕会の立ち上げに深く係った人物だ。一夕会は東条英機や石原莞爾といった人物を出し、日本を無謀な戦争に引きずっていく上で大きな役割を果たしたことで知られる。その産みの親ともいえる人物の証言だから、資料としては第一級の価値がある。 鈴木によれば一夕会の理念は陸軍の改革だったということのようだ。その理念を最も強烈に抱いていたのが永田鉄山で、彼は1921年ごろ、ヨーロッパ諸国の陸軍を研究する過程で、これからの戦争は国をあげた総力戦になるとの確信を抱くに至った。その総力戦を戦うためには、軍隊も近代的な組織として生まれ変わらねばならぬ。 永田は、軍の改革を阻んでいるのは、山県有朋に象徴される藩閥体制の名残だととらえた。そいつを打破して近代的な組織作りを進めることが必要だ、こう主張した。一夕会はこんな永田を中核に形成され、陸軍内部で大きな勢力を築くようになる。 だが彼らの言う改革とは、シビリアンコントロールを無視して、陸軍の狭い利害観念に基づいて戦争すること、つまり陸軍の独断専行がまかりとおるような体制を作ることだった。彼らは日本の国益よりも、自分たちの狭い利益を優先したというわけだ。その結果、日本の軍事政策は迷走に迷走を重ね、ついに勝ち目のない戦争の泥沼にはまっていく。 満州事変は、関東軍による独走だったことが、今回の記録に基づいて、改めて裏付けられた。板垣や石原は中央の意向を無視する形でこの戦争を始め、その後もずるずると戦線の拡大ばかりを画策した。 石原らが勝手なことをやって「手柄」をあげると、それを妬んで同じようなことをする人間が現れる。天津軍を指揮していた酒井隆はそのよい例だ。彼は後に国民党政権によって南京事件の責任を問われ、悪質な戦犯として処刑された人間である。 酒井は、石原の真似をして、中央政府の意思を無視して勝手放題なことを始める。天津は満州よりも戦略的な価値が高い地であるから、ここを軍靴で蹂躙するようなことをすれば、どのようなことになるか。結果は余りにもあきらかなのに、酒井にはそんなことは何の意味もなさない。最大の関心事は、自分の功名だけなのだ。 こうした日本側の動きに、蒋介石は怒り狂った。彼は日本人が中国を属国化させるつもりではないかと危ぶんだのだ。 このあたりまでは、日本軍もまかりなりにも組織としての体裁を失ってはいなかったようだが、永田鉄山が暗殺されたのを契機に、派閥争いが猛烈な勢いではびこる。陸軍は日本という国の有機的な一部分ではなく、権力を巡って互いに相争う餓鬼どもの一団といった有様を呈するに至る。 彼らは対外的には陸軍の利益を優先させ、陸軍内部では派閥抗争にあけくれていたわけだ。東条英機などは、世界になんら遠慮することなどはない、自分たちの利益こそ至上のものなのだと、普段から言ってはばからなかったということだ。その「自分たち」とは、派閥のことを意味していたことは、残念ながら否定しえないことのようだ。 こんな組織で世界を相手に戦争しようというのであるから、結果は目に見えている。海軍の無責任ぶりは、ほかならぬ当事者たちも認めるところだったが、陸軍の場合には、責任を云々することさえおこがましくなるような、メチャクチャな状況が生じていたわけである。 永田鉄山らは、山形有朋に象徴される旧い陸軍を鍛えなおそうとしていわゆる改革に走った。だがその改革なるものを担う人材が陸軍には育っていなかった。青二才とも言うべき連中が、いきなり巨大な権力の運用を任される形になったのだ。彼らのやったことは、その権力を乱用して、国民を誤った道に追いやったことだ。 日本人にとっては、実に不幸な出来事だったといわざるを得ない。 |