安保法案に反対しているアホは現在の日本の立場をわかっていない自分のことだけを考える子供と同じだ。
アメリカが日本との集団的自衛権の行使を拒んだら、どうするのか――
日本のいまの平和安保法制法案の論議に対しアメリカ側からこんな挑戦的な設問が提起された。
いまこの法案の審議が参議院で続く。法案の核心は日本の集団的自衛権である。安倍政権がその集団的自衛権の行使を一部、容認しようとするのに対し、野党の民主党や共産党はその行使容認は危険だとして絶対反対の構えをみせる。
その「集団」の最大の相手はもちろんアメリカである。日本がアメリカとの集団的自衛権を行使できるようにするべきか、どうかが問題の焦点なのだ。だが日本側の議論ではふしぎなほど、そのアメリカが無視されてしまう。
だが現実には日本の防衛は「個別」でも「集団」でも、あくまでアメリカとの集団自衛が大前提なのである。要するに日本が有事には米軍の支援に頼ることが根幹なのだ。だがいまの議論はその米軍の支援には触れることがない。一国平和主義的の典型的な症状だろう。
こんな現状下で日米安保関係に精通するアメリカ国防総省の元日本部長、現在はバンダ―ビルト大学名誉教授のジェームズ・アワー氏が日本側への公開質問を打ち上げた。
「もしもアメリカが日本に対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権を日本のためには行使しないと政治的に決断したと、突然、通告したらどうなるか」
この語句はいまの日本がしていることへの反語である。「日本はアメリカに対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権をアメリカのためには行使しない」というのが日本の現状なのだ。アワー氏はまさにその状態を逆転させて、日本側に問いかけたのだ。
日本国内の米軍が直接に攻撃を受ければ、アメリカは個別とも呼べる普通の自衛権を行使して、日本攻撃の相手と戦うだろう。だが第三国の日本攻撃が尖閣諸島など米軍にはまったく触れない場合、米軍が日本を守る行動はアメリカにとって自国は攻撃されていない集団的自衛権の行使となる。
だからもしアメリカが日本への集団的自衛権に対して、ちょうど日本がこれまでしてきたように「保有はするが行使はできない」という政策をとれば、米軍は日本防衛にはかかわらないことになる。
アメリカが日本に対する集団的自衛権を行使しなければ、日本周辺で日本の艦艇や国民が攻撃を受けても、米軍は座視するだけともなる。こういう展望となった場合、日本はどうするのか、とアワー教授は問いかけるのだ。
同教授はこの問いを産経新聞8月11日付に寄稿した論文で明らかにした。だが彼は長年、日米間の防衛問題にかかわり、日本側の反防衛論者たちの主張には「火事が嫌いだから、消防署をなくしてしまえ、というのに等しい」と反論してきた。確かにいまの日本側の民主党、共産党、朝日新聞などの主張は「備えなければ、憂いなし」と総括できる現実無視の傾向が感じられる。
日本の戦後の安全保障は一貫してアメリカとの集団防衛によって成立してきたことは否定できない。だからその「集団」という概念を否定するような、いまの安保法制反対論には大きな欠陥がちらほらするのである。アワー教授の問いはその欠陥を衝いたようにも思えるのだ。
いまこの法案の審議が参議院で続く。法案の核心は日本の集団的自衛権である。安倍政権がその集団的自衛権の行使を一部、容認しようとするのに対し、野党の民主党や共産党はその行使容認は危険だとして絶対反対の構えをみせる。
その「集団」の最大の相手はもちろんアメリカである。日本がアメリカとの集団的自衛権を行使できるようにするべきか、どうかが問題の焦点なのだ。だが日本側の議論ではふしぎなほど、そのアメリカが無視されてしまう。
だが現実には日本の防衛は「個別」でも「集団」でも、あくまでアメリカとの集団自衛が大前提なのである。要するに日本が有事には米軍の支援に頼ることが根幹なのだ。だがいまの議論はその米軍の支援には触れることがない。一国平和主義的の典型的な症状だろう。
こんな現状下で日米安保関係に精通するアメリカ国防総省の元日本部長、現在はバンダ―ビルト大学名誉教授のジェームズ・アワー氏が日本側への公開質問を打ち上げた。
「もしもアメリカが日本に対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権を日本のためには行使しないと政治的に決断したと、突然、通告したらどうなるか」
この語句はいまの日本がしていることへの反語である。「日本はアメリカに対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権をアメリカのためには行使しない」というのが日本の現状なのだ。アワー氏はまさにその状態を逆転させて、日本側に問いかけたのだ。
日本国内の米軍が直接に攻撃を受ければ、アメリカは個別とも呼べる普通の自衛権を行使して、日本攻撃の相手と戦うだろう。だが第三国の日本攻撃が尖閣諸島など米軍にはまったく触れない場合、米軍が日本を守る行動はアメリカにとって自国は攻撃されていない集団的自衛権の行使となる。
だからもしアメリカが日本への集団的自衛権に対して、ちょうど日本がこれまでしてきたように「保有はするが行使はできない」という政策をとれば、米軍は日本防衛にはかかわらないことになる。
アメリカが日本に対する集団的自衛権を行使しなければ、日本周辺で日本の艦艇や国民が攻撃を受けても、米軍は座視するだけともなる。こういう展望となった場合、日本はどうするのか、とアワー教授は問いかけるのだ。
同教授はこの問いを産経新聞8月11日付に寄稿した論文で明らかにした。だが彼は長年、日米間の防衛問題にかかわり、日本側の反防衛論者たちの主張には「火事が嫌いだから、消防署をなくしてしまえ、というのに等しい」と反論してきた。確かにいまの日本側の民主党、共産党、朝日新聞などの主張は「備えなければ、憂いなし」と総括できる現実無視の傾向が感じられる。
日本の戦後の安全保障は一貫してアメリカとの集団防衛によって成立してきたことは否定できない。だからその「集団」という概念を否定するような、いまの安保法制反対論には大きな欠陥がちらほらするのである。アワー教授の問いはその欠陥を衝いたようにも思えるのだ。
古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)