中国は、話してわかる相手ではない
安全保障関連法案の必要性をめぐって、安倍晋三首相が参院審議で「中国の脅威」を明言した。ホルムズ海峡の機雷掃海や日本海での米艦防護のような「たられば論」に比べれば、現実的でずっと分かりやすい。そこで、あらためて問題の根本を整理しよう。
私はこれまで何度も「安保法制を見直す根本的な理由は中国の脅威」と指摘してきた(4月17日公開コラム、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/42934など)。安倍政権も同じ認識だったはずだが、あえて曖昧にしてきたのは、中国を脅威と名指ししていたずらに刺激したくなかったからだ。
一方、中国の行動はますます大胆になっている。南シナ海の岩礁埋め立て・軍事基地建設は言うに及ばず、東シナ海においてもガス田開発プラットフォームの海上基地化を着々と進めている。このまま放置すれば、南と東のシナ海は実質的に中国の支配下に置かれかねない。
話して分かる相手なら、外交上の配慮も必要だろう。だが、相手は攻撃用のレーダー照準を問答無用で日本の自衛艦に合わせるような国だ。遅ればせながらも安倍首相が脅威の中身をはっきり語ったのは、安保関連法案への理解を促すのに役立つ。
国会は相変わらず「法案は違憲か合憲か」を最大の争点に議論している。はっきり言って、ここまで来たら水掛け論ではないか。違憲か合憲か、最終判断を下すのは最高裁である。最終的な判断権限がない国会議員がいくら口角泡を飛ばして議論したって結論は出ない。
それより日本を脅かす国が現実にあって、与野党がそう認めているのだから、脅威への対応策こそ真剣に議論すべきではないか。
私はこれまで何度も「安保法制を見直す根本的な理由は中国の脅威」と指摘してきた(4月17日公開コラム、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/42934など)。安倍政権も同じ認識だったはずだが、あえて曖昧にしてきたのは、中国を脅威と名指ししていたずらに刺激したくなかったからだ。
一方、中国の行動はますます大胆になっている。南シナ海の岩礁埋め立て・軍事基地建設は言うに及ばず、東シナ海においてもガス田開発プラットフォームの海上基地化を着々と進めている。このまま放置すれば、南と東のシナ海は実質的に中国の支配下に置かれかねない。
話して分かる相手なら、外交上の配慮も必要だろう。だが、相手は攻撃用のレーダー照準を問答無用で日本の自衛艦に合わせるような国だ。遅ればせながらも安倍首相が脅威の中身をはっきり語ったのは、安保関連法案への理解を促すのに役立つ。
国会は相変わらず「法案は違憲か合憲か」を最大の争点に議論している。はっきり言って、ここまで来たら水掛け論ではないか。違憲か合憲か、最終判断を下すのは最高裁である。最終的な判断権限がない国会議員がいくら口角泡を飛ばして議論したって結論は出ない。
それより日本を脅かす国が現実にあって、与野党がそう認めているのだから、脅威への対応策こそ真剣に議論すべきではないか。
アメリカもようやく認めた
米国も中国を脅威とみなしている。米軍統合参謀本部が7月1日に発表した「国家軍事戦略2015」という報告書はロシアやイラン、北朝鮮と並んで、中国を初めて「国際秩序と米国の安保利益」を脅かす国に名指しした。
米国は2年前まで中国が提唱した「新型大国関係」という言葉に理解を示し、対中関係の軟着陸を模索していた。だが、2013年11月の防空識別圏設定と南シナ海の埋め立て作戦を目の当たりにして、いまや完全に方針転換した。
オバマ大統領が4月の日米首脳会談で「中国は間違っている」と明言したのは、そういう文脈での発言だ。そんな中国に日本はどう対応したらいいのか。
まず「日中間の問題はあくまで外交で解決すべきだ」という主張がある。日本共産党がそうだ。彼らは安倍首相と習近平国家主席の話し合いで問題を解決できると思っている。はっきり言うが、共産党は外交の本質を理解していない。理解したところで、彼らに真の外交はできない。
外交とは問題を抱えた相手国との話し合いでは「ない」。相手国ではなく、第3国をどう自分の味方につけるかが外交の本質である。具体的に言えば、日中間の問題を有利に解決しようとすれば、日本が米国や欧州、東アジアの国々を味方につけられるかどうかが勝負なのだ。
それは夫婦げんかをしたとき、なぜ、たいてい奥さんが勝つかを考えてみれば分かるだろう。奥さんが勝つのは、旦那さんを口でまかすのが上手だからか。それもあるかもしれないが、本質はお嬢さんや息子、ときにはペットの犬までもが奥さんの味方をするからだ。
もしも、逆に旦那さんのほうに子どもやペットが味方すれば、奥さんの側が圧倒的に不利になる。だが、子どもやペットと長く過ごすのはたいてい奥さんなので、奥さん有利になるのである。こういう関係は国と国との外交も同じだ。人間社会の出来事は家庭も国も本質的には、たいして変わらない。
日本と中国の問題でいえば、安倍外交はまさに米国や欧州、東アジアの国々を味方につける外交を展開してきた。ここへきて突然、安倍首相を訪中招待したように、中国がにわかに日本にすり寄ってきたのは、日米首脳会談で日米の結束が固まったのに加えて、第3国にも対中批判が高まって、中国は逃げ場がなくなってしまったからだ。
米国は2年前まで中国が提唱した「新型大国関係」という言葉に理解を示し、対中関係の軟着陸を模索していた。だが、2013年11月の防空識別圏設定と南シナ海の埋め立て作戦を目の当たりにして、いまや完全に方針転換した。
オバマ大統領が4月の日米首脳会談で「中国は間違っている」と明言したのは、そういう文脈での発言だ。そんな中国に日本はどう対応したらいいのか。
まず「日中間の問題はあくまで外交で解決すべきだ」という主張がある。日本共産党がそうだ。彼らは安倍首相と習近平国家主席の話し合いで問題を解決できると思っている。はっきり言うが、共産党は外交の本質を理解していない。理解したところで、彼らに真の外交はできない。
外交とは問題を抱えた相手国との話し合いでは「ない」。相手国ではなく、第3国をどう自分の味方につけるかが外交の本質である。具体的に言えば、日中間の問題を有利に解決しようとすれば、日本が米国や欧州、東アジアの国々を味方につけられるかどうかが勝負なのだ。
それは夫婦げんかをしたとき、なぜ、たいてい奥さんが勝つかを考えてみれば分かるだろう。奥さんが勝つのは、旦那さんを口でまかすのが上手だからか。それもあるかもしれないが、本質はお嬢さんや息子、ときにはペットの犬までもが奥さんの味方をするからだ。
もしも、逆に旦那さんのほうに子どもやペットが味方すれば、奥さんの側が圧倒的に不利になる。だが、子どもやペットと長く過ごすのはたいてい奥さんなので、奥さん有利になるのである。こういう関係は国と国との外交も同じだ。人間社会の出来事は家庭も国も本質的には、たいして変わらない。
日本と中国の問題でいえば、安倍外交はまさに米国や欧州、東アジアの国々を味方につける外交を展開してきた。ここへきて突然、安倍首相を訪中招待したように、中国がにわかに日本にすり寄ってきたのは、日米首脳会談で日米の結束が固まったのに加えて、第3国にも対中批判が高まって、中国は逃げ場がなくなってしまったからだ。
日本は、もはや中国に対抗できない
加えて、上海株式市場の暴落や権力闘争の激化が示すように、国内基盤が不安定化した事情もあるだろう。
こういう第3国を巻き込む外交が日本共産党にできるか。できるわけがない。オバマ大統領や各国首脳が共産党幹部に会って一致結束を誓うはずがないからだ。
安倍政権は第3国を味方につける外交を展開し、実際に勝利を収めてきた。1発の銃弾も撃つことなく、尖閣諸島は以前よりはるかに安全になった。日米の固い結束を前に、中国が挑発するにはリスクが高くなったからだ。
逆に、共産党が思い描くような1対1の対中外交をしていたら、日本は「足して2で割る」式の妥協に追い込まれてしまう。そうなったら、尖閣諸島に領有権争いがあるのを認めざるを得なくなる。それこそ中国の思う壺だ。
以上のような安倍政権の外交努力を確認したうえで、では外交だけで十分かといえば、そうは言えない。相手に戦争を思いとどまらせる抑止力は軍事力の裏打ちがあってこそ、であるからだ。ずばり言えば、日本は単独で中国の軍事力に対抗できるか。答えは「できない」。
なぜなら国力が違うからだ。中国の人口は日本の10倍である。経済力はどうかといえば、中国の国内総生産(GDP)は日本の1.5倍だ。そのうえで軍事力を比べると、中国は毎年GDPの2%を軍事費に費やしているのに対して、日本の防衛費は1%である。
つまり毎年、中国は少なくとも日本の3倍、直近では4倍の軍事費を使っている。ということは、日本が単独で中国に追いつこうと思ったら、毎年の防衛費を4倍以上に増やさなくてはならない。
本当にそうしようとすれば、最大の歳出費目である社会保障費の大幅削減か大増税、あるいは国債大増発で賄う以外にないが、そんなことは絶対にできない。社会保障削減や増税、国債増発によって防衛費を4倍増にするという政策を掲げる政権は、国民がけっして容認しないからだ(もちろん朝日新聞も東京新聞も容認しない。以上は4月17日公開コラムも参照。http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/42934)。
こういう第3国を巻き込む外交が日本共産党にできるか。できるわけがない。オバマ大統領や各国首脳が共産党幹部に会って一致結束を誓うはずがないからだ。
安倍政権は第3国を味方につける外交を展開し、実際に勝利を収めてきた。1発の銃弾も撃つことなく、尖閣諸島は以前よりはるかに安全になった。日米の固い結束を前に、中国が挑発するにはリスクが高くなったからだ。
逆に、共産党が思い描くような1対1の対中外交をしていたら、日本は「足して2で割る」式の妥協に追い込まれてしまう。そうなったら、尖閣諸島に領有権争いがあるのを認めざるを得なくなる。それこそ中国の思う壺だ。
以上のような安倍政権の外交努力を確認したうえで、では外交だけで十分かといえば、そうは言えない。相手に戦争を思いとどまらせる抑止力は軍事力の裏打ちがあってこそ、であるからだ。ずばり言えば、日本は単独で中国の軍事力に対抗できるか。答えは「できない」。
なぜなら国力が違うからだ。中国の人口は日本の10倍である。経済力はどうかといえば、中国の国内総生産(GDP)は日本の1.5倍だ。そのうえで軍事力を比べると、中国は毎年GDPの2%を軍事費に費やしているのに対して、日本の防衛費は1%である。
つまり毎年、中国は少なくとも日本の3倍、直近では4倍の軍事費を使っている。ということは、日本が単独で中国に追いつこうと思ったら、毎年の防衛費を4倍以上に増やさなくてはならない。
本当にそうしようとすれば、最大の歳出費目である社会保障費の大幅削減か大増税、あるいは国債大増発で賄う以外にないが、そんなことは絶対にできない。社会保障削減や増税、国債増発によって防衛費を4倍増にするという政策を掲げる政権は、国民がけっして容認しないからだ(もちろん朝日新聞も東京新聞も容認しない。以上は4月17日公開コラムも参照。http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/42934)。
「武力を行使しない」も選択肢のひとつ
さらに言えば「通常兵器では追いつかない。だからこそ日本は核武装すべきだ」という主張もある。これこそ米国が絶対に容認しない。米国は自分の手のひらに乗っている限りにおいて、日本の自衛隊を認めている。日本が核武装したら、日本が独り歩きしかねない。そんな事態は米国が全力で阻止するに違いないからだ。
結局、日本は単独で中国に対抗できない。だからこそ日本は集団的自衛権の限定的行使を容認して、米国との絆を確固たるものにする。それによって抑止力を高め、日本の平和と安全を守るのである。
日本は集団的自衛権を認めて安保法制を見直したら、米国の言いなりになって米国の戦争に追随するしかなくなってしまう、という反対論がある。これまた馬鹿げた議論だ。つい最近、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆を実施したトルコを例に考えてみよう。
トルコは北大西洋条約機構(NATO)のメンバー国である。NATOは集団的自衛権を基礎にした集団防衛機構であり、メンバー国は条約第5条で極めて強い相互防衛義務が課されている。以下のようだ。
ーーーーー
締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける1又は2以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがって、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第51条の規定によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19490404.T1J.html)。
ーーーーー
条文は、あたかもメンバー国が攻撃されたら、他のメンバー国は直ちに武力で援助しなければならないかのように読める。実際はどうか。今回の発端はISの仕業とみられる自爆テロ攻撃、それからトルコ軍兵士が7月23日にISに攻撃され死亡した事件だった。トルコのISに対する空爆は、この報復である。
では、条約が掲げたように、他のNATOメンバー国がトルコを支援したかといえば、していない。NATOはトルコの要請に基づいて緊急理事会を開いて「テロを容認しない。加盟国はトルコと連帯する」という声明を出しただけだ。
いったい何を言いたいか。NATOのように強い相互防衛義務を課した機構でさえも、実際に仲間を武力行使で支援するかどうかとなると、各国が独自に判断し、義務化されているはずの武力を行使しない例もあるのだ。
結局、日本は単独で中国に対抗できない。だからこそ日本は集団的自衛権の限定的行使を容認して、米国との絆を確固たるものにする。それによって抑止力を高め、日本の平和と安全を守るのである。
日本は集団的自衛権を認めて安保法制を見直したら、米国の言いなりになって米国の戦争に追随するしかなくなってしまう、という反対論がある。これまた馬鹿げた議論だ。つい最近、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆を実施したトルコを例に考えてみよう。
トルコは北大西洋条約機構(NATO)のメンバー国である。NATOは集団的自衛権を基礎にした集団防衛機構であり、メンバー国は条約第5条で極めて強い相互防衛義務が課されている。以下のようだ。
ーーーーー
締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける1又は2以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがって、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第51条の規定によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19490404.T1J.html)。
ーーーーー
条文は、あたかもメンバー国が攻撃されたら、他のメンバー国は直ちに武力で援助しなければならないかのように読める。実際はどうか。今回の発端はISの仕業とみられる自爆テロ攻撃、それからトルコ軍兵士が7月23日にISに攻撃され死亡した事件だった。トルコのISに対する空爆は、この報復である。
では、条約が掲げたように、他のNATOメンバー国がトルコを支援したかといえば、していない。NATOはトルコの要請に基づいて緊急理事会を開いて「テロを容認しない。加盟国はトルコと連帯する」という声明を出しただけだ。
いったい何を言いたいか。NATOのように強い相互防衛義務を課した機構でさえも、実際に仲間を武力行使で支援するかどうかとなると、各国が独自に判断し、義務化されているはずの武力を行使しない例もあるのだ。
「日本をダメにする」議論
今回の安保法制見直しも構造は同じである。集団的自衛権の行使を限定的に容認するのは、もしものときに備えて武力行使の選択肢を用意しておく。そういう話だ。選択肢を用意するのは「法律ができたら自動的に武力行使になる」という話とまったく違う。
トルコの例は、いままさに対テロ戦争を戦う世界で起きている現実である。対テロ戦争の主役である米国もNATOのメンバー国だ。だからといって、NATOが米国に引きずられて対IS戦争に組織として参戦しているかといえば、参戦していない。あくまで有志国が米国と一緒に戦っているだけだ。
条約で固く相互防衛義務が課されているはずのNATOメンバー国であっても、実はトルコと米国、欧州がそれぞれ独自の判断に基づいて対応しているのである。それが実際の主権国家と集団的自衛権の関係である。
それに比べて、いまの国会の議論はいったい何なのか。集団的自衛権の限定的行使を容認したら、直ちに米国の戦争に追随せざるを得なくなるといった議論は、言い換えれば「日本に主権はない」と主張するのと同じである。
そういう情けない態度こそが現実離れしているし、子供のような議論ではないか。米国追随論の本質とは、結局のところ「私たちは日本を信用しない」「国民が選んだ政府も信用しない」「だから日本の民主主義も信用しない」「強く自立した日本は望まない」「日本は結局、自立できない」論なのである。そういう議論こそが日本をダメにする。
トルコの例は、いままさに対テロ戦争を戦う世界で起きている現実である。対テロ戦争の主役である米国もNATOのメンバー国だ。だからといって、NATOが米国に引きずられて対IS戦争に組織として参戦しているかといえば、参戦していない。あくまで有志国が米国と一緒に戦っているだけだ。
条約で固く相互防衛義務が課されているはずのNATOメンバー国であっても、実はトルコと米国、欧州がそれぞれ独自の判断に基づいて対応しているのである。それが実際の主権国家と集団的自衛権の関係である。
それに比べて、いまの国会の議論はいったい何なのか。集団的自衛権の限定的行使を容認したら、直ちに米国の戦争に追随せざるを得なくなるといった議論は、言い換えれば「日本に主権はない」と主張するのと同じである。
そういう情けない態度こそが現実離れしているし、子供のような議論ではないか。米国追随論の本質とは、結局のところ「私たちは日本を信用しない」「国民が選んだ政府も信用しない」「だから日本の民主主義も信用しない」「強く自立した日本は望まない」「日本は結局、自立できない」論なのである。そういう議論こそが日本をダメにする。