1989年の天安門事件に関する大量の電信を公開したことを明らかにしました。中には中共軍隊が天安門広場で学生を大量虐殺した内容も含まれているそうです。
ボイス・オブ・アメリカによると、中共軍隊による虐殺はカナダ外交官に恐怖をもたらし、中共軍が中国のカナダ大使館に侵入するのではないか、危惧していたそうです。
>こんな野蛮な国が国連の常任理事国ということを世界は知らねばならない。女子労働教養所で2年3か月、迫害を受けました。その間、服をはぎ取られ裸にされて雪の上で暴力を受けたりされ、両足を骨折しました。かつて張さんの拷問体験は、ニュージーランドのメディアのトップ記事になりました。
鄭州市の法輪功学習者 張翰文さん
「髪をつかまれて、腕をひねられ、引きずられました。頭皮が見えるほど髪が大量に抜けました。他の学習者は革靴の底で顔を殴られ、髪をつかまれ、壁にぶつけられました。吊られた状態で殴られた人もいます。私は『死人縄』に遭いました。警官は非常に細いひもで、手が紫色に変色するほど。2~3分締め付けたら緩めて、もう一度 思いっきり上に引きます。私は耐え難い痛みで気絶しました」
しかしシナのカネに目がくらんでいる国のなんと多いことか。ロシアもそういうところがあるがシナ共産党に比べたらまだましだ。
シナ共産党は旧日本軍の蛮行をすぐに口にして日本を非難するがその資格は全くないといってよい。
シナ共産党の蛮行は現在進行中なのだ。アフリカやシリアなどで行われている蛮行がれっきとした大国の中で行われているのだ。
【新唐人2015年1月30日】香港の英字新聞「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」の元北京支局記者トム・コースキ(Tom Korski)氏が先日、カナダ国立図書館・公文書館が最近、1989年の天安門事件に関する大量の電信を公開したことを明らかにしました。中には中共軍隊が天安門広場で学生を大量虐殺した内容も含まれているそうです。
ボイス・オブ・アメリカによると、中共軍隊による虐殺はカナダ外交官に恐怖をもたらし、中共軍が中国のカナダ大使館に侵入するのではないか、危惧していたそうです。
公電には、カナダ駐北京大使館が当時掌握した公開処刑や北京の運河からの死体の引き上げなど、事件後の状況が記録されているそうです。
公電にはまた中共最高指導部の驚くべき腐敗の実態が記録されており、天安門事件の前、すべての政治局常務委員がスイス大使にスイス銀行への資金の移転について問い合わせていたそうです。
フリーダムハウス「中国再度不自由の国に評価」
アメリカニューヨークに本部を置く人権団体「フリーダムハウス」が28日、世界各国の自由度を評価した報告書を発表しました。世界195カ国15地域を対象に、政治的権利、市民の自由の観点から評価していますが、中国は再度「不自由」な国であると評価されました。
中国に関する部分では、過去1年において、中共当局は民間に対する抑圧を強化しており、特には異見者や少数民族に対しては明らかに強化傾向にあると指摘しています。
北京の民主活動家 失踪百日後に釈放
中国の弁護士、張磊(ちょうらい)さんが28日ウィーチャットに発表した情報によると、110日間も行方が分からなかった北京の黃凱平(こうがいへい)さんが、当日の昼に釈放されたそうです。
黄さんの妻によると、黄さんが失踪していた3か月あまりのうち、家族には何の知らせもなく、当局に問い合わせても何の結果も得られなかったそうです。黄さん自身もこの3か月間どこに拘束されていたか、わからないといいます。
黃凱平さんの失踪事件は国内外で注目されていました。彼が所長を務める「北京伝知行(でんちこう)研究所」は民間のシンクタンクで、創設者の郭玉閃(かくぎょくせん)さんはかつて盲人弁護士の陳光誠(ちんこうせい)さんの救出にも参与しました。
新唐人テレビがお伝えしました。
(翻訳/坂本 ナレーター/萩野 映像編集/李)
【新唐人2015年06月02日】今年の6月4日で、あの天安門事件から26年になります。5月31日、天安門事件26周年のシンポジウムがアメリカで開催され、事件の生存者が電話で戦車にひかれた過程を話しました。当局が戦車で学生をひいたと公に証言したのは、これで2人目になります。
天安門事件の生存者 王寛保さん
「6月4日の朝、天安門広場から引き揚げた時、六部口で私と林仁富が戦車でひかれ、私は病院に送られ 彼は死にました」
この声の主は王寛保(おう かんほ)さんで、当時は北京鉄鋼学院の大学院生でした。王さんは戦車にひかれて骨盤を複雑骨折し、一緒にいた林仁富(りん じんふ)さんは即死しました。
天安門事件の生存者 王寛保さん
「彼は当時 もう卒業し、日本留学のビザもありました。彼の妻は妊娠していましたが、事件後職場や家族から圧力を受け、精神に異常をきたしました。子供もおろしたそうです。本当に悲惨でした」
当時の目撃者の話と映像資料によると、1989年6月3日の夜から4日の明け方にかけて、完全武装した兵士数千人が戦車や装甲車と共に、戒厳令の名目で様々な方向から天安門に突入しましたが、途中で数千人とも言われる市民を射殺しました。
作家 呉仁華さん
「北京軍区天津警備区の数台の戦車が学生を背後から ひきました。学生は驚いて逃げましたが、王寛保と林仁富は自転車を押し、道端を歩けば大丈夫だと思い、戦車にひかれました。林さんは即死し、王さんは骨盤を骨折しました」
当時の学生リーダー 周鋒鎖さん
「戦車に両足をひかれた方政は生き証人です。彼の出現と証言で、中共の嘘が暴かれました。今回の王寛保さんは戦車にひかれた2人目の生存者で、重要な意義があります」
1995年にアメリカに来た王寛保さんは、現在コンピューター関係の仕事をしています。当時の傷のために合わせて10回以上の手術をしましたが、いまだに完治していません。中共当局が戦車で学生をひき殺したと証言したのは、王さんで2人目となりました。
新唐人テレビがお伝えしました。
(翻訳/河合 ナレーター/佐藤 映像編集/李)
中国当局が連行した人権弁護士、活動家ら215人 連行後、行方不明のケースも
中国各地で9日以降、当局に拘束されていたり、連行され一時的に拘束されたりした人権派弁護士や活動家らが16日までに215人に増えた。香港のNPO団体「中国人権弁護士関注組」が明らかにした。長期化する当局の摘発に、活動家らからは「弁護士を徹底的に脅して抑え込もうとしている」と懸念の声が上がっている。
同団体によると、当局が拘束しているのは「社会秩序を乱す重大犯罪グループ」と見なした「北京鋒鋭弁護士事務所」の主任弁護士、周世鋒氏や女性弁護士の王宇氏ら11人で、一部は自宅に軟禁されている。ほかに14人が連行後、行方不明となっており、190人が一時拘束されるなどした。中国の人権問題を扱うウェブサイト「維権網」によると、湖南省の弁護士が15日、周氏の弁護を引き受けて北京に向かおうとしたが、地元当局者に阻止された。(共同)
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