ほとんどの民間のシナ人は友好的だと思うが、一部共産党に洗脳された人はそうではない。
シナ共産党や軍部は今でも戦争継続中という考え方だ。(この戦争継続中ということをほとんどの日本人は理解できない。しかし戦後チベットや東トルキスタン、モンゴル自治区を併合、南シナ海や尖閣に触手を伸ばしている。日本領空に接近し隙あらば領空侵犯をしようとする。それが侵略国家、軍国主義国家である証拠だ)
それが彼らの偉大にな指導者毛沢東の教えだから。
いくらシナ国民が友好的でも実際に国を動かすのは好戦的な指導者連中だ、それに反対する国民は捕らえられ拷問を受けたりする。それは過去の日本もそうだった。
いまはシナ共産党は日本を世界から孤立させることが重要な時期ととらえている。
勇猛な項羽が劉邦に敗れたのもその情報戦で項羽が孤立して味方がいなくなったのが主な原因、この言葉の由来する四面楚歌になった項羽はやる気をなくして敗れた。 劉邦は戦ではいくら戦っても項羽に勝てなかったが情報戦で相手を孤立させることで項羽を攻め滅ぼした。
シナ共産党が日本のイメージダウンに血眼になるのはその一環だ。沖縄でも東南アジア、オーストラリアでもそのためには金を惜しまない。
すでに沖縄ではその効果が表れ選挙ではサヨクが勝ち続けている。また沖縄独立運動もまだ小さいながら思想を浸透させている。かの仲間由紀恵をそれに感化されたという噂もあるくらいだ。
シナ共産党の戦略は数十年単位で物事を進める。日本人みたいな短期的には考えない。過去、結果は長期的な視野を持つ者が勝つ。
ただ救いはアメリカがシナ共産党の魂胆に最近ようやく気付き始めた。アメリはアジアに戦略をシフトしてきている。シナ共産党の思い通りにいかないよう望む。
シナ共産党や軍部は今でも戦争継続中という考え方だ。(この戦争継続中ということをほとんどの日本人は理解できない。しかし戦後チベットや東トルキスタン、モンゴル自治区を併合、南シナ海や尖閣に触手を伸ばしている。日本領空に接近し隙あらば領空侵犯をしようとする。それが侵略国家、軍国主義国家である証拠だ)
それが彼らの偉大にな指導者毛沢東の教えだから。
いくらシナ国民が友好的でも実際に国を動かすのは好戦的な指導者連中だ、それに反対する国民は捕らえられ拷問を受けたりする。それは過去の日本もそうだった。
いまはシナ共産党は日本を世界から孤立させることが重要な時期ととらえている。
勇猛な項羽が劉邦に敗れたのもその情報戦で項羽が孤立して味方がいなくなったのが主な原因、この言葉の由来する四面楚歌になった項羽はやる気をなくして敗れた。 劉邦は戦ではいくら戦っても項羽に勝てなかったが情報戦で相手を孤立させることで項羽を攻め滅ぼした。
シナ共産党が日本のイメージダウンに血眼になるのはその一環だ。沖縄でも東南アジア、オーストラリアでもそのためには金を惜しまない。
すでに沖縄ではその効果が表れ選挙ではサヨクが勝ち続けている。また沖縄独立運動もまだ小さいながら思想を浸透させている。かの仲間由紀恵をそれに感化されたという噂もあるくらいだ。
シナ共産党の戦略は数十年単位で物事を進める。日本人みたいな短期的には考えない。過去、結果は長期的な視野を持つ者が勝つ。
ただ救いはアメリカがシナ共産党の魂胆に最近ようやく気付き始めた。アメリはアジアに戦略をシフトしてきている。シナ共産党の思い通りにいかないよう望む。
中国の若者、本当は日本人に好意的だった 関係悪化の裏にある中国人エリートの本音
日本への留学経験がない中国人学生の日本語作文コンクール受賞作71本を収載した「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」が出版された。日中関係が冷え込む中、応募は過去最高の4749本に達した。家族や親友の猛反対に遭いながら日本語を専攻し、日本人教師や留学生、バイト先のお客、ゲーム作者とのメールなど、日本人と初めて接することで閉ざされた心に風穴が開き、戸惑い、あるいは交流へと突き動かされていく。
同書はみずみずしい感性と中国人らしいエネルギーにあふれた、若者たちの作文集となっている。編者である日本僑報社の段躍中代表に、背景を聞いた。
──ある受賞者の「心の中に残っている敵意のバイアス」という言葉が印象的でした。国の歴史教育や家庭での「日本を許すな」という教えを通し、中国の若者には反日感情が刷り込まれていると聞きます。
実際には日本のカルチャーを通した日本ファンが大勢います。ただ多くの若者は生身の日本人に直接触れる機会が非常に少ないんです。
歴史教育とともに、連日流される抗日戦争のテレビや映画が若者たちに日本憎しの感情を刷り込んでいく。番組自体は正直全然面白くないですよ。でも政府の方針だし、ほかの企画では予算が通らない。中国人自身、そうした事情はよく承知しています。日中交流をもっと別の角度からとらえ直す企画や民間交流におカネを回すべきだと、私はブログで書き、中国のメディアも取り上げてくれました。中国のマスコミ関係者も問題はよくわかってるんです。
──今回初めて、日本語教師を対象にした賞も創設したのですね。
はい。北京での表彰式では日本大使の手から表彰状をお渡しして、体験談を語ってもらいました。われわれが差し上げられるのはそうした名誉だけで、到底力不足です。国や政府にもっと日本語教師を応援してほしいと思っています。
ここで強調させていただきたいのが日本人先生の持つ力です。今中国全土で日本人教師の数は2500人くらいですが、日中関係の冷たい空気の中、薄給で言葉もままならないまま、日本をよく知らない若者たちに日本語と日本文化を教えてくれている。発音練習を兼ねた朗読用にと、毎朝日本から家族に新聞のコラムをファクスしてもらったり、それは献身的です。まさに日本国を代表する民間大使です。そうした先生方にもっとライトを当ててほしい。
2011年に最優秀賞を取った青年の作文は、東日本大震災直後、ネット掲示板で日本に声援を送った彼をののしる友人に対し、理性を持って説得し、最後は共に支援するまでを描いた話でした。このときも日本人の先生の影響が大きかった。
──日本へ行ったら「近所のおばあちゃんたちとも仲よくしたい。日本人のよい習慣はどんどんマネして、私の態度で中国人に対するイメージをよいほうに変えたい」というような、力強い言葉も多かった。
そういう高い意識を持つ若者はすごく多いですよ。日本が好き、日本のことを学びたい、日本へ行って経験したことを周りに伝えたいと公の場でも話す学生は本当に多い。
政府は抗日ドラマを作る一方で、民間サイトのように日本関連のいい情報も実はたくさん発信しています。人民日報のネット版である人民網では日本の地方の小さな出来事や、毎週日本の面白いランキング、グルメや娯楽情報とかも紹介しています。政府の資金で日中交流を応援するサイトも、本当は作っているんです。
──そうした事実を日本人はあまり知らないかもしれません。
2013年に新聞・テレビの中国総局長・支局長ら約20人に執筆してもらった本を出したのですが、中国からいいニュースを出しても本社でハネられるそうです。日本の本社は中国の悪い点や反日ムードばかりを取り上げようとする。実際に現場を取材している特派員たちの意向とは異なり、それが報道の現実になっています。先ほど申し上げたような日本に学ぼうという政府系サイトの話など、日本のメディアは取り上げませんね。
──日中関係が凍り付いたままでいる状態の片棒を、実は日本のメディアも担いでいる?
そうです。たとえばわれわれの作文コンクールの表彰式の様子も、某新聞の特派員は、取材しても本社が取り上げない、と言ってました。ライバル紙が後援しているという事情もあるようですが、他社後援うんぬんにかかわらず、中国各地でこんなに熱意を持って日本語習得に頑張ってる若者たちを、もっと応援すべきじゃないかと思います。彼らが日中の将来の懸け橋になるのですから。
彼らの生の声に触れず、大手メディアの情報だけで中国を悪くイメージしてしまうのはすごく残念です。
──段さんは33歳で来日するまで、新聞記者だったんですよね。
中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」で記者をしていました。1989年の天安門事件には、ジャーナリストとして失望しました。当時は毎晩2時の朝刊締め切り後、天安門広場へ通った。私は党員だったけれど学生と一緒にデモに参加しました。共産党中枢の新聞記者でさえ、あれはないと思った。われわれが現場で見て書いた記事を載せるよう編集長に詰め寄ったし、本来なら5時に印刷へ回すのに、紙面構成もゲラも出さないこともあった。活字工は10分で組むところを1時間もかける牛歩戦術で発行をやめさせようとしたり、現場はけっこう頑張ったよ。
2年後、たまたま妻が留学していた日本へやってきました。中枢紙の1面デスクで出世コースにいたところから、まったくゼロの状態で何も知らない日本に来るのは非常に複雑な心境でした。でも幸運だった。日本というすばらしい国を自分は身をもって体験することができたのです。何より尊いのは言論の自由、出版の自由です。これは私の命より大事です。
もう一つ、普通の市民がどこの誰とも知れない一外国人にたいへん優しくしてくれたこと。アルバイト先の居酒屋の老夫婦が暇を見て日本語を教えてくれ、年末にはおせち料理を分けてくれ、まさに日本の文化、日本人の優しさでいつも助けてくれた。日本に来て本当によかったと感じてるんですね。そのためにこの日本語作文コンクールも死ぬまで続けていきたいし、若者たちに日本を経験するチャンスを提供したい。
──13億人のエリートの階段から今のこの仕事まで、段さんにとっては自然な帰結だったんですね。
こんな小さな民間企業でコンクールをやるには力不足であると感じています。それでもなぜやってきたか、何が得られるかといえば、若者たちを応援することで、私には時間が足りなかった日中を強固につなぐという夢を、彼らに託せるからです。