情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。
>インテリという言葉を作ったイギリス人、その意味は重要な情報を人より多く持っている人と言う意味がある。
* * *
人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。そしてカネがさらに減っていく悪循環に陥り、結果的に悪いカネに頼らざるを得なくなる。カネがない悪循環に陥る原因は、環境がどうのという以前に、そもそも良質な情報を得る努力を怠っているからだ。
情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。
多くの人が価値ありと認めるものを一括して、誰でも万能で使えるようにしたのが紙幣、すなわちバンク・ ノートだ。現代ではデジタルデータでも代用されている。紙幣そのものには何の価値もないことの証明だ。
すなわちカネとは、信用だ。モノとしての実体など、なくても構わない。信用、それ自体が本質なのだ。だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。信用をいかにして取り戻すかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。
1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。実体があるようで、全くない。それがカネの正体だ。
でも、やっぱり世間の人、特に貧困だと騒ぐ人たちは、札束がカネだと勘違いしている。言ってみれば、「お札教」が世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。
お札信奉者たちは、マインドコントロールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。信じていて幸せだというなら仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強い。アホみたいな詐欺的商売が、何の苦もなく成立している。
ただし、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンがうまいだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に、本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あれはウソだ、詐欺だ」と言い出すと、途端に詐欺的商売としか見られなくなってしまう。
詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている。どちらも実体のないものが、ありがたがられている。「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。
※堀江貴文・著/『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』より
>インテリという言葉を作ったイギリス人、その意味は重要な情報を人より多く持っている人と言う意味がある。
「おカネの本質」とは何か? 堀江貴文氏が解説
2017.08.03 16:00
『多動力』に続き、最新刊『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』で、またしても大胆な提言を連発している堀江貴文氏。同書に記した「仕事や人生で負けないための法則」について、短期集中連載で特別解説! 5回目のテーマは、カネの本質や正体について。それらを理解していなければ、仕事も人生も遅かれ早かれ失敗するのだという。
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人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。そしてカネがさらに減っていく悪循環に陥り、結果的に悪いカネに頼らざるを得なくなる。カネがない悪循環に陥る原因は、環境がどうのという以前に、そもそも良質な情報を得る努力を怠っているからだ。
情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。
多くの人が価値ありと認めるものを一括して、誰でも万能で使えるようにしたのが紙幣、すなわちバンク・ ノートだ。現代ではデジタルデータでも代用されている。紙幣そのものには何の価値もないことの証明だ。
すなわちカネとは、信用だ。モノとしての実体など、なくても構わない。信用、それ自体が本質なのだ。だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。信用をいかにして取り戻すかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。
1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。実体があるようで、全くない。それがカネの正体だ。
でも、やっぱり世間の人、特に貧困だと騒ぐ人たちは、札束がカネだと勘違いしている。言ってみれば、「お札教」が世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。
お札信奉者たちは、マインドコントロールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。信じていて幸せだというなら仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強い。アホみたいな詐欺的商売が、何の苦もなく成立している。
ただし、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンがうまいだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に、本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あれはウソだ、詐欺だ」と言い出すと、途端に詐欺的商売としか見られなくなってしまう。
詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている。どちらも実体のないものが、ありがたがられている。「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。
※堀江貴文・著/『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』より