先日、東電の記者会見を見ていたら「貯水池から漏れた水は海に絶対に行かない」と東電の本部長代理か誰かが言っていました。地下水は貯水池から海へと流れているのですから、行かないはずはありません。
でも、「東電はウソを言う」という「合意」があるので、記者も一部の人以外は質問もしませんでした。
このような「ウソ」を白昼堂々、東電の幹部が言うというのが現在の日本社会の大きな病根です。なぜウソを言うかというと「どのぐらいのウソなら裁判で責任を追及される事はない」というつまらない研究が進んでいるからです。
この場合、ウソだと言うことがわかって、裁判所に訴えると裁判所は「まだ被害が生じていないから、訴える利益がない」とか「学問的見解だから、問題は無い」などとなるからです。つまりすでに日本では構造的に「ウソが許される」という事になっていて、それを防ぐ社会体制が整っていないのです。
もう一つ、北朝鮮のミサイルのことで前の防衛大臣が「原発はミサイルが来ても大丈夫だ」というこれも明らかなウソを言っていました。この場合は「ウソ」かどうかはわかりません。というのは、私が「ウソ」というのは「本人が知っていて、事実と違うことを言う」と言うことですが、前の防衛大臣は原発は素人ですから、東電か誰かに聞いてそのまま言っていると考えられるからです。
つまり、答える資格や能力が無いのに平気で断定的に言うという点で、ウソとは呼べないのですが、無責任発言ということです。
運転している原発はミサイルを撃ち込まれたら爆発します。狙い所は、地下の電源系、海水の供給ポンプ、制御室、配電盤などです。原子炉自体はかなり強いのですが、付帯設備はまったく防御されていませんから、冷却がとまり福島原発と同じように爆発します。
また制御系が破壊され、制御棒の下降装置が動かない場合、核爆発もあり得ます。これについて前の防衛大臣が発言したら、国はしかるべき筋を通して、専門家が納得する説明をすべきです。
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ところで、東電の幹部発言も、前防衛大臣発言も、ともに現在の日本では「許されるもの」と受け止められます。これは「社会の倫理観の低下」そのもので、このようなことが社会の衰退、国家の後退になって行きます。
正しくは「貯水池から漏れた放射性物質は地下水から海に流れる可能性があります」と言うべきですが、そうすると非難されるし、仕事が増えるから、言いませんし、また聞いた方も「海に流れることを認めると大変だから、ウソを言ったのだな」とそのまま認めてしまうのです。
それが「社会の力」が弱ってきたことなのです。
前防衛大臣も同じで、「原発はミサイルで破壊されて、爆発する可能性があります」と言えば良いのですが、そうすると「電力会社に迷惑を掛ける」、「原発反対派に力を貸すことになる」、「電気が足りなくなり日本が困る」などの理由で、「政府、電力、権力」の方に有利に発言し、国民の方は向いていません。
「大臣」という名前にこだわっているのは、「天皇陛下の家臣」であるということなのですが、天皇陛下は国民のことを考えられているのですから、大臣はその意をくんで国民のためにのみ発言すべきなのです。
ではここで誰かが本当のことを言ったらどうなるでしょうか? その人の言っていることが正しくても、日本社会はバッシングします。東電や大臣に逆らうとはとんでもない!と怒る、これが哀しいことに現在の日本なのです。
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私もウソが発生する現場を時々、経験します。たとえば報道で「温暖化で南極の氷が融ける」という原案を持ってきます。そこで私が「温暖化すると南極の氷は増えるのですよ」というと、記者は「みんなが融けると思っていますから」ということになります。
つまり
科学的事実・・・IPCCは増えると言っている。物理学でも同じ。
空気的事実・・・NHK、御用学者、一般人
となっているのです。
もし報道が(NHK、御用学者、一般人)が考えていることと違う事を流すと、それが科学的事実でもバッシングされ、酷いときには番組が無くなることすらあります。脅すのは一般人だからこれが最大の問題なのです。
そこで報道は「温暖化で南極の氷は融けるという説もあります」という「間違った説」だけを紹介するということになり、それを聞いた一般人も繰り返し間違ったことを聞くので、それが定着するということです。
なかなかウソの構造は複雑で、一人一人が高い見識を持つ「誠実な社会」でなければ打破が困難な状態なのです。でも、私は日本のため、日本の子どものため、誠実な社会を取り戻したいと思います。事なかれ主義ではまた悲惨な経験をしなければなりません。