© 東洋経済オンライン 交戦をすれば被害が出るのは必然だ。しかし、自衛隊はその想定をほとんどしていない 中谷元防衛相は、新たな安全保障法制で検討中の在外邦人救出のための法整備に意欲を示している。自衛隊がテロ攻撃への対処など特殊な訓練を積んでいることを挙げ、自衛隊は邦人救出に対応できる能力をもっていると主張。自衛隊による邦人救出は能力面からも難しいとする見方に反論している。
だが、結論から言えば、自衛隊にそのような能力はない。それは自衛隊が実戦を想定した戦力の整備を怠ってきたからだ。外からは軍隊のように見えるが、実戦を行う能力はほとんど無い。無理をして実戦を行えば、死体の山を築くことになる。
自衛隊のやっていることはエアソフトガンを使った「サバイバルゲーム」とそれほど大差のないレベルだ。それは陸自の個人用のファースト・エイド・キット(救急セット)を見れば歴然だ。これには国内、国外用があるが国内用のセットの内容は包帯と止血帯だけである。銃創にも火傷にも、呼吸困難にも対処できない。これでは国内ではゲリラ・コマンドウ事態、島嶼をめぐる紛争も起こらないと高をくくっているとしか思えない。
換言すれば戦闘で死者や、手脚、視力を失うものが出ることを前提としていない。被害が出ないことを前提に、戦略や戦術を決定し、装備を調達し、訓練を行っていることになる。それで実戦でまともに戦える態勢が整っているはずがない。
戦闘による死傷者を想定しないものを「戦争ごっこ」という。「ごっこ」しかやっていない部隊を海外に送って実戦をやらせれば、諸外国の軍隊の何倍もの命や手脚を無為に失う隊員の山を築くだけだ。恐らく死亡した隊員の家族からは、「国は無策」と、その無責任ぶりを糾弾されることになるだろう。
この件に関して筆者は既に本サイトに戦傷者は「想定外」という、自衛隊の平和ボケを書いている。より具体的に比較するために陸自のファースト・エイド・キットである「個人携行救急品」と米軍のファースト・エイド・キットを比べてみよう。
陸自は長年、個人用の衛生品としては圧迫止血を容易に行えるように工夫された包帯を二本支給してきただけで、第2次大戦以来進歩していないシロモノだった。だが東日本大震災の「戦訓」を受けて、平成24年度予算から「個人携行救急品」の導入を開始した。
陸自の場合、中隊レベルでは衛生小隊から中隊救護員(1~数名)が配属され、「応急処置」を実施することになっているが、実際は人員・予算不足のため1名の場合が多い。その下の小隊、分隊、個人レベルでは「個人携行救急品」によって戦闘部隊隊員自らまたは隊員相互に「救急処置」をすることになっている。
陸幕の説明によれば「陸上自衛隊において、新たな脅威や多様な役割に対する実効的な衛生支援ニーズ(ゼロカジュアリティーの追求)が増大してきている事を踏まえ、個人携行救急品の充実を図ったものである」といい、導入の目的は「隊員個人の救急処置能力の強化」であるという。
2013年、筆者の取材とそれに基づく当時の君塚陸幕長に対する質問から、「個人携行救急品」にはPKOなどを想定した国際用(国外用)と通常用(国内用)との二種類が存在することが分かった。以下にその構成品を紹介する。
●国際活動等補給品(国外用)・・・救急品袋(砂漠迷彩)、救急包帯、止血帯、人工呼吸用シート、手袋、ハサミ、止血ガーゼ、チェストシール
●通常補給品(国内用)・・・救急品袋、救急包帯、止血帯
一見して国内用のセットが極めて貧弱なのが判る。袋だけは大きく立派になったが、内容品の数は冒頭で述べた包帯2個のうち1個が止血帯に変わったのみである。第2次世界大戦から70年を経た医学の進歩を反映させた研究を行ったとはとても思えない。セットの金額を合計すると国際用が1万6323円、通常用が8493円となっており、約2倍の違いだ。国内用はとても東日本大震災の教訓を活かしているとは言えないレベルだ。
ここで米陸軍のキットを紹介しよう。2012年度12月から米陸軍は従来のファースト・エイド・キットであるIFAK(Improved First Aid Kit)からIFAKⅡへと更新を開始している。IFAKⅡは内容品の種類も量も増えており、これは米軍衛生の方針である「LLE」に基づいている。LLEとはLife(生命)Limb(手足)Eyesight(視力)のことであり、まず生命を守ることを最優先として、生活に大きな支障が出ないよう、手足を温存し、視力を維持することを追求している。
救急キットと訓練を改善することに留まらず、防弾ゴーグルの着用を兵士が嫌がるのであれば、デザイン性の優れた防弾サングラスを支給するなどの点も、陸自と大きく異なっている。当然国外用、国内用の区別はない。
まず以前のIFAKの構成からみておこう。
その内訳は、止血帯×1、4インチ幅戦闘用包帯×1、伸縮性ガーゼ包帯×1、2インチ×6ヤード絆創膏×1、経鼻エアウェイ×1、胸腔減圧用脱気針×1、消毒用アルコールパッド×2、駆血帯×1、静脈路確保用留置針×1、留置針固定用テープ×1、感染防止用手袋×1となっている。
新型のIFAKⅡはこれらに加えて、止血帯×1を追加、チェストシール×1、怪我をした目を覆うカップ(損傷を受けた眼の上から包帯で圧迫してしまうと、眼球自体が腫れる圧力も加わり、更に眼球に損傷を与えてしまうため、カップで隙間を空ける)、被服やシートベルト等を裂く安全カッター×1、負傷者記録カード×1が追加されている。
陸自の「個人携行救急品」の海外用ですらIFAKⅡはもとよりも、IFAKからも大きく劣っていることが理解できるだろう。
さて、ここで米陸軍の軍用犬用の救急キットの内容についても見ておこう。
人体用4インチ幅戦闘用包帯×2、胴体の損傷や切断された四肢の被覆用包帯×1、伸縮性ガーゼ包帯×4、素材が止血剤で製造されたガーゼ包帯×1、ワセリンガーゼ×2、胸腔減圧用脱気針×2、消毒用アルコールパッド×2、駆血帯×1、留置針固定用テープ×1、注射器×1、骨折固定用副子×1、感染防止用手袋×5、安全ハサミ×1、ピンセット×1、目の洗浄剤×1,消毒液×1、自着性包帯×1。ここまでは人間用のものが流用されている。
これらに加え、動物専用救急品として、動物用ガーゼ×1、動物用体温計×1、犬の口を固定するバンド×1、動物用2インチ幅絆創膏×2、動物用4インチ幅絆創膏×2、が追加されることで構成されている。
陸自が採用した「個人携行救急品」と較べて、軍用犬用のキットの方がはるかに充実している。つまり陸自の個人衛生キットの内容は米軍の軍用犬以下である。自衛官の命の価値は犬以下なのだろうか。
「個人携行救急品」の国外用と国内用の違いを陸幕は以下のように説明している。
「(国内用は)国内における隊員負傷後、野戦病院などに後送されるまでに必要な応急処置を、医学的知識がなく、判断力や体力が低下した負傷者自らが実施することを踏まえ、救命上、絶対不可欠なものに限定して選定した。国外用は、国内に比し、後送する病院や医療レベルも不十分である可能性が高いため、各種負傷に際し、自らが処置できるための品目を、国内入れ組に追加して選定した」
だがこの回答は全く非現実的である。救急処置は必ずしも怪我をした隊員本人が行うわけではない。手を吹き飛ばされたり、意識を失ったりした隊員が自分で救急処置ができるわけがない。仲間同士で互いに処置をすることは自明の理だ。
また国内用の「個人携行救急品」では銃創に対処できない。銃創は銃弾が身体を通過する入口と出口を伴うものであるから、包帯1個では1箇所の銃創すら処置できない。陸自の「個人衛生セット」は戦傷を研究した結果の選定ではないことは医療の素人でも判る。
負傷した時に最も重要なのは、負傷した直後にいかに適切な救急処置を行うかである。「血液を失わない、呼吸を止めない、体温を下げない」ようにすることで、平時の救急システムよりも不利な治療・後送システム下で生命が維持できるようにすることが必要だ。陸幕の回答はこのFirst Aidの原則を無視したものである。
逆に、素早く的確な処置を行えば、生命や手足、視力を失う可能性が大きく減る。救急処置が適切であれば回復が早く、わずかな期間の療養で前線に復帰できるはずの隊員が、適切な処置を受けなければ出血を制御できなかったり、感染症などによって重体化したり死亡する可能性は大きくなる。
また国内は医療レベルが充分というが、前線、例えば島嶼防衛で想定されている南西諸島の戦場の近くにどこに総合病院があるのだろうか。そもそも救急処置で素早く止血、気道の確保ができなければ出血多量や心肺の停止で本来助かる患者も助からない。死人にいくら処置を施しても生き返るわけではない。
このように陸自の「個人携行救急品」衛生セットを見る限り、銃創や火傷に対処する気が全く見られない。つまり、陸自は戦闘を想定していないようだ。陸自は大規模な着上陸作戦は当面想定できないが、ゲリラ・コマンドウ事態、あるいは離島を巡る紛争などを想定しているとしているが、そうは見えない。
これでは、旧軍並みに、「隊員の命は安い」と思っていることになる。いずれにしても先進国の「軍隊」としては落第だ。
問題は、ほかにもある。陸幕広報室からの回答によれば「個人の救急処置に関する訓練は、全隊員に対して、救急法等の訓練において年間30~50時間程度の教育訓練を実施している。この教育訓練では、国内外用に関して、装備品の概要教育、実技訓練等を行っている」としている。
だが筆者が現場の隊員たち取材した限りでは、そのような長時間の訓練を受けた隊員は皆無だ。国内用は常備の救急品が2種類しかないのだから、自ずと訓練時間は短くなる。海外派遣前の多忙な時期に追加救急品のための訓練時間を多く割くのは難しい。本来救急法訓練に割り当てられる時間が銃剣道などの競技会などに充当されているのではないか、という声が多かった。これらに勝てば部隊長の人事考査に影響するが、衛生の訓練を一生懸命やっても出世に繋がらないという現状がある。
結論を言えば陸自がいう「ゼロカジュアリティ」は単なる宣伝文句にすぎない。現状を見る限り陸自が真剣に有事に備えているとはとても言いがたい。
冒頭で「陸自のやっていることは、隊員が死傷する事態を想定してない戦争ゴッコである」と筆者は述べたが、ご理解いただけただろうか。このような衛生軽視は、陸自が実戦を想定していないと近隣諸国に宣伝しているようなもので、それは抑止力維持という面からも大きな問題がある。
戦車や小銃など「火の出る玩具」だけを揃えれば軍力は完結するものではない。損害を極小化するための衛生が不備であれば、戦闘部隊の戦力も士気も維持できない。そのような張子の虎のような部隊がいくらあっても、相手の国にやる気の無さを見透かされて抑止力にはならない。衛生を軽視することは自ら抑止力を弱めることになる。
衛生に関する法的な問題も多い。例えば諸外国に派遣される戦闘部隊に同行する救護員(衛生兵)は、全員が診療資格を持っているわけではなく、せいぜい准看護師であり、残りは自衛隊内部での教育を受けた者である。つまり、救急課程研修を修了した消防の救急隊員と同程度の能力なのだ。
救急救命士でもないため、自分の判断での投薬や簡単な縫合などの処置ですらできない。軍隊ではありえないことだ。
2003年に制定された有事法では野戦病院のような実戦における野外治療施設の開設・運営が認められた。
それまでも、当然ながら陸自は野外治療施設を装備していたが、それまでは病院法の規制によって使用できなかったのだ。つまり野外治療施設は実戦で使うことが許されず、演習場の中でしか開設・運営できなかった。それでも使えば法令違反となる。つまり有事法ができるまでは、「病院ごっこ」、「お医者さんごっこ」しかできなかった。演習地以外ではタコツボや塹壕を掘ることもできなかった。
本来ならばこのような問題点は、防衛省、自衛隊が声を上げて法改正を求めるべきだが、そのようなことを防衛省も自衛隊もやって来なかった。その必要性を感じていなかったからだろう。このため有事法制定は防衛省ではなく、政治主導で行なわれた。有事法制定後も自衛隊が法的に戦えない由々しき問題は山積している。だが防衛省や自衛隊がそれらを積極的に改善する気配はみられない。
諸外国の衛生兵に当たる陸自の救護員は概ね陸自の戦術運用単位である1個普通科中隊を基幹とした機甲科、特科、施設科などを合わせた部隊、約150名に1人しかいない。陸幕広報室の説明では1~数名配備とされてはいるが、先述のように実際は人員不足で大抵1名のところが多い。当然医官は配備されていない。つまり中隊以下の部隊の現場で投薬や注射すらできない可能性が高いのだ。これで陸自の言う「ゼロカジュアリティ」が実現できわけがない。
対して米陸軍では、軍病院勤務の看護兵の中から能力と適性を有する者のみが選抜されてMEDICとして養成されるため単なる「衛生兵」ではなく、極めて高度な能力をもったプロフェッショナルとなっており、1個小銃小隊に1名配置される彼らは戦闘員から「ドク(先生)」と呼ばれ、頼られている。
さらに陸自では予算不足で装甲野戦救急車は存在しないし、ソフトスキンの救急車すら充足率を大きく割り込んでいる。このため他の先進国、例えばNATO軍ならば助かるような怪我でも自衛官は命や、手脚や視力を失うケースが多くなるだろう。NATO軍ならば1名の戦死ですむところを、自衛隊は20名、30名単位の戦死者をだすことになるだろう。手脚、視力を失う隊員の数も同様である。これで本当に戦争ができるのだろうか。
衛生システムの不備は、「同盟国」の共同作戦でも問題になる。当然ながら有事に米軍とともに戦った際に、自衛隊は米軍将兵にまともな応急処置を施すことができない。逆に米軍が手当する自衛官は助かる可能性が高くなる。これはPKOなどの海外活動で他の国とともに活動した場合も同じだ。自衛隊の現地部隊がまともな処置ができずに、他国の将兵が死ねば我が国はその国から批判に晒され信頼を大きく失うだろう。これで他国の将兵と肩を並べて戦えるわけがない。
政府や防衛省は、必要性が極めて薄い10式戦車や機動戦闘車などの高価な「火の出る玩具」よりも衛生に予算をかけるべきだ。「火の出る玩具」よりも衛生能力は遥かに使用頻度が高いものある。近年発生頻度が増している自然災害への派遣現場で衛生能力を発揮する機会は多いであろうし、非番の隊員が外出先で事故に遭った民間人を救護したという報道も目にする。衛生能力の充実は、国民の信頼と支持を得て防衛力の基盤作りに大いに役立つはずだ。