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JAL123便墜落事故から30年

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JAL123便墜落事故から30年が経とうとしています。
2回目の掲載です。
諸説ありますコメントはしませんが各自判断してください。
それにしてもおかしなことだらけだ。
 
 
 

【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた

2013-08-19 14:58:03 | 放射能汚染
【JAL123便墜落事故】
国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。
123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。
殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?
彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、
火炎放射器で生きたまま焼かれた。
待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。
精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。
口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・
日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pf3-eJgnOkM
2011/1/8
証言を箇条書き
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見され
 ていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4~50名の生存者の声が聞こえた
・1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった
 
(事故概略)
1985年8月12日 18時12分に羽田を大阪に向け離陸した日航123便(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)は離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、数十分間ダッチロールと呼ばれる異常飛行の後、18時56分すぎ、群馬県上野村の三国山の北北西約2.5キロメートル、標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。
このとき、横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。
米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせている。
自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。
朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、
生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。
自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯)だった
。(意図的誤報についての引用元
 
実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、
訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先
JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり
http://heiwarikkoku.jugem.jp/?day=20100601 より(抜粋引用)
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 
ナゾの自衛隊のチームの ナゾの10時間の行動。かれらは なにをしていたのか。
狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか
コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。
当時 突然 垂直尾翼が大破し 不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され(JAL123便の「スコーク77」の発信) 自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。そのあと墜落までの数十分間 管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。
 そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています) とうとう 御巣鷹山に墜落。
「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで「軍事拒否」している訳だし。
自衛隊員の告白 本当の話です。事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と。
実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。
日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! JAL123便墜落時には、「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表
これもまた鋭い資料だ!!!
]2007年08月27日
●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)
 JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたの
ではないかと思われるフシがあります。
 JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順
調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は、約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。
 そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。「危ない!衝突する!」
 それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。
(抜粋引用終了)
 
 
加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、
 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!
 遭難者を救助する前に、
 自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか?
この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?
 2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。
 さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。
 実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。
 それゆえ、私は、正直に問いたい。
中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!
 何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。
 そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!
 加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!
 第一、あなたは、事故当夜、現場の上空まで行っていたというではないか! 一体、何をしに行ったのか? 遭難者を救助する前に、自衛隊が、「大事件」の証拠物件を搬出するのを見届けに行ったとでも言うのか?!
(中略)
 実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。
 佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。
 『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用
(抜粋引用終了)
 
 
 日航ジャンボ機墜落と横田基地 
1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」
日本は現場到着に12時間もかけた」
横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。
運輸省航空事故調査委員会の最終報告書には、C-130が墜落現場を発見し位置を知らせてきたことが記載されていながら、その後の米軍の救出行動は一切記述されていない。

 その事実が明らかになったのは事故から10年後、1995年8月27日付の米軍準機関紙「スターズ・アンド ・ ストライプス」パシフィック版が「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」「日本は現場到着に12時間もかけた」の見出しでカリフォルニアの地域紙「サクラメント・ビー」の記事を転載したことによる。記事を書いたのはC-130のナビゲーターだったマイケル・アントヌッチ中尉(当時)。その記事には、いち早く現場に到着した同機から見た米軍ヘリの活動、不可解な帰還命令などが詳しく書かれている。
 
彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。
大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、
上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。
助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用)
墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった!
8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。

しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。
「JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4)」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a 
このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼される。ところが、講演の2週間前、アクシデント発生。車の後輪がバースト。あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱戦銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた
「やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん、遠くに行ってしまうんです。このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです」(落合由美さんの証言)。
 このように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。何ということでしょう。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせているのです。もちろん日本側にもその時点で伝えられています。
(抜粋引用終了)
 
 
最重要証拠となるボイスレコーダーには、数々の編集跡がみられる。
さらに大事な部分がカットされている模様だ。
日航機墜落の真実を求めて
「1985年8月12日発生の日本航空123便墜落事故」はネット上でも真実が解き明かされ始めた 
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
★★御巣鷹山日航ジャンボ機事件から23年目 特にボイスレコーダの編集疑惑や当時の加藤防衛庁長官の行動にも疑惑が。
最重要な証拠となるボイスレコーダーを一切公開しなかった。10年ほど経ってから、その一部を公開したものの専門家の分析ではその音声には数々の編集跡がみられるとのこと、さらに大事な部分がカットされてる模様だ。
おそらく自衛隊機との交信部分をカットされてるんじゃないかという気がする。(実際、スクランブルした自衛隊機が平行して飛んでいるにもかかわらず、両機が全く交信すらしないというのは考えられないこと。)
・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった(『疑惑/JAL123便墜落事故』早稲田出版刊の筆者:角田四郎氏)
・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言
・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人
 
 
<当時自衛官で、事故処理に参加した友達の兄貴の告白>
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。まさに地獄以下の有様
生存者をかくまったために 拘束されて送り返された者も少なくなかった
日航ジャンボ123便 ソ連軍機ベア~標的機誤射~緘口令~
事後処理の為の特殊部隊の編成~情報撹乱~ガス~火炎放射器~地獄~
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/1221.html より(抜粋引用開始)
投稿者 愉快通快 日時 2012 年 2 月 16 日 19:54:18: aijn0aOFbw4jc
翌日のニュースは、もっと衝撃的だった。 日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは墜落の14時間後だと言っているではないか。 私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。 伝えた位置は正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。
我々はあの時、現場の上空を飛んでいた日本の救援隊にを任せた。
それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか?一体、朝まで何をしていたのか?不思議でならなかった。
事故から2週間たって、私は『タイム』と『ニューズウィーク』で 生存者が4人いたことを初めて知った。
『疑惑/JAL123便墜落事故』(早稲
田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、ある金属片(添 付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、友人の航空機の整備士(米国人)に 鑑定を依頼しています。結果はどうだったのでしょうか。結果について書かれた部分を ご紹介します。
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      彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて
      慎重に、しかし、はっきりとこう言った。
      「ミサイル」(This is missile.)
      「まさか!」(Not Really !)
      「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)
         ――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
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179 :NASAしさん[sage]:2009/08/29(土) 09:08:53
NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。 続報が入り次第お伝えします」
495 名前:名無しさん@5周年:04/08/12 21:18 ID:jB9y0pGY
これはマジな話なんだが、友達の兄貴が当時自衛官で ●●隊情報●隊と言う部隊に所属していて 救助活動というか事故処理に参加したそうだ。
その兄貴と何年か前に酒を飲んだ時に聞いた話だが
以前から事故処理に従事したと言う事は弟から聞いていたので
興味本位でその時の事を聞いてみたら顔色が変わったので
その話はそこまでにして馬鹿話に切り替えた。
暫く飲み続けるうちに、その兄貴がポツリポツリと話だした。
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。
まさに地獄以下の有様だったそうだ。
隊員の中には精神状態がおかしくなる者や、生存者をかくまったために
拘束されて送り返された者も少なくなかったそうだ。
その兄貴もすぐに退官したが、その際に口外すれば家族にまで危害が
及ぶと言う事を暗にほのめかされ、自殺を考えた事も有ると
(抜粋引用終了)
 
123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。
殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?
彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、
火炎放射器で生きたまま焼かれた。
JAL123便墜落事故の真相① 助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html
☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。しかし、4人は報道直後突然失踪!彼らは一体どこへ消えたのか!?

さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。

☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。)
この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか?

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?『お前達は何者だ!?乗客乗員の救助に来たんじゃないのか?』現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいなかったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。
JAL 123 15
 
尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html 

ジェット燃料は高くて1400℃に到達するというが、それは灯油の1100℃とたいして変らない。実体はほとんど灯油と同じと考えてよい。写真の子供は頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、ジェット燃料(灯油)が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、あるいは近くで激しく燃えていたことになる。しかし、子供の遺体に寄り添うように生えた木立にはほとんど焦げ跡がない。しかも雑誌の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」(写真誌フォーカス)と記載されている。ジェット燃料はこの子だけをめがけ飛び散り、この子だけを燃やして火は収まったというのだろうか?この不自然な状況を説明する理由を私はこう考える、「この子はごく間近から火炎放射器で焼かれたのだ」と。元記事

当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。
JAL 123 45
写真上:女性4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流で発見された携帯用VXガス兵器と思しき容器。20数年経って、瓶には微量の液体が残っていた。持ち帰る際、念のため何重にもビニール袋で密封したが、調査に当たった方達2人は、密封を解いた途端気分が悪くなり、数日間寝込んでしまったという。
(抜粋引用終了)
 
日航ジャンボ機JAL123便墜落事故の真相を追っていた佐宗氏は、不審死
政治的背景が疑われる不審死を遂げた人、冤罪で捕まった人
http://8260.teacup.com/astroecology/bbs/505
●ワールドフォーラム代表 佐宗邦皇氏
 2009年8月8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていた佐宗氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒~1分程で突然倒れ、翌日死去。

ミス・カナダが中国政府の人権弾圧に“覚悟の抗議”

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彼女が今回の証言で特に強調したのは、中国当局が、海外で人権擁護運動を進める中国系の人たちに対し、中国に居住する家族に圧力をかけて沈黙させようとする威嚇工作だった。・・・・これほどまでに普遍的な道義や倫理を蹂躙する中国の人権弾圧を直視すると、終戦70年や慰安婦問題などで日本に道義や倫理を求めてくる中国の姿は、倒錯の極みにすら見えてくる。
>相手の非ばかりを攻め自分らの非にはほうかむり。
その矛盾に気がつかない現代の悪魔、中共。
この支那系カナダ人にもっと各国は支援をしなければならないのに支那を恐れてまた支那の金に目がくらんで黙殺する。
 
700万人を超える政治犯(早い話無実の一般人)を牢屋にいれ奴隷労働による莫大な利益(航空機のアメニティーなどはほとんど支那の強制労働による商品が占めていると言われている)、強姦、拷問、やりたい放題。まさに現実に存在する悪魔の国、支那。

ミス・カナダが中国政府の人権弾圧に“覚悟の抗議”

無事に出場できるのか?ミス・ワールド最終大会は中国で開催

2015.8.7(金)profile古森 義久
ミス・ワールド狙った攻撃情報に警戒、在インドネシア各国大使館
ミス・カナダに選ばれたアナスタシア・リンさんは無事に最終大会に参加できるだろうか。写真はインドネシアのバリ島で開催された2013年のミス・ワールド最終大会(資料写真)。(c)AFP/SONNY TUMBELAKA〔AFPBB News
 ミス・カナダに選ばれた中国系女性が、米国の連邦議事堂で開かれた公聴会で、中国共産党政権の人権弾圧を激しく非難した。
 特に中国当局が邪教と断じてきた気功集団「法輪功」の信奉者に対する過酷な弾圧を取り上げ、中国に対して抗議するよう米国に求めた。ただし、この女性が出場するミス・ワールドの最終大会は今年12月に中国・海南島で開かれる。女性が無事に出場できるのか心配する声があがっている。

迫害、殴打、拷問されている法輪功の信奉者

 米国の首都ワシントンの丘に建つ連邦議会の議事堂内の大きな会議室に、一輪の花が咲いたような光景だった。その会議室は、ダークスーツの議員たちをはじめ、証人も傍聴者も年配者や男性が多く、地味な色調で埋め尽くされていた。その中でただ1カ所、淡いクリーム色のジャケットのすらりとした若い女性の姿は輝きを放つようだった。決して派手ではないが、その美しい容姿は、どうしても会議室の中で目立ち、異彩を放っていた。
 アナスタシア・リンさん、25歳、カナダのトロント大学で国際関係と演劇を専攻して卒業した中国系カナダ人の女性である。リンさんは中国の湖南省で生まれ、13歳のときに母親に連れられ、移民としてカナダに渡った。中国名は林耶凡だが、いまでは完全なカナダ国籍である。カナダでは大学生時代から女優として映画、テレビ、舞台などで活動してきた。
 
 
リンさんはこの5月にミス・ワールド・コンテストのカナダ代表に選ばれた。ミス・ワールドは世界の3大美女コンテストの中で最も伝統と格式のある大会だとされる。カナダでそれほど有名な女性が7月23日、米国の「中国に関する議会・政府委員会」が開いた公聴会で証言した。
 この公聴会は「習近平の中国での弾圧と支配」と題され、習近平政権の人権弾圧の中でも宗教や信仰の自由への抑圧に重点を置いていた。具体的には中国当局によるキリスト教、チベット仏教、ウイグル民族のイスラム教、そして気功集団などへの弾圧を取り上げ、それぞれの宗派や組織の代表や関係者を証人として招いた。
 ちなみに、この「中国に関する議会・政府委員会」という組織は、米国の立法府と行政府が一体となって中国社会、特に人権の状態を調べ、米国側の対中政策の材料にするという趣旨で設置された。恒常的に調査や分析の作業を続けており、個別のテーマごとに公聴会を開き、米側の議会と政府に政策上の勧告をする。参加するメンバーは議会と政府の両方の代表だが、比重は議会側が大きい。現在の共同委員長はクリス・スミス下院議員とマルコ・ルビオ上院議員である。
 この公聴会で、リンさんはスムーズな英語でこう証言した。
「中国で自分たちの信念や信仰だけのために中国当局から迫害され、殴打され、拷問され、殺される人たちのために、私は発言したいのです。特に法輪功という気功の教えを信じ、励行したことだけで、なんの犯罪も犯していないのに逮捕され、苦痛を与えられている無数の男女の救済を訴えたいのです。この人たちは“真実、同情、寛容”といった価値観に従い、黙想を通じて、自己を改善しようと努めるだけなのです」
 リンさんは厳しい言葉を、力むことなく淡々とした調子で述べていった。
次のページ 法輪功というのはすでに知られているように、中国で広…

信奉者が急増し共産党を脅かす存在に

 法輪功というのはすでに知られているように、中国で広まり、海外の中国系住民たちの間にも多数の信奉者のいる気功集団である。中国共産党政権は法輪功を「邪教」と断じて大規模な弾圧を続けてきた。
 私は、法輪功が中国で初めて大規模な抗議運動を起こす場面を目撃している。
 1999年4月25日、中南海(中国共産党最高幹部たちが居住と執務に使う北京中心部の地区)を大きく取り囲むように、約1万人もの男女が突然、座りこみをした。中国政府が密かに進めていた法輪功への抑圧に抗議する集会だった。
 あくまで平和的な集会だったが、独裁政権が一般国民の集会を厳しく規制する中国では、民間主催の集会でこれほどの人数が集まるのは稀有だった。当時、産経新聞の中国総局長として北京に駐在していた私は、この動きを至近に見て詳しく報道した。
 気功は中国古来の自己鍛錬法である。人間の体内にあるとされる「気」のエネルギーを鍛錬して強め、自己の体力増強や他者の病気治療に使うのだという。この気功自体は中国当局も認めてきた。ところが1990年代はじめから李洪志氏という人物によって始められた法輪功は、伝統的な気功に仏教や儒教などの宗教色を加え、世界終末論も盛り込んで「法輪功の教義を実践すれば終末を生き延びられる」と教えていた。これが中国の幅広い層にアピールして、共産党内部も含めてものすごい勢いで信奉者が増えたのだった。
 法輪功は、この抗議集会のときまでに、中国全土で7000万人もの信奉者がいたとされる。その勢いを見た共産党政権は自分たちの独裁統治を脅かす存在と警戒し、あの手この手で規制を試みてきた。法輪功側はその規制に反発して、中南海を包囲する抜き打ちデモを断行したのである。
 このデモは一気に共産党当局を刺激して、政府は大規模な弾圧を開始した。99年7月に法輪功は正式に「邪教」と断じられ、社会や国家の安定と秩序を乱す危険な団体とされたそれ以来、中国政府は法輪功信者たちを何百万という単位で拘束し、改宗を迫り、応じない相手は厳罰に処してきた。
 これに対して法輪功の側は、海外の多数の信者たちを含めて根強い抗議運動を展開してきた。中国の国家首脳が外国を訪問するとき、法輪功信者たちは必ずデモを実行した。特に米国やカナダには信奉者が多く、対中抗議が現在も活発である。法輪功は独自の有線テレビ局や新聞、雑誌も保有している。
次のページ 実は、リンさんはミス・カナダに選ばれる前に、法輪功…

リンさんの父親に中国当局が圧力

 実は、リンさんはミス・カナダに選ばれる前に、法輪功信者への弾圧を描いたカナダ映画に出演し、当局から苛酷な扱いを受ける中国人女性の役を演じて話題となっていた。彼女は法輪功の会員ではないが、その教えに従って気功をしたことがあり、信仰や宗教の自由を残酷に弾圧する中国当局には強い反発を覚えるという。 
「1999年以来、数百万人の法輪功関係者が中国当局により不当に拘束されてきたことを、複数の国際人権団体が報告しています。2014年だけでも6415人の法輪功信者が逮捕されました。また、法輪功信者が少なくとも3800人、臓器収奪のために中国当局により殺されたという証拠があります。臓器を移植用に売ることは中国では大きな利益になるビジネスなのです」
 リンさんのこうした驚くべき証言は、「中国に関する議会・政府委員会」の調査によって指摘された内容に合致していた。同委員会の2014年の年次報告は、法輪功弾圧の実態を、臓器収奪のための多数の処刑も含めて詳述していた。中国当局は2013年からの3年間を「邪教の法輪功を決定的に壊滅させる期間」として弾圧を強めているという。最近では、法輪功関係者を中国国内で弁護しようとする弁護士たちまでが迫害されるようになったという情報もある
 彼女が今回の証言で特に強調したのは、中国当局が、海外で人権擁護運動を進める中国系の人たちに対し、中国に居住する家族に圧力をかけて沈黙させようとする威嚇工作だった。
「私がミス・カナダに選ばれた数日後、中国に住む父から突然、連絡がありました。私に人権問題で発言しないようにと言うのです。父が中国の官憲から圧力をかけられていることは明白でした。カナダに住む私の知る多数の中国人たちも、中国政府を批判する言動をとると、その人の中国在住の家族や親族に迫害の手が及びます。中国当局はそんな威嚇によって私たちを沈黙させようとするのです」
次のページ リンさんの両親は離婚し、父親は中国に残った。彼女が…リンさんの両親は離婚し、父親は中国に残った。彼女がミス・カナダに選ばれたとたんに、人権問題で中国を批判しないようにという言葉が父から伝えられた。だが、リンさんは父の要求には応じず、当面はもう父と連絡はとらないことに決めたという。

中国に行きミス・ワールド最終大会に出場すると宣言

 リンさんは証言の最後に、沈黙はしてはならないという点を繰り返し強調した。
「カナダでは各地の中国領事館が中国系住民を監視して、中国政府批判があれば、中国に住んでいる愛する家族や親類を脅して、その批判を封じようとします。この脅しには誰もが屈してしまうでしょう。
 でも私たちは、中国でいま弾圧される人たちのために沈黙してはならないと思います。恐怖を乗り越え、勇気を発揮して、人権弾圧への反対の声を叫び続けなければならない。そうしなければ、弾圧は限りなく広がります。カナダ政府にもアメリカ政府にも、中国の人権弾圧に反対を表明することを求めます。
 私たち在外の中国系住民が、故国の同胞の良心や信念を守るために発言することは絶対に必要なのです」
 リンさんがカナダ代表として出場するミス・ワールドの最終大会は今年12月に中国の海南省の三亜市で開かれる。中国政府が果たしてリンさんの入国を認めるのか、彼女に対し中国国内でどのような措置を取るのか。リンさんは予定を変えずに、必ずその最終大会には出場すると宣言している。
 これほどまでに普遍的な道義や倫理を蹂躙する中国の人権弾圧を直視すると、終戦70年や慰安婦問題などで日本に道義や倫理を求めてくる中国の姿は、倒錯の極みにすら見えてくる。

米利上げと中国株崩壊 トンでもない時代の始まり

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これからは守りの時代になるようだ。
その心構えでいたほうが良い。
 
 

米利上げと中国株崩壊 トンでもない時代の始まり

バブル資金が世界中から引き上げられるとこうなる。世界恐慌時
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引用:http://blog-imgs-24-origin.fc2.com/s/i/r/sirokuma2005/bb.jpg


米利上げ時期を巡る憶測が飛び交い、市場を不安心理が覆っている。

米利上げは過去に何度も世界不況の原因になり、悲劇を起こしてきた。


迫る米利上げ

先日FRB議長は、15年中に利上げに踏み切ると宣言しました。

たかが金利が0.1%上がったからといって、どうでも良いような気がしますが、過去に米金利が上がったときは世界経済に激震が走っています。

米金利は2008年サブプライムショックを契機に下げ続けて3%だったのが0.25%になっています。
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世界最大の債券市場で事実上のゼロ金利になった結果、企業や投資家はお金を借りやすくなり、社会にお金が溢れました。

バブル期に起こる「金余り」という現象で、世界のあらゆる国でお金が余り、フェラーリが飛ぶように売れました。

世界はこれでリーマンショックの世界金融危機から脱出したのですが、金利を上げると逆の事が起きます。


世の中では「貸し渋り」が起きて、銀行は昔の借金を「追い剥ぎ」に掛かります。

病人の布団を剥がして持って行く高利貸しと同じで、金になる資産は何でも持って行きます。

新規融資はしなくなり、フェラーリを買うためのお金など絶対に貸さなくなります。


こうして全世界が一斉に不景気になるのが「米金利上げ」で、とても怖い事です。

米金利が上昇するとドルも連動して上昇するので、普通は円安になりますが、既に円は安いので、むしろ円高になるかも知れません。

最大の影響を受けるのは金余りで資金が集中していた中国で、外資は一斉に資金を引き上げるでしょう。

世界最大の米国と、中国が同時に不況になるので、日本も影響をまともに受けるでしょう。


鍵を握るFRBのイエレン議長、失敗すれば世界恐慌
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引用:http://images.lpcdn.ca/924x615/201504/26/1001065-presidente-fed-janet-yellen.jpg


不安定な時代の始まり

米利上げはドルの価値を高めるのでドル高になりますが、反対にドル以外の通貨は安くなります。

通貨が安くなるとインフレが起きるのは、円安で輸入品が値上がりするのと同じと言えます。

各国は自国のインフレを抑える為に一斉に金利を引き上げ、全世界同時利上げになります。

各国の政府や企業はアメリカから資金を借りることも、自国で借りる事も困難になり経営が悪化します。


1987年のブラックマンデーでも似たような事が起こり、過剰に供給されていた資金が一斉に引き上げられました。

すると貸し渋りや貸し剥がしが世界規模で起こり、全世界同時不況が起こります。

これは最悪の場合なので、うまくやればそれほど酷い事にはなりません。


日本はどうなるのかといえば、1ドルが150円とか200円になっては国が滅ぶので、利上げに踏み切ります。

長年ゼロ金利に慣れている日本経済は、突然の利上げに苦しむ事でしょう。

すると今度は円安から円高に為替が乱高下し、輸出産業は壊滅するかも知れません。

最悪の場合の想定とはいえ、過去に何度も起こっていて初めてではありません。


米利上げは遅くとも2015年12月までに実施するので、秋から冬にはこの「引き金」が引かれます。

分かっているのは「トンデモ無い事が起きる」という事だけで、どっちに何が飛んで行くかは経済学者も知りません。

こんな時代に株や土地や金融商品を「掴まされて」いたらどうなるでしょうか?

自己資金でやっていれば資産が目減りするだけですが、借金してレバレッジを掛けていれば、恐らく破産するでしょう。

これからの数年間は、株や投資で資金を増やそうとするのは賢くありません。

年金情報流出は中国のしわざ?「戦争」はとっくに始まっている

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安保法制反対している馬鹿左翼よあんたらの知らない裏で支那は着々と日本侵略の準備をしている。
 
しかしアンタラはそれすらデマだと否定する。
支那の思うツボだ。
 
 
年金情報流出は中国のしわざ?
そういう認識の下で、米国は日本を従来のレベルから、より積極的にアジアの平和と安全に貢献する重要な同盟国に格上げした。日本が対中脅威認識を米国と共有し、法改正で具体的な取り組みに動くくらいなら、米国が日本を盗聴する理由は前より乏しくなったとみていいのではないか。盗聴するくらいなら直接、問い質せばいい関係に入りつつあるのだ。
機密情報保護という面でも安倍政権は昨年、特定秘密保護法を成立させた。米国は従来、機密保護が不十分だったために提供できなかった機密情報も、特定秘密保護法の成立によって日本に提供しやすくなった。情報をめぐる日米のベクトルはあきらかに独占による秘密扱いではなく、共有に動いている。
来年、G7サミットを伊勢志摩で開催する日本は、警備上からも米国の機密情報は喉から手が出るほど欲しい。必要以上に米国と事を荒立てたくないのは当然だろう。
いま日本の情報管理にとって重大な意味を持つのは米国の盗聴よりも、実は中国による情報収集活動である。実例は『週刊文春』8月6日号が報じた中国サイバー部隊による年金情報流出事件だ。
記事によれば、日本年金機構から約125万件の年金記録情報が流出した事件の犯人は、中国のサイバー攻撃部隊「61398部隊」の別働隊とも言うべき民間のハッカーグループであり、同じグループが6月に起きた米国連邦政府機関職員の個人情報流出事件の容疑者でもある、という。
この記事を読んで、私は「やはりそうか」と思った。というのは、私が司会を務めているCSテレビ番組『ニュース女子』(DHCシアター、スカパー!プレミアムサービス547ch)で、パネリストの1人として出演した独立総合研究所の青山繁晴氏が、週刊文春が報じた話をいち早く暴露していたからだ。

「戦争」はとっくに始まっている

青山氏は番組で「サイバー攻撃に使われたワード・ファイルのフォントは中国語だった。人民解放軍がやったのか、解放軍が委託した民間がやったのかは別にして、日米の捜査機関は『チャイナが関係している』と断定している」と語った(6月13日放送、総集編はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=LS103oeSu7w)。同席した軍事評論家の井上和彦氏も「青山さんが言われたとおりです」と同じ見方だった。
番組中でも語ったが、私は情報を盗み出した犯人が誰だったかを別にして、年金情報流出事件は安倍政権に対する攻撃の一環とみている。日本年金機構が年金情報にパスワードもかけずにデタラメ管理していたのは、第1次安倍政権を崩壊させた「消えた年金5000万件」事件の構図とまったく同じだからだ。
消えた年金問題の本質は、当時の社会保険庁労働組合が「いかに年金をデタラメ管理しているか」を民主党やマスコミへの内通を通じて世間に暴露し、日本年金機構への移行に伴う労組のリストラを政権もろとも葬り去ろうとした「自爆テロ」だった。自爆テロと名付けたのは、当時の暗部を知る中川秀直自民党幹事長だ。
今回の情報流出事件でも、消えた年金事件と同じように「日本年金機構の職員」を名乗る人物がテレビのニュース番組に覆面で登場し「普通、パスワードはかけてませんね」などと自分たちのデタラメぶりを得々として披露している。
以上を合理的に解釈すれば、中国の関係する組織が今回、サイバー攻撃で年金情報を盗み出し、それに乗じて日本年金機構のデタラメぶりを世間にあきらかにする。それによって第1次安倍政権と同じように世間の政権批判を誘発し、あわよくば立ち往生させる。それによって安保関連法案を葬り去る。そんなシナリオが進行中なのではないか。
次ページそこへ今回、ウィキリークスによ…
そこへ今回、ウィキリークスによる盗聴疑惑の暴露事件が突然、降ってわいたように持ち上がった。このタイミングこそが鍵を握っている。
盗聴疑惑が表面化して困ったのは誰か。いうまでもなく米国、それに日本だ。だからこそ米国は必死になって火消しに動いている。バイデン副大統領が安倍首相に「日米の協力は歴史的水準にまで高まっている」と強調したのも、単なるリップサービスではない。あらためて米国側から結束を強調したのだ。
では、得をするのはだれか。米国と日本の間にきしみ音が出て大喜びする国だ。それは、もはや言うまでもないだろう。
こういう話にもちろん確証はない。表面に浮き出てきた、ほんのわずかな事実から流れを読み取る以外にない。「主権を侵害されたのに安倍政権は弱腰だ」などという論評がいかに表面的でピンぼけか。情報と諜報の世界で、戦争はとっくに始まっている。

南シナ海の中国化防ぐ 豪への潜水艦輸出

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弱いと見たら徹底的に突いてくる支那にオーストラリアはその対抗策を進めているが日本はサヨクが邪魔をして思うようにならない。
転載記事です。

南シナ海の中国化防ぐ
豪への潜水艦輸出


顧問 元自衛艦隊司令官
1949年生まれ。72年防衛大学校卒業。海上幕僚幹部防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年に退官。09~11年、米ハーバード大学アジアセンター上席研究員。

WEDGE REPORT

ビジネスの現場で日々発生しているファクトを、時間軸の長い視点で深く掘り下げて、日本の本質に迫る「WEDGE REPORT」。「現象の羅列」や「安易なランキング」ではなく、個別現象の根底にある流れとは何か、問題の根本はどこにあるのかを読み解きます。
»最新記事一覧へ
中国は南シナ海で環礁埋め立てによる軍事基地の建設をすすめる。アジア太平洋地域における米軍の対中優位を維持するには日米に加え、豪との一体的な潜水艦運用が効果的だ。
 2月20日、オーストラリア(豪)アンドリューズ国防相が2020年代に退役するコリンズ級潜水艦6隻に代わる新たな潜水艦(新型SS)の導入について「日、独、仏が提携相手になる能力があるか選定するプロセスに加わる」と述べた。
 豪は戦略文書において「世界においてアジア太平洋地域へ戦略重心が移動する歴史的シフトが進行している」とし、これに的確に対応するため(1)豪軍の戦力強化、(2)アジア太平洋地域への関与の強化が必要としている。戦力強化面では積極的な兵力整備計画である「戦力2030」を発表しており、本構想は大国間関係の変化及び豪周辺諸国の軍事力拡大の両リスクに対して確実に対応しうる軍事力、特に在来兵力による抑止力を構築するものである。
 その実現には財政事情等もあり不透明な面もあるが、本計画において豪政府が最も重視するのは潜水艦を新型SS12隻へと倍増する構想である。また、注目すべきは兵力整備のあらゆる要素を考慮した結果、原子力潜水艦を採用した場合に必要な生産・整備補給・教育訓練・核廃棄物処理等に必要な国家的資源が、国家としての負担限界をはるかに超えたものとなることから、豪政府は在来型(ディーゼル型)に限定していることである。 豪が新型SSを重要視する理由は中国による海洋活動の活発化にほかならない。近年の中国の経済発展とこれに支えられた海軍兵力の増強と強引な海洋活動の活発化は、周辺諸国のみならず世界の関心事となっている。特に、南シナ海において中国は国際法上も歴史的にも全く根拠のない「牛の舌の形をした9段線」(Nine-Dashed Line)と称される海域に対する占有的な権利を主張しており、南シナ海では周辺諸国のみならず我が国や米国との対立が先鋭化している。
 当面米軍に対して質量両面で劣る中国軍は本格的な軍事衝突を避けて米軍の弱点を突く能力を構築して米軍のアジアにおけるプレゼンス(平時)、介入(危機)及び軍事作戦(有事)を抑止するための「近接阻止・領域使用拒否(Anti-Access Area Denial:A2AD)戦略」を打ち出して、戦わずして米国民の意志を減退させて米軍の展開と介入を阻止しようとしている。
 これに対し米国はリバランスに代表されるアジア太平洋重視政策に基づき、軍事面では米軍のプレゼンス・近接確保(Presence/Access Assurance)戦略を推進している。また、米国は米軍の対中優位を維持するとともに同盟国との連携強化を推進している。その柱が日米同盟体制であるが、同時に米豪同盟の意義も大きい。
 四周環海の豪は米豪同盟を安全保障の基本とした上で周辺諸国とは積極的に友好関係を推進しており、一時懸念されたインドネシアとの関係も改善し喫緊の安全保障上の不安はない。
 その前提で、大国間関係の変化及び周辺諸国の軍事能力強化が進捗した場合、豪に対する負の影響は全て海・空を経ての脅威であるとの認識の下、豪は(1)自国にとって好ましくない安全保障環境の出現を防止するとともに、仮に(2)その事態が生起したとしても悪化を制御し、更に(3)最悪の事態に陥った場合でも脅威を確実に排除することができる通常戦力による戦略打撃機能の保有を軍事力整備の目的としている。
新型SSは空軍のF/A-18E/F(将来はF-35)とともに本目標を達成する柱と位置づけられ、その任務は対水上・対潜戦、機雷敷設、対地攻撃(戦略打撃)、戦略監視偵察、特殊作戦支援等と考えられる。
 公刊資料から推察すると以上の任務を達成し得る新型SSは水中排水量約4000トン、米国製の戦闘指揮システムを装備し、主要兵器として魚雷・巡航ミサイル・機雷を搭載可能な航続距離1万2000海里程度の潜水艦となる。また推進システムは航続距離を延伸する観点からAIP(非大気依存推進型)システムやリチウムイオン電池の採用が有力である。
 これらの厳しい要求を満足する潜水艦は世界で唯一海自主力の「そうりゅう」級を基本とした艦と考えられるが、独・仏はこうした潜水艦を保有しないものの建造可能として本整備計画への参加意思を表明している。一時顕在化した豪国内での開発・建造案は15年2月末現在では沈静化している。
海上自衛隊の「おやしお」級(左)と「そうりゅう」級潜水艦(JIJI)
 以上の通り新型SSの運用要求は極めて野心的なものであり、搭載武器も米国製の戦闘指揮システム及び魚雷と対艦ミサイルに加え巡航ミサイルが考えられる。また特殊作戦支援機能を具現する艦外設置型シェルターの導入もあり得る。
 建造技術面では主要武器が米軍現用の最新型のものとなることから当該装備を狭隘な船体に作り込む(「艤装」)ことが求められ、通常型としては極めて大型の潜水艦となった。
 この様な大型かつ高度な装備を搭載する新型SSを建造するため建造所には高度な技術力が求められることも明白である。また、艤装に際しては米海軍・米国武器製造会社との緊密な連携も必須となるが、米国との関係も考慮した場合、本計画に関心を示す各国のうち上述の各要素を全て満たすのは我が国のみと考えられる。
 運用面では日豪両国の最新潜水艦による自国の国益保護面の貢献に加え、海自と豪海軍が共通のプラットフォームを運用することは両者の相互運用性の向上のみならず、両国潜水艦がもたらす高度の作戦能力が米海軍部隊運用の柔軟性を向上させ、結果的に米国との同盟を強化することになる。
独/仏との協力となった場合には米国の最大同盟パートナーである我が国がその枠組み外となり、米国を中心とした当地域の包括的な安全保障体制構築向上への寄与の程度が日豪協力に比べ低くなるため、以上を総合的に判断すれば新型SSにおける日豪協力の意義は際立っている。
 豪中両国の関係は友好を基本としているが、同時に中国は豪周辺海域、特に南シナ海において9段線に代表される国際規範とは異なる独自の主張を展開し強圧的な活動を実施している。この中国の目標は(1)南方の防衛域外縁の拡大、(2)戦略海洋核戦力(SSBN)の展開と防護、(3)海上交通の保護及び(4)周辺諸国への影響力行使である。

米中軍事バランスに与える影響

 その柱が南沙諸島の複数の環礁の埋め立てと港湾・航空基地の建設、空母機動部隊の整備、海南島三亜の大規模海軍基地建設とSSBNの配備である。
 環礁の埋め立てでは既に軍事基地化が完成している西沙諸島のウッディ島に加え、南沙諸島のファイアリークロス環礁等数カ所が埋め立て中であり、将来はマニラ西方にあり13年にフィリピンから強奪したスカボロー礁まで及ぶ公算がある。
 これらの環礁の施設整備にはあらゆる軍用機の運用が可能な平行誘導路が付随した全長2500メートル以上の滑走路と、大型艦船用の水深を有する港湾が含まれていることは確実である。
中国が軍事基地化しようとしている環礁と米軍基地の位置関係
沖縄~シンガポール間約4000キロメートルは米軍基地の空白地帯となっている
(出所)各種資料をもとにウェッジ作成
 逆にこの地域の米軍基地は立ち寄り実績のある豪軍基地等を除けば、沖縄以西の南シナ海・インド洋を含む広大な地域に極めて小規模のシンガポール(艦船)とディエゴガルシア島(航空機)しかない。このことから、我が国の支援機能と洋上補給による海軍力のプレゼンスを最大活用するとしても、米軍の作戦及び後方支援両面において限界が存在することは明白である。
 これらを総合的に考慮した場合、中国が実施中の環礁の埋め立て・施設整備が完成した暁には南シナ海中部に出現する三角形状の海空域における米中軍事バランスに悪影響を与えることも懸念される。
次に中国が空母機動部隊を戦力化して南シナ海で運用する場合、仮に米軍のプレゼンスが低下したとすれば同海域の戦略バランスが中国側に傾くことは明白である。また、三亜基地に配備される中国SSBNに搭載される戦略弾道弾JL-2の射程(5000キロメートル)では南シナ海から米国主要部に到達しないため、SSBNは太平洋・インド洋において行動する必要がある。このため中国は三亜から両海域へ出撃・帰投するSSBN防護を確実にするため、同海域における制海権の確立を目指すことは兵理の常識である。
 もし中国A2ADの狙い通り米国のアジア太平洋地域への介入意図が萎えた場合には、米軍のプレゼンスが低下し介入が遅れることとなり、当地域における中国の冒険主義を抑えきれなくなる恐れが高い。勿論、米国はA2ADに対して毅然と臨むことを表明しているが、ここで米戦略支援上、豪新型SSが大きな意義を持つ。
 そもそも水中で湾曲する音波を使用することから潜水艦探知は非常に難しく、対潜戦能力が高いといわれる日米であっても行動中の自国以外の潜水艦の所在を全て確実に把握することはできないのが一般的である。日米に比べ対潜戦能力が立ち遅れている中国海軍は、これを自覚し鋭意向上中とはいえ、今後10年強の間は日米にははるかに及ばないと見積もられる。
 新型SSの巡航ミサイルによる戦略打撃能力は中国の環礁埋め立て基地の一部を無力化するに十分であり、また対艦ミサイル及び魚雷攻撃により中国にとって虎の子かつ国家の誇りである空母そのものを海底に葬り去ることも可能となる。更に三亜基地に対する戦略打撃力及び同基地から行動するSSBNに対する対潜戦能力も中国の戦略立案上無視できない要素である。
中国にとって虎の子である空母「遼寧」(SHINKASHA/AFLO)
 以上が新型SSの中国に与えるに与える戦略的影響であり、中国海軍にとってはわずか12隻とはいえ、その脅威が極めて高いことから、中国は本計画と日豪協力に対し、あらゆる手段を講じて反対することが予測される。
 我が国はこの様な外乱に惑わされることなく、大局的見地から官民一体となり整斉と取り組むことが肝要である。本件は防衛産業初の大規模国際協力であり全てが未知であるが、両国政府の支援を得た最適の業務分担体制を確立することにより建造、運用・後方支援の各分野において真に我が国益に貢献する日豪防衛協力を実現することができる。

井上和彦氏「一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした

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現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」
   
旧日本軍=全てが侵略軍ではない。
確かに支那や、香港等への進軍は侵略と言われても仕方がないしそれを正当化できるものではないが他のアジア諸国への侵攻は現地の人々からまさに解放軍として迎えられたのも事実。しかし頼まれたわけでもないのに大事な国民を強制的に兵隊として送り込み多くの国民を死なせ現地の住民の全てが歓迎したわけでもない戦争を仕掛けたのはどう考えても愚行である。
 ただし旧軍部は日本国民にも多大な不幸をもたらしたのも事実で日本は一度滅亡した。アメリカが占領したのが不幸中の幸いでもしソ連や中共だったら日本国民は
地獄の苦しみをいまだ受け続けていることだろう。
 

戦後70年、「日本軍が侵略した」と騙るすべての人へ/井上和彦(ジャーナリスト)

PHP Biz Online 衆知 8月6日(木)12時20分配信
大東亜戦争写真紀行『ありがとう日本軍』に込めた想い
   
 2年前、10万部を突破した『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)で話題を集めたジャーナリストの井上和彦氏が、新著『ありがとう日本軍』を上梓した。

 「写真集を手にする感覚でご覧いただき、先の大戦を追体験していただきたい」「今こそ、日本人としての誇りを取り戻してほしい」。「そこまで言って委員会NP」をはじめ数多くのテレビ番組のコメンテーター、キャスターも務める井上氏が、戦後70年のタイミングで執筆した本書に込めた想いを伺った。
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現地で一度も耳にしなかった、日本軍への非難
――『日本が戦ってくれて感謝しています』と比べると、カラーを含めた写真が非常に多く掲載されています。

<井上>
 「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、かつての戦場に立てば、わずかでも日本軍将兵の苦労や想いを追体験することができ、そして封印された歴史の真実が見えてきます。私は、そんな大東亜戦争の真実を求めて、今も各地の戦跡を訪ね続けています。

 マレーシア、シンガポール、インド、タイ、インドネシア、フィリピン…。そうした東南アジア諸国の他にも、日本人がリゾート地としてよく訪れるグアムやサイパン、テニアン、ペリリュー、そして沖縄で、私がこの足で歩いて出会い、カメラにおさめた「事実」を、皆さんにご覧いただきたかった。そうすることで、大東亜戦争を追体験して欲しかった。特に写真には、時には文字以上に事実を雄弁に語る力があります。そこから、「あの戦争とはいったい何だったのだろう」と考えるきっかけにしていただきたいと思い、筆をとりました。

――実際に各国を歩いて回り、胸に残ったことは何でしたか?

<井上>
 よく、日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。しかし私は一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした。これは事実です。むしろ、どうすれば「日本軍にこんな酷いことをされた」と語る方に現地で遭えるのか、大げさでなく、教えて欲しいくらいです。

 現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」
   
――しかし、日本軍がアジアを「侵略」をしたと語られることもあります。

<井上>
 日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、
 「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」
 と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。

 また、「日本軍=侵略者」と騙(かた)る際に、日本人が現地の人々にビンタなどの「暴力」をふるったと指摘されることもあります。しかし、私はテニアンで、日本軍が現地の人々に厳しく接したことへの感謝の言葉に出逢いました。そこで出会った日本人女性が、テニアンの年配者から聞いたというこんな話をしてくれたのです。この女性によれば、
 「この島のお年寄りたちは、『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。けれど、気づけばビザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、島民はおかしくなってしまった。ところが比べて日本時代は、確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」
 というわけです。働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのです。

 まさかテニアンで、こんな話を聞けるとは思っていませんでした。世界中がこうした事実を知っているからこそ、私自身、各地で「日本軍を尊敬している」「日本軍に憧れている」、そして「ありがとう、日本軍」と声をかけられたのです。

――『ありがとう日本軍』に掲載している中で、印象に残っている写真はありますか?

<井上>
 数多くありますが、昭和19年(1944)に撮影されたもので、ビルマ戦線でインド国境を突破し、ともに万歳をする日本軍将兵とインド国民軍の写真は何度見ても、胸を打たれます。

 当時、展開されたインパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとされてきましたが、作戦の本質は日印連合軍による「対英インド独立戦争」でした。事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、独立戦争として捉えています。「日本の侵略戦争」などとは誰も思っていませんし、作戦の『事実』を端的に表わす1枚でしょう。

 また、昨年訪れたインドネシアの「独立宣言起草博物館」に展示されていたスカルノ大統領手書きの独立宣言の起草案も掲載していますが、非常に印象的です。インドネシアは日本が敗戦した2日後の昭和20年(1945)8月17日、オランダからの独立を高らかに宣言しましたが、スカルノは日付を「17-8-′05」と記しています。

 この「05」とは、果たして、何を指すのか。実は、「皇紀2605年」なのです。彼らは独立しても、なお、日本の暦を用いたのです。もしも日本のことを恨んでいたのならば、独立にあたって誰が皇紀を用いるでしょうか。こうした写真を見るだけでも、「日本が侵略をした」という論がいかに事実無根であり、むしろ、アジア諸国の方々に、いかに感謝され、讃えられたかが分かると思います。さらにいえば、その後のインドネシア独立戦争の中心を担った『郷土防衛義勇軍(PETA)』を戦時中に作ったのも日本軍であり、現在、PETA博物館前に建つ兵士像は日本兵と見分けがつきません。

(WEB歴史街道より/〔2〕今こそ「事実」を につづく)


年金情報流出に中国軍が関与していた…日米タッグで大逆襲へ 文春報道

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転載記事です。
 
 
年金情報流出に中国軍が関与していた…日米タッグで大逆襲へ 文春報道 (1/3ページ)
2015.08.01

習近平国家主席率いる中国は、日本と米国に「サイバー攻撃」を仕掛けているのか(共同)【拡大】
 日本年金機構の個人情報流出事件をめぐり、衝撃的な報道が飛び出した。警視庁公安部が、犯行グループが中国人民解放軍の事実上の傘下組織であることを突き止めた-とするリポートを、30日発売の「週刊文春」が掲載したのだ。米国では最近、中国政府傘下のハッカーらが関与したとみられる個人情報の流出が相次いでいる。安全保障関連法案の国会審議が進むなか、国民を守るためにも、日米両国のタッグを堅固にすることが急務ではないのか。

 「人民解放軍が関係する組織が、日本の省庁にサイバー攻撃を仕掛けてくることは十分考えられる。日本と同盟関係を結んでいる米国が、中国と『サイバー戦争』状態にあるからだ」

 アジア情勢に詳しい元公安調査庁調査第2部長の菅沼光弘氏は、こう警鐘を鳴らす。

 菅沼氏の解説は後述するとして、文春が「衝撃スクープ」と銘打った、「『年金情報』流出犯は中国サイバー部隊!」という記事の概要は以下の通りだ。

 警察は、不審なメールや通信について年金機構から相談を受けた今年5月当初、生活安全関係の部門が水面下で捜査に当たった。ところが、通信やメールの解析を進めるうち、中国のハッカーグループが浮上した。

 捜査はスパイやテロリストを取り締まる警視庁公安部へと引き継がれ、外国情報機関からの情報も勘案した結果、グループの所在地が中国の上海など複数の都市であることを突き止めた。グループを実質的に運営しているのが、中国人民解放軍のサイバー攻撃部隊の「別動隊」だということも判明した-。今回の事件に、中国系組織が関与している可能性は、以前から指摘されていた。年金機構が情報流出を公表した6月初旬には、感染したウイルスには中国語の書体(フォント)が使用されていたことが報じられた。日経新聞(電子版)も6月末、「一連のサイバー攻撃に新証拠 中国系組織が関与した」との記事を掲載している。

 ただ、文春報道のように、犯行グループが単なる犯罪集団ではなく、人民解放軍系の組織だということになれば、事態は一気に深刻さの度合いを増す。前出の菅沼氏が続ける。

 「中国が、米国へのサイバー攻撃の一環として、同盟関係にある日本に矛先を向けるのは、ある意味、自然なことだ。その場合、真の攻撃の対象は官邸や警察、防衛省などの省庁であり、日本年金機構を狙ったのは“予行演習”だと推測できる。日本のコンピューターシステムの脆弱(ぜいじゃく)なポイントを探ろうとしているのではないか」

 実際、中国が絡むとみられる対米ハッカー攻撃は近年、激しさを増している=別表。

 6月には、米連邦政府の人事管理局のコンピューターシステムに何者かが不正に侵入し、約400万人分の政府職員や元職員の個人情報が流出した可能性があることが発覚した。今月9日には、他にも2150万人分の情報が盗まれていたとする同局の調査結果が発表され、サイバー攻撃の被害では「米国史上最大」(AP通信)となった。

 米人口の実に約7%にあたる個人の情報が盗まれるという異常事態であり、人事管理局のアーチュレタ局長の引責辞任にまで発展した。中国側は、自国の関与について否定しているが、ワシントン・ポスト紙(電子版)は、複数の米政府当局者の話として「中国政府傘下のハッカーたちによる侵入」と伝えている。前出の文春の報道によると、日本年金機構を狙った解放軍系組織は、米人事管理局の流出事件でも「第1容疑者の中に含まれると断定された」という。

 サイバー問題は「米中間の最も深刻な懸案の1つ」(米国務省高官)と位置づけられており、両国の対立は深まるばかりだ。オバマ政権は、一連のサイバー攻撃を中国によるスパイ活動の一環とみており、ワシントンで6月に開かれた閣僚級の「米中戦略・経済対話」でも、両国はサイバー問題について主張をぶつけ合った。

 こうした事態を踏まえ、米国は日本との協力態勢の整備を急いでいる。今月9日には、日本政府との間でサイバー空間をめぐる課題を討議する対話を近く開くことを明らかにした。

 日米両政府は2013年から「日米サイバー対話」を定期的に開催しており今回で3回目。これまでも、サイバー攻撃は安全保障上の脅威だとの認識を共有し、防護策を議論してきたが、今回は新たに日本年金機構の事件も議題となりそうだ。

 菅沼氏は「サイバー攻撃は、まさに『現代の戦争』だ。日米が協力し、情報共有などを進めていかなければならない。協力関係をアピールすることは、中国に対する牽制にもなる」と語っている。

1~6月経常黒字、震災後最高 訪日外国人などがけん引

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訪日外国人が増えているのも円安のおかげ、原油、天然ガスなどの輸入が多いのも円安にプラス。
 
原発が稼働していないので副次的な効果出ている。
 
だから今くらいの燃料費を支払っていたほうが良い。
 
原発はアメリカの手前(アメリカが原発稼働させたがっているので日本の政府も反対できない)最低限3基ほど稼働させとけば良い。
 しかし本当を言えば原発は自分にダイナマイトを巻いているようなもの敵からの攻撃に最大の弱点となる。
この点を保守の人たちも真剣に考えていないのが不思議だ。
1~6月経常黒字、震災後最高 訪日外国人などがけん引
2015/8/10 20:22
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 財務省が10日公表した1~6月の経常収支は8兆1835億円と、東日本大震災後では最高となった。けん引したのが訪日外国人と、企業が海外から得る配当の増加だ。それらを映す旅行収支と第1次所得収支の黒字額はいずれも過去最高になった。震災前と比べ、稼ぎ役の交代は鮮明になってきた。
 経常黒字は2010年7~12月の9兆5692億円に次ぐ高い水準。足元では14年1~6月が4977億円の赤字、同年7~12月は3兆1435億円の黒字だった。
 15年1~6月の経常黒字のうち、旅行収支は5273億円の黒字で、半期ベースで初めて黒字になった14年7~12月の216億円から大幅に増えた。
 旅行収支は日本を訪れた外国人が宿泊や飲食などに使ったお金から、日本人が海外で支払ったお金を差し引く。15年1~6月の訪日外国人は前年同期比46%増の914万人と過去最も多く、旅行収支の黒字額を押し上げた。
 一方、企業の海外子会社からの配当などを示す第1次所得収支は10兆5114億円で、前年同期から2兆円強増えた。M&A(合併・買収)や工場設立など企業の海外投資の活発さを反映した形だ。
 震災前と比べ、経常黒字の内訳は大きく様変わりしている。5年前の10年1~6月は9.8兆円の経常黒字のうち、第1次所得黒字が7兆円弱、貿易黒字が5兆円弱だった。15年1~6月は、第1次所得黒字が伸びた一方、貿易収支は4220億円の赤字で、代わりに旅行収支や知的財産権等使用料が経常黒字に貢献した。
 SMBC日興証券の宮前耕也シニアエコノミストは「貿易収支はゼロ近傍で推移する一方、旅行黒字は伸びる余地がある」と、足元の傾向が続くとみている。

米軍が見た日本軍の分析が「社畜」にソックリと思えてならない件

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「攻撃時、日本兵は気味の悪い金切り声や『海兵隊、殺すぞ!』などといった威嚇の叫び声をあげる。その目的は、敵の士気をくじき、自らのそれを高めることにある」
現代の職場において、社訓やスローガンを大声で叫ぶ習慣を若者が「社畜的」と揶揄する声も聞かれるが、このIBの記述にもどこかそれに通ずるものがある。
このような「威嚇の叫び声」は、「敵が後方に逃げることを期待して行われる」ものだが、その一方で、敵がしっかり踏みとどまれば士気が下がって混乱し、逆襲に対して非常にもろくなる。
 
 
 >米軍も驚愕した旧日本兵の強さは個人の人権を無視した現代で言う社畜の精神で突き進んだ結果だった。しかし一旦劣勢になるともろい面も多々あった。
 日本人の性格というか風土というかここに日本人は所得には恵まれていても(もちろん恵まれてないものも)自分の人生に満足していない(一番は会社にいて面白くない)と感じる割合が非常に高い結果となっているのだろう。
 現代でも親日だった外国人労働者が日本で働き続ける中で派遣会社や現場の会社の社畜の上司からパワハラを受けるうちに嫌日になっている現実がそこにある。
 戦中の朝鮮、支那人も強制労働ではなかったものでも嫌日になったのも想像できる。
 
vol. 83

米軍が見た日本軍の分析が「社畜」にソックリと思えてならない件


一ノ瀬俊也著「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」(講談社現代新書)<img class="size-medium wp-image-1711" src="https://news.careerconnection.jp/wp-content/uploads/2014/09/0912b-250x250.jpg" alt="一ノ瀬俊也著「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」(講談社現代新書)" width="250" height="250" />
一ノ瀬俊也著「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」(講談社現代新書)
歴史学者の一ノ瀬俊也氏は、著書「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」(講談社現代新書)の中で、米陸軍軍事情報部が戦時中に作戦地域にいる将兵向けに発行していた戦訓広報誌「Intelligence Bulletin(情報広報 以下、IB)」の内容を紹介している。
この広報誌には、当時の主要敵国である日独軍の兵器や戦術思想、組織などについて、前線からの報告などを踏まえた詳細な解説がなされていた。この中には、現代のブラック企業や「社畜」と呼ばれるモーレツ社員の特徴とも読める部分がある。(前編はこちら)

個人の自発性を持たない「戦闘機械の優秀な歯車」

IBは「日本軍兵士最大の弱点」について、「予期せざる事態にうまく対処できないこと」と鋭く分析している。この記述を読むと、高度成長期にモーレツ社員として重宝されながら、いまは時代にそぐわなくなっている「社畜」への批判に読めてならない。
「彼は戦闘機械の優秀な歯車であり、決められた計画を細部まで実行することはできるが、急速に変化する状況に対処する才覚も準備もない。どんな訓練もこの日本兵の欠陥を修正することはできない」
この「生来の弱点」について、IBは「自由な思考や個人の自発性を厳しく退け、管理されてきた人生と、少なくとも部分的には関係がある」と指摘。この弱点は、攻撃でも防御でもはっきり表れているとする。
「攻撃時、日本兵は気味の悪い金切り声や『海兵隊、殺すぞ!』などといった威嚇の叫び声をあげる。その目的は、敵の士気をくじき、自らのそれを高めることにある」
現代の職場において、社訓やスローガンを大声で叫ぶ習慣を若者が「社畜的」と揶揄する声も聞かれるが、このIBの記述にもどこかそれに通ずるものがある。
このような「威嚇の叫び声」は、「敵が後方に逃げることを期待して行われる」ものだが、その一方で、敵がしっかり踏みとどまれば士気が下がって混乱し、逆襲に対して非常にもろくなる。
そして、最初の攻撃を撃退され再挑戦するときにも、戦術の見直しは行われず、当初の戦術を繰り返すという。体育会系の営業管理職が「実行あるのみだ!」などと言って、一本調子な戦術を繰り返して玉砕する姿を重ねてしまう。

マラリア患者の部下を「怠け者」と暴行した上官

また、旧日本軍では、病気になったとしても中々休むことはできなかったようだ。IBには、兵士に「我慢」を要求する旧日本軍の医療の実態を記述した内容もあった。
「厳格なる軍人精神のおかげで、ささいな訴えは軍医の注意を引かない。さらに、もしいたとすればだが、不平を言う者は怠け者呼ばわりされて仲間はずれにされる」
病気で働けなくなった人を「迷惑だ」などと言って非難するのは、現代のブラック企業の思考とあまりにもよく似ている。
ニューギニア戦線でマラリアに罹って休養所に入った旧日本軍の兵士が、上官から「怠け者」と言われて暴力を振るわれたため、脱走してオーストラリア軍の捕虜になったという記述もあった。
また、現代のブラック企業には、自社の商品やサービスを自費で購入し、ノルマを達成する「自爆営業」という慣習があるが、文字通り旧日本軍でも自爆攻撃が横行していた。
有名な「神風特攻隊」以外にも、敵の戦車によじ登って爆発する「肉攻兵」という戦術が取られたようだ。米軍の捕虜になった日本兵は「こんな任務は認められない」と言っていたという。
またIBは、「彼ら(日本兵)の賃金は世界中の陸軍でおそらく一番低い」と言及している。現代の日本人の人件費は、世界的に見て高すぎるといわれるが、それは人件費の低いアジアのような新興国と比べた場合の話だ。
THE PAGEの記事のように、円安もあって日本の最低賃金は先進国でも最低レベルという見方もある。「サービス残業」によって、最低賃金を下回るレベルで働く若者もいることを考えると、旧日本軍同様「一番低い」と言えるのかもしれない。

私たちは「彼らの直系の子孫」なのか

以上のようなIBの記述は、米軍のプロパガンダに過ぎないという見方もできるが、著者の一ノ瀬氏は「たぶん多くの日本兵はほんとうにそういう人たちだったのだろう、と思っている」と明かしつつ、こう綴っている。
「その理由は、彼らの直系の子孫たる我々もまた、同じ立場におかれれば同じように行動するだろうと考えるからだ」
確かにそのような側面も否定できないが、その一方で、旧日本軍のような行動原理に反感を抱き、「戦闘機械の優秀な歯車」を「社畜」と呼んで忌み嫌う人たちが現れているのも事実だ。旧日本軍のような愚行を繰り返さないために、このような流れは大事にしていいのではないか。
(文:ロベルト麻生)
日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ。

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今のほとんどのマスコミは安保法案に反対する意見だけしか取り上げていない。安保法制ができると戦前のような軍国主義復活というありえないこと言って反対するのは馬鹿げている。
戦争は誰でも嫌だ。
しかし戦争が起きる原因で多くの場合ロシア等の拡大主義の強国が弱い国を我が物にしようと盗賊と同じように攻め込んでその国の財産、国民の自由を奪い取る・・・このケースが過去の歴史から一番多いケースだ。
支那中共は現に国土の半分以上がチベットやウイグル、モンゴル、他の少数民族から奪ったものだ。
 チベットなどの国がまだ軍事力が強ければ侵略されずに済んだものを。
 支那は土地の個人の所有を認めないすなわち中共のもの=中共幹部の個人のものとなる(元からの民族は土地は支那から借りる形となる)。
 今まさに支那は日本を乗っ取ることを長期計画をたて実行中なのだ。中共にとって日中戦争は未だ継続中なのだ。(それは本音として時々中共の幹部が話すしそのために日本を取り込んだ列島線なるものを堂々と公表している。)
だから日本は弱点を見せるわけには行かない。
(何もこちらから戦争を仕掛けるわけではない)
いつまでも平和憲法が日本を守ってくれるという子供の空想で日本が守れるわけないのだから。
かの永世中立国スイスは国民皆兵制で軍備をいつも戦える状態に準備している。(スイスはドイツから攻められなかったのはその軍備とスイスそのものが国際金融資本家が統治しているからだ)日本とは国民の意識が天と地ほど違うということを日本人は知らない。
スイス国民はヨーロッパの長年の戦争の歴史から平和は国民が軍備で自衛して守れるということを歴史から学んでいるのだ。日本人は島国で他国から占領されたのが1度だけでそれもアメリカという民主化された国だから大量虐殺を免れた。ソ連やシナだったら戦中の地獄の苦しみがそのまま続いただろう。
 
 

反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ。

 早稲田大学の水島朝穂教授が、安保法案に反対するSEALDsのデモに参加して、次のように発言したという。

 「今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。

 そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。これなんですよ。

 俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。廃案しかない。廃案しかあり得ない。がんばりましょう」

 学生と学者が歩くのがそんなに感動的なのかどうかしらないが、それは個人の感性の問題だから、どうでもいい。しかし、どうしても気になるのが後半の部分だ。

「民主主義って何だ」
「これだ」

要するにこのデモこそが民主主義だといいたいらしい。

さらに、33年間研究してきたという憲法も、「これ」だということが分かったという。

こんなに酷い民主主義解釈も、憲法解釈もないだろう。いくら、興奮した状態の発言とはいえ、これは酷すぎる。33年間、本当に研究してきたのだろうかと疑わざるを得ない。次の発言に至っては、もう驚くしかない。

「俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。」


この水島教授の論法に従えば、安保法案に反対するデモこそが、民主主義であり、憲法であり、さらに人民なのだという。では、安保法案に賛成する人間は、全て「反民主主義」であり、「非憲法」であり、「非人民」ということになるのだろうか。

私はここに正義に陶酔する政治的イデオローグたちの危うさを見る。かつて『逆説の政治哲学』という本を書いたときに、サブタイトルを「正義が人を殺すとき」にした。

フランス革命にせよ、ロシア革命にせよ、ナチズムにせよ、大量殺戮に手を染めた人々の中には「正義」の観念が宿る場合が多い。自分たちだけが正義を体現しているのであって、自分たちに逆らうのは、「正義」に対する拒絶、すなわち、「不正義」に他ならないという論法だ。

正義に溺れる政治的イデオローグを描いた作品として、アナトール・フランスの『神々は渇く』が有名だが、直近の作品では、「デス・ノート」をあげることが出来るだろう。私は漫画やアニメの類が苦手なので、映画で観たのだが、よく出来ていて面白かった。この主人公は決して、悪人ではない。もともとは善人なのだ。
 日本におけるあさま山荘事件もそうだが、彼ら一人一人は、決して真面目で、純粋な人間なのだろう。
 しかし、「正義」の観念に取りつかれて、反対派を悪魔化して大量殺戮に至るのだ。


安保法案に反対するのは自由だし、デモも自由だ。そういう自由を侵害するつもりは全くない。

だが、反対派の人々にも覚えておいてもらいたいのは、この国には、賛成派も存在するという事実だ。

以前、芸能人のつるの剛士さんが、ツイッターで次のように呟いたことがあった。

『反対反対』ばかりで『賛成』の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ。
大切なコトたからこそ若い子達だって感情的、短絡的な意見にならないために色んなこと公平に一緒に考えたいよね

これは多くの国民が感じていることなのではないだろうか。反対派が存在するのは事実だが、賛成派が存在するのも事実だ。まるで賛成派を悪魔化して、戦争を好む人々やナチス呼ばわりするような非難は、あまりに極端ではないだろうか。日本の平和と繁栄、そして国際貢献を願うからこそ、今回の法案に賛同する人が存在するのだ。

「俺たちが人民なんです」というが、「国民」はあなたたちだけではない。大声をあげることはないかもしれないが、静かに安倍内閣を支持し、今回の安保法案にも賛成している国民も数多く存在するのだ。「俺たちの声もきけ」というなら理解できるが、「俺たちの声こそが人民の声だ」とばかりに、自らに反対する人々の存在を無視するかのような発言は、極端に傲慢な発言だし、みずからの正義に溺れる人間の発言だといわざるをえないだろう。

なぜ負ける戦争をやったか 第二次大戦の真実語ろう 戦争体験者が本音語るとき

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戦争体験者の話を聴いて学ぼう。
軍部も悪かったが朝日、毎日などのクソマスコミももっと悪い。完全に軍部の御用新聞に成り下がって国民を洗脳しまくった。今は中共のご機嫌伺い新聞社だ。要するに強いものには巻かれろだ。

なぜ負ける戦争をやったか
第二次大戦の真実語ろう
             戦争体験者が本音語るとき  
  2006年9月15日付
 

 第2次大戦の真実をめぐって、80代から90代となった戦争体験者がほとばしるように語りはじめている。戦後61年たった日本の現状がとんでもないところへ来ており、戦争で死んでいった人たちがなんといって嘆くだろうという思いが押さえきれないものとなっている。とりわけ、1銭5厘の召集令状で戦争に引きずり出され多くの戦友を失った兵隊経験者は戦後犯罪者のように扱われ、戦争を引き起こした天皇や財閥、政治家や官僚、マスコミ指導者などは1部の軍部指導者だけに責任をかぶせて初めから平和主義者だったような顔をして、今アメリカのために国を売り、戦争をしようとしていることにいいようのない怒りを語っている。どうして、負けるとわかっている戦争に突入し、負けがはっきりしており殺されるのがわかっているのに戦争をやめなかったのか。この問題は、体験者の実際体験にもとづいて、若い世代とのあいだで大論議をしなければならない。体験者の意見を紹介したい。

    「日本軍がいる」と中国で無差別爆撃した米軍 北九州市長原 久一
 わたしは昭和15年7月に徴兵検査で第2乙種合格となった。これは有事勃発で召集される補充兵なので当分、召集はないと思っていた。しかし昭和16年5月、会社の作業場で働いていたときに呼び出された。そこで渡されたのが1銭5厘の切手1枚で人の生命も自由にできる赤紙の召集令状だった。
 岡山の陸軍に入隊し、3カ月の教育を受けて外地に出発した。「スパイがいるから」と行く先も知らされなかった。完全軍装で岡山駅まで4㌔行軍したが、憲兵が両脇を護衛し面会にきた家族と話もさせない。囚人同様の扱いだった。軍用列車も車内は外部と遮断され上り線か下り線かも分からなかった。広島駅で下車し、翌朝、貨物船で宇品港から出港した。
 翌日、甲板に全員整列させられ、そこで輸送指揮官が「日本本土とお別れする。いつ敵潜水艦から魚雷のお見舞いを受けるか分からないから全員心の準備をしておけ」といった。しばらくして「山東省青島港に入港する」と行き先が知らされた。
 上陸すると補充兵受領に来た下士官が「占領地は点と線で結んだ大陸の1部で周囲はみな敵である。どこで襲撃を受けるかわからない」と実弾30発を支給した。
 はじめての戦斗は昭和16年12月。八路軍と斗うのだが、狙って撃つようなものではない。体は「ガタガタ」震え、夢中で撃ちまくるものだった。小銃は2時間以上連続射撃すると、銃身が焼けて使用不能になり、水をくんできて銃身を冷やす状態だった。
 その後は漢口、九江、岳州と揚子江近辺ではそんなにひどい戦斗はなかったが、大東亜戦争で変化した。敵の通常装備も兵器も米国式。日本軍は明治38年以来変わっていない38小銃で1発銃弾をこめて「パン!」とやるが相手は自動小銃。昭和20年代に入ると戦斗をやればやるほど犠牲者が出る状況になった。
 日本軍の補給も届かない。重要な作戦はパラシュートで銃弾や食糧が届くが作戦用の分量しかない。兵員が送り込まれてきても弾薬も食糧も不十分。武器は銃剣、食糧は現地調達、それでたたかえという状況だった。終わり頃は戦争より食糧探しが優先されていた。
 米軍機が飛び始めるのは日本軍がヘトヘトになってきた昭和18年頃だ。昼間は動けず、夜にご飯を炊いていたが、その煙が上がった地域一帯を無差別に爆撃する。アメリカは「日本軍がいる」といっては、中国のいろんな都市を民家もふくめ無差別に焼き払った。これはアフガンで「ビンラディンがいる」と全土を焼き払ったのと同じやり方だ。
 米軍は中国戦線で野戦病院も爆撃した。建物に赤十字の印があれば国際法上攻撃してはいけないはずだが、戦後「手前を狙ったが外れた。誤爆だった」とごまかしている。これもイラク戦争での「誤爆」とそっくりだ。「パールハーバー」などといって日本本土に空襲をやり、原爆を落としたことも言語同断だが、これがアメリカだ。第2次大戦はまだ終わっていない。
 最近、よく「アメリカに守ってもらう」というが、アメリカを信用することはできない。戦後の教育では「自由」といって日本人が骨抜きにされてきたが、日本は自分で守るしかない。若い人に本当に国を大切にする日本人の心を伝える必要がある。

      模造飛行機が並び残飯あさりをしていた戦地 下関市河野 宏逸
 自分は昭和19(1944)年12月に、山口の315師団に入隊、たった1週間の教育訓練を受けただけで博多から釜山へ、朝鮮から旧満州、北京を経て、京漢線を南下、南京郊外の下関の部隊集結地に着いた。
 毎日、玄武湖周辺の駆け足訓練や演習などでさんざんしごかれた。南京の陸軍航空隊に使役にもいったが、そこで見たものは、模造の飛行機が並んでいるだけで、自慢だった戦斗機「隼」の影すらなかった。すでに腹一杯食べられるほどの食糧もなく、残飯あさりをする兵隊も少なくなかった。
 1カ月ぐらいがたって、揚子江沿いの完全武装の強行軍が始まった。雪の中、雨の中、空襲を避けての夜間だけの鉄道線路行軍など、新兵の自分などには難儀なものだった。次次にくたばるものが出て、ロープで結んだり、3人で騎馬戦形の上に乗せたりし、銃と装備は他人が運んだが、それは全体をくたばらせたので1日で止めた。まさに、「落伍は死」を意味した。4つの省を経て旅団本部のある咸寧に到着したときは、入院による脱落、戦病死で3割の兵士を失っていた。
 ここで旅団長の訓辞があって解散した途端、米軍戦斗機P51一機が飛来、低空から機銃掃射をしてきた。幸い犠牲者は出なかったが、こんなところに米軍がいるのかと驚いたものだ。米軍といえば、このあと南京に駐屯していたときに、毎日午前10時頃、定期便のように爆撃機B29が10機1編隊で上海方面に向かい、1機が12発ずつ爆弾を投下するのを見た。あとで聞いたことは、米軍は軍需関係の工場や施設には爆弾を落とさず、民間の住宅や施設を狙って落としたという。
 1200㌔の強行軍を終わって、白霓橋に着いてからは、通山方面の八路軍討伐の連続だった。それは戦死や負傷の多い激戦となった。勝ったこともあったが負け戦は惨めだった。戦斗が終われば夜明けを待ってまず負傷者の後送、戦死者の遺体を1カ所に集め油をかけて焼く、そのくり返しにうんざりしたものだ。
 なにせわが方は、中隊といっても40人ばかり(通常の編成なら約90人)、しかもそのうち古参兵は10人程度、あとは自分のような新兵だった。それに軽機関銃も1挺だけ(普通は1個中隊に3挺)、小銃も命中率の高い38式銃はもうなくて、99式だった。
 相手の方は自動小銃を持っていた。それに「7度死んで8度生きる」というのか、死を恐れなかった。そして、負傷者や戦死者をわが方に残すこともなかった。敗戦になって自分らは八路軍に武装解除され、翌年上海から復員するまで糧秣の供給を受けたが、昨日までの敵に対してもきわめて紳士的で、恨みを買うようなことはなかった。
 日中戦争は盧溝橋で、中国軍が発砲したから始まったといわれていたが、実際に侵略戦争だった。何でよその国に軍隊を送りこんで戦争しないといけなかったのかとつくづく思う。それがアメリカとの戦争までいった。自分は戦前丸山町に住んでいて、仲の良い4人で出征前に写真をとったが、うち1人は鹿児島から「○○方面に行く」と葉書を1枚くれたのが最後、他の2人も生還しなかった。戦争で殺されるのはいつも自分ら労働者や庶民だった。
 自分はこのあいだ、原爆投下について「アメリカに謝罪を求める」署名をやった。あれだけむごい形で女や子どもを殺したのだから、頭を下げさせんとだめだ。なのに小泉はどうか、次は安倍とかいうが、みんなアメリカにまかれて文句の1つもいえない。戦後61年もたっているのに本当に情けない。明治維新の高杉晋作のような若い人が、イギリス領にされようとしていたこの彦島を守った。大したものだ。「現代の晋作出てこい」といいたい。
(彦島在住)

      なぜ原爆投下まで戦争をやめなかったか疑問 下関市傷痍軍人
 私は昭和12年、21歳のときに召集されて入営した。まもなく支那事変が起こった。中国の桂林、上海、南京、漢口、長沙などにいった。
 はじめ自動車部隊に配属になり、前線に食糧を運ぶ仕事などしていたが、戦場というものは哀れなものだ。日本軍は後退は許されず、前進あるのみ。あるとき、戦斗中に隣にいた戦友に「いくぞ」と声をかけた瞬間、全く動かなくなった。見ると鉄兜から脳にまともに弾が貫通し、そこから脳ミソがでていた。語れば語り尽くせないが、それが戦場だ。
 第2長沙作戦で荊門(けいもん)にいたとき、胸に弾が貫通し、肩に弾が入り、恥骨もやられ野戦病院に運ばれた。野戦病院には前線で負傷した人たちが次次に運ばれ、凍傷を起こしている者、爆風でやられた者などが多数いた。被弾したとき弾と一緒にガスがつくと、その場合はガス抜きをしないといけないが、手遅れであればふくらはぎの傷であっても膝上くらいから切断しなければいけない。そうして切断される兵士もいた。
 私は、漢口の第1陸軍病院に送られ、その後小倉の第1陸軍病院で手術を受け、大津海軍病院、東京第1陸軍病院を経て習志野隊に配属になったが、しばらくして除隊となった。昭和14年ごろのことだ。
 そのころの日本は、まだまだ勝ち戦といわれていた。しかしそのうち、自分たちの出征のときには皮製だった、鉄砲を提げるものも皮でなくなった。1番驚いたのは水筒が竹筒になって出征していく兵隊の姿を見たときだ。日本は戦争に負けると思った。
 日本はサイパン島陥落や各地で玉砕がいわれていたのになぜ、戦争を止めなかったのか。
 最近、「天皇メモ」ということがいわれているが、天皇陛下はあんまりだ。みんな、天皇の命による赤紙で出征し、「天皇陛下のため」「お国のため」と死んでいったのではないか。それでは亡くなった戦友、兵士たちはどうなるのか。
 開戦のときに御前会議がもたれ、そこで戦争をすると決めたのではないか。それならばなぜ、そのときに戦争はしないといってくれなかったのかと思う。そしてまた、アメリカが原爆を落とす前になぜ戦争をやめるといってくれなかったのかと思う。
 アメリカは東京でも大空襲をやり、各地で空襲をやった。日本の外地でのことも知っていたはずだ。それなのになぜ、女、子ども、乳飲み子をも関係なく無差別に標的にした非人道的な原爆を落としたのか。さらに実験であれば広島だけで十分であったはずなのに、なぜ長崎にまで落としたのか。日本人を見下している。牛肉輸入でも、日本人には何を食べさせても構わないと思っている。アメリカは日本のことは考えていない。
 イラク戦争も、フセインが悪かったということはあるだろうが、大量破壊兵器は結局なかった。石油などの地下資源が欲しかったのだろう。核兵器も自分が1番持っているのに、他国は持つなというのはおかしい。
 今の日本は情けない。特に政治と教育が問題だ。小泉首相は外国に何億㌦という戦費を差し出すが、すべて税金ではないか。政治は本来みんなのためにあるものだが、国会議員を筆頭に自分たちの金がなくなれば国民の税を上げて搾り取ればいいとなっており、本末転倒だ。そして教育も崩されてきている。こんな日本は見たことがない。日本はこんな国ではない。みんなで協力し合い助け合って、日本の国は日本の力で立て直さなければいけない。

        上関でも怒り共通 いつでも国策で痛い目に
 【上関】 60年前の悲惨な戦争の経験は、上関町の人口の半分を占める年寄りの胸にも忘れてはならない体験として深くきざみこまれている。近隣では、米軍岩国基地の再編・強化問題が持ち上がるなどふたたび戦争のきな臭さが強まるなか、平和を願う強い思いとともに、アメリカの植民地のようにされている日本の現状とあわせ、「なぜ負け戦を突っ走ったのか」「無駄死にした意味はなんだったのか」との共通した怒りが渦巻いている。
 南方にかり出されていた80代の体験者は、「上関は、戦中も戦後も国策で痛い目にあってきた。戦争はエライさんたちには、痛くもかゆくもないもの。敗戦の何年も前から負けるのははっきりしていたのに、なぜはやく終わらなかったのか。無念のうちに死んだ戦友や部下は数えきれない」とはがゆさを押し殺して話す。
 「ミッドウェー海戦に参加し、その後は南方を転転とした。何の効果もないのに毎晩アメリカの機関銃に向かって、数10人ずつ切り込み隊もやった。最後の2年ほどは、武器、弾薬どころか食糧もなく、猿の食べ残した木の実やヘビ、草木を食べて飢えをしのいだ。栄養失調で死ぬ者は、1週間ほど前から足がたたなくなり気がつけば息をひきとった。部隊の中はぐちゃぐちゃで、名前も出身地もわからぬものがほとんどの状態だった」と語る。
 「今の日本は、アメリカの属国以下だ。親が子を殺し、子が親を殺す乱れた世になったが、よその国に愚弄されているのに黙って従う政治のせいだ。原爆を落とされた広島湾岸にアメリカの空母が入り、戦斗機が我が物顔で飛び回るのを許してはいけない。アメリカが日本を守るわけはないんだ。兵隊にいったものは、悪者扱いでずっと黙っていたが、日本人の誇りも歴史も捨ててはいけない」と強い口調でいった。
 陸軍にいた80代の体験者は、「昭和18年(43年)には、はっきりと負けとわかった。護送船はなく、油もない。その上南方にいく船は撃沈されるばかりだ。鉄砲もなく、内地と同じ竹槍戦法みたいなこともいっていたが、補充されてくる兵隊も、40代や50代の徴兵検査で合格しなかったような年寄りばかりをひっぱりだしてきた。軍隊と呼べるようなものではなかった」と体験を話した。
 「戦後は、天皇陛下万歳と叫んで突撃しろと教育された若い兵隊たちは、物陰に隠れることもせず死んでいったのに、上の人間は、手のひらを返したようにアメリカに従っていった。内地に帰ってきた兵隊は、まともに職にもつけず苦労した人もいる。無駄死にした戦友にたいし申し訳ないとの気持ちで生きてきたのに、最近では、天皇は平和主義者だったような話もされ、また戦争が近づいているように感じる。2度と戦争を許してはならない」と話した。
 

敵から見た日本軍の実像 ― 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』

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「性病は軍のパロメーター」といわれる。日本軍では、公表の性病患者の数は少ないが、「性病にかかった」となると上官にしこたま殴られるから隠していたからであり、性病検査はまともに行われていなかった。性病の少なさから、日本兵は強姦をしなかったという主張は見当違いも甚だしくて、南方戦線では日本兵による強姦や殺人の例は枚挙にいとまない。戦友の遺骨を取りに行くのにあれほど長い年月を要しているのも、そのせいである。
 米軍報告書では、ドイツと比較した「慰安所」の不衛生ぶりも記録されている。強制性には疑問を唱える者も、日本軍の粗末な「慰安所」の様子を知れば、慰安婦たちが戦後に集団提訴する理由に納得できるだろう。
 そんな衛生概念の欠如は、戦況に大きく影響を与えた。有名なガダルカナル島の戦いでは、日本軍の死因は飢餓と病気によるものがほとんどであり、ほとんどの兵が脚気を患っていたとある。栄養・医療を無視した作戦の敢行は、いたずらに犠牲者を増やすだけであったのだ。
 衛生を軽んじたのは、それだけ兵士の命を軽んじていたことである。
 
 
 
日本軍では、足手まといとなった傷病者を、捕虜にされまいと自決を強要することが日常的に行われていた。
 「戦死」といっても、敵の攻撃で致命傷を負った者がすべてではない。助かる見こみがあっても、作戦遂行の阻害になるからと、自殺をしいられるか、味方の銃撃で殺されたのだ。
 米軍は(建前上では)そうではない。負傷兵を置き去りにすることは、米軍精神に反するとされた。米軍では、そのような命令を出した士官は、罰を受けずとも出世できなかった。
 
日本兵が留守家族の生活困窮について抱いていた心配の解消は政府ではなく「村」すなわち近隣社会の手に委ねられていた。万一兵士たちが敵の捕虜となり、卑怯にも自分だけ生き残ったとすれば「村」は家族への農作業援助を打ち切るだろう。私は、これこそが彼らが投降を忌避した最大の理由のひとつとみるし、米軍もそれを知っていた。
 
 大部分の日本兵にとって、天皇や靖国は遠い存在であり、その信仰心は篤いとは言えなかった。日本軍ほど宗教と無縁な陸軍は珍しいといっていい。そんな彼らが戦った理由は、故郷に残した留守家族のことであり、それを支援する「村」社会を裏切らないためであったのだ。
 
「日本軍の敗因はなんですか?」
 ニミッツ提督はこう答えた。「人事の問題ですね。硬直化が進んでいたと聞いています」
 日本人ならば、敗戦の理由は「資源がなかった」「補給が確立できなかった」というだろう。このニミッツ提督の答えは、個人的に長らく疑問であった。
 しかし、本書を読めば、本当の敗戦理由は、年功序列制などの「人事」に問題があったとしか考えられなくなる。
 
>旧日本軍の本質を知ることが敗戦の本当の理由を知ることにもなる。
戦争映画などではその詳しい内情まではわからない。
サヨクや右翼からの見方ではなくその真相を知ることが現代日本人の弱点や長所を知ることにもなる。
 日本軍の一番の問題点は個人の人権はなく(極端に言えば軍人勅諭で洗脳され死ぬことを強制された半奴隷状態)今のブラック企業内での人権無視にも通じるものがある。
 人権無視がほとんどの日本兵が病気をしそれが日本軍自身の弱体を招き自滅に繋がったということも知っておかなければならない
 またそういう体質が現地人を虐殺、強姦につながった。日本人一人ひとりは純朴で優しいのだが軍隊の規律がそんな良い点をなくしてしまった。ただしすべての占領地域がそうではなかったが。
  ただしこの点ばかりを強調するあまり自虐史観になり軍備放棄、平和主義が正しいとするのは短絡思考もいいところである。

2014-03-22

敵から見た日本軍の実像 ― 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』(評価・A+)

 
 
組織戦に優れるが、自分で考える力を持たない「三流」の日本兵の実像とは?
敵の視点から日本陸軍の本質にせまった意欲作!
 
 敗戦後、日本陸軍は批判の矢面に立たされた。精神論ばかり振り回して、日本を破滅に追いこんだ組織であると。
 しかし、その非合理性を強調するほど、日米戦争があれほど長引き、それだけ多くの犠牲者が出してしまった事実から遠ざかるのではないか。
 著者はその疑問から、敵である米国陸軍が日本陸軍をどう見ていたのかを、軍事報告書をもとに調べることにした。
 米軍報告書による日本軍の実像はこのようなものだ。
 
・個人の射撃は下手で接近戦は弱い。陣地、偽装は優秀。
・組織戦に優れるが、頭脳や自分で考える力を考慮に入れれば、日本兵は三流。
・日本兵は互いに愛情を持たない。上官の命令なしに他の中隊を助けることはない。
・死者は丁重にとむらうが、傷病者への待遇は劣悪。
・風呂には毎日入るが、食堂は不潔で医療体制は低レベル。
・いったんとらえた日本兵捕虜は実に御しやすく、有用である。
・日本兵の賃金は世界中の陸軍でおそらく一番安い。
 
 本書は米軍報告書を紹介するだけの内容ではなく、戦後から21世紀までの日本人批評を数多く引用している。その丁寧かつわかりやすい解説は、特定の思想にかたよることなく、誰が読んでも新たな発見を見いだせるだろう。
 なぜ、我々の先祖たちは「バンザイ突撃」といわれる玉砕を敢行し、無残に命を散らせたのか。その理由に迫る力作である。
 

 

(1)攻撃よりも防御に優れる

 
 米国軍による日本兵分析は以下の二点から始まった。
 
1.敵である日本兵と、友軍である中国兵の区別をする必要性
2.マレー作戦の衝撃から生まれた「日本兵超人神話」の払拭
 
 まず、《敵である日本兵と、友軍である中国兵の区別をする必要性》について。
 日本人は太平洋戦争を「アジア人対白人」と捉えることが多いが、米国人は「侵略された中国を解放する」という大義ゆえに、人種戦争とは見なしていない。
 そして、米陸軍公報では、英軍が「中国軍であるかのようにふるまった日本軍に騙されて」捕虜になったという事例が紹介されている(真偽の程は定かではないが)。
 そこで、様々な文化的背景から、日本人と中国人の鑑別方法が提案された。しかし、そのような外見の鑑別は、人種差別の助長につながり、味方である中国人をも貶めることに、米国人は気づいた。
 つまり「日本人と中国人を身体の面から見分けるのは、ドイツ人とイギリス人をシャワー場でその会話を聞く前に見分けようとするのに等しい」ということである。
 結局は、現在でも使われる"r"や"l"の発音による判別がとられた。日本人は"l"を"r"と置きかえる。中国人はその逆である。だから「Robins fly」と言わせれば、中国人と日本人の区別はつくのだ。
 
 次に、《マレー作戦の衝撃から生まれた「日本兵超人神話」の払拭》について。
 「マレー作戦」の鮮やかさから、日本兵は「超人」ではないかという幻想が、米国兵には浸透していた。その払拭のために、米国陸軍公報では、日本兵の戦術分析が次々と掲載されたのである。
 まず、指摘されているのは、射撃規律は優れているが、個人射撃は下手であること。集団戦は得意だが、個人戦は弱いということである。米国兵士の言葉を借りれば「戦闘機械の優秀な歯車であり、決められた計画を細部まで実行することができるが、急速に変化する状況に対処する才覚も準備もない」となる。
 これは満州事変以降、「誤れるデモクラシー的思想への迎合」として兵の自発性を否定するようになった日本陸軍の方針にも原因があるだろう。
 接近戦、つまり銃剣術となると、日本兵は奇声を発して「突き」一辺倒であり、銃床攻撃で対処可能であると米軍は早くから見抜いた。
 そのかわり、陣地や偽装は優秀であると米国兵は口をそろえて証言する。攻撃よりも防御に優れていたのが、太平洋戦争の日本陸軍であったのだ。
 これは、体格差の問題もあっただろう。中国兵相手には接近戦をしかけることが多かった日本兵も、体格の大きい米国兵相手には戦術を改めざるをえなかった。
 陣地や偽装を得意としたという指摘は、現在日本に生きる我々にも納得できる。ネット文化でも、職人に敬意を払うのが日本人だ。接近戦ではかなわないと気づいた日本兵は、持ち前の手先の器用さをいかし、米国兵に対抗すべく陣地づくりや偽装に精を出すようになったのだ。
 ただし、その陣地には退路は設けられていなかった。決死で臨むことでしか米軍に対抗できないと日本軍は考えていたのだ。そして、人命の尊さを抜きにすれば、その効果はあった。
 

(2)風呂には毎日入るが、衛生概念は欠如していた

 
 日本兵は毎日欠かさず風呂に入ることから、きれい好きと考えられていたが、その実態は大きく異るものだった。
 例えば、食事はもっとも下等の兵が作っていた。これは日本陸軍に衛生概念が欠如してきたことを意味する。
 医療施設はほとんどなく、その環境は劣悪である。ささいな病気は自分で治すことが求められていたのだ。
 「性病は軍のパロメーター」といわれる。日本軍では、公表の性病患者の数は少ないが、「性病にかかった」となると上官にしこたま殴られるから隠していたからであり、性病検査はまともに行われていなかった。性病の少なさから、日本兵は強姦をしなかったという主張は見当違いも甚だしくて、南方戦線では日本兵による強姦や殺人の例は枚挙にいとまない。戦友の遺骨を取りに行くのにあれほど長い年月を要しているのも、そのせいである。
 米軍報告書では、ドイツと比較した「慰安所」の不衛生ぶりも記録されている。強制性には疑問を唱える者も、日本軍の粗末な「慰安所」の様子を知れば、慰安婦たちが戦後に集団提訴する理由に納得できるだろう。
 そんな衛生概念の欠如は、戦況に大きく影響を与えた。有名なガダルカナル島の戦いでは、日本軍の死因は飢餓と病気によるものがほとんどであり、ほとんどの兵が脚気を患っていたとある。栄養・医療を無視した作戦の敢行は、いたずらに犠牲者を増やすだけであったのだ。
 衛生を軽んじたのは、それだけ兵士の命を軽んじていたことである。
 

(3)戦友の命は軽く、他の中隊を助けない

 
 日本軍では、足手まといとなった傷病者を、捕虜にされまいと自決を強要することが日常的に行われていた。
 「戦死」といっても、敵の攻撃で致命傷を負った者がすべてではない。助かる見こみがあっても、作戦遂行の阻害になるからと、自殺をしいられるか、味方の銃撃で殺されたのだ。
 米軍は(建前上では)そうではない。負傷兵を置き去りにすることは、米軍精神に反するとされた。米軍では、そのような命令を出した士官は、罰を受けずとも出世できなかった。日本の年功序列制とは大違いである。
 日本軍はそれを利用して、狙撃兵に「敵兵に致命傷を与えないように」と命令していた節がある。死者だと一人の戦力減だが、負傷となると助ける兵士を含めて三人の戦力減となるからだ。
 しかし、そう命じられた狙撃兵の心中はどのようなものであっただろう。自国兵の命の軽さと、敵兵の命の重さ。それを知りながらも、彼は戦い続けなければならなかったのだ。
 
 ある米国軍曹によれば「日本兵は互いに愛情を持たない」という。これには従軍者から批判の声が上がるだろう。
 日本兵には戦友との絆はあった。しかし、それは同じ中隊内にとどまっていた。
 米国軍曹の続きはこうである。「例えばあるトラック中隊は上級将校の命令がない限り、よその中隊を助けようとしない。トラックの仕事がないとのらくらしている」
 自分の属する中隊内では酒を飲み助け合うが、他の中隊は上官の命令がなければ自主的に助けようとしない。今でいうところの派閥主義と責任回避。
 米軍兵士が他の中隊も助けようとしたのは、現場下士官の評価が組織に反映されたからである。日本軍ではそのような自主性は軽んじられ、現場から離れた上級将校の作戦を忠実に遂行することだけが求められた。
 その結果が「互いに愛情を持たない」と敵に批判される日本軍を生み出してしまったのだ。
 

(4)日本兵捕虜の口は軽く、軍事機密を簡単に漏らした

 
 米軍公報によれば「戦争初期のころ、生きて捕まる日本兵はまれで、戦死者100人に1人の割合であったが、沖縄・フィリピン作戦の後半では死者10人に1人の割合で捕虜になっている」という。
 米軍から見て、いったんとらえた日本人捕虜は実に御しやすく、有用であった。なにしろ、戦艦大和や零式戦闘機の性能といった最高機密を、捕虜はいとも簡単にしゃべってしまったのだ。
 なぜ、日本兵捕虜の口は軽かったのか。それは、捕虜になれば命はないと教えられていたからだ。ところが、米軍は日本兵捕虜を丁重にもてなした。「日本人は貸し借りに生真面目な性格だから、助命という恩を着せれば、それと同等のお返しをしなければ面目がつぶれると考える」と分析されていた。
 戦後、米軍の捕虜になった日本兵は、米兵が非常に親切だったと記述している。しかし、そうすることで軍事機密を入手できるという、冷徹な計算があったからである。
 米国兵の中でも、戦友の恨みとばかり、降伏を申し出る日本兵を許そうとしない者は少なくなかった。それをいさめるために、上官はこう言うのだ。「あいつらの口は軽い。丁重にもてなせば、簡単に機密を漏らす。それが結果として、お前たちの命を救うことになるんだ」
 いっぽうの日本軍の米兵捕虜への尋問はどうだったか。ある少尉によれば「腕力が指針となる」という荒っぽいやり方だったという。「敵の言葉は我々と違う。口をすべらせて詳細な分析を引き出したり、遠回しな尋問法を用いて成果を挙げるのは困難である。尋問中は勝者は優れていて敗者は劣るという空気をみなぎらせるべきだ」
 したたかな米軍に比べて、あまりにも粗末というほかない。
 日本人捕虜が機密を漏らすことが明らかになると、日本軍の検閲はますます厳重となる。兵士の郵便物はすべて開封され、内容を確かめられた。足手まといの傷病者を、置き去りにするどころか、射殺するようになったのも、捕虜尋問対策である。戦術的には無用な玉砕が敢行されるのも、捕まるならば殺されたほうが日本軍にとって良いとされたからである。
 

(5)何のために戦ったのか?

 
 「鬼畜米英」というスローガンは、ガダルカナル島撤退以降から、メディアで叫ばれるようになった。それまでの日本兵は、敵兵を蔑視する言葉がなかったのである。
 日本人捕虜と接するうちに、米国兵は同じ日本人でも文化格差が激しいことに気づいた。田舎者と都会の者である。
 戦死すれば二階級特進して靖国神社にまつられるのを名誉と感じていたのは田舎者ばかりで、都会の者はそれを信じなかった。
 都会では米国文化は憧れの的であった。昭和初期の都会では、米国映画が大流行していた。例えば、後の首相田中角栄は、従軍時にポケットに米国女優のプロマイドを入れていたことが見つかり、しこたま殴られたと回顧録にある。
 それでは、何のために日本兵は戦っていたのか。
 米国兵の言葉を借りれば「日本兵の賃金は世界中の陸軍でおそらく一番低い」ものだった。下士官ですら故郷への仕送りが許されず、一般兵にいたっては、仕送りする余裕もなかったのだ。
 かくも給料が安いのに、兵士たちの留守家族はどうやって生活をしていたのか。米軍報告書をもとに、筆者は次のように分析する。
 
 日本兵が留守家族の生活困窮について抱いていた心配の解消は政府ではなく「村」すなわち近隣社会の手に委ねられていた。万一兵士たちが敵の捕虜となり、卑怯にも自分だけ生き残ったとすれば「村」は家族への農作業援助を打ち切るだろう。私は、これこそが彼らが投降を忌避した最大の理由のひとつとみるし、米軍もそれを知っていた。
 
 大部分の日本兵にとって、天皇や靖国は遠い存在であり、その信仰心は篤いとは言えなかった。日本軍ほど宗教と無縁な陸軍は珍しいといっていい。そんな彼らが戦った理由は、故郷に残した留守家族のことであり、それを支援する「村」社会を裏切らないためであったのだ。
 

(6)なぜ、玉砕攻撃は繰り返されたのか?

 
「バンザイ!」「バンザイ!」
 そう叫びながら、穴掘り屋と米軍に揶揄された日本兵が特攻をしかける。これが玉砕攻撃である。涙や鼻水をたらしながら攻撃する日本兵を米軍はどう見ていたか。きっと至福の笑みを浮かべただろう。
「最高のハンティングの時間だぜ!」
 個人の射撃は下手で、銃剣術は弱い。そんな日本軍の攻撃など、米軍には恐るるに足らない。無用な作戦である。
 例えば、戦後批判された戦車への「肉攻兵」についても、筆者は狂気の産物ではなく合理的な判断によるものと評価している。実際、朝鮮戦争の際は、日本軍の流れをひく韓国軍が、対戦車の肉迫攻撃で一定の戦果をあげている。
 この「バンザイ突撃」の背後にあるものは、撤退命令が出されなかったことにある。ビルマ戦線では、見事な撤退作戦を行った事例もあるように、偽装が得意な日本兵は撤退戦も不得手ではなかったはずだ。しかし、陸軍上層部は撤退を命令とするという責任を負いたくなかったのだ。このせいで、現場士官に「このまま座して全滅を待つより、いさぎよく総攻撃を敢行し、玉砕することにより、死守の任をまっとうす」と決断するに至ったのだ。責められるべきは、陸軍上層部であろう。
 ただし、大戦末期になると、日本兵は様々な「卑怯」な手を使い始めたという。レイテ島では「偽りの降伏」に何度も遭遇したとある。白旗を振ってきたので射撃を止めて近づくと、隠れてきた兵が発泡してきたというのである。
 破れかぶれの窮余の策であったのかもしれないが、あまりにも姑息すぎる。この一例だけでも「日本軍は卑怯である」と後世に語り継がれても仕方ないであろう。
 

(7)敗戦の原因は「人事」にあった?

 
 「若き将軍の朝鮮戦争」という韓国軍人による優れた回顧録がある。その作者であるペク将軍が、ニミッツ提督と話をする機会があった。米国太平洋艦隊の提督であったニミッツに、ペク将軍はこう質問したのだ。
「日本軍の敗因はなんですか?」
 ニミッツ提督はこう答えた。「人事の問題ですね。硬直化が進んでいたと聞いています」
 日本人ならば、敗戦の理由は「資源がなかった」「補給が確立できなかった」というだろう。このニミッツ提督の答えは、個人的に長らく疑問であった。
 しかし、本書を読めば、本当の敗戦理由は、年功序列制などの「人事」に問題があったとしか考えられなくなる。
 日本がポツダム宣言を45年8月15日まで受諾しなかったのは、ソ連を仲介とした終戦交渉を続けていたからである。すでに、44年のヤルタ密約でスターリンは対日戦争を約束していたのだから、その動向を見抜けなかったのは、日本外交の手落ちであるのだが、戦争の継続には強い陸軍の意向もあった。
「本土決戦をして、勝利の後に終戦に持って行きたい」
 ところが、その本土決戦の計画は、とても勝利をもたらすものではなかった。
 硫黄島や沖縄では様々な悲劇もあり、人命を度外視した作戦がとられていたが、日本軍は善戦したといえるだろう。それは水際での迎撃をあきらめて、内陸で強固な陣地を構えたからだ。日本軍の陣地や偽装の優秀さは、米軍が口をそろえて認めるところである。
 しかし、日本陸軍上層部は本土決戦で「水際撃滅」という意見が多を占めていたのだ。本土を犠牲にしたくないという声もあっただろう。だが、すでに膨大な兵士や民間人が、長期戦のために命を落としていたのだ。「一億総玉砕」と国民に言っておきながら、太平洋戦線でさんざん米国に叩きつぶされた「水際撃滅」を持ち出すとは、正気の沙汰ではない。
 そして、この傾向を米国陸軍は見ぬいていた。「本土防衛戦は大部分が規則通りに行われるであろう」と分析している。
 
 著者は最後に原四郎中佐の言葉を引用する。陸軍幼年学校・士官学校本科・予科、陸軍大学校をすべて主席で通した秀才の大本営参謀・原中佐はこう語る。
 
「ただ一度でいいから勝ちたかった。南九州の決戦、それも志布志湾の決戦で勝ちたかった。意地だった。そして陸軍の最後の歴史を飾ろうと思った。政治は本土決戦によって終戦に移行しようと考えていたかもしれませんが、私の考えは上陸する敵の第一波だけでもいいから破摧(はさい)したかった」
 
 この願望が、水際撃滅論を生み、その勝算なき決戦のために戦争が長期化したのだ。現場の声を無視した「面子を立てたい」陸軍上層部の願望が、撤退命令を出すのをためらわせ、ゆえに戦場では無謀な「バンザイ突撃」が繰り返されたのである。
 
 本書は米軍という敵国から見た日本軍を冷静に分析した本である。それぞれの章には小括があるなど、構造的にも優れていて、すこぶる読みやすい。
 政治や軍事にうとい人でも、本書では学ぶことがあるはずだ。特定の思想にかたよっている人も楽しめるにちがいない。最近読んだ新書の中では、もっとも優れた一冊である。評価はA+。
 

従軍作家・火野葦平の新資料発見  軍と一体と見られていた火野葦平。ところが、今回の調査記録からは火野が戦時中から軍を批判的に見ていたことが明らかになりました。

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火野は記録の中で次のように語っています。
(調査記録)
「軍隊の道義心の腐敗が甚だしかったと思ふ/民家を強奪する兵隊がゐる.ひどいのになると婦女子を侵したりする兵などもゐた」。
こうした軍の様子を目にして火野は戦争の行く末にも悲観的な見方を強めていきました。
聞き取りの記録では軍に対して痛烈な批判を述べています。
(調査記録)
「この戦争はもう負けだどうせ死ぬものならやりたい事をやって死ねといったやうな自暴自棄にもなってゐたと思ふ/軍人の腐敗を見てとても戦争には勝てないと思った」。
 
昭和20年終戦を迎え、その3年後、火野は著作を通じて戦争に加担したとして公職追放されました。
その後も、「戦犯作家」という批判を受けながらも、「花と龍」など新たなベストセラーを出すなど執筆活動を続けますが、53才で自殺しました。
>葦平が一番つらかったのは「あんたは戦争を煽って多くの日本兵を死なせたくせに戦後のうのうと生き作家活動を続け贅沢な暮らしをしている。」
というような批判を受けたことや自分が軍の言われるまま戦争を賛美した作品を作ったことの後悔ではないかと思われます。
 そして53歳で自ら命を絶っています。それは自分でも死んでいった兵士にすまない思いからけじめをつけたかったものと推測します。
火野葦平も戦争の犠牲者の一人です。

従軍作家・火野葦平の新資料発見

8月11日 18時25分
坂田一則記者
戦時中、軍に同行して戦地で作品を書いた「従軍作家」の1人で北九州出身の芥川賞作家、火野葦平。その火野が終戦から3か月後、アメリカから聞き取り調査を受けていたときの記録が見つかりました。記録からは、軍から制約を受けながらも戦地のありのままを書きたいと葛藤する火野の姿が浮かび上がってきました。
北九州放送局の坂田一則記者が取材しました。

“従軍作家”火野葦平

火野葦平は、日中戦争から太平洋戦争にかけて軍に同行しながら作品を書く「従軍作家」でした。
火野は30歳で一兵士として召集されました。
ニュース画像
その翌年、出征前に同人誌に発表した作品が芥川賞に選ばれます。授賞式は戦地、中国・杭州で行われるという異例なものでした。
受賞を機に、火野は陸軍の報道部への異動を命じられます。火野の文才に目をつけた陸軍が引き抜いたのです。それからの火野は陸軍報道部員としてさまざまな作戦に同行しながら戦争のようすを伝える作品を執筆しました。
火野の代表作で、戦場の兵士の日常を描いた「麦と兵隊」をはじめとする“兵隊三部作”は300万部を突破しました。戦地に送られた肉親の様子を知りたいという国民の期待に応え、それが戦意高揚につながっていきました。
ニュース画像

見つかった火野への聞き取りの記録

今回、新たに見つかったのはアメリカの戦略爆撃調査団が行った火野葦平への聞き取り調査の記録です。
ニュース画像
調査は、終戦から3か月後、全国の60カ所でおよそ4000人の市民を対象に行われたものです。アメリカの空襲が市民の戦意にいかに影響したかを調べるものでした。
従軍作家だった火野への聞き取りは、一般市民とは別にスペシャルインタビューという形で行われていました。火野への聞き取りは、戦地から帰国した火野が滞在していた福岡市で終戦のおよそ3か月後の11月24日に行われていました。担当はアメリカから送り込まれた日系人で、日本語で聞き取ったものをその後英訳しています。
調査記録を見つけたのは山口県の高校教諭、梶原康久さんです。高校で日本史を教えながら、地元、下関市の空襲について研究しています。その一環で、国立国会図書館がアメリカ国立公文書館から収集した膨大な調査記録を調べるなか、偶然、火野の記録を見つけました。
調査記録を見つけたときのことについて梶原さんは、「火野葦平が調査団の聞き取りに応じているのかと、それはもう驚きだった。葦平が占領軍に何かを語った資料というのは少なくともないですからね」と話しています。
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6枚の聞き取り記録に書かれた葦平の“声”

火野の証言は報告用紙6枚にまとめられていました。この中で、火野は軍の特別な庇護を受けていたことを語っていました。調査記録には次のように記されています。
(調査記録)
「私は従軍中でもあったので他の作家達よりは、いろいろと便宜も与えられてゐたと思う.火野が書いた物なら、まあ良いだろうといふような事で他の作家の場合削除されそうな所も大目に見て貰へるというような事もあった」。
兵隊三部作の1つ「土と兵隊」は陸軍の全面協力のもと映画化もされました。
火野が軍の庇護を受けながら創作活動を行っていたことを物語っています。映画は人気を博し国民と戦場との一体感を高めました。
文学と戦争との関わりを研究している関西大学の増田周子教授は、「有名作家だから、その作品が国民全体の意識を改革したり同じ方向に向かわせるために利用されることになった」と話し、戦争への国民の支持を得るために軍は人気作家だった火野を積極的に利用したと指摘します。
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軍への絶望

軍と一体と見られていた火野葦平。ところが、今回の調査記録からは火野が戦時中から軍を批判的に見ていたことが明らかになりました。太平洋戦争末期、戦況が日一日と悪化していくなか、火野は戦地での任務を終えて帰国します。そこで目の当たりにしたのは、日本本土の守備を任されていたはずの荒廃した軍隊の姿でした。
火野は記録の中で次のように語っています。
(調査記録)
「軍隊の道義心の腐敗が甚だしかったと思ふ/民家を強奪する兵隊がゐる.ひどいのになると婦女子を侵したりする兵などもゐた」。
こうした軍の様子を目にして火野は戦争の行く末にも悲観的な見方を強めていきました。
聞き取りの記録では軍に対して痛烈な批判を述べています。
(調査記録)
「この戦争はもう負けだどうせ死ぬものならやりたい事をやって死ねといったやうな自暴自棄にもなってゐたと思ふ/軍人の腐敗を見てとても戦争には勝てないと思った」。
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葦平の苦悩

さらに従軍作家として庇護されていた火野にも、著作活動に厳しい制限があったことが記録から分かりました。軍による「検閲」は火野に対しても例外ではなかったのです。
代表作の「兵隊三部作」。これまでも火野自身が検閲で削除されたことを明らかにしていましたが、今回見つかった調査記録で、その数が合わせて50か所以上に上っていたことが分かりました。記録ではみずからの作品が完全なものではなかったとまで語っています。
(調査記録)
「書きたくて仕方のない事は一切書けなかったわけで/小説といっても戦争中にかいたものはどれも完全なものではあり得なかった」。
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みずからが受けた検閲の実態について、火野は戦後、「選集」に寄せた「解説」で次のように記しています。
「日本軍が負けているところを書いてはならない」。
「戦争の暗黒面を書いてはならない」。
「戦っている敵は憎々しくいやらしく書かねばならなかった」。
こうした検閲について関西大学の増田周子教授は「日本軍が悪いように書く、そういうことが許されなかった。自由が無い状態です。そうしたことで非常に画一的な作品しか出されないようになっていきました」と話しています。
北九州市若松区の火野が住んでいた家には、戦前の火野の著作に制限が加えられていたことを物語る資料が残されています。
ベストセラーとなり映画も作られた「土と兵隊」。戦後、再出版される際、火野は戦前出版された本に新たな部分を手書きで加えて原稿としました。そこには日本軍の兵士が中国人の捕虜を殺害する場面が次のように記されていました。
「先刻まで、電線で数珠つなぎにされていた捕虜の姿が見えない.どうしたのかと、そこに居た兵隊に訊ねると、皆殺しましたと云った.見ると散兵壕のなかに支那兵の屍骸が投げ込まれてある」。
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火野の三男、玉井史太郎さんは「これを最初見たときはもうびっくりしました。父としては、自分の見てきたこと、やってきたことをそのまま文章にしたかったのだと思います。軍の制約を知りながらやっぱり書き残しておきたいという思いは、葦平のなかには強かったんだと思います」と話しています。
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終戦、そして、火野の苦悩

昭和20年終戦を迎え、その3年後、火野は著作を通じて戦争に加担したとして公職追放されました。
その後も、「戦犯作家」という批判を受けながらも、「花と龍」など新たなベストセラーを出すなど執筆活動を続けますが、53才で自殺しました。
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8年にわたりみずから体験した戦争。
火野は聞き取り調査の記録の中でこう総括していました。
(調査記録)
「結果から見ると今では負けた事が却って国民にとって幸福だと思っている」。
戦時中、その作品を通じて国民と戦場を結びつけてきた火野葦平。
6枚の調査記録に記されていた火野の言葉には、戦争の現実を伝えきれなかった火野の苦悩がにじんでいました。

戦時の旧日本陸軍を壊滅させた「元祖・ブラック企業」な作戦「インパール作戦」

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日本軍が野戦病院を敷いていたというミャンマーの森林。「昔はこのあたりが白骨だらけだったよ」と話しているの は現地の元・警察署長さん
 
 
 
牟田口中将は、作戦失敗後に上司と責任をなすりつけ合い、戦後にも「独断で撤退した師団さえなければ勝てた」という持論を国会図書館に残している。謝罪なき余生をまっとうしているため、旧日本軍を過大評価するネトウヨからも、さすがにその力量を肯定されることは少ない。

>私の叔父さんもこの馬鹿な牟田口廉也中将の「インパール作戦」で犠牲になった一人です。
 こんな作戦を許可した陸軍上層部の一般人に対する人権無視、人命軽視が根底に有るから無謀な作戦も当たり前のようにほかの前線でも日常的に行われた。
 
この牟田口はビルマからのうのうと生きて帰り畳の上で死んでいる。許せない。

戦時の旧日本陸軍を壊滅させた「元祖・ブラック企業」な作戦

 
日本軍が野戦病院を敷いていたというミャンマーの森林。「昔はこのあたりが白骨だらけだったよ」と話しているの は現地の元・警察署長さん
 終戦から70年目とあって、様々なメディアで、日本がかつて崩壊しかけた第二次世界大戦が振り返られている。その中で、1944年3月に日本軍が行った「インパール作戦」は、現代のサラリーマンにも、強いシンパシーを感じさせる戦いかも知れない。この作戦が、世界中の軍事評論家から「無謀」と酷評されているにも関わらずだ。

 第二次大戦中、南方のビルマ(現・ミャンマー)を占領した日本軍は、長くインドを支配してきたイギリス中心の連合国軍と、ミンタミの山々を挟んで睨み合いを続けていた。

 両軍を躊躇させたのは、「自然の要塞」と呼ばれる険しい山々で、食糧や弾薬を運ぶことが絶望的。しかも、マラリアやデング熱など、様々な伝染病まで蔓延していたのだ。

 ここを、事実上の気合い一辺倒で突破させ、日本陸軍そのものを壊滅に追いやったのが、牟田口廉也中将によるインパール作戦である。動員された約8万5千人の日本軍で、推定3万人が死亡。正常な身体で帰還できたのは、1万人程度だったと言われている。

 牟田口中将は、作戦失敗後に上司と責任をなすりつけ合い、戦後にも「独断で撤退した師団さえなければ勝てた」という持論を国会図書館に残している。謝罪なき余生をまっとうしているため、旧日本軍を過大評価するネトウヨからも、さすがにその力量を肯定されることは少ない。

 戦史学者の荒川憲一氏は「仮に攻め込むにしても、もっと柔軟性に秀でた方法があった」と語る。それでもインパール作戦が選択されたことについては「牟田口中将には戦局への危機意識が薄く、英雄になることに憧れた言動も複数見られます。実行するリーダーの狙いが、組織の狙いと食い違った場合、計画が失敗するのは戦いでよくある話です」と分析した。

 無能なリーダーによる安易な根性論、異常なポジティブ思考の強制など、インパール作戦には、現代のブラック企業に通ずる点が多い。対照的に、これらが極端に欠落した「ゆとり世代」が台頭したのも現実である。この作戦失敗を現代の反省材料にするなら、根性論の否定ではなく、根性と柔軟な発想をハイレベルで融合させることかも知れない。

※8月15日午後7時からフジテレビ系で終戦特番『私たちに戦争を教えてください』がオンエア。筆者らによるインパール作戦ルートへの潜入も放送されています。
<取材・文/善理俊哉>
 

インパール 白骨街道

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強行された作戦

 インド北東部マニプール州のインパールに続く険しい山道。インパール作戦初期の1944(昭和19)年3月に英軍機が撮影した航空写真【時事通信社】
 インド北東部マニプール州のインパールに続く険しい山道。インパール作戦初期の1944(昭和19)年3月に英軍機が撮影した航空写真【時事通信社】
 中国への連合国の補給路遮断を目的に旧日本陸軍が1944(昭和19)年3月、インド北東部の英軍拠点攻略を企図して開始したインパール作戦。
 ほぼ全土を制圧していたビルマ(現ミャンマー)を足掛かりに計画が立案され、国境周辺は険しい山脈と谷が入り組み、補給が確保できないことが予想されながら、進攻作戦が強行された。
 その結果、途中で食料や弾薬が欠乏し、飢えやマラリアなどで戦病者が続出。やがて英、インド両軍の強力な反攻に遭い、作戦は7月、正式に中止され、多数の犠牲者を出しながら、撤退を余儀なくされた。
 病気や飢餓などで死者が相次ぎ、日本兵の遺体で埋まった撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。
 補給のない戦いと、地獄のような退却路を生き延びた元上等兵(静岡市清水区)に、悲惨な体験の記憶たどってもらった。
聞き手:静岡総局 岩間康郎
編集:時事ドットコム編集部
(2015年7月28日)
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 出征前の望月耕一さん(中央)と家族=1942年12月撮影、望月さん提供【時事通信社】
 出征前の望月耕一さん(中央)と家族=1942年12月撮影、望月さん提供【時事通信社】
 元陸軍上等兵 望月耕一さん(90)
 1942(昭和17)年12月に20歳で徴兵された。召集令状が届いたことを聞いたとき、(木になった)ミカンを切っていた。自宅で農業をしていれば満足だった中での知らせ。泣きたいくらいに嫌だった。
 家にはいられず、思わず外に出てしまった。逃げようと思ったが、逃げたら国賊と言われる。従うしかなかった。
 徴兵後、中国へ渡った。そこで、ビルマ方面へ向かう第31師団(烈兵団)の衛生隊車両中隊の指揮班に所属することが決まり、中隊長の伝令を務めることになった。
行く先は自由に選べず、命令通りにするしかない。そう諦めもついた頃、南方の景色の良い場所を想像し、良いことばかり頭に浮かぶ。ビルマに行った方が良いと思い始めた。
 インパール作戦について振り返る望月耕一さん=2015年5月、静岡市清水区の自宅【時事通信社】
 インパール作戦について振り返る望月耕一さん=2015年5月、静岡市清水区の自宅【時事通信社】
 43(昭和18)年夏にビルマのラングーン(現ヤンゴン)に到着。船で向かう途中、沈められた船の帆柱が海中にいくつも見えたが、自分たちの船は一度も危険な目に遭わなかった。しかし、上陸後は敵機の襲来に遭うようになる。灯火管制で暗い中、方向も分からず逃げたことがあった。
 その年の秋ごろ、北ビルマに向かう。途中、汽車に乗ったこともあったが、ほとんどは歩いた。時に機関砲を積んだ戦闘機に襲われ、その度に逃げた。北上して着いたチャンギという山村でインパール作戦の命令を待った。

作戦失敗、撤退へ

 敗走する日本軍を追撃するため、インド北東部マニプール州のインパール渓谷を進む英軍部隊(正確な撮影日は不明)【時事通信社】
 敗走する日本軍を追撃するため、インド北東部マニプール州のインパール渓谷を進む英軍部隊(正確な撮影日は不明)【時事通信社】
 翌1944(昭和19)年3月初旬、作戦開始。
 乾期の山村をインド北東部・インパールの北にあるコヒマに向けて出発するときは、「勝って、カルカッタ(現コルカタ)から凱旋(がいせん)する」と口々に言い合った。
 ところが、道中のチンドウィン川を渡河する際、物資運搬と食用を兼ねて積んでいた牛が船から何百頭も川に落ちて沈んでしまった。
 一時取った(奪取した)コヒマも長くは持たず、補給もないまま周辺で陣を張った。現地での徴発もうまくいかない。
 対する英軍は、空輸を担う飛行機が旋回しながら何十個も梱包した荷物を落下傘で落としていた。水まで空輸していたと聞いた。こちらはただ眺めるだけだった。
 当たると痛いほどの大きい雨粒が目立つ雨期になるにつれ、はやりだした伝染病に感染し、血便が出た。薬もない野戦病院に入ったら殺されてしまうと思い、自然に治るのを待った。5月末に南への撤退命令が出たとき、服も靴も泥まみれでぼろぼろだった。

ジャングルをひたすら歩く

 インパール作戦で撤退するときに使用した飯ごう、水筒、背のうを示す望月耕一さん=2015年5月、静岡市清水区の自宅【時事通信社】
 インパール作戦で撤退するときに使用した飯ごう、水筒、背のうを示す望月耕一さん=2015年5月、静岡市清水区の自宅【時事通信社】
 撤退中、屋根の下で寝た記憶は1度だけ。ジャングルの中で下に落ちた枝を払い、湿った地面に天幕を敷いて休む。弾薬もなく、重いだけの小銃は谷へ投げた。
 飯ごうと水筒と鉄かぶと、ぼろぼろの服を入れた背のうを持ち、とにかく歩いた。はだしでじか履きする軍靴の底は抜け、毛布でぐるぐる巻いて留めた。石が入り、痛かった。
 食料は尽き、生えている菜っ葉にわずかなコメを混ぜたものを食べた。コメが草の間に飛び回る様子から、「ホタル飯」と称した。次々に目標地点が示され、そこまで下がれば食べるものがあると言われたが、かなえられたことはなく、信用しなくなった。ずうっと腹が減っていた。
 まとまって退却していたはずが、気が付くと行方不明になっている者がいた。ジャングルを捜し回ったが、見つけたことはなく、諦めて進んだ。水をくみに沢に行き、喉を潤した後、その上流に目を向けると、日本兵が死んでいたことがある。道端に転がる死体はどれも靴が取られて、はだしだった。
 死んだばかりの人にはウジ虫がわく。やがてハエが真っ黒にたかり、そばを通ると飛び回る。樹上ではハゲタカが待つ。暑さで腐敗が進み、行き倒れた人は数日で白骨になった。10メートルの間に4~5体見つけたことがある。
 夜、ジャングル沿いを歩いていると、何度も白骨死体にぶつかった。どうにもできず、ただ心の中で拝んだ。
 チンドウィン川の渡河地点となるシッタンまでは険しい山岳地帯だった。東側に渡った後は平たんながら暑さがこたえる道のりで、白骨街道と呼ばれた。「もうだめだ」と思うときもあったが、晩夏、拠点イエウにたどり着き、撤退が一段落した。

終戦、忘れられない記憶

 望月耕一さん本人が静岡県から2015年6月に取得した軍隊歴(兵役歴)※写真の一部を画像処理しています【時事通信社】
 望月耕一さん本人が静岡県から2015年6月に取得した軍隊歴(兵役歴)※写真の一部を画像処理しています【時事通信社】
 その後、サルウィン川防衛戦に参加中、河口の町で終戦を迎えた。別部署へ連絡に向かった下士官が帰って来て、「えれえこと聞いた。日本負けたらしいぞ」と言った。
 同じ頃、敵機が日本語で終戦について書かれたビラをまいてきた。がっくりと力が抜けた。周囲はぽかっと口を開けていた。
 約2年間、ビルマで抑留捕虜となり、1947(昭和22)年6月に復員した。それまで、何度も帰国する船が出るうわさを聞いていたから、ラングーンに集合したときもまだ信用できない。船に乗り、北極星が見えて北に向かっていることを知ったとき、日本が近い、とありがたくなった。
 衛生隊で将校伝令をしていたため、直接、戦闘に加わったことはあまりない。ただ、インパール作戦からの撤退はあまりにひどくて、忘れたくても忘れられない。地獄の退却と思い、見たことを本に記した。
 道中、考える余裕も何も無かった。農業をして山道にも慣れていたせいか、下士官らに「元気だなあ」と言われたことを覚えている。みんな助かるつもりで頑張ったけれど、病気だなんだに勝てなかった。生死の分かれ目は運だったと思う。

謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠

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なんと非生産的で退嬰的な現状だろうか。もちろん、中国や韓国のように、建国の経緯から日本を執拗に悪者にし続けなければ正統性が保てない国もあるが、どうしてそんな相手国の勝手な事情にこっちが付き合わなくてはならないのか。
 過去しか見ない人たちと、あるべき未来を見据えた人たちのどちらが国益に沿うかは論を俟たない。未来は、過去を懐かしむ人のためにあるのではない。これからを生きる人のものである。
>支那と半島とは出来るだけ関わるな、粛々と防衛力をつけ相手に隙見せないことのみに政策変更せよ。
 しかし日本は売国自由の世界でも希な国だからそのことさえ難しい。
 
 明治以降これらの国と深く関わったことが日本の最大不幸だったことに気がつかなければならない。
 
 
謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠比

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 「もはや戦後ではない」
 経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述したのは昭和31年、今から60年近く前の話である。当時の鳩山一郎首相の孫で、ルーピー(クルクルパー)と呼ばれた鳩山由紀夫元首相が政界を引退してからも、すでに随分たつ気がする。
 昭和60年の施政方針演説で中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、はや30年が経過した。あの時代を象徴したこの言葉も、もうあまり思い出されることもなくなった。
 それなのに、日本はいまだに「戦後」という堅牢な枠に閉じ込められたままだ。今年はメディアや国会で「戦後70年」が強調されており、戦勝国はお祭り気分ではしゃいでいるが、筆者はこの言葉を使うこと自体に抵抗を覚える。
 なぜなら70年と言えば、人が生まれて学校へ通い、社会に出て年金受給者となる時間をさらに上回る長い歳月なのである。にもかかわらず「戦後」はいつまでたっても終わらず、日本はいつまでたっても内外で敗戦国、敵国の扱いに甘んじている。
 なんと非生産的で退嬰的な現状だろうか。もちろん、中国や韓国のように、建国の経緯から日本を執拗に悪者にし続けなければ正統性が保てない国もあるが、どうしてそんな相手国の勝手な事情にこっちが付き合わなくてはならないのか。
 やはり、安倍晋三首相が第1次政権時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」が必要である。これからの日本を背負う世代は、偽善と自己愛に満ちた内向きの反省と自虐の中に閉じ籠もることはやめ、国際社会で自国に自信と誇りを抱き、堂々と前を向いてほしい。
またぞろ蠢く謝罪マニアの面々
 今年は、日本が新しい時代を前向きに生きるための第一歩にしたい。そして、今度こそ本当に、高らかに「もはや戦後ではない」と内外に宣言しなければならない。
 ところが、左派メディアも野党も相変わらず思考停止し、「過去」に拘泥している。安倍首相が今夏に出す戦後70年談話について、戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の踏襲を求め、「植民地支配と侵略」や「心からのお詫び」などの文言をそのまま使うべきだと感情的に主張している。
 揚げ句、戦後70年談話に関する有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理(国際大学長)までが3月のシンポジウムで「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と言い出す始末だ。
 さながら啓蟄前後から、日本中の謝罪マニアが土中から這い出て一斉に踊り出したかのようで、かまびすしいことこの上ない。
「こうなったら、談話では『侵略』『植民地支配』などのいわゆるキーワードは使わずに、いっそ修辞を凝らした『文学』にしてやろうかと思っている」
 政府高官は周囲にこう話している。例えば安倍首相は平成26年7月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、次のように深い哀悼を示すにとどめた。
「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」
 
その結果、明確な謝罪などしなくても、安倍首相の演説はオーストラリア議会に受け入れられ、大きな拍手を受けたのである。何も特定のキーワードにこだわる必要はなく、全体としてどういうメッセージを伝えるかが大事なのだ。
 ちなみに安倍首相は、終戦の日である8月15日の全国戦没者追悼式での式辞でも、近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」を踏襲していない。オートマチックに前例通りにあいさつするより、よほど意を尽くしたと言えるのではないか。
 また、政府高官は北岡氏の「侵略」発言についてもこう突き放している。
 「まあ、北岡発言は関係ない。自分で『侵略した』なんて言う国は日本しかない。だって果たして日本は英国を侵略したのか。何で当時、オランダがインドネシアにいたのか。日本が侵略したというのなら、欧米中が侵略していたということになる」
侵略という言葉にこだわる愚
 そもそも、「侵略」という言葉に明確な定義はない。意味があやふやな政治的な言葉が、どうして70年談話の必須キーワードであるかのようにすり替えられたのか。
 安倍首相が国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁すると、メディアや野党は「侵略否定だ」「村山談話の否定だ」などとまるで大失言・暴言であるかのように騒ぎ立てた。だが、当の村山富市元首相自身が首相時代の平成7年10月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである
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 「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」
 麻生太郎内閣時代の平成21年4月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。
 「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」
 さらに民主党の野田佳彦内閣時代の平成24年8月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相もこう指摘した。
 「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だから、なかなか明確な定義というものができないのかなと」
 つまり、安倍首相は従来の政府見解を答弁しただけだったのに、内外のメディアなどから異様なバッシングを受けたのである。この問題をめぐっては、岸田文雄外相も4月1日の参院予算委員会でこう述べた。
 「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」
 ところが、これまでさんざん安倍首相の答弁を批判してきた多くのメディアは、この岸田発言に関しては取り上げなかった。これまでの安倍首相批判記事との整合性がとれなくなるので、一斉に「報道しない自由」を行使して逃げたのだろう。
 この侵略の定義をめぐっては、伊藤隆・東大名誉教授が最近、鋭い指摘をしていたので、他誌(隔月刊「歴史通」5月号)ではあるが紹介したい。インタビュー記事の中で伊藤氏はこう述べている。
「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です」
 なるほど納得できる。一方、この程度の抽象的な内容しかない「侵略」言葉をさも事の本質、一大事であるかのように書き立ててきた記者や論説委員は、自分の頭でものを考えたり、事実関係を調べたりしたことはあるのだろうかと疑問に思う。
 いずれにしろ、安倍首相はこんな言葉は重視していないし、戦後70年談話で使うこともないはずである。
中韓に好餌与える談話と訣別せよ
 植民地支配、侵略、お詫び……などの言葉にこだわり、それらを使えば使うほど日本は「戦後」にからめ取られ、戦勝国と敗戦国という枠組みは固定化されていく。日本にとって有害無益であり、戦勝国を偽装する中国や韓国を喜ばすばかりだ。
 そしてその枠組みの半永久的な固定化について、意識してか無意識にか日本の左派メディアが率先して尖兵の役割を果たしている。彼らは左派言論が全盛で何を言っても書いても許された「戦後」によほど愛着が強く、もはや幻となりつつある戦後のぬるま湯にまだ浸かっていたいようだ。
そんな彼らより、安倍首相の前述のオーストラリア訪問時での共同記者会見で、次のように訴えたアボット首相の方がよほど客観的かつ建設的だ。
「日本にフェア・ゴー(オーストラリアの公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、日本は法の支配の下で行動をとってきた。『日本にフェア・ゴーを』とは『日本を公平に見てください』ということだ」
 韓国の朴槿恵大統領が、2年前の3月の演説で言い放った「加害者と被害者という立場は千年の時が流れても変わらない」というセリフとでは月とすっぽんである。どちらが日本の友邦としてよりふさわしいかは、いまさら言うまでもない。
 韓国は「戦後」どころではなく、千年だってさかのぼって謝罪しろと主張しているわけだ。だが、そんなことを言えば、日本は元と高麗の連合軍による元寇の被害者である。
 長崎県の離島、対馬や壱岐の住民は元寇で虐殺され、女性は手に穴をあけてそこに縄を通しつながれ拉致された。
 このときの元・高麗連合軍の残虐非道さは、言うことを聞かない子供を脅かす文句「ムクリコクリ(蒙古・高句麗)が来るぞ」となって記憶されている。
 しかも、歴史作家で徳島文理大学大学院教授の八幡和郎氏によると、高麗は「現実の来襲のときにはむしろ(元を)けしかけたのだし、主力でもあった」(「誤解だらけの韓国史の真実」)とされる。
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 だから朴氏のセリフが仮に普遍的で正しいものだというのなら、日本人はいまだに韓国をうらんでいて当然だということになる。2度目の元寇である弘安の役からは、まだ734年しかたっていないからだ。本当に日本は隣国に恵まれていない。
 韓国のありようは、反面教師としてわれわれ日本人に、過去にばかり目を向けることの愚かしさ、無意味さを教えてくれる。
 歴史を学ぶのはそれを教訓として、あるいは未来をよりよいものにするヒントとして活かすためであり、決して過去の歴史に閉じ籠もるためではない。また、どこかの国に永遠にわび続けるためではないのも当然だ。
 そもそも、事実関係に基づかない贖罪意識や、国際関係全体の動向に目を向けない局地的・例外的な謝罪外交にどんなメリットがあるというのか。
 安倍首相による戦後70年談話は、いたずらに感傷的に自虐的に過去を振り返ることで、中国や韓国の思うつぼにはまってきたこれまでの日本と決別する内容であってほしい。
新しく生まれ変わる好機に
 昨年は、戦後レジーム派の拠り所である朝日新聞が慰安婦問題をめぐる一連の誤報、虚報について初めて認めて謝罪した。
 ありのままの現実を直視せずに、連合国軍総司令部(GHQ)製の憲法前文をはじめとする非現実的な観念とイデオロギーに従って言論界を歪めてきた彼らの堤防が、ようやく決壊を始めた記念すべき年だった。
 だからこそ朝日の凋落に焦り、脅える戦後レジーム派は、今も彼らが黄金時代を過ごした「戦後」にすがっている。
「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」
 これは平成19年の全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長(当時)が述べた式辞である。明らかに安倍首相(同)が提唱した「戦後レジームからの脱却」を当てこすっている。その河野氏も今や、ろくな根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話の虚構性が明らかになったことや、関連して自身が多くの嘘や誤魔化しを語り続けてきたことが白日の下にさらされ、一部のメディアにしか登場しなくなった。
 彼らは、憲法、その解釈、安全保障体制から児童・生徒の教育方針、官公労のあり方まで、前例墨守を金科玉条にしている。だからこそ、彼らの最後の砦であり居心地のいい住み処であった「戦後」は超克されなければならない。
 「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないか」
 「日本が歩んできた70年の道のりをもう一度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこう」
 安倍首相は4月2日の「二十一世紀構想懇談会」第3回会合で、こう発言した。戦後70年を系統立てて振り返り、その道程と意義を再確認することを通じ、日本の将来を担う若者や子供たちのためにも「戦後」ではない「新しい時代」をつくっていきたい。
 
今年は、戦勝国のお祭りの年である。だが、敗戦国である日本にとっても、新たに生まれ変わるチャンスの年でもあると思う。
 過去しか見ない人たちと、あるべき未来を見据えた人たちのどちらが国益に沿うかは論を俟たない。未来は、過去を懐かしむ人のためにあるのではない。これからを生きる人のものである。
※この記事は月刊正論6月号から転載しました。(6月21日掲載)
 産経ニュースが日々お届けするウェブ独自コンテンツの「プレミアム」。人気のあった記事を厳選し、【メガプレミアム】として再掲します。人物の年齢や肩書き、呼称などは原則として掲載時のままとなっております。

巨大組織陸軍暴走のメカニズム:日本人はなぜ戦争へと向かったのか

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日本人の欠点、上層部が責任回避する体質いつも蜥蜴の尻尾切りでバカを見るのは末端の人間。
政策(企業でも)の大きなミスは国民につけが回っていくシステム。
陸軍ではそれが最たるののだった。
 
 

巨大組織陸軍暴走のメカニズム:日本人はなぜ戦争へと向かったのか


NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」の第二回目は、「巨大組織陸軍暴走のメカニズム」と題して、日本陸軍に焦点をあてていた。

外交を担当した指導者たちの間で無責任体質が染み渡っていたのと同じように、陸軍にも構造的な無責任体質があったことを検証した番組だ。外交の無定見が日本の国益を大きく損なったことは言うまでもないが、軍という特別な組織の無責任体質は、国を直接滅亡に追いやるわけだから、いっそうたちが悪い、というより致命的なことだ。

番組は前回と同じように、陸軍の指導者たちの直接の証言記録を紹介しながら、検証を進めていく。海軍の指導者たちが、戦後自分たちの犯した過ちを組織的に検証した「海軍反省会」の記録に比べれば、散発的かつ断片的なようだが、それでも陸軍という巨大組織の内部実態について、いくばくかは伺い知ることができる。

番組はまず、元陸軍中将鈴木貞一の証言から始めていた。陸軍内の有力派閥一夕会の立ち上げに深く係った人物だ。一夕会は東条英機や石原莞爾といった人物を出し、日本を無謀な戦争に引きずっていく上で大きな役割を果たしたことで知られる。その産みの親ともいえる人物の証言だから、資料としては第一級の価値がある。

鈴木によれば一夕会の理念は陸軍の改革だったということのようだ。その理念を最も強烈に抱いていたのが永田鉄山で、彼は1921年ごろ、ヨーロッパ諸国の陸軍を研究する過程で、これからの戦争は国をあげた総力戦になるとの確信を抱くに至った。その総力戦を戦うためには、軍隊も近代的な組織として生まれ変わらねばならぬ。

永田は、軍の改革を阻んでいるのは、山県有朋に象徴される藩閥体制の名残だととらえた。そいつを打破して近代的な組織作りを進めることが必要だ、こう主張した。一夕会はこんな永田を中核に形成され、陸軍内部で大きな勢力を築くようになる。

だが彼らの言う改革とは、シビリアンコントロールを無視して、陸軍の狭い利害観念に基づいて戦争すること、つまり陸軍の独断専行がまかりとおるような体制を作ることだった。彼らは日本の国益よりも、自分たちの狭い利益を優先したというわけだ。その結果、日本の軍事政策は迷走に迷走を重ね、ついに勝ち目のない戦争の泥沼にはまっていく。

満州事変は、関東軍による独走だったことが、今回の記録に基づいて、改めて裏付けられた。板垣や石原は中央の意向を無視する形でこの戦争を始め、その後もずるずると戦線の拡大ばかりを画策した。

石原らが勝手なことをやって「手柄」をあげると、それを妬んで同じようなことをする人間が現れる。天津軍を指揮していた酒井隆はそのよい例だ。彼は後に国民党政権によって南京事件の責任を問われ、悪質な戦犯として処刑された人間である。

酒井は、石原の真似をして、中央政府の意思を無視して勝手放題なことを始める。天津は満州よりも戦略的な価値が高い地であるから、ここを軍靴で蹂躙するようなことをすれば、どのようなことになるか。結果は余りにもあきらかなのに、酒井にはそんなことは何の意味もなさない。最大の関心事は、自分の功名だけなのだ。

こうした日本側の動きに、蒋介石は怒り狂った。彼は日本人が中国を属国化させるつもりではないかと危ぶんだのだ。

このあたりまでは、日本軍もまかりなりにも組織としての体裁を失ってはいなかったようだが、永田鉄山が暗殺されたのを契機に、派閥争いが猛烈な勢いではびこる。陸軍は日本という国の有機的な一部分ではなく、権力を巡って互いに相争う餓鬼どもの一団といった有様を呈するに至る。

彼らは対外的には陸軍の利益を優先させ、陸軍内部では派閥抗争にあけくれていたわけだ。東条英機などは、世界になんら遠慮することなどはない、自分たちの利益こそ至上のものなのだと、普段から言ってはばからなかったということだ。その「自分たち」とは、派閥のことを意味していたことは、残念ながら否定しえないことのようだ。

こんな組織で世界を相手に戦争しようというのであるから、結果は目に見えている。海軍の無責任ぶりは、ほかならぬ当事者たちも認めるところだったが、陸軍の場合には、責任を云々することさえおこがましくなるような、メチャクチャな状況が生じていたわけである。

永田鉄山らは、山形有朋に象徴される旧い陸軍を鍛えなおそうとしていわゆる改革に走った。だがその改革なるものを担う人材が陸軍には育っていなかった。青二才とも言うべき連中が、いきなり巨大な権力の運用を任される形になったのだ。彼らのやったことは、その権力を乱用して、国民を誤った道に追いやったことだ。

日本人にとっては、実に不幸な出来事だったといわざるを得ない。

憲法は国の生存に優先するのか 国際情勢に無頓着な論争はやめよ

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もちろん国際法に違反して他国の主権を侵害したことに疑問の余地はない。世界のほとんどの国はイスラエルを非難した。しかし、イスラエルは生存を犠牲にしてまで国際法を守ろうとはしない。
六法を片手に合憲か違憲かを口角泡を飛ばして国会で議論する日本を笑っている国は、ユーラシア大陸の国々だけではないと思う。
>日本人のサヨクだけでなく世界情勢がわからない連中の多さにはほとほと嫌気がさす。

憲法は国の生存に優先するのか 国際情勢に無頓着な論争はやめよ - 田久保忠衛(杏林大学名誉教授、日本会議会長)

 国際情勢を50年ほど観てきて、つくづく島国と、戦略眼を持った国々との言動の差が、とてつもなく開いていると思う。とりわけ、東シナ海に緊張感が高まっているにもかかわらず、国会審議は集団的自衛権の限定的容認は憲法違反かどうかに明け暮れている。

 イスラエルは、サダム・フセイン大統領全盛時代の1981年6月7日にイラクの原子炉を、2007年9月6日にはバッシャール・アサドが君臨するシリアの核施設をいずれも急襲し、完全に破壊してしまった。

 イラクもシリアもイスラエルの存在を認めていない。その両国が核を持つことは自国の生存にかかわるから先制攻撃をしたのだと、イスラエルの指導者は公言した。いわゆる「先制的自衛」である。

 もちろん国際法に違反して他国の主権を侵害したことに疑問の余地はない。世界のほとんどの国はイスラエルを非難した。しかし、イスラエルは生存を犠牲にしてまで国際法を守ろうとはしない。

 日本がイスラエルだったら、おそらく生存を犠牲にしても国際法を遵守するであろう。とくに、最近の安全保障関連法案の国会審議を観察していると、国の安全などおかまいなしに、憲法を優先の議論がまかり通っている。例を見ない倒錯した議論に国民の多数がのめり込んでいる。

 憲法論議は大いに結構だが、国際社会に全く無頓着な論争を繰り返しているうちに、国家がつぶれる例はいくつもある。マンモスがいまとは反対に地球が冷却化しているのを知らずに死滅したように、ソ連は24年前に崩壊した。

 共産主義の矛盾が極限に達したのと、滅茶苦茶な軍拡にブレーキがかからず経済が支えきれなくなったのが原因だ。ゴルバチョフ大統領もエリツィン大統領もそうなることは知っていたが、勢いがつくと人知ではどうにもしょうがなくなる。

 野党議員にいくら説明しても納得してもらえないだろうが、国際情勢の中で戦後初めてと言っていい地殻変動が生まれている。

 一つは、中国の領土的膨張がとどまるところを知らない事実である。もちろん世界第2のGDP(国内総生産)と最大の人口を有する中国との経済関係は、いかなる国も無視できないのだが、安全保障面では、はっきりした脅威になりつつあるこの国とどう向き合うかを日本は曖昧にしてきた。

 第二は、米国とりわけオバマ政権第2期から米国には、安全保障面で他国の紛争になるべくかかわりを持ちたくないとの「内向き」の傾向が濃厚になってきた。問題は米中両国の間にある日本はどうするのか。劇的な国際情勢の変化にどう対応するかを考えると、異常なほどの緊張感を抱かないわけにはいかなくなる。

 戦後の日本は日米安全保障条約が国家の安全を維持する基盤であった。米国によって軍事的に支えられ、ユーラシア大陸から受ける軍事的圧力に対抗してきたのである。ロシア、北朝鮮、中国の脅威である。

 その脅威の中で、とくに中国は異常なほど軍事面、経済面で勢力を増大させてきた。南シナ海で人工島の建設、東シナ海でプラットホームの仮借のない構築を続け、そこを軍事的に利用しようとしている。その近くを日本が使用しているシーレーンが通っている。

 中国政府は繰り返し、航行自由の原則は犯さないと言明しているが、近くに軍事的プレゼンスがあるだけで、日本側は中国に気を使わなければならない状況に追い込まれることに気付かなければならない。

 頼みの綱は米国だが、オバマ大統領は、「米国は世界の警察官にはならない」と宣言し、中東、ウクライナ、アジア太平洋地域でのトラブルに「話し合い」を強調してきた。「イスラム国」との戦いにも地上戦闘部隊の投入は回避し、米軍事顧問はイラク軍の訓練、作戦の指導にあたるだけで、攻撃は無人機に頼っている。

 2年前に訪日したときにも、尖閣諸島について、「日米安保条約第五条は日本の施政権の及ぶところに適用する」と述べはしたが、領土問題解決はあくまでも当事者間で平和的に行うべきだとの原則論から一歩も前進していない。

 集団的自衛権の行使は憲法違反だと連日国会で大騒ぎしていられる国際情勢か。日本に迫りくる危機は中国、北朝鮮であって、安倍首相ではないだろう。日米関係の強化は日本の生存のため必要不可欠で、日本が米国の「内向き」で空いた部分の役割を演じなければならないのは当然ではないのか。

 集団的自衛権の行使を違憲だという憲法学者たちは、その論理の続きに、「だから憲法改正が必要」と主張すれば整合性はあるが、ほとんどの人々は護憲派だというのだから、話のつじつまが合わない。

 九条を改め、「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため」国軍をつくらなければ日本は危ない。

 外部からの武力攻撃だけでなく、内乱、大規模テロ、すでに予想されている直下型大地震などの自然災害、これまで夢にも考えられなかった重大なサイバー攻撃などを想定して、内閣総理大臣には緊急事態を宣言して対応できる権限を与える緊急事態条項を憲法に盛らなければ日本の安全は確保できない。

 六法を片手に合憲か違憲かを口角泡を飛ばして国会で議論する日本を笑っている国は、ユーラシア大陸の国々だけではないと思う。(2015年8月17日号 週刊「世界と日本」第2059号より)

《たくぼ・ただえ》1933年、千葉県生まれ。
1956年早稲田大学法学部卒業、時事通信社入社、那覇支局長、ワシントン支局長、編集総務兼外信部長、編集局次長などを歴任。1978年から杏林大学教授、現在同大名誉教授。法学博士。日本会議会長。1996年正論大賞受賞。著書は『戦略家ニクソン』『激流世界を生きて』『憲法改正、最後のチャンスを逃すな!』ほか多数。

戦後70年 なぜ今、憲法改正が必要か - 百地章氏(日本大学法学部教授)

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、現在の自衛隊はあくまで「軍隊」ではないとされているから、ポジティブ・リスト方式を採用している。そのため、自衛隊法で認められた「防衛出動」の場合を除けば、外国の武装ゲリラが強行上陸してきても、自衛隊は出動できない。これでは、尖閣諸島も守れないであろう。
>根本的な欠陥が現行の憲法にあるが改正の道のりは遠いようだ。
 
 
 

戦後70年 なぜ今、憲法改正が必要か - 百地章氏(日本大学法学部教授)

<私の憲法論 第一回>

 憲法改正がいよいよ現実味を帯びてきた。来年の参院選と同時に憲法改正国民投票を目指す国民運動が始まり、自民党の平成27年の運動方針にも、国民投票を視野に「賛同者の拡大運動を推進する」ことが謳われた。

 日本国憲法は、制定されてから今年で69年になる。しかも制定後、一度も改正されていない。そのため、憲法と現実との間にさまざまなギャップが生じていることは、多くの国民が感じているところである。

 また現行憲法は、当初からさまざまな不備や欠陥を抱えている。それゆえ、各種世論調査でも憲法改正を支持する声が上回っている。また、現行憲法は連合国の占領下にあって、GHQが日本を弱体化し無力化するために強制したもの、つまり占領憲法である。

 それゆえ、内容だけではなく手続き的にも重大な欠陥があるから、わが国を真の独立国家として再生させるためには、どうしても憲法を抜本的に見直す必要がある。

 日本国憲法に決定的に欠けているのが「国家観」と「家族観」である。つまり「個人」を絶対視し、「国家」も「家族」も無視ないし軽視してきたのが、日本国憲法であるといっても過言ではなかろう。これでは、国が混乱し、家族が崩壊するのも当然であろう。

 現在の憲法には、「政府」は登場しても歴史的、伝統的な「国民共同体としての国家」とか「運命共同体としての国家」は見当たらない。

 建国以来、皇室を中心に2000年以上にわたって発展を遂げてきた国家、歴史・文化・伝統を共有する「国民共同体としての国家」はどこにも出てこない。

 つまり、日本国憲法の最大の問題点は「国家不在」「国柄不在」にある。したがって憲法に、誇りある日本の国柄を盛り込み、国民に自信と誇りを取り戻させる必要がある。

 現行憲法の最大の欠陥は、国家的な緊急事態に対処するための規定、つまり緊急事態条項が存在しないということである。例えば、大規模テロや大規模自然災害に対する備えが何もない。

 先般、ISIL(アイシル)いわゆる「イスラム国」において、日本人の人質2人が殺されるという痛ましい事件があった。ISILは、日本におけるテロまで予告しており、今後いつテロが起こるか分からない。

 2001年、アメリカの同時多発テロを起こしたのがアルカイダであったが、オサマ・ビンラディン容疑者が殺害された2011年、アルカイダは世界に向けて復讐テロを宣言した。その時、懸念されたのが、わが国の原発テロであった。

 東日本大震災のダメージを受けたことで、当時、福島第1原発は世界中で最も攻撃が容易なターゲットとなっていたからである。しかも発電所の周辺住民は皆すでに避難していたし、周辺の警備も手薄だったから、テロリストたちが復旧作業員に紛れて侵入することも可能であった。

 もし原発テロが行われていたら、どうなったか。幸い、この時は何事もなく済んだが、現在でも危険な状況は変わっていない。原発は、自衛隊の警護対象にもなっていないからである。

 他方、大規模自然災害であるが、あの平成23年3月の東日本大震災の時にも、さまざまな問題が浮上した。

 例えば、ガソリンが不足したため、緊急車両が動けなくなり、助かるはずの多くの命が失われている。また、津波に流されたガレキの処理をめぐって、所有者の了解を得ないまま処理したら、憲法の保障する財産権の侵害に当たり、憲法違反であるなどといった議論もあり、なかなか処理が進まなかった。

 これらは、いずれも憲法に緊急時のための特別の規定がないからで、速やかな改正が必要である。各国とも、国家的な緊急事態に備え、危機を乗り切るための規定を憲法に定めている。先進国で、緊急権の認められてない憲法は存在しない。

 今回のような緊急事態、あるいはそれ以上の緊急事態、例えば首都直下型大地震はいつ起こるか分からない。そのような緊急事態の中で、もし、国会が集会できないような大混乱が生じた場合どうするのか。

 さらに、憲法第9条は1項で侵略戦争を放棄し、いわゆる平和主義を宣言、さらに第2項で「一切の戦力の保持を禁止」している。

 その結果、憲法上、自衛隊はあくまで「軍隊」ではなく、警察組織に過ぎないとされている。「軍隊」の権限は「ネガティブ・リスト」方式で規定される。

 つまり、やってはいけない事柄、例えば非人道的兵器の使用禁止、捕虜の虐待禁止、あるいは非軍事施設への攻撃の禁止、こういった事柄を国際法に列挙して禁止し、これに反しない限り「軍隊」は、主権と独立を守るため自由に行動できる。

 これに対して警察の権限行使は「ポジティブ・リスト」方式で行われる。

 つまり、法律に書かれていることしかできない。原則として制限的なものとされており、警察権の発動は、その障害を除去するため必要最小限度にとどめられなければならない。

 この点、現在の自衛隊はあくまで「軍隊」ではないとされているから、ポジティブ・リスト方式を採用している。そのため、自衛隊法で認められた「防衛出動」の場合を除けば、外国の武装ゲリラが強行上陸してきても、自衛隊は出動できない。これでは、尖閣諸島も守れないであろう。

 したがって、速やかに第9条2項を改正して、自衛隊を「軍隊」とすることが不可欠である。これが自衛隊を正式に「軍隊」としなければならない最大の理由である。

 今年は終戦70年という節目の年である。戦後70年もたって占領憲法を一字一句改正できないようでは、英霊に申し訳ないと思う。その意味でも、今こそ、憲法改正が必要である。 (2015年4月6日号 週刊「世界と日本」第2050号 より )

《ももち・あきら》 昭和21年、静岡県生まれ。京都大学大学院修士課程修了。法学博士。専門は憲法学。現在、日本大学法学部教授、国士舘大学大学院客員教授、比較憲法学会理事長、「民間憲法臨調」事務局長、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」幹事長、産経新聞「正論」執筆メンバー。著書に『憲法の常識 常識の憲法』、『憲法と日本の再生』、『新憲法のすすめ』など多数。

SEALDs今村幸子さんについての反論を述べます。

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SEALDs今村幸子さんについての反論を述べます。
 
先ず1点目
まず一つ目は、憲法に違反しているからです。
 政治家は、法律を作ったりするのが仕事なのであって、憲法の専門家ではありません。ずっと何十年も憲法について研究し、考えることでご飯を食べてきた憲法学者の9割以上が『違憲』と言っているのに、どうして合憲だと言い切れるのでしょうか。
 日本の最高裁には、政治的に高度な問題だからと言って、政権のやることに対し、判決を下すのを逃げるおかしな風潮がありますが、明らかに違反していることを、総理大臣だからといって勝手な解釈を許されるだなんて、法治国家であることを放棄するようなものです。社会の基盤が、日本の秩序が、ガタガタになってしまいます。
 二つ目は、民主主義に反しているからです。
>憲法学者は国を守ってはくれませんよ。
そもそも9条の2項そのものが軍隊を持つなということ自体が国連憲章の自衛権の否定するもので
間違っている。だから前提がおかしいのに気づいていない
2点目
ある国が攻めてくるかもと思って軍拡を行うと、それを見た他の国も、こっちを攻めてくる気なのかなと思って軍拡をして、その動きを見てまた、といった連鎖の結果、戦争が勃発するというものです。つまり、自国の安全保障度を高めるためにした軍拡が、結果的に、相互の安全保障度を低めてしまうのです。
これによって起こった戦争は数多あります。だいたいの戦争が、相手が攻めてくるかもと片方が疑心暗鬼になるところから始まっていることが多いです。アメリカに尽くしまくれば国際社会での立場を上げてもらえたり、いざという時に日本に利するように動いてくれるかも、と思っているのかもしれませんが、それはないかと思います。
 国のトップというのは、自国の利益のために冷静に合理的な判断をくだすもので、国益にならないことはしません。残念ながら、国とはそういうものです。
>ここでも決定的に誤解があります。昔の戦争では互の戦力が拮抗し疑心暗鬼になって行われた戦争もありますがそれでもほとんどが一方の軍事的優位が優ったときに弱い国を我が物にしようとして行われるものが圧倒的に多いのです。
それはそうでしょう戦争しても勝てるかどうかわからないときは人は負けたときのことも考えます。
もし負けたら自分の命がなくなるのですから。当然抑止力が働きます。
戦争は覇権国家に簡単に武力で攻め取られると思われた時に一番良く起きます。過去ロシアから侵略され属国となった国はすべてがそうで数十カ国にものぼります。
戦争は覇権国が最も手軽に利益(相手国(民族)の財産を戦争賠償のもとに分捕ったり、人そのものを奴隷的に扱いそこから利益を得ることも可能)を自分の国にもたらし国民からも権力者は人気を得るものですから一度成功したらやめられません。
イギリスやアメリカ、スペイン、オランダ、ポルトガルから攻め込まれた国々も多数です。しかし、戦勝国はそれを決して侵略したとは言わない勢力拡大と言って、敗戦国の日本やドイツに対してのみ「侵略した」と非難し犯罪者扱いするのです。
 戦後においても中共の餌食となった国や少数民族はチベット、ウイグルだけでなく十を超える数にものぼります。
 それらの民族は決して漢民族の支配を望まなかったにも関わらずです。
 支那はそれ国内問題と言って他国からの非難を内政干渉と言ってはねつけます。
中共の武力の前には正義正論言論など全く役には立たないのです。また支那には世界の良識が通用すると思っているあなたは歴史を知らない。
以下の九評中国共産党の本質よく読まれたい。 
 
 あと日本の戦争について、日清戦争は日本と清が朝鮮を支配下に置こうとして起きた戦争、日露戦争はロシアが弱小国日本をひとひねりで潰そうとして起きた、これこそ自衛のための戦争、当時の日本財政的にも弱く(戦争は金がないと出来ない)アメリカユダヤ人からの借金でかろうじて戦争ができた。
その後の満州国建設は当時の満州は支那の国の勢力範囲にはなく軍閥(盗賊)支配する地域だった。
そこを日本が平定したから満州は経済が豊かになり人口も劇的に増えた。
日本が戦勝国だったら侵略したとは言われなくて済んだ。
 この満州攻略で手柄を立てた石原莞爾があと軍部でもてはやされ、のちに能無しの指揮官が無謀な作戦をたて多くの兵士、国民の命を奪った。
 当時の日本軍部はごご存知のように非常に好戦的で自分の国の国民の人権や命は鳥の羽のように軽いと考えていたクソ軍部です。
 満州でも真っ先に逃げたのは関東軍司令部です。沖縄でも住民の命は二の次にされたのが事実です。(兵士の中には懸命に守ろうとした兵士がいたのも事実)
支那やアメリカとの戦争はまさに無謀な馬鹿な行動だったのは言うまでもない。
 日本のサヨクの戦争嫌い、軍隊嫌いはここら生じている、それも分かるが、平和憲法で日本は絶対に守れないし逆に他国から舐められ(このナメられるというのが一番危険)侵略を招くことは歴史から学ばねばならない。
「愚者は経験で物事を判断し賢者は歴史から判断する。」
 
スピーチ全文掲載】SEALDs今村幸子さん国会前で訴え記事をクリップする
【スピーチ全文掲載】「私は母が末期ガンと分かってから、毎日『お母さんが明日死ぬかも』と思って過ごした。自衛隊員や家族の方にあんな思いをしてほしくない」SEALDs今村幸子さん国会前で訴え


 「人が死ぬのは悲しいから、私の大好きな友人が、家族が大事だから私は安保法制と安倍政権に反対します」――。
 2015年8月7日(金)、安保関連法案に反対する学生ら有志「SEALDs」が主催する国会前抗議で、日本大学芸術学部3年生の今村幸子さんがマイクをとり、静かに訴えた。
 国会前でスピーチする若者の思いはさまざまだ。今村さんは、範囲が拡大した兵站活動中の自衛隊員の死のリスクに言及する。
 「私は中学2年生の時、お母さんが末期ガンだと、明日死んでもおかしくない状態だと分かって、それから本当に死んでしまった高校2年生まで、ずっと毎日、『お母さんが明日死ぬのかも』と思って過ごしました。自衛隊員の方に、そして家族の方に、あんな思いをしてほしくないです」

 
今村さんは自身の体験を振り返り、「安倍さんは、人の死を許すんですか。そんな感性でいいんですか。大事な人が死んで悲しんだことはないんでしょうか。どうして自衛隊員や日本国民が死ぬリスクが上がるのを、見て見ぬふりができるのでしょうか」と問いかける。
 そのうえで「私は、この安保法制を廃案にするまで、そして人の命を軽く扱い、憲法に違反し、民主主義を守らない政権を倒すまで、絶対に諦めません」と述べ、法の廃案と安倍政権の退陣を求めた。
 以下、今村さんのスピーチ動画とスピーチを全文掲載する。

日時 2015年8月7日(金)
  • 場所 国会議事堂正門前北庭エリア(東京・永田町)
  • 主催 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)

日本大学芸術学部3年生の今村幸子さんスピーチ全文

 「私が、今回の安保法制に反対する理由は3つあります。
 まず一つ目は、憲法に違反しているからです。
 政治家は、法律を作ったりするのが仕事なのであって、憲法の専門家ではありません。ずっと何十年も憲法について研究し、考えることでご飯を食べてきた憲法学者の9割以上が『違憲』と言っているのに、どうして合憲だと言い切れるのでしょうか。
 日本の最高裁には、政治的に高度な問題だからと言って、政権のやることに対し、判決を下すのを逃げるおかしな風潮がありますが、明らかに違反していることを、総理大臣だからといって勝手な解釈を許されるだなんて、法治国家であることを放棄するようなものです。社会の基盤が、日本の秩序が、ガタガタになってしまいます。
 二つ目は、民主主義に反しているからです。
 総選挙の時、政府は『この選挙は、集団的自衛権を問うものではない』と言いました。つまり、選挙で国民は、集団的自衛権に対し『良し』とする民意を示していません。選挙だけでなく、世論調査でも、ずっと反対のほうが上回っています。誘導尋問のようにして聞いた新聞社でもそうです。
 三つ目は、人が死ぬリスクが上がるからです。
 中国の脅威を持ちだして、この法案を成立させたほうが安全だと言い張っていますが、それは個別的自衛権の問題であって、今回の安保法制とは関係のない話です。
 『安全保障のジレンマ』というものがあります。ある国が攻めてくるかもと思って軍拡を行うと、それを見た他の国も、こっちを攻めてくる気なのかなと思って軍拡をして、その動きを見てまた、といった連鎖の結果、戦争が勃発するというものです。つまり、自国の安全保障度を高めるためにした軍拡が、結果的に、相互の安全保障度を低めてしまうのです。
 これによって起こった戦争は数多あります。だいたいの戦争が、相手が攻めてくるかもと片方が疑心暗鬼になるところから始まっていることが多いです。アメリカに尽くしまくれば国際社会での立場を上げてもらえたり、いざという時に日本に利するように動いてくれるかも、と思っているのかもしれませんが、それはないかと思います。
 国のトップというのは、自国の利益のために冷静に合理的な判断をくだすもので、国益にならないことはしません。残念ながら、国とはそういうものです。
 この法案では、自衛隊が他国軍に弾薬、核兵器さえも運ぶのを許してしまいます。もしも実際に自衛隊がそうすることになったら、どうなるのでしょうか。弾薬がなければ、銃があっても戦車があっても攻撃できないわけですから、弾薬を供給してくる部隊を潰せばいいと相手が考えるだろうことは容易に想像がつきます。
 つまり、弾薬を運ぶだけのはずが攻撃を受け、自衛のために撃ち返し、そうして戦争が始まる可能性は大いにありえるわけです。抑止力が上がるといいますが、武力による抑止力というものは、相手が『死にたくない』と思っていなければ効きません。テロリストというのは、死んでもいいから復讐したい、という人が大半です。弾薬を提供した結果、復讐心が芽生え、日本がテロリストに狙われるということは必至です。
 海岸沿いに50基近くもある原発を、いつどのくらい攻撃してくるかも分からないテロから、どうやって守りますか。原発だけじゃないです。いつ、どこを攻撃されるかなんて、分かりません。
 また、日本を攻撃する意志のない国を先制攻撃することも可能だということですが、先制攻撃をすれば国際社会から非難されるということが分かっているのでしょうか。
 普通、国のトップは、国益を損ねるような政策をしません。仮定の話ですが、日本を攻撃したいな、と思ったとしても、先制攻撃をすれば、侵略をすれば、今の国際社会では非難され、経済制裁を受けます。そのことを考慮し、攻撃をしないという選択をする可能性は大いにあります。
 しかし、日本が先制攻撃をしたなら、相手国には日本を攻撃する正当な口実を与えることになります。つまり、日本が先制攻撃をしなければ生まれなかったかもしれない戦争が起こってしまうということです。それでどうして、『平和安全法制』などと言えるのでしょうか。
 以上を踏まえて、私は安倍政権にお願いしたいことがあります。憲法を守ってください。民主主義に反しないでください。そして、どうすれば日本国民の安全を守れるのか、一人も殺さずに済むのか、もっと本気で考えてください。
 私は中学2年生の時、お母さんが末期ガンだと、明日死んでもおかしくない状態だと分かって、それから本当に死んでしまった高校2年生まで、ずっと毎日、『お母さんが明日死ぬのかも』と思って過ごしました。自衛隊員の方に、そして家族の方に、あんな思いをしてほしくないです。
 この法案が可決すると死ぬリスクが高まるのは、自衛隊員だけではありません。日本国民全員です。テロで死ぬ可能性が高い未来の中を、日本が開戦する可能性がある未来の中を、どんな人にだって生きてほしくありません。
 今の自民党議員の多くは、理性的でないだけでなく、人としての心にも鈍くなっているように思います。人の死というものをちゃんと分かっているのでしょうか。戦争に行きたくないというのが利己的だとか、アメリカのために日本が血を流す血の同盟の強化がどうとか、どうしてそういうことが言えるのでしょうか。
 安倍さんは、人の死を許すんですか。そんな感性でいいんですか。大事な人が死んで悲しんだことはないんでしょうか。どうして自衛隊員や日本国民が死ぬリスクが上がるのを、見て見ぬふりができるのでしょうか。
 この法案を止めるために行動を起こしていない人にもお願いがあります。残念ながら、今、行動を起こさないということは、友達が、家族が、恋人が、テロで死ぬ可能性が高い未来へと向かう流れを、日本が開戦する可能性がある未来へと向かう流れを、加速させてしまうことになります。
 政治は遠く、日常とは関係のないことのように感じられますが、そう思わされているだけで、実は違います。政治家は法を作る人で、私達はその法の中を日々生きています。総理が憲法に違反しても許される国になったら、民主主義に違反しても許される国になったら、私たちの生活は、人生は、政治家によって苦しめられる可能性が上がったり、文句を言ってもまったく聞いてもらえないどころか、文句も言えない社会になる可能性もずっと上がります。
 政治について考え、行動するということは、日常を、友人を、恋人を、家族を、そして自分を大事にするということと同義です。もしも今、私の考えに共感してくれたならば、この法案を止めるため、何か行動を起こしませんか。デモに来るのでも、議員に陳情のメールをするのでも、SNSで反対について共感を広めるのでも、友人と直接会って説得するのでも、他の方法でも何でもいいです。
 きっと勇気のいることだし、辛い思いをするかもと思って、なかなか決心がつかないかもしれません。でも例えば、すごく辛い思いをした後に幸せになるのと、今、すごく辛い思いはしないけれどもその先死ぬまでまあまあ苦しい思いをするのと、どっちがいいか想像してみてください。私はその結果、行動することに決めました。
 やっても、どうせ変わらないし悲観して行動しない人もいると聞きます。その状況と向き合うのはきついかもしれないけど、あなたが向き合ったら、そのぶん希望は増えます。一歩でも歩を進めれば、まわりの空気やピンチは必ず動くように、何かをして何の変化もないことはあり得ません。何か行動を起こせば、その目的がかなう可能性は必ず上がります。
 本当は自分が何を望んでいるのか、自分はどんな未来を生きたら嬉しいと感じるのか、みつめてみて、いいと思った未来を作るために、何か行動を起こしたほうが、幸せになれる可能性も上がると思います。
 私は、この安保法制を廃案にするまで、そして人の命を軽く扱い、憲法に違反し、民主主義を守らない政権を倒すまで、絶対に諦めません。ただただ、やり続けます。
 人が死ぬのは悲しいから、私の大好きな友人が、家族が大事だから、2015年8月7日、私は安保法制と安倍政権に反対します」
(文字起こし・平山茂樹 写真、記事構成・原佑介)
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ホルムズ海峡「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」元タンカー乗り、怒りの直言(上)

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「ホルムズ海峡の封鎖は非現実的だという主張がありますが、何をもって非現実的と言えるのか。過去何度も封鎖の危機にあったことを無視するのか。現実に海上自衛隊の掃海部隊が派遣されて掃海の任に当ったことを無視するのか。また停戦前は危険だとの見解はどういうことか」
「停戦前であれば、海上自衛隊掃海部隊の派遣は駄目、その代わり無防備のタンカーは危険を承知でペルシャ湾やホルムズ海峡を航行するのはやむを得ない、シーレーン確保のためには船員の犠牲はやむを得ない、と言うことでしょうか。安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権を行使しての機雷掃海に関しての質疑応答が注目されています」
「国会議員の先生方は掃海やホルムズ海峡に関しての知識がないのは当然ですが、事前に専門家からのレクチャーは受けているのでしょうか。あまりにも無知、ピンボケの質疑応答に唖然とします。この程度の知識で国家の政策が決まっていくのが怖ろしいほどです」
「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」
>これは特に野党の質問に対する厳しい意見です。
我が海上自衛隊の活躍あっての世界のタンカーはホルズム海峡安全航行ができる情勢だそんなこと全然知らないで本当に国会議員はもっと勉強しろと言いたい。

ホルムズ海峡「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」元タンカー乗り、怒りの直言(上)

木村正人 | 在英国際ジャーナリスト

2015年7月2日 5時22分

現実離れした神学論争

中東・ホルムズ海峡での機雷掃海について集団的自衛権が必要か、個別的自衛権でも対応できるのか――。安全保障関連法案を審議する国会では、日本に石油を運ぶシーレーンの大切さと世界一の海上自衛隊の掃海能力をまったく無視した「神学論争」が繰り広げられている。
「Very Large Crude Oil Carrier(VLCC)」と呼ばれる超大型タンカーの船長を務め、ホルムズ海峡を何十回も航行、1980年代のイラン・イラク戦争、イラン軍・イラク軍がタンカーなどの船舶を攻撃したタンカー戦争、91年の湾岸戦争など「危機のペルシャ湾」をくぐり抜けてきた片寄洋一さんを直撃した。
――ホルムズ海峡はどんなところですか
「ホルムズ海峡は狭く、両岸は暗礁、岩礁が多く、また水深が浅く、(そのほとんどは)小型船しか航過できません。大型船は中央部分にある航路筋だけが航過できますが。VLCCは中央部の水深があるところを辛うじて航行できるだけで、さらに海峡の中央部分で大きく変針しますので操船は大変です」
グーグルのマイマップで作成グーグルのマイマップで作成
「特に沙漠地帯特有の風があり、横風を受けると流される危険が生じます。空船ですと喫水が浅いので船体が大きく浮上して、横風の影響は大きくなるため、ペルシャ湾に入るときは冷や汗をかきながらの操船になります。ペルシャ湾内も岩礁、暗礁が多く、航路が設定されているのですが、夜間はブイを確認しながら航行します。管理に不安があり、常に緊張の連続です」
「航路筋の中央に岩礁があり、超大型タンカーの空船の場合は喫水が上がり、その分船橋が高くなり、当然船首も高くなりますから前方の視野が船首から800メートル位の前方は陰になり見えなくなります。操船が困難になり、四方を砂漠に囲まれたペルシャ湾は日中照りつける太陽で砂漠は熱せられて猛烈な上昇流があり、海から砂漠に向かって猛烈な風が吹きます。雨はないのですが、風は強烈です」
「従って(取った舵と反対方向に舵を切って、船体が振れるのを止める)当て舵の操作が熟練を要します。積み込みはシーバースと言って、遙か沖合いにシーバースの係留索止めが設置されており、原油のパイプラインが海底に設置されています。タンカーのパイプとジョイントして流し込みます」

海峡封鎖はこれまで何度もあった

――ホルムズ海峡が閉鎖されてもパイプラインで湾外への積み出しは可能ですか
「ペルシャ湾外にパイプラインを設置して、湾外で積めばとの案もあり、一部可能になっています。しかし、湾内には多くの積み出しパイプラインがあり、国も会社も異なり、それをすべて湾外で積み出すのは到底、無理なことです。原油はスラジを大量に含んでおり、ガソリンのようには流れませんから、流す作業は設備が大変なことなのです」
「ホルムズ海峡封鎖はこれまで何度もありました。幸いなことには我が国海運会社所属の船舶は多少の被害はありましたが、大騒ぎするほどの被害ではなかったので、ほとんど報じられませんでした。外国籍の船舶は、触雷による爆発、沈没の被害がありました。火災を起こしている船舶の側を通り過ぎたこともあります」
――機雷とはどのようなものでしょう
「機雷とは、機械水雷の略で、水中の地雷と言ったところでしょうか。感応機雷(船のスクリュー音や磁気に反応して爆発)、触発機雷(船体に触れると爆発する機雷)、磁気機雷(海底に設置され、船体の磁気を感知すると浮上して爆発。船体の磁気を感じてもすぐには爆発せず、何隻目かにカウントして爆発する機雷と各種ある)。近年更に改良された機雷が実用化されています」
機雷の種類(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)機雷の種類(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)
「もの凄い爆発力があり、大型船一隻を瞬時に轟沈できる威力があります。一方、製造は簡単で安価です。ミサイルに比べると遙かに安価で、威力は猛烈です。現在、国会では掃海に関する論議が行われています。機雷掃海に関する論議は1991年に海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣された湾岸戦争後の掃海よりも1歩前進して、停戦、終戦の前に自衛隊掃海部隊を派遣して、機雷を処分するための危険性や必要性に焦点が当てられています」
「政府は、原油輸入のルートである中東・ホルムズ海峡が機雷で封鎖され、国民生活に甚大な影響を及ぼす『存立危機事態』が発生した場合、海上自衛隊掃海部隊を派遣しての掃海を可能にすべきだと主張しています。野党側は『ホルムズ海峡封鎖は、非現実的であり得ない』『停戦前は危険』などと反発しています」

「この程度の知識で国家の政策が決まっていくのが怖ろしい」

――ホルムズ海峡封鎖は非現実的だという指摘があります
「ホルムズ海峡の封鎖は非現実的だという主張がありますが、何をもって非現実的と言えるのか。過去何度も封鎖の危機にあったことを無視するのか。現実に海上自衛隊の掃海部隊が派遣されて掃海の任に当ったことを無視するのか。また停戦前は危険だとの見解はどういうことか」
「停戦前であれば、海上自衛隊掃海部隊の派遣は駄目、その代わり無防備のタンカーは危険を承知でペルシャ湾やホルムズ海峡を航行するのはやむを得ない、シーレーン確保のためには船員の犠牲はやむを得ない、と言うことでしょうか。安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権を行使しての機雷掃海に関しての質疑応答が注目されています」
「国会議員の先生方は掃海やホルムズ海峡に関しての知識がないのは当然ですが、事前に専門家からのレクチャーは受けているのでしょうか。あまりにも無知、ピンボケの質疑応答に唖然とします。この程度の知識で国家の政策が決まっていくのが怖ろしいほどです」
「思い起こせば第二次大戦突入の重大決断が事前に論議さえも行われず、一部の重臣だけで決定してしまって、聖断としてまかり通ったよりは幾分進歩したと見るべきなのでしょうか。防衛省幹部は『制海権、制空権を確保したエリアであれば、停戦前でも掃海は可能』と強調しています」

ミサイル時代、制海権、制空権の確保は難しい

「しかし、ミサイルが飛び交う時代、制海権、制空権を確保したとは言えず、絶対安全とか安全確保などは何処にいても保証されるモノではありません。従って何処にいても危険はあることを前提として行動するしかない。我々タンカー乗りは常に死の恐怖と闘い、臨戦態勢でことに臨んでいました」
「それは職責としてやむを得ないことであり、それを覚悟で業務に従事していただけで、崇高な理想があった訳ではありません。しかし、結果的には生命線である原油を滞りなく運んで、国民の日常生活に混乱はなかったし、国民もまたそのような危険の中、輸送に従事した我々に感謝どころか、その存在にさえ気付いていません。それで社会は円満に動いているのであって、お互いが職責をまっとうしただけです。それが社会の歯車と言うべきでしょう」
――機雷の除去はどんな形で進められますか
「機雷は敷設されると、その除去は大変です。機雷には各種あり、浮遊機雷でも見張りで発見することは不可能で、タンカーの構造として船橋は後部にあり、また視野が海上から40メートル位から見下ろすようになりますから、車や飛行機のようにすぐ前はまったく視野に入りません」
「約700メトールから1キロ位の前方が見えるだけになりますので、船首に見張員をおきますが気休め程度にしかなりません。また機雷の大半は海底に潜む磁気機雷で、それを探知できるような例えばソナーのような機材は全くありません」
「磁気を探知して人間が潜って確かめるしかありません。まさに命を懸けた作業です。この方法は、掃海艇が装備するソナーのような海底の磁気を探知する特殊な機材があり、これで怪しい磁気を探知した場合、掃海艇からゴムボートが発進され、水中処分員(ダイバー)が分乗しています」
感応掃海による実機雷処分(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)感応掃海による実機雷処分(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)
「目的の海域に到達すると、ダイバーは潜水し、海底の怪しい磁気に近づき、機雷か単なる鉄器かを確認し、もし機雷と判明した場合は、一度浮上し、ゴムボートから時限点火式の爆薬を受け取り、再び潜水して機雷にその爆薬を取り付け、素早く浮上して、出来る限り安全海域に戻り、掃海艇が近づき点火爆発します」

海自の掃海能力は世界一

――海上自衛隊の掃海能力のレベルは
「このような掃海は海上自衛隊が持つ特殊な技術であって、世界に類を見ない世界一の技術を持っています。第二次大戦中、日本周辺は機雷で封鎖され、輸送路を断たれたとき我が国は破れました。世界に誇る連合艦隊も緒戦だけで、あとは海上封鎖という我が国軍部が想像もしていなかったアメリカ軍の巧妙な戦術に翻弄され、敗れ去りました」
「このため掃海に関しては戦時中から研究を重ね、ある程度の実績を挙げてきました。しかし、大型爆撃機(B29)に多くの機雷を搭載し、日本近海の海上を低空で飛びながら機雷をバラ撒くという新戦術で、あまりにも多くの機雷をばらまかれ、お手上げになってしまったのが実情でした」
「戦後は、アメリカ軍が自ら撒いた機雷の除去に苦慮し、終戦時接収していた旧海軍の小型艦艇を貸与という形で機雷除去の掃海を命じ、旧海軍軍人が集まり、掃海に従事し、それが海上保安庁創立の礎になり、さらに海上自衛隊に引き継がれ、現在に至っておりますので、海上自衛隊創立の母体は掃海部隊です」
「戦後も触雷による沈没事故は数多く起きており、青函連絡船は夜間の航行は禁止となり、昼間だけ、見張り専用の船舶が同航し、浮遊機雷の発見に努め、避けて航行するのがやっとでした。その危険性が無くなったのは昭和30年代であって、掃海部隊の尽力によるものです」

世界は「機雷除去は海自掃海に任せるのが当然」と思っている 元タンカー乗りが怒りの直言(下)

木村正人 | 在英国際ジャーナリスト

2015年7月2日 16時27分
超大型タンカーVLCCの船長を務め、ホルムズ海峡を何十回も航行、1980年代のイラン・イラク戦争、イラン軍・イラク軍がタンカーなどの船舶を攻撃したタンカー戦争、91年の湾岸戦争など「危機のペルシャ湾」をくぐり抜けてきた片寄洋一さんへの直撃インタビュー第2段。(次回は元海上自衛隊海将補で、91年のペルシャ湾掃海派遣時現地連絡官を務めた河村雅美さんからインタビューしている)

ペルシャ湾で海自は100%掃海を達成

――ペルシャ湾掃海はどのようなものでしたか
片寄さん「実践で鍛えられてきた海上自衛隊の実力は世界でずば抜けた実力を有しており、また世界はそれを認め、期待しています。ペルシャ湾掃海は最初にアメリカ海軍、イタリヤ海軍、イギリス海軍などが掃海に従事し、浮流機雷は除去しましたが、残りは海底に潜む磁気機雷で、この掃海は海上自衛隊にすべてを任せ撤収しました」
機雷除去の訓練(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)機雷除去の訓練(出典:海上自衛隊掃海隊群HP)
「100%の掃海を目指し、海上自衛隊掃海部隊の実力を発揮し、完全に100%の掃海を成し遂げました。世界の国々、特にタンカー乗りは『Japan Navy(正式にはJapan Maritime Self-Defense Force)』を大絶賛しております」
「確かに我が海上自衛隊が持つ掃海能力は、ずば抜けて世界一と賞賛されるモノです。ですからホルムズ海峡の掃海は海上自衛隊掃海部隊に任せるのが当然との考えです。これこそが国際貢献であり、しかも最大の利益を得るのは我が国の輸送路確保です。シーレーン防衛の最大の功績です」

機雷掃海は憲法を踏みにじるのか

――シーレーン防衛と安全保障関連法案の審議についてどう思われますか
「ところが我が国ではシーレーン防衛の重要性を理解できずに自衛隊掃海部隊の活躍をまったく無視するか、憲法を踏みにじるとんでもない違法行為のような受け取られ方で、誠に義憤を感じています」
機雷処分後の海底クレーター(出典:海上自衛隊掃海隊群)機雷処分後の海底クレーター(出典:海上自衛隊掃海隊群)
「日本は海に囲まれた国ですが、江戸時代の鎖国令を引きずったままの感覚で、海運に関する知識も関心も低く、国民生活の必需品がどのようにして輸送されているのか関心がありません。これは国民の全体の発想、価値観で、(シーレーンの重要性を理解していなかった)戦前の軍部の発想そのものです」
「石油がどのようにして我が国に運ばれているのか、あるいは他の輸出入の実態をどう理解しているのか、誠に無責任な国民性なのでしょうか。最近はシーレーン防衛の論議もなくなり、平和を満喫できるのは憲法9条があるからであって、はるか遠く、ホルムズ海峡での掃海などとんでもない」
「そのようなことは外国海軍に任せておけば良い、何もしないことが平和に繋がるのだという身勝手な論考が行われており、シーレーンの重要さなど露ほども考えておりませんし、理解もしておりません。現場で散々苦労してきた身としては口惜しい限りです。日本国民に警鐘を鳴らさなければならない思います」

ペルシャ湾にはゲリラも存在

――他に心配事はありますか
「もう一つの心配事は、海運日本とは名ばかりで、日の丸を掲揚して航行している船舶はほんのわずかしかおらず、大半はパナマ籍、リベリア籍で、乗組員も多国籍で日本人の船乗りはわずかしかおりません。四方海に囲まれた海国日本が、外国籍ばかりの船舶で、どうやって海運を護れるのか心配です」
「どうかこの点も警鐘を鳴らしてください。私は海上の経験があるだけの老爺ですが、僅かでもお役に立てばとの想いがあり、もう一例を報告します」
「ペルシャ湾では機雷ばかりが障害になっているのではなく、もっと直接的なゲリラが存在します。スピードボートに重機関銃を搭載し、猛スピードでジグザグに接近しては、銃撃を浴びせ、反転して素早く逃れ、島陰に隠れてしまいます。タンカー戦争中はアメリカ海軍の駆逐艦が護衛していたのですが、イラン領海内の島陰に逃げ込んでしまうと、それ以上の追跡は出来ないのでお手上げでした」
「我々タンカー側は、見張りを厳重にし、襲来を察知したときは、甲板上からは船内に退避し、また防衛策として消火銃での散水で防御しますが、効果はまったくありませんでした。また狙って銃撃するのは船橋です。海面から40メートくらいの高さですから、下から狙うので、乗組員が直接被弾することはないのですが、船橋の室内に飛び込んできた弾丸は室内を凄まじい音をたてて、飛び跳ね、跳弾から身を護るのは大変です」

日本国内でまったく報じられなかったゲリラのニュース

「といって狭い航路を航行中ですから、身を伏せるわけにもいかず、船長として前方を見詰めながら操船指揮を執っておりましたが、ホルムズ海峡を無事通過して、やっと食事が喉を通るようになります。それまでは船橋に立ったままお茶かコーヒーがやっとでした」
「海上のゲリラ戦とも言うべきこの戦術は、巨象を襲う一匹の蜂のようですが、これが怖ろしい蜂で、何しろ防御の手段を一切持たない巨象が茫然としているのですから、蜂の一刺しは怖ろしいものでした。このゲリラの実態は国内ではまったく報道されませんでした。船員の危険性はそれを承知で乗船しているのだから、ニュースとして価値はないということでしょか」
「ホルムズ海峡を無事通過すれば、これで安心はできません。次がマラッカ海峡の難関を通過しなければなりません。海賊が出る海域です。タンカーは舷側が高いので襲われる心配は少ないのですが、それ以上の難敵が存在します。それは水深21メートルと浅く、喫水がぎりぎりで満潮の時間帯しか航過できないことです」
「それで全航程を満潮時間帯内で航過できるよう綿密な航程表を造りますが、特に夜間航過する場合は灯台や導標を確かめながらです。霧や雨があると泣き出したくなるほどの緊張の連続です」

南シナ海埋め立ては「海上封鎖の脅し」の布石?

――南シナ海についてどう思われますか
「シンガポール沖合いで大きく変針して、南シナ海に入るのです。中国が岩礁を埋め立て飛行機の滑走路や、海軍基地を建設しているらしいですが、目的は何なのか、海底の石油資源だけが目的なのか、次に考えられるのは海上封鎖の脅しです」
南シナ海(グーグルのマイマップで作成)南シナ海(グーグルのマイマップで作成)
「南沙諸島は広範囲の珊瑚礁帯で大型船はこの付近は航行できず、南沙の西側、ベトナム寄りの航路しかありません。一部パラワン島沖を航行できますが、大型船は航行できません。従って船舶の航行を封鎖するのは可能で、この航路を航過するのは日本、韓国、台湾、中国ですが、日本船だけを狙い撃ちするのは可能です」
「国会ではその心配はまったくされておりません。憲法論争ももちろん大切です。しかし国民の安全を護るのが第一と思います。老爺の戯言と一笑に付されそうですが、世に心配の種は尽きません」
(おわり)
画像
片寄洋一(かたよせ・よういち)外航船乗組、船長、通信長を歴任(日本籍、米国籍、ギリシャ籍、ポルトガル籍、パナマ籍、リベリア籍船など)。中東駐在員、ポートキャプテン、スーパーバイザー、マリンロイヤーを歴任した。
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