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金融業界に身を置く私が、今この時期にビットコイン取引を再開したワケ=持田太市

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金融業界に身を置く私が、今この時期にビットコイン取引を再開したワケ=持田太市

富裕層のお客様と接していくうえで、やはり仮想通貨(正確には「暗号通貨」)のネタは外せません。私自身もこのタイミングで売買を再開しましたが、それには複数の理由があります。(『週刊「年金ウォッチ」-自分年金作りのためのメルマガ』持田太市)
プロフィール:持田太市 (もちだたいち)
SBIハイネットワース株式会社 代表取締役。2007年にSBIホールディングス入社。住信SBIネット銀行開業を経験後、ウェブマーケティング部署を経て、海外でのオンライン金融事業の進出プロジェクトに従事。2013年よりロシアのモスクワに駐在し、インターネット銀行サービスを導入。2015年に帰国後、ウェブを活用した国際資産運用の情報プラットフォームプロジェクトを立ち上げ、現在オンライン金融サロン「ヘッジオンライン」を運営中。

これからの仮想通貨相場は、中国人ではなく日本人が牽引する

ビットコインとの最初の出会い

私が仮想通貨、特にビットコインを知ったのはあまり早い段階ではないのですが、2013年に地中海に浮かぶ島、キプロスにおける金融ショック時にビットコインを使ってキャピタルフライト(資金逃避)が行われたという話が印象に残っています。
その後も、匿名性を活かした資金決済という利点が、主にダークサイドで使われているという状況があったと思います。
日本では確か2015年くらいから、ビットフライヤービットバンクといったところでウォレットの作成と、取引所が開設されていったと記憶しています。
ウォレットというのは電子財布のことで、仮想通貨を格納するための場所。取引所というのがコインと現金を交換する場所です。とりあえず取引できるところからやってみようという感じで、ビットフライヤーとビットバンクで取引を開始しました。
その時は、1ビットコイン(BTC)が4万円ほどでした。当然ながら知名度も取引量も少なく、自分としてもこれを大きく買って長期保有なんて発想は当時ありません。まずは試しにやってみよう、という感覚です。
ビットバンクではFXサービスが登場した、ということもあって当時はおぉ!と思っていたわけです。ビットコインがFXのようにレバレッジがかけられたり、あるいはショートポジション(買いではなく売りから取引に入る)ができるんだと思ってやってみたわけです。
実体としては、FX会社のサービスや取引方法などと比較すると、圧倒的にチープで脆弱であったのは間違いありません。
この脆弱さ、自分の多くの資産を投下しようなんて考えには全く至らないレベル感です。ですので残念ながら、のめり込むことなく少しやってフェードアウトしていきました。

オルトコインを見ていた2016年夏

そしてもう少し勉強してやってもいいかもしれない、と思い始めたのが2016年夏頃です。1ビットコインは6万円ほどになっていたと思います。これは法整備がされていく段階ですね。
そこから使い始めたのがコインチェックという取引所。ビットコインだけでなく、オルタナティブコイン(オルトコイン=代替コイン、アルトコインとも)ということで、複数の仮想通貨を取り扱っています。
世界では数百ものオルトコインが存在し、それらは世界のどこかの取引所で売買されるという話がありましたが、日本の取引所ではそれらにアクセスすることが基本的に難しいという環境でした。
オルトコインを売買するには、海外の取引所でやる必要がありますが、物理的にできなくはないものの、それなりにハードル高し、という感じです(言語面もありますが、そもそも安全面が心配です)。

2017年夏「待ってました」の調整局面

それからの動向は、おそらくニュースで見たことが多いと思いますが、2016年末には10万円を越えてきて、5月頃には30万円に、直近では50万円までタッチして今は45万円を前後しているような状況です。
中国において仮想通貨取引所の閉鎖やICO(仮想通貨を用いての資金調達手段)を禁止する等の報道がでたことによって、一旦仮想通貨マーケットは下落基調に転じていましたが、すぐに価格は戻ってきました。
もともと50万円にタッチして、バブル状態ではないかとあちこちで言われていましたので、待ってましたとばかりに調整局面に入ったとみていいのではないでしょうか。
多くの人たちは仮想通貨はもうこれ以上は上がらない、なんて考えてはいないでしょう。下がったらチャンスとみて待機しているはず、というのが素直な見方ですので、私もじっくり見ていきたいと思っています。

理由その1:8月危機を無事に乗り越えた

私はこの1ヵ月、仮想通貨の売買をしているわけですが、なぜこのタイミングでまた始めたのか、ということですが、8月頭にビットコインの分裂事件があったことは記憶にあるかもしれませんが、それが大きな問題なく終えたから、というのが理由です。意外と仮想通貨も粘り強いのではないか、と思ったんですね。
海外の取引所でも口座を開設してみて、オルトコインも試しにやってみているところですが、基本的にはコインチェックで扱っている仮想通貨に目をつけてやっています。その理由は2つあります。1つは、日本の取引所がオルトコインを扱う時に、それなりに流動性があるものを選んでいるだろうからです。要するに、取扱い審査をやっているはず、ということです。

理由その2:これからは日本人が相場を左右する

もう1つは、日本人の売買動向が影響を与えてくれるだろうから、です。仮想通貨マーケットにおいて、日本人の売買高は世界でも屈指になっています。
当初は中国人が沢山やっている、という状態でしたので、中国の動向次第というところがありましたが、今では日本人の取引(正確には、円ベース取引)がドルベース取引と拮抗しているという状況になっています。
ざっくり世界取引高の4割は日本からですので、日本人の動向はかなり注目されます。

イーサリアムなどオルトコイン売買の問題点とは?

ちなみにビットコインは、日本の取引所(ビットフライヤーやコインチェック)で取引するのは問題無いのですが、オルトコインについては問題ありです。それはスプレッドの問題です。
オルトコインの値付け、売りと買いの差が非常に大きく、だいたいのケースで片道3~5%、売り買いをすると6~10%の差が生まれます。これは、オルトコインが10%値上がりしても、全部スプレッド(手数料)でもっていかれてしまい、何も残らないという悲惨な状況に陥ります。
おそらく流動性がそこまでないために、取引所が海外からレートを取る際に大きく幅(バッファ)を取らないと提供ができない、ということなんだと思います。オルトコインというとわかりにくいですが、おそらく聞いたことがある「イーサリアム(ETH)」や「リップル(XRP)」といったコインもスプレッドがかなり大きいのです。
当初はこのスプレッドをそこまで意識していませんでした。なぜなら分裂騒動後のビットコインキャッシュ(BCH)やリップル(XRP)といった通貨は平気で30~50%の上昇(ボラティリティ)がありましたので、10%取られても利益が取れたからです。
しかし今はそこまで大きく価格が動かない上に、冷静になって10%という手数料を見た場合、これはさすがに馬鹿らしくなります。15%上がってラッキーと思っても、手元に残るのは5%で、しかも取引所の方が取り分が大きいわけですから。
オルトコインをやるのであれば、海外の取引所でやらなければいけない、という結論に今では至っています。日本の取引所では、円ベースの値付け(チャート)だけ見るというものです。
仮想通貨の利点といっていいと思いますが、土日も関係なくマーケットが動いている、ということは通常の金融商品とは違います。気になってしまう人は休みが無くて逆に悲惨かもしれませんが…。

仮想通貨で大儲けの「億り人」に、当局が注目?

仮想通貨は怪しいでしょ、なんて言っている間に、やっている人はやっていて、それに賭けて億を稼ぐ人(億り人)なんていう状態になってきたこともあり、直近では税務当局、および金融庁が動き出したというのが、想定されていましたが新しい動きでもあります。
仮想通貨で得られた利益は雑所得として申告しないといけません。これは国内の取引所だけ、という話ではなく海外の取引所も含めてですから、逃げ道はありません。
来年以降では、億り人に対する脱税行為を取り締まることが強化されるかもしれませんし、普通の個人でも相当利益が出ている人もいるでしょうから、知らずに脱税行為になってしまっていた、なんてニュースも来年はでてくるかもしれませんね。
金融庁が取引所の監督を強化する、といった報道もありましたが、とにかく当局の目が厳しくなってきています。

既存の枠組みに縛られない新たなビジネスへ

また仮想通貨だけでなく、仮想通貨を用いたサービスも幅を広げてきています。少し前に騒動になったVALU。ユーチューバ─として有名だったヒカルさんが活動を停止するまでに至りましたが、これも株式市場に近い仕組みを仮想通貨で実現させにいくものです。
【関連】現役40代を“戦場”に放り出す「確定拠出年金」の残酷なメッセージ=持田太市
既存の金融サービスが、仮想通貨を用いることで既存規制の枠組みから外れることが可能になって、そこに新たなビジネスが発生していく。円という法定通貨の金融マーケットと、ビットコインという法定外通貨の金融マーケットがパラレルに存在するといって良いかもしれません。
個人年金を作っていくに当たり、伝統的な資産だけでなく、その一部を仮想通貨を用いていくというのも、一般的になっていくかもしれないわけですから、素通りはさすがにできません。私の無料メールマガジンでも、仮想通貨を1つのネタとしてシェアしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「おカネの本質」とは何か? 堀江貴文氏が解説

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情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。
>インテリという言葉を作ったイギリス人、その意味は重要な情報を人より多く持っている人と言う意味がある。

「おカネの本質」とは何か? 堀江貴文氏が解説

2017.08.03 16:00
『多動力』に続き、最新刊『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』で、またしても大胆な提言を連発している堀江貴文氏。同書に記した「仕事や人生で負けないための法則」について、短期集中連載で特別解説! 5回目のテーマは、カネの本質や正体について。それらを理解していなければ、仕事も人生も遅かれ早かれ失敗するのだという。

 * * *
 人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。そしてカネがさらに減っていく悪循環に陥り、結果的に悪いカネに頼らざるを得なくなる。カネがない悪循環に陥る原因は、環境がどうのという以前に、そもそも良質な情報を得る努力を怠っているからだ。

 情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。

 多くの人が価値ありと認めるものを一括して、誰でも万能で使えるようにしたのが紙幣、すなわちバンク・ ノートだ。現代ではデジタルデータでも代用されている。紙幣そのものには何の価値もないことの証明だ。

 すなわちカネとは、信用だ。モノとしての実体など、なくても構わない。信用、それ自体が本質なのだ。だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。信用をいかにして取り戻すかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。

 1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。実体があるようで、全くない。それがカネの正体だ。

でも、やっぱり世間の人、特に貧困だと騒ぐ人たちは、札束がカネだと勘違いしている。言ってみれば、「お札教」が世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。

 お札信奉者たちは、マインドコントロールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。信じていて幸せだというなら仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強い。アホみたいな詐欺的商売が、何の苦もなく成立している。

 ただし、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンがうまいだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に、本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あれはウソだ、詐欺だ」と言い出すと、途端に詐欺的商売としか見られなくなってしまう。

 詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている。どちらも実体のないものが、ありがたがられている。「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。

※堀江貴文・著/『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』より

安倍首相に衆院解散を決意させた、「米朝軍事衝突」のリアリティ

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安倍首相に衆院解散を決意させた、「米朝軍事衝突」のリアリティ

まぐまぐニュース! / 2017年9月26日 4時30分
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とどまることを知らない米朝両トップの舌戦は、行き着くところまで行ってしまうのでしょうか。今回のメルマガ『国際戦略コラム有料版』では著者の津田慶治さんが、もはや軍事衝突の回避は不可能、そして開戦は12月と予測。安倍首相がこの時期の衆院解散を決意したのはその情報をキャッチした可能性が高く、総選挙では間近に迫る核戦争に対応可能な安全保障政策を争点にすべしと訴えています。

第2次朝鮮戦争前夜の衆議院選挙

米国と北朝鮮の両国のトップともに、相手を罵倒して感情的な面での対立も起こしている。これでは平和的な対話ができるわけがない。それと日本では衆議院選挙が始まる。この2つを検討しよう。

米朝戦争開始は

米トランプ大統領が、ロケットマンと金正恩委員長を呼び、北朝鮮を完全に破壊するとした。それに対して、金正恩委員長もトランプ大統領を老いぼれの狂人とし、太平洋での水爆実験を行うとエスカレート。マティス国防長官は、ソウルの破壊を見ずに北朝鮮を破壊する方法があるとした。
ここまで来ると戦争を回避することはできないような気がする。今までに対話開始をしていれば、北朝鮮は核放棄ではなく、核の開発凍結で済んでいたが、強引に開発を進めたことで、中国の対応が大きく変化している。
中国の王外相は、北朝鮮に対し核開発プログラムを巡りこれ以上「危険な方向」に進まないよう呼び掛けた。11月に開催される中国人民代表大会での党幹部人事発表を控えて、今朝鮮戦争による混乱を引き起こしてほしくないようである。
そして、北朝鮮は中国も核攻撃の対象としていることを中国は知っているし、対抗上、日韓が核武装することも困るので、北朝鮮の核開発を止めたいが、北朝鮮は強硬に開発しているので、自国の安全保障上も問題であるとみなしている。
よって、米中はいろいろな場で協議をしている。中国としては、11月末までは戦争を始めないでくれと米国に頼んでいるようだ。ということで、戦争が始まるのは12月の可能性があることになる。
賈氏は全国政治協商会議(政協)の常務委員であるが、中国外交部に政策助言もしている。この賈氏は「北朝鮮の崩壊に備え、中国は米国や韓国と緊急対応策の調整を始めるべきだ」と主張。北朝鮮の体制崩壊後の政治体制の再構築も議題になるだろう、と踏み込んだ。

戦争終了期限

12月に戦争になるなら、9月下旬には準備を開始する必要がある。ソウルにいる米国人などの退避が始まるし、在韓日本人にも退避勧告が出る可能性がある。
そして、遅くても、2018年2月までには戦争を終了する必要がある。平昌冬季オリンピックが韓国で開催されるからである。もし、この状態が続くとフランスのフレセル・スポーツ相が言うように、来年2月の平昌冬季五輪について「状況が悪化し、安全が確保されなければ、フランスの選手団はここにとどまるだろう」と参加見送りもあるとしたが、これは世界中の国々も同様に思っていることである。
戦争が始まれば、決着は数日であろう。マティス国防長官のソウルの被害を最小限度にするということは、限定核戦争を想定するしかない。広範囲の兵器を同時並列的に破壊するには、同時に数発の戦術核兵器を用いるしかない。それも米国の先制攻撃となる。
もちろん、北朝鮮が太平洋上での核実験や長距離ICBM発射などを行ったすぐ後になるとは思うが、攻撃としては先制的になる。
しかし、北朝鮮外相は、それより先に、武力兆候には「先制行動」という。先制攻撃を仕掛け、最初から核ミサイルを米国に打ち、同時にソウルを攻撃することになる。これは北朝鮮からの戦争開始になり、昔の真珠湾攻撃で戦争を開始した日本と同じようになる。これによって、米国は大義を得て戦争にまい進できることになる。そして、北朝鮮はいつでも開始できるが、数日で完全破壊される
米国の中東戦争で見せた空母3隻による空爆ということではなく、戦術核を使うので、グアムから直接飛来して、北朝鮮に落とすのと日本や韓国の空軍が参加した空爆となる。日米韓の三軍が協力して戦うことになる。
中国も北朝鮮への侵攻を開始して参戦することになる。北朝鮮を米国の支配地にしない約束をしているはずである。

衆議院選挙の争点

安倍首相は、12月以降に米国と北朝鮮が第2次朝鮮戦争を始めると見て、9月28日解散、10月22日投開票の衆議院選挙になるようだ。
このため、憲法改正を争点にするしかないはずである。北朝鮮と日米韓の戦いであり、敵国への攻撃も必要になり、ミサイル破壊は最初に必要になる。憲法9条を大幅に変えていくことにならないと戦争を戦えない
この部分では、自民党と民進党、共産党では大きく違うので、そこを争点にして、全世界的に日米共同作戦を取れることを推し進める必要がある。
トランプ大統領から片務的な日米安保体制ではなく、相互防衛条約化を求められているので、それを実現させないと、この戦争を戦えないのである。米国民が承認しないことをトランプ大統領は言っているので、日本の安全保障上どうしても実現させておく必要がある。
しかも、トランプ大統領が安倍首相を気に入っているのは、「北朝鮮と対峙する上で力が必要だ。シンゾウは強い」と述べたことでもわかる。トランプ大統領の力の政策を安倍首相は歓迎していることである。
ということで、日本の普通の国にすることである。北朝鮮との戦争で、日本の自衛隊にも犠牲者が出てくることになる。もしかすると、核ミサイルを打ち込まれて、多数の死者が出る可能性もある。
東京の新宿に核ミサイルが落下したら、即座に80万人以上が死ぬことになる。
経済より安全保障のほうが重要であり、生死にかかわることであり、最優先で議論するべきことである。
それを野党は、モリカケを争点にする考えであるが、物事の鼎を間違えている。自民党に対抗して、それ以上の安全保障政策を考えることである。
自民党は公明党と選挙協力をするために、安全保障に妥協せざるを得ない面がある。憲法改正でも加憲をするとして、9条に自衛隊を足すだけであるこれではダメだ
相互防衛条約にして世界で米軍を助けることである。それが当面、北朝鮮と中国の脅威を軽減化することになる。それをしないと、尖閣諸島に中国軍が侵略してきても、米国が助けてくれないことになる。
経済政策は、自民党も「人作り」と民進党の政策を奪い取っている。成長戦略が無さすぎであると思うが、どちらにしても争点にならない
自民党の軟弱な安全保障政策がよいのか、維新の会、小池新党の安全保障政策がよいのかの選択を国民に考えてもらうことである。他の野党の安全保障政策がいかにダメかを見せることである。
小池新党には、小池氏や長島氏などの安全保障政策の専門家がいるので、自民党のような妥協的な安全保障政策ではないことを期待したい。
さあ、どうなりますか?
image by: 首相官邸
出典元:まぐまぐニュース!

6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性

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先生が白を黒といえば黒が正解。
過程が大事?屁理屈こくな。
この国の小学校は小さな北朝鮮か?
子供の芽を刈り取る教育は教育ではないだろ。


6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性

» 2011/12/21
★僕にも解けない算数の問題
僕はブログにはプロジェクトワーク以外のことは書かないことにしていたのだが、あまりに憤慨したのでちょっと聞いて欲しい。写真は、娘(2年生)の算数のテスト。
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/images/2011/12/15/photo.jpg 
8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか。
ご覧のように、「8×6」だとバッテンで、「6×8」だと正解らしい。何じゃこりゃ。僕がテストを受けたとしても「8×6」と書く。だって問題文はその順番に書いてあるから。
さらに答の48本もバツ。丁寧に赤ペンで48本と直してくれている。さらに意味不明。
★娘にヒアリングしてみた
「何でバッテンだったか、先生説明してくれた?」
「単位が違うと、式の順番が違うんだって」
「? 意味分かる?」
「全然分かんない」
「じゃあ・・ウサギには2本の耳がある。ウサギは4羽いる。耳は全部で何本?」
「ずつ、が入ってないからどっちが先か分かんない。答えは8本だけど」
「じゃあ・・ウサギには2本ずつ耳がある、だったら?」
「それなら、2×4=8本」
「ずつ」がある方を先に書く、と覚えている訳です。
うーむ、教育上じつによろしくない状況ですな。
★かけ算では書く順番が大事??
不思議に思って「かけ算 順序」などでWebを検索してみたところ、状況が見えてきた。
・どうやら今の小学校では、かけ算の記述順にこだわりがあるらしい
・こだわりの順序とは逆に書くと、×にする教師が多い
・当然ながらそれについては論争があり、×にすることに対してナンセンスという意見もある
赤ペン先生で有名なベネッセが「かけ算の順番が逆だったらバツにすべきだよ派」らしいので紹介したい。
かけ算の式は「一つ分の数」×「いくつ分」の順に書く約束になっているので、問題文から正しく読み取って、その通りに式をかけるようにしましょう。小学校では、式の意味を理解することが大切なので、このような約束があります。
どうやら、
「6×8」と書くと「6本×8人」を意味するのだが、
「8×6」と書くと「8本×6人」を意味することになってしまうのでNG
ということらしい。
僕はこれを読んで益々考え込んでしまった。そもそもこんな約束あったっけ?わり算だったら、書く順番は大事だ。でも、かけ算にはどうでもよくね?
日々かけ算を使っている僕ら大人が知らなくても困らない「約束」って、存在意味があるのだろうか?
そしてこの「約束」に従って採点することは、数学的にどうなんだろうか??
★反論その1:  a×b = b×a
数学では「a×b = b×a」であって、「a×b ≠ b×a」ではない。
よって「6×8」が正解ならば「8×6」をバツにするのは誤り。
正直、これ以上なにも言う必要がないと思う。学校で間違ったことを教えてはいけません。以上。ただ、さすがに娘の担任もこれは知った上でバツを付けているだろうから、もう少し反論を続けたい。
★反論その2:教え方に引きずられた正否判断はアリか?
「6×8はバツだよ派」の主張をいくつか読んでいくと、小学生に算数をキチンと理解させるためにはバツにすべき、と真摯に考えていることが分かってきた。
・「掛けられる数」と「掛ける数」があるし、その区別は重要
・それが分かっていないと、算数を理解していく上でつまずいてしまう
・だから文章題の式を書かせる時に順番をチェックすることで、理解を確認しよう
という考え方。
かけ算を教える時に
・「掛けられる数」と「掛ける数」があるよ
・「掛けられる数」×「掛ける数」の順番に書こうね
と教えるのは、別にかまわないと思う。長年7歳児に教えてきた上での職業ノウハウの一つなのだろうから。
ただその結果、数学的に誤っている採点するのはマズイだろう。a×b ≠ b×aは明らかに間違いなのだから。
教え方というのはいわば「便宜上のノウハウ」であり、技術的な問題である。ノウハウを使うために、結果的に誤ったことを教えるのは、本末転倒。
★反論その3:理想に技術が追いつかない時の対処
元々は上記のように「理解できているかチェックし、理解が間違っていたら正す」ことを目的として「8×6」をバッテンにしているはずだ。だが実際に娘に聞いてみても、なぜ自分がバッテンにされたかを理解していない。
掛ける数と掛けられる数の違いを理解させようという理想?を追求した結果、益々混乱させているんではないだろうか。混乱させるくらいなら、素直にそれを認めて、「8×6」を○にするのもアリなのではないか。学習指導要領的にはそう言う考え方は言語道断なのだろうが。
★反論その4:言語に頼らないことが数学のパワーの源泉
上手く説明できないのだが、「掛ける数」とか「いくつ分」とかって、とても言語依存的な議論だと思うんだよね。
娘が「ずつ」という言葉がある方を先に書くと覚えていたのはそのいい例。
世の中を発展させるスーパーテクノロジーに数学がなり得たのは、世界のありようを言葉を使わずに表現できるからだったと思うのだ。そこには解釈やらニュアンスやら意志やらが介在する余地がない。客観的な記述。
数学というツールを日本の小学生が使っても、アルキメデスが使っても、NASAで軌道計算をしている技術者が使っても真理は一つ、ということが数学のすさまじさなのだ。
それに対して、「掛けられる数を先に書こう」というのは、極めてガラパゴス的な「約束」だと思う。
「6×8はバツだよ派」の方は、こんな感じに考えているような気がする。
ペンを配るという事象

それを記述した日本語の文章(ここに「ずつ」とか書いてある)

数式

回答
でも、本来は「ペンを配るという事象を数式でこう表現する」と直結している方が数学っぽい。
ペンを配るという事象

数式

回答
僕自身は、かけ算する際に「掛ける数」「掛けられる数」は全く意識していない。そもそもそんなモノあるの?という感じ。
例えば↓の図で●の数を数える時は、掛ける数も掛けられる数もない。
●●●●
●●●●
●●●●
この場合は3×4と4×3、どっちが正解なんだろうか?
それとも「行が掛けられる数だから、3を先に書く」とかの約束が、僕が知らないだけで実はあったりするのか?
結局、写真のテストの問題で、「8×6」という式はバッテンにするべきなのだろうか・・
僕はバッテンにするのはとんでもないと思うけれども、皆さんはどう思います?
★2011/12/23追記(先にコメント欄に書いたものです)

先ほどお風呂で娘が頼みもしないのにレクチャー
してくれましたので、ご報告しておきます。
1)
「先に書いた数字の単位が答えの単位になるんだよ。
チョコが7個で配るのが2人なら、7×2で答えは14個でしょ。
2×7なら14人になっちゃうでしょ。」
⇒がーん。コメントで多くの方が指摘されていた誤った理解ですねぇ。
「先に書いた単位が答えの単位」という以前に、
14あるのは人じゃなくてチョコでしょ・・
2)
「式が間違ってたら(逆に書いたら、という意味)、答えもバツにするぞー」
って先生に言われた。
⇒コメント欄でこの問題を詳しく調べている方が
 「答えがバツなのは初めての例」
 と書かれていましたが、なんと確信犯だったんですね~。
 娘の担任に「あなた、時代の最先端行ってるみたいですよ」と教えてあげたい。
 教えないけど。
あまりのインパクトに、そしてみなさんにいろいろ教えてもらったことで
頭がいっぱい過ぎて即座に反論ませんでした。
仕方がないので、娘とは「5年後にもう一度この問題を語り合おう」と約束しました・・。
★白川の最新刊。ITに興味が無いビジネスパーソンにこそ、読んでもらいたい!

3.9+5.1=9.0は、不正解である

2017年01月01日 09:10
姪っ子の小3算数テストで、3.9+5.1=9.0を不正解にされたという写真がTwitterに投稿されて話題になりました。
茂木健一郎氏は、つねづね小学校の算数教育への懸念を示されています。
かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。
ここで言う「2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解」というのは、「みかんが1袋に2こはいっていました。3袋でいくつになりますか。」とか聞かれた場合に「1あたりの量」×「いくつ分」=「総量」という式に当てはめて立式しなければならないということ(らしいの)です。文章題において掛け算の順番などどちらでも良いと主張すること=掛け算の意味を理解していないということになるのです。
しかし、教員の視点からすると、これは別の理由で譲れない点なのです。なぜなら、教員は、学力という「結果」よりも、教員の指示通りに解答していないという「プロセス」に重きを置くからです。
こういった点を擁護する理屈もありますが、ためにする議論のような気がします。
とにかく、学校は「プロセス」重視なのです。ここで不正解になったのは、教員に言われたとおりにやっていない、ということが最大の理由です。教員は、学力など求められていません。学力などという「結果」を教員も学校も(場合によっては世間も)求めていないのです。
http://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2017/01/113b7-320x240.jpg
小学校の教室には、だいたいこんな掲示がかかげられています。当たり前のような標語ですが、これが意外と曲者なのです。つまり、授業がどんなにつまらなかろうが、わからなかろうが、わかりきっていようが、こういった態度で臨むことが望ましいし、こうした態度をさせられる教師が学力とは関係なく優秀な教員ですし、これができない教員は不適格教員にされてしまいます。わかりきっている子どもが、ノートに落書きをしていようものなら、その授業は失敗の烙印をおされてしまいます。もちろんノートも黒板通りに記録しないと教師に叱責されてしまいます。わたしがヘンだなと思うのは、この標語が授業の「前提」条件ではなく、「目的」になっているということです。
おそらく、10年、20年前と比べてこの「プロセス」重視はさらに進み、小中学校は茂木健一郎さんのような天才・奇人が生きづらい社会になってしまいました。発達障害に認定される子どもが増えたのも、これが理由のひとつだと疑っています。私が常々申し上げている、日本の教育問題は学力問題ではないということに同意してくれる人は、いないものでしょうか。
中沢 良平(元小学校教諭)田中 丈雄
えっ
>>日本の教育問題は学力問題ではないということに同意してくれる人は、
いないものでしょうか<<
たくさん居るはずです。私も同意します。
でも、この問題が問題だと理解していない教育者・教師が多いのでしょう。

---- 先生の自衛本能の事

それにあまり子供に自由に考えさせると、自分が恥を掻くという、
う危惧を先生たちがもっているとも考えられます。...もっと見る
竹田 正樹 · 
卵が先か鶏が先か理論のようですが、あきらかに先生の自衛本能が先ですね。
子供がそれを敏感に感じ取り、先生の失敗や無知をあげつらうようになるのです。
子供の無邪気が先だとしても、それに本気で対応してしまう先生側の生徒時代の経験が作用している感じを受けます。
いいね! · 返信 · 1 · 2017年1月2日 20:46
五太子 順昭 · 
誰のための算数??と思いたくなります「プロセスが大事」なんて屁理屈です算数や数学は独自の計算方法を生徒や学生がどんどん発見して思考してもいいのですが、教育の現場で「指導方針通り」に教えることだけが本当にいいのでしょうか?自由な発想のない教育現場なんて子供の未来を捨てさせるものです それからね 漢字の書き順も実は文部科学省も「この書き順で必ず書きなさい」と定義していないのです(電話で聞いて確認しました) なぜって?だってそんなことしたら清水寺の一文字で今年の話題を表すことなんてできなくなります テレビで時折 漢字の書き順クイズとかやってるけど〇�なんてないのです 漢字学者のマニュアルが結局売れるだけです 子供が漢字を覚えることになんらプラスにならないことなのです
竹田 正樹 · 
この様な話は沢山ありますが、問題の原因となっている側には全く問題意識がないので解決はとても難しいと思います。
また、このような事は学校だけでなく、すでに社会全体に起こっていることで、これからの社会に大きく影響してくる問題だと思います。
もっとも大きく影響を受けるのは、学問の世界だと思っています。
効果的な解決策は思いつきませんが、同様なことに遭遇した場合、論理的にその間違いを指摘していくことしかないと思います。

「日本に5発の核ミサイルを」韓国ベストセラー小説の戦慄

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韓国では反日正義。
これだけのことをされたらば日本も反韓にならざるを得ない。



「日本に5発の核ミサイルを」韓国ベストセラー小説の戦慄社会・政治 2017.09.06

「日本に5発の核ミサイルを」韓国ベストセラー小説の戦慄
水爆実験の成功を伝える公式サイト「わが民族同士」
 
 9月3日、北朝鮮は6回目となる核実験をおこない、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に搭載する水爆実験に成功したと発表した。
 
 北朝鮮は、8月29日にミサイルを発射したばかり。ミサイルは日本の上空を通過し、全国瞬時警報システム「Jアラート」が北海道や東北の12道県で発令される事態となった。
 
 この件は連日テレビで報道され、新聞も号外を出すなど、日本中が北朝鮮のミサイル発射に右往左往することになった。Jアラートに関しても、「防空壕やシェルターがあるわけじゃないし、どこに避難したらいいかわからない」「Jアラートが出てるけど、どうすることもできない」と半ば諦めにも似た反応がツイッター上にあふれた。
 
 一方、大騒ぎの日本とは対照的に、韓国の反応は楽観的だ。
 
 8月25日には、全国レベルで防空避難訓練がおこなわれたが、力を入れたのはメディアの注目を浴びるソウルなどの一部に限られ、ほとんどの市民に緊張感が感じられなかった。特に、北朝鮮との宥和政策をとる文在寅政権になってから、この傾向に拍車がかかっているという。
 
 韓国・釜山大学のロバート・ケリー准教授はBBCの取材に対し、「北朝鮮のミサイルは日本の一般市民を脅かすことが狙い」と分析している。実際、多くの韓国国民は北のミサイルが飛んでくるとは考えていないようだ。
 
 朝鮮半島の統一を目指す文政権の支持率は7割を超えているが、韓国の若者の中にはこんなツイートをする人も。
 
「南北統一をおこなって、北朝鮮の核ミサイルを日本に向けて配備すればいいのに」
 
 単なる過激な若者のツイートと思うなかれ。実は、この話を予見したような韓国の国民的ベストセラー小説が存在するのだ。
 
 小説のタイトルは『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』(徳間書店、金辰明・方千秋訳)で、1994年に発売されると韓国で250万部以上売れ、映画化もされた。
 
 小説では、北朝鮮と韓国が同盟を組み、北朝鮮の核ミサイルを日本に向けてから、韓国は日本の大使を呼んでこんな宣戦布告をおこなう。
 
「いま直ちに貴国政府に伝えよ。これから1時間以内に東京、大阪、名古屋、神戸、京都の5つの都市に、広島級の原爆の5倍の威力を持つ核爆弾が投下されるであろう。東京は特に大きく重要な都市なので、他の都市の3倍のものをお見舞いしよう」 
 
 結局、核ミサイルは「韓国人の思い遣(や)り」のおかげで東京の南200キロの無人島に当たり、日本は救われる。
 
 宣戦布告には、「いまや日本という国は100年経っても回復できない不毛の国に転落するであろうし、貴国の国民は世界中の人間が忌み嫌う奇型の人間に変わるであろう」とも書かれている……。

ビットコイン投資に大損した芸能人~失敗から学ぶビットコイン

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ビットコイン投資に大損した芸能人~失敗から学ぶビットコイン~

ビットコインにおける多くの日本人にとっての印象は2014年に経営破たんし、多くのビットコインを消失させたマウントゴックス騒動に終始します。そんな中ビットコインによる投資を失敗させていた芸能人がいます。彼らはなぜ失敗したのか、ビットコインのリスクを下げるにはなにが必要なのかを考えてみました。
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ビットコインで失敗した芸能人

ビットコインにおける日本の印象はそこまで良くありませんが、うまく利用することで儲けることができるものという認識がある人も多いでしょう。同じような考え方を持った芸能人というのは何人かいて、失敗談を提示してくれている方もいます。

ノブコブ吉村さんの場合

実際に有名な方だと平成ノブシコブシの吉村さんでしょう。彼は番組のロケでビットコインの投資アプリを開発している会社に行くことになったのですが、その時に興味を持ったので投資をすることを決意しました。

もちろん失敗談として記載されているので、損をする立場になってしまったようですが、その投資額はなんと100万円です。購入当初は5万円程度の価値だったようですが、それが4万5千円にまで低下してしまったようで見事に1割ほど損をしてしまった計算になります。

しかし、2016年の2月に購入したようなので、もし売らずに持ち続けたら2倍以上にはなっていたのですが、果たしてどうなったのかはわかりません。
吉村は、番組ロケでビットコインの投資アプリを開発している会社に行ったことがきっかけで、個人的に興味を持ち、ビットコインを購入したという。しかし「購入した直後くらいから値下がりしはじめちゃって」「しゃべるどころじゃないですよね」と予想に反して下落し、ショックを受けていることを明かした。…購入当時の1ビットあたりの価格は5万円だったが、今では1ビットあたり4万5000円まで値下がっているという。「すごい値を下げてるんですよ」「1割減で、もう上がる気配がひとつもないんですよ、ずっと下がってて」と心配そうに話した。

相方の徳井健太もビットコインを購入したそうだが、様子見のため、0.01ビット(約500円)だけ購入したという。だが、吉村は「この一瞬で10万円くらいがなくなるわけですね」と、最初の投資金が100万円で、現在の損失は10万円に上ることを告白。…
via ノブコブ吉村崇 ビットコインに手を出し大損していると明かす - ライブドアニュース
何故ノブコブの吉村さんが失敗したのかというと詳細は明かしてくれませんでしたが、一言漏らしたシーンがありました。そのシーンにおいて出てきた言葉が「絶対に上がるという噂があった」というものなのです。

はっきり言ってしまうと、絶対に上がると解っているのなら世の中にいる投資家というのはすべからく皆さん大儲けすることができております。そのため間違いなくデマをつかまされてしまったというか、噂を流した人に騙されてしまったとしか言えません。

だます方が100%悪いものなのですが、騙されてしまうのも問題があるのでしっかりと噂の真相というものは見極められるようにしてください。

また、ビットコインは値動きの幅が大きいため、ビットコインに投資しようと考えるのであれば、長い目で見ることが大切となります。値下がりすることもありますが、ビットコインの価値は過去のような急激な上がり方ではなくとも、少しずつ上がっています。ノブコブ吉村さんのようになんとなくで始めて値段の変動に慌てたりしないように、価格の動向をきちんと調べ、見極められるようになってからビットコインの投資を始めましょう。

何かわからないけど良さそうで手を出すと後悔の元

過去の価格推移を知っている人は、最近の価格の底値や平均価格を知っていると思いますが、株でもビットコインであっても投資性のある利材に関しては、市場価格が上昇しきった状態で購入すれば、あとは下がるだけです。

例えばストップ高を更新した企業の株を慌てて購入したところで利益になるどころか、株価を売り始めた場面で購入するためにどうしても損してしまうものです。利益を得るためには、価格上昇し始めている段階で購入しなければなりません。

このように常に価格の天井と、底値を意識していなければ投資性のあるものは安易に手を出してしまうと高い確率で失敗をしてしまいます。
加藤浩次:ネットの中での仮想通貨ってことだよね?

吉村崇:そうです、そうです。本当の紙幣とかではないんですけど。それで、為替みたいなもんですよね。「絶対に上がりますよ」みたいな噂があって。…

「絶対に上がりますよ」みたいな噂ですが、・・・これはデマです!笑

当然絶対になんとかなるというものはないわけで、どれくらいのタイムスパンで考えるかにもよりますが、こういう噂にすぐに飛びついちゃう人は気をつけた方がいいのでは?なぜかというと、「ビットコインより絶対に儲かる」とか「ビットコインを超える次世代通貨」とかいう詐欺的なメッセージをうたって、高額を巻き上げる悪質な業者みたいなのも存在するので。…
via お笑い芸人の会話に見る、一般人のビットコインに対する意識の変化 - ビットコインを語ろう2.0

過去にはロンブーの淳さんも

他にも大失敗した芸能人もいます。その人はロンブー淳さんでこれは投資に失敗したというよりも日本でも大騒ぎとなったマウントゴックス事件に巻き込まれていたというものになります。これはハッカーによってビットコインを喪失した事件なのですが、真相は全て闇の中でありおそらく彼のビットコインも消えてしまったのでしょう。

CEOが会社のお金を横領したという事実もありましたが、結果としてその被害をもろに被る形になってしまい、ビットコインは消失してしまう形になったわけです。

会社のセキュリティが甘かったという認識があるわけですが、どこの会社にしても、結局のところはこのような事例が起こる可能性があるわけです。ですから、信用性の高いところを利用することがとても大事になると言っても過言ではないでしょう。

ここから出てくる教訓は間違いなく、信用できるところかどうかを見極めないと投資どころではないということでしょう。取引所も安全ではなく気が付けばやられてしまう可能性を秘めているということを覚えておく必要があります。

信頼できるかどうかはその人の判断次第ですが、このようなリスクをすべての会社が背負っているということを理解する必要があるのです。信頼できるところは同じようなことにならないようにひたすらセキュリティを強化しているようですが、どの程度信頼できるのかは自力で調べるしかありません。
お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が10日、都内でバラエティー特番『おカネさま! お金に好かれる秘密大公開SP(仮)』(読売テレビ・日本テレビ系)の収録後に取材に応じた。番組名にちなんで“お金”の気になることを聞かれた淳は、「俺、ビットコインでやられているので、それですかね」と言葉少なに落胆…
via ロンブー淳、ビットコイン消失に落胆「仮想通貨に夢見てしまった」 | ORICON STYLE
この田村さんのビットコイン消失は彼の取引所がどこか不明ですが、2014年3月に起こったマウントゴックス騒動による影響によって消失したことは確かです。
ビットコイン騒動 マウントゴックス事件とは何だったのか
暗号通貨という素晴らしい技術が日本で一気に、「怪しい」「危ない」というネガティブな印象に変わってしまったのがマウントゴックス事件

正体不明ののハッキング攻撃に起因すると考えられる前に最大だったビットコイン交換所であるマウントゴックス事件…2014年にハッカーによって侵害された時の45億ドルを超える85万ビットコイン以上を消失しました。…マウントゴックスからのビットコインの消失は窃盗、詐欺、不始末またはすべての混合物によるものであったと推測されます。 …
via ビットコイン騒動 マウントゴックス事件とは何だったのか - BaysiaCoinの購入はWEB決済は関西ゲートウェイ 対面購入は関西直売所にて
教訓として信用ができない取引所を利用しない、安心ができる取引所でも常に悪意の者に狙われているので、ビットコインを置いたままにしないという危機意識を高めた騒動でもありました。

今日では取引所では二段階認証などセキュリティを強化しており、信用性の高い取引所が増えてきています。

ビットコインで投資をする芸能人も

ちなみに、ビットコインに対しての投資を行っている芸能人もいます。元ライブドア社長の堀江貴文さんです。彼は、ビットコインの将来性を感じて数千万円単位の投資をしているとも言われているのです。この投資がどのような動きを見せたのかは定かではありません。ただ、冷静に市場を見つめることの発言をしていることもあって、今後の動きには注目すべきところがあります。
ビットコインとは何なのでしょうか。しかし、聞いたことはある人がいても、詳しい中身まで知っているという人はなかなかいないと思われます。では、このビットコインとはどのようなものなのかについて知っていきましょう。

そもそもビットコインとは?

失敗談なども多く見られるビットコインですが、そもそもどういったものなのかをご存知でしょうか?ビットコインとは、一言で言うと仮想通貨のことです。「仮想の通貨」ということですから、目に見えて存在する通貨というわけではないです。ちなみに、仮想通貨といっても、きちんと現実世界で使うことができるお金となっています。ですから、円やドルのように通貨としての単位が存在しているのです。BTCという単位で表されるのです。仮想ということからわかるように、手にとって見える形はありませんからその点は勘違いしてはいけません。

仮想通貨と言ってイメージするのはオンラインゲームの通貨ではないでしょうか。ゲーム内で使うことができる通貨を使うことによって、ゲーム内でアイテムを買うことができるというものです。またWebサイトの中だけ使えるという通貨もあって、それもまた仮想通貨と呼べるものとなっています。

ビットコインとの違いですが、そもそもの存在している理由が異なります。特定の場所でのみ使える仮想通貨は、企業単位で使われているものであって、その中で利益を上げることを目的としたものです。その一方でビットコインは、円やドルと同じように、経済活動を円滑化することを目的として作られた仮想通貨なのです。世界中で日常生活の中で使えることを目指して作られていることもあって、紙幣や貨幣があるわけではないですが、きちんとした買い物が実現できるようになっているのです。

ビットコインの歴史

ビットコインは1つの論文からその歴史をスタートさせています。ビットコインのような仮想通貨は暗号通貨と呼ばれており、暗号を利用して情報の書き換えや偽造がないようなものとしています。

2008年にサトシ・ナカモトという人物がビットコインに関する論文を発表しています。論文の内容ですが、従来の管理者が通貨を発行するというわけではなくて、P2Pの仕組みを利用して分散処理をして、暗号化の技術と組み合わせてビットコインの信頼性を確保するというものだったのです。

この考えに対して有志が集まりプログラミングが行われたことにより、2009年にビットコインが初の発行となるのです。ただ、そもそものスタートは、ビットコインについて問題はないのかどうかという点を検証することを目的としたゲームのような感じでスタートしたのです。

実際にビットコインについては、テストを繰り返していただけのことであり、それに関しては何の価値もなかったということです。あるとき、エンジニアがビットコイン1万枚とピザを交換しないという投稿をしたところ、面白いと思った別のプログラマーがピザ屋に注文をして家に届けて1万ビットコインとの交換をしたのです。これこそが、史上初のビットコイン取引と言われているのです。最初の取引はこのような形だったのですが、これがきっかけになって通貨として使えそうと思われていき価値を持つようになったのです。

ちなみに、ビットコインが価格を急騰させる理由になったのが、ヨーロッパで発生したキプロス危機と呼ばれるものです。

2013年の3月には、キプロス政府は財政破綻の危機に瀕していたのです。このとき、銀行予算を封鎖して、一部を税金として没収しようとしていたのです。しかし、投資家や資本家はそんなに簡単に話を受け入れるはずがないということもあって、国外に財産を逃す方法を探したと言うのです。そこでビットコインの登場となるのです。

キプロスの銀行預金よりも、ビットコインの方が安全だと思ったわけです。国や企業といった発行体が存在しないことがあって、ある日突然何かが起こってしまったとしても、国が財政破綻を起こしても価値がなくなってしまうことも無いのです。こうしたことがあったからこそ、ビットコインの需要はキプロス国内で急増したのです。そして、大量のお金がキプロスから流れ込んだ結果、ビットコインの価格急騰が起こったわけです。2012年の12月末にはビットコインは1BTCで1000円だったのが、キプロス危機が起こった3月には1BTCが5000円以上にもなっていたのです。こうしたことがあって、経済危機の時にはビットコインが安全だと言われている訳です。

さらに、ビットコインの価値を急増させた要素があります。それが中国マネーの流入と言うものです。中国にはビットコインチャイナという取引所があったのですが、世界最大の取引所とまで言われていたのです。中国の富裕層は、人民元と比べて安心して資産形成が出来ると踏んで目を付けたことが普及の要因とされているのです。そして、これこそがビットコインの名をしらしめることになったきっかけなのです。

そして、闇サイトのシルクロードを2013年の10月に摘発したこともまた、ビットコイン業界に大きな影響を及ぼしているのです。ビットコインには匿名性があって、それがあるからこそ、人気を得ることが出来たとも言われているのです。特に、シルクロードの場合は、ビットコインでしか決済が出来ない仕組みになっていたということもあって、世界中の麻薬がシルクロードで取引されていたのです。このとき、FBIは、3万ビットコインを押収したわけですが、運営者である若者が140億円分のビットコインを所持していたということもあって、ビットコインの普及ぶりを改めて知らしめる形になりました。このことから、ビットコインは急激に価値をあげることになり、2013年の12月には1BTCが110000円となったのです。最初の売買から見たら、実に55万倍もの値上がりを達成させているということです。

ですが、このビットコインの急騰は、バブル崩壊のように一気に崩れ去ることになります。2013年の12月には、中国人民銀行は金融機関に対し、ビットコインを通貨として流通させないと言う考えを発表したのです。この中国の規制の影響があって、ビットコインの価値は一気に下落し、結果として1BTC55000円にまで落ち込んだのです。

ビットコインの可能性

2014年から2015年のビットコインの価格は、基本下落傾向にありました。ビットコインが廃れたというわけではなくて、安定期に入ったという見方が出来るわけです。ビットコインそのものは、マウントゴックス社の件などがあって、価値が下がっていくわけですが、それとは反対に、利用が出来る場所がどんどん増えていくこととなります。そして、2015年のビットコインは価値をあげていくことになります。イギリスのEU離脱危機によって世界経済が混乱したわけですが、その時にもやはりビットコインの購入が行われ、改めて安全性が指摘されることになったわけです。

2017年に入り、ビットコインは価値を上昇させていっています。勢いは止まることを知らず、1BTC15万円にまで価値を高めているのです。しかし、3月以降は中国の施策による影響があって、価格が大きく荒れているのです。今後の動向には注視したいところなのです。

ビットコインの採掘量と価値

ビットコインの採掘(マイニング)とは、ビットコインの取引記録の承認作業のことです。
ビットコインは、すべての取引の記録を取引台帳に追記しています。その作業の処理には、膨大な取引データの整合性をとりながら正確に記録する必要があります。ビットコインでは、この大変な作業を有志の手を借りて行っています。
取引記録を正確に記帳するには計算量の多い問題をひたすら解く必要があります。その問題を解けた人が、報酬として新たに生成されたビットコインを受け取れるのです。この通貨の新規発行のための行為を採掘(マイニング)と呼びます。世界中で、採掘の作業をビジネスとして行っている人々がいて、そのおかげでビットコインは安全性を保てているのです。

ビットコインの新規発行は採掘によってでしか行われませんが、無限に採掘できるわけではありません。ビットコインはプログラムにて、最大発行数が2100万BTCまでと決められているのです。さらには、記帳が一定数に到達するごとに生成されるビットコインの量が半分ずつ減っていきます。ペースを見ていくと、およそ4年後に採掘による報酬が現在の半分になるのです。発掘量が少なくなっていくことによって、競争が起こりました。そして、早い者勝ちで手に入れることができるビットコインに対して高速処理できるコンピュータでなければそれをできなくしたのです。そうなると、発掘マシンの準備をするよりも、現金をビットコインに交換をするという流れが出てくるわけで、交換所がスタートしたのです。現在では、1ビットコインが10万円ほどでやりとりされているといわれています。

ちなみに、ビットコインの価値が高くなるのは、流通量が決まっているからです。例えば、金のようなものは、世界で埋蔵量が決まっているからこそ価値があると言われているものです。いくらでも採掘できるのであれば、その分価値も下落してしまうわけですが、それと同じものがビットコインにはあるのです。

ビットコインのスタートはこのような感じであり、研究者やプログラマーが研究のためにスタートしたものであって、いつの間にか世界中に広まったのです。ちなみに、ビットコインのプログラムそのものが自身をコントロールしているということです。

今後、ビットコインがどのような価値を持つことになるのかは未知数なところが大きいです。ただ、もうすぐ発行限度枚数に達成するということもあって、その価値はある程度一定に保たれること、あるいは更に希少価値が出て高騰する、またあるいは、他の仮想通貨にシェアをとって変わられるといった可能性もあるのです。ただ、ビットコインに対してよほどの悪いイメージがつかない限りは価値が大きく下がるといったことはないと思われます。

ビットコイン投資のメリット

ビットコインは、今新たな通貨の形として主流になってきたところなのですが、そのメリットを把握していない人が多いといわれています。では、ここでビットコインのメリットについて紹介します。

ビットコインのメリットはいろいろとあるとされていますが、投資で儲けることができる可能性が高いことがビットコインの最大のメリットと考えられます。稼げるという要素がなければ、ここまでの普及はなかったと思われます。投資ですから、当然損をする可能性もあるのですが、価格上昇が起こる期待が高いこともあって、儲けることができる可能性は十分です。レバレッジ取引もできますから自己資金以上の投資もできるのです。

送金手数料が少ないというのもまたひとつの魅力といえます。ビットコインは中央管理者がいませんから、個人間での直接送金が可能です。ですから、手数料がとても安いという特徴があるのです。銀行を通しての送金だと、国内では数百円、海外だと数千円にもなるのですが、ビットコインなら数円、取引所を通しても10円ほどになるわけです。また、送金の時間も海外送金だと1週間以上かかることも多いのですが、ビットコインならば最短で10分ほどなのです。取引は、1分の時間も大事で、それによって結果が変わることだってあります。それだけ大事なものですから、取引の時間が早いというのは大きな魅力となり得るのです。

また、ボーダーレスというメリットもあるのです。ビットコインは円やドルなどの法定通貨とは違って、国家による後ろ盾はありません。これはデメリットと思われがちなのですが、実のところボーダーレスであり、国境に関係なく使えるということがあります。日本は、世界的に見るとビットコイン後進国と言われています。ですが、海外では使えるところがたくさんありますから、旅行の時にはとても便利に使えますし、取引の時には何かと便利というわけです。一度海外に出てみると、その良さを認識できることでしょう。

また、ビットコインをはじめとした仮想通貨でトレードを行う場合には、24時間取引が可能というメリットもあります。土日祝日といった概念などは一切関係なく、取引ができるのです。仕事が終わってからでも、休日でも安心して取引ができるのです。

ビットコインは価格変動が大きなところも特徴的です。1日に10%も動くことがあるという日が結構あるということです。ドルの動きがそれだけあればニュース速報になる時代ですが、ビットコインの場合はそれが頻繁に起こることがあります。価格変動の大きなことのメリットと言ったら、利ザヤを稼ぎやすいという点があるのです。ビットコインの流れにある程度把握出来るだけの能力や情報力があれば、一気に稼ぐことだって可能かもしれませんし、反対にリスクを回避することが出来る可能性が高くなります。

そして、極めて小額での取引が可能という点もビットコイン投資のメリットです。取引に必要な金額は、どんな取引をするのかによっても異なってきますが、ビットコインの場合は取引単位がとても小さいこともあって、1000円ほどあれば投資を始めることができるのです。

ビットコインはハイパーインフレの際にも対応できるものです。自分の国の通貨がもしもハイパーインフレに陥ったとしても、仮想通貨に変えておくことによって短期的にではありますが、資産を守ることができるのです。預金の封鎖が行われたとしても、銀行でお金が引き出せなくなる心配をすることがありません。

ビットコインは、大きな将来性が期待できるとされています。世界中の企業、有名企業がさまざまな分野においてブロックチェーン技術に注目をして取り組んでいるのです。そういうこともあるため、将来に期待をして仮想通貨を買って保有する投資を検討できるというわけです。

ビットコイン投資のデメリット

ビットコインにおける投資のデメリットと言えば、どこにあるのでしょうか。

ビットコインなどの仮想通貨の場合だと、投機的側面があります。ですから、ボラティリティが高いことから暴落と高騰を繰り返すことになります。

また、ビットコインのアドレスは長く、人間には間違えやすいというところもあるのです。ビットコインの受け取りには、ビットコインアドレスというものが必要となります。このアドレスですが、人間にとってはもの凄く長いことに加えて、読めない組み合わせの文字列なのです。ですから、コピペ、あるいはQRコードでの読みとりにして、正確に読みとりを行う必要性があるのです。もしもアドレスを間違えるようなことがあったら、その時点でアウトになってしまいますから注意が必要なのです。

そして、国による保証が無いという点も一つ考えられます。政府や国の銀行ですが、そもそもビットコインを正式な通貨扱いしていません。ですから、何が起こったとしても国が保証してくれることはありません。ビットコインを持っていたとして、価値が暴落したとしても、違う人に間違って送金してしまったとしても、ハッキングされてパソコンの中のウォレットがどうなったとしても、取引所のたくらみによってビットコインが持ち逃げされたとしても、誰が保証してくれるわけでは無いのです。全ては自己責任ということになるのです。

仮に国が規制に乗り出したとしたら、ビットコインをはじめとした仮想通貨が使い物にならなくなるという人もいるのですが、やはりそれ考えとしては早いというところがあります。国が禁止したとしても、全世界でそれが禁止されるとは言えないですし、そもそも全世界で仮想通貨を禁止にしようと言う考えがでるということにはならないはずなのです。

ビットコインを扱う上で気をつけたいのは、ずばり取引所に関しての問題です。ビットコインのシステムというのは、とても強固なものであって、セキュリティを破る、すなわちハッキングされる可能性はとても低いと言われているのです。しかし、ビットコインをやりとりする取引所がハッキングされるケース、それによって取引所が破綻してしまい、ビットコインが引き出せなくなるケースがあるのです。

また、メリットのところで紹介しましたが、相場の変動が激しいというのはまたデメリットにもなり得るのです。今日は値上がりしたけど、明日はどうなるか分からないというのは、株だろうが何だろうが、投資商品においては当たり前のことですが、ビットコインの場合はその変動が激しいのです。上昇と下降の振り幅が激しいということですから、売りのタイミングを間違えてしまったら、一気に機会損失してしまい、損をしてしまう可能性だってあるのです。

そして、導入されているお店が少ないというところもまたデメリットでしょう。確かに希少価値があるビットコインですが、取引の時に使うことが出来る場所がなければ需要もありません。海外では使えるところが多いのですが、日本ではまだまだ使えるところが少ないのが欠点です。

また、決済システムについても完全に整備されておらず、その時に何かしらとのトラブルになる可能性だってあるのです。

何よりも、ビットコインの投資へのデメリットは、投資におけるリスクは全て自己責任というところです。しっかりとデータを入手すること、研究することを怠って、適当に扱っていて損害を出してしまっても、現状は何も補償がありません。この点についてはしっかりと理解しておく必要性があるでしょう。

ビットコインによって起きたトラブル

ビットコインによって起こったトラブルについてです。このトラブルの中でも、一番大きなものだと考えられるのが、マウントゴックス事件です。これは、2014年の2月にマウントゴックス社が破綻したと言う事件です。

ビットコインのトラブルとして報道されたのですが、このときに注目されたのは2点です。顧客が預けていたビットコインの消失、それによって、莫大な損失が出たという点です。それから、システムのバグを利用したハッキングにより盗まれたという点です。これが報道されたことによって、ビットコインは簡単にハッキングされてしまう危険なものであるという報道がされてしまったのです。しかし、これは誤りなのです。その理由としては2つあります。

まず1つ目としては、騒動が起こったのはマウントゴックス社に問題があったと言われるところがあるのです。ビットコインのやりとりをしている、マウントゴックス社の中において、システムの不備によってビットコインの消失が起こったということなのです。ですから、ビットコインそのものがハッキングされてしまう、盗まれてしまうというようなものではないということですから、その考え方としては根本的に間違っているというわけです。それから、もう一つの理由としては、マウントゴックス社のCEOの手によって横領されたものだということが理由なのです。マウントゴックス社に限って言えたことではないのですが、現状のビットコインの会社については駆け出しのところが多いということもあって、信用性に欠けるところがあると言われているのです。何かしらの規制がFXの場合はあるのですが、ビットコインの取引所のついてはそのような規制はありませんか注意が必要なのです。

また、ビットコインは、まだまだ出来たばかりの通貨ということもあって、世界各国における法規制が追いついていないのです。ビットコイン推進を目的として、法律の整備をしようとしているところもあれば、取引そのものを規制しようという動きもあるのです。各国の法律の進み具合によって色々と変わるところもありますし、規制が進むことによって言及出来なくなるところもあるでしょう。日本についても、法整備を進めているところなのです。

ビットコインとドルの取引所である、Bitfinex社の事件もあります。これは、2016年の8月の事件ですが、当時のレートにして約80億円相当の12万BTCが盗まれたのです。これの原因としては、セキュリティ上の欠陥をつかれたハッキングが行われたということです。これに対して、ユーザー保証は行われましたし、倒産も免れたものの、この会社の信用は大きく落ちたというものとなっています。

日本においても、ビットコインにおけるトラブルが起こっていると言われています。国民生活センターが、仮想通貨の購入トラブルには注意することという旨の文章を発表しているのです。ネット上におけるトラブルの内容としては、仮想通貨を購入する際に、○倍の価格になる、半年で○倍になるといったことを言われて購入したはいいけれど、業者が出金に応じてくれないといったものとなります。ビットコインはこれから成長することが期待されるものではあります。ただ、それによって他の仮想通貨の価値が上昇するとは限らないということです。

ビットコインの購入を勧めてくる業者の中には、日本のメガバンクもビットコインに対して関心を持っており、仮想通貨を発行している企業との提携を行うという実験を行っていることもあって、将来的に価値があがるということを話す場合があるのですが、仮にそうだとしてもビットコインと別の仮想通貨との間には何の関連性も無いわけです。ですから、価格が上がったり下がったりすることへの関連性は無いわけです。

仮想通貨を取り巻く法改正

2017年の4月には、改正資金決済法が施行されたことによって、仮想通貨交換業者の登録がないと、国内では資金決済法上の仮想通貨と法定通貨との交換が行えないようになったのです。ビットコインの購入を勧める業者の中には、会員が他の会員を紹介した場合には報酬を出すところもあるのですが、これはネズミ講防止法というものに抵触する可能性があるのです。ともあれ、まずはビットコインの購入を勧められた場合には、登録された業者であるかを確認することが大事となります。登録業者だから絶対に安全ということではないのですが、少なくとも出勤が出来ないといったリスクを限りなく減らすことは出来るのです。ちなみに、現時点では法律による救済措置も相まって、登録業者数は0となっています。どうしても仮想通貨への投資を考えるというのならば、10月以降の様子を見てからでも遅くはないでしょう。

海外のサービスを使うことに対して抵抗を覚えている人もいるかと思います。ですから、日本の企業が紹介しているものを利用しようと思う人は多いと思われます。ですが、実際には海外のサービスの方が安全な例も多かったりしますし、日本のサービスの方が何だかんだで危険だったりすることもあるのです。だからこそ、どのサービスを使うのかの見極めはとても大事になります。英語を理解していて、どんなものなのかをきちんと知ることが出来るならば良いですが、誰もがそういうわけではありません。国がきちんと認めているビットコインを扱うサービスが登場するまで待つというのは良い考えだと思われます。

ビットコインの成功例

ビットコインといえば、現在でこそ日本でも知名度が上がってきたものなのですが、そこまでの注目はされていませんでした。ただ、成功例というのは確かにあって、だからこそ今もなおビットコインは注目されているのです。

ビットコインが作り出された当時、実はその価値は1円にも満たないものがありました。ですが、ノルウェーの男性が遊び半分にてビットコインを2400円分購入したのです。その4年後には価値が何と1800万円にまでなっていたということもあって、現金に換えて家を建てたということです。実際、購入した金額があまりにも安かったこと、それから注目するのをすっかりと忘れていた時にふと見たらそれだけの価値がついていたということです。ビットコインの価値が作り出された当初と比べて大幅に上がっていたことによる成功だと言っても過言ではありません。世界の投資家も実際に目をつけて買いあさっているのが現状名のです。

それから、ビットコインで月に70万円を稼ぎ出したという人もいます。ビットコインとの出会いは巨大掲示板のお金を稼ぐスレッドだったとのことですビットコインはその時の金額は13万円だったとのことでしたが、2016年の4月には4万円だったのが2016年度末には9万円になっていたということです。これは、ビットコインのセキュリティ自体は破られていないこと、電子マネーとは違うこと、ブロックチェーンの技術が使われており、外部からの改竄がほぼ不可能であること、世界初の暗号通貨であるということがあって、投資先に選ばれやすいということで、投資をすることに決めたといいます。ビットコインに投資をしたときの金額が95000円程度だったのに、そこから相場がどんどん上がっていくことに従って、投資額を増やしていったと言います。短期的に伸びることがあるということで、売ることと買うことを繰り返すことによって、一気に利益を上げることに成功したということで、ビットコインは面白いと当人は語っているのです。

ビットコインへの投資を行っている人はたくさんいます。当初から株やFXに対して興味があるという人が手を出すことが多いとも言われています。そういった人は、やはり注文や買いに対してそれらのノウハウを使うことが出来ると言うことで、大きく利益を出すことができると言うのです。当初の元手は15万円程度だったということなのですが、現在のところでは証拠金が数十倍はあるとのことですから、相当の額を得ることに成功しているということです。ただ、常に稼ぎ続けることが出来るというわけではなくて、損をする、得た利益を削られていくことはあると言うことですが、トータルで見たときには成功出来るとのことでした。もちろん、最初から上手く行くようなものではなくて、試行錯誤で定期的にプログラミングを変えているということですし、戦略も色々と練っていることに加えて、リスク管理もきっちりとやっているということです。リスクを抱えるところは当然あるにせよ、きっちりとやることによって利益を出すことが出来るのがビットコイン投資だということを分からせてくれるところがあります。

運のいい人ということではなくて、実際にしっかりと投資を行うことは大事なことです。先に紹介したノルウェーの男性は、結果的に得たお金をその後の投資には回さずに、家を買うという選択をしたわけですが、そのうちの半分でも新たに投資に回していたらどうなっていたでしょうか。投資に回したお金を増やすだけのスキルが仮にあったとしたら、資産を更に増やすことが出来ていたはずです。例えば、資金が1000万円あったとして、それを年間に2割増やすことが出来るとしたら、毎月200万円を手にすることが出来るわけです。ビットコインの売買に関しては、特別時間がかかるわけではありません。そして価格の変動が激しいですから、上手くやれば短期間で大きな成果を上げることが出来るのです。たまたま放置していたから大儲け出来たという例があるだけで、超短期的に見たら損をするケースもあることを忘れてはいけません。

ビットコインのトレンド

ビットコインにおいて、盛り上がりそうな分野について紹介します。

まず、マイクロペイメント×コンテンツです。マイクロペイメンツの技術が更に進むことによって、複数のサービスにおいて同時に実装されて稼働するというイメージがあるのです。すぐに結果を出すというものではないにせよ、マイクロペイメンツの応用として、コンテンツの後払いなどが注目されることでしょう。

それから、MUFGCOINがもてはやされる時代がくるとも言われています。これは、ブロックチェーン技術を使ったポイントのようなものなのです。ですから、革新的なところは特別無いのですが、一般メディアからしたら注目される要素が大きなところがあります。ユーザーの利便性がアップするということ、スマホ起点としたペイメントが身近になるとしたら、それもまたビットコインにも良い材料になると言う予想があるわけです。

トレンドとしては、この他にはICOプロジェクトの崩壊というものがあります。ICOを利用して、多額の資金を調達したプロジェクトが順次色んなパターンで崩壊していくというものです。開発が想定よりも進んでいなかったということ、内部分裂したりすること、そして、トークン価格の急落といったような、プロジェクトとしてぼろぼろになるものが多数出てくると予想されるわけです。過去に期待されたプロジェクトの失敗や成功が今後出てくることを考えたとき、全体的に冷めてくることが予想されるわけです。

その他の分野に関しては、盛り上がる分野としては、国際送金であったり、ヘルスケア分野への応用であったりとします。ただし、それらが盛り上がって成功するという可能性自体は薄いのではないかと思われます。もしも、2016年のような、マクロ経済の混乱や不安が更広がるようなことがあれば、その時にはビットコインの購入やそれに付随するサービスが盛り上がる可能性が十分にあると言うことです。これによって、グローバルに展開している企業やサービスの支払い手段としてのビットコイン採用というのは十分にあり得ることだと思われるのです。ただし、コンシューマー向けのサービスに関しては、まだまだ一般レベルに昇華出来るものではないと言われています。今後のマイクロペイメント技術の進歩、それに加えて業界の結束に期待が持たれます。

仮想通貨法案の行く末

仮想通貨に対して、日本がどのように対応していくかについてですが、2016年の3月に、仮想通貨を財産的価値とするといった旨の法案が閣議決定されたということです。

これによって、ビットコインなどのインターネット上の通貨が、事実上法規制によってお金として定義されることになりました。決済に使うことが出来るという財産的価値と認定されたことによって、金融庁も取引状況の監視に乗り出すことになったわけです。

みんなで大家さんについての質問です。

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手を出すべきではない不動産ファンドと思う。

ホリエモンも推しているビットコインの方がよほど良い。



みんなで大家さん - 不動産ファンド

みんなで大家さんは、1口100万円、申込手数料無料ではじめられます。想定分配率が、不動産特定共同事業法商品として有名な住友サーフと比較して高めに設定されていて、シリーズの累計実績を考えると、資産運用先として、一定の安全性や信頼性はある不動産ファンド商品だといえます。
いわゆるJ-REITであるみんなで大家さんは、投資家の出資金に対して、営業者が選定した対象不動産(主に商業施設)から得られた賃貸利益を、分配するしくみで運用されています。営業者が、賃借人と賃貸借契約を結び、出資者と匿名組合契約を結びます。その後、出資者へ、出資口数に応じて賃料を分配、出資者は、出資口数に応じて、利益分配金を受け取ることができます。不動産管理は営業者が行うので、みんなで大家さんへの出資者は、その名がしめすとおり、手軽に「みんなで大家さん」になれる、というしくみです(このしくみは、みんなで大家さんをはじめ、マリオンボンド住友サーフウイングトラストインベストプラスでも同様です)。
出資金の現金化については、不動産ファンドのように、市場で売り買いすることはできませんが、営業者へ譲渡することで現金化できるようにしています。ただ、反対に、不動産ファンドのように、市場の評価によって出資金が上下してしまうことが防げるため、出資金に対して一定の賃貸利益が分配されるメリットがあるようです。
出資金は賃貸利益によって評価されるので、不動産市場の影響を受けにくい不動産ファンド商品といえるかもしれません(すでに賃貸借契約済みの家賃を分配原資とするため、みんなで大家さんシリーズにおいて1度も想定利回りを下回ったことはないそうです)。
出資金の現金化がしやすく、評価額が安定している点から、みんなで大家さんは、比較的安定した運用を求める人にとっては堅実な不動産ファンド商品といえます。現物不動産、特に商業施設の賃貸利益から分配されるので、安定した分配金も見込めそうです。また、出資する物件の地域を分散させるという考え方を取り入れれば、他の不動産ファンド商品と合わせて、選択の幅はひろがりそうです。
みんなで大家さんの想定分配率・分配回数・販売物件数のバランスは、下図のとおり。(「みんなで大家さん18号」の実績から5段階評価にて表示)
http://www.realestate-fund.com/img/fund_list/ooya.gif想定分配率 分配回数 販売物件数 換金方法 組入物件 元本評価
6.0%6回/年19解約可能小倉賃貸利益

みんなで大家さん比較メニュー

2015年5月末現在の情報です。記載内容には誤りがないよう努めましたが、最新情報とは異なる場合があります。詳しくは、こちら「みんなで大家さん」で、ご確認ください。

みんなで大家さんの基本情報

営業会社である都市綜研インベストファンド株式会社と販売会社であるみんなで大家さん販売株式会社は別会社にしていて、平成11年と平成10年にそれぞれ設立されています。
営業会社販売会社設立資本金
都市綜研インベストファンド株式会社
みんなで大家さん販売株式会社
平成11年8月(営業会社)
平成10年8月(発売会社)
100百万円

みんなで大家さんの商品概要

一口100万円、想定分配率6%の不動産ファンドです。分配が年6回あり、満期まで約3年の商品が多く、申し込み手数料は無料です。なお、商品により詳細は異なります。
商品名出資単位想定分配率分配申込手数料募集総数満期
みんなで大家さん18号
1口100万円
6.0%
年6回
無料
1,864口
平成29年11月30日
みんなで大家さん18号の組み入れ物件 - 城野商業ビル(HPより抜粋)
城野商業ビルは、九州の玄関口であり北九州市の中心である「小倉駅」から3駅のJR日豊本線「城野駅」徒歩3分/北九州モノレール「城野駅」徒歩5分という好立地にあり、30年もの間、地元の方々から親しまれている 複合店舗ビルです。また、国道10号線と322号線が交わる交差点の近くに立地しており、車での利便性も高く、休日には駐車場に行列ができるほどのにぎわいを見せます。
組み入れ物件が位置する北九州市の中心地「小倉」、「城野」(HPより抜粋)
本物件が位置する福岡県北九州市は、1963年に誕生した政令指定都市です。中心駅は「小倉駅」で、山陽新幹線の全列車が停車するほか在来線の起点にもなっており、特急列車が数多く運行されています。「城野」は、その「小倉駅」へ3駅の、住宅地が広がる小倉南区にあります。平成17年度版の国勢調査によると、年少者人口比が高く、実際、本物件の周辺にも、警察官舎のほか、小中高の学校が存在し、比較的若い家族層が多く集まることが伺えます。
みんなで大家さん18号リスクについて(HPより抜粋)
本商品は、不動産投資商品であるため、預金保険の対象ではありません。/金融機関の預金等とは異なり、元本の保証はされていません。/本商品は、賃貸収入及び賃貸費用の変動により、利益分配金は変動することがあります。/都市綜研インベストファンド株式会社への譲渡価格も上記要因等により変動します。/投資した出資持分の価値を含むリスクは、本商品に出資されたお客様に帰属します。
みんなで大家さん18号について(HPより抜粋)
●本商品は営業者がお客様との間で、不動産特定共同事業法第2条第3項第2号に掲げる匿名組合契約を締結します。●みんなで大家さん販売株式会社は不動産特定共同事業法に基づき東京都より許可を受けております。(許可番号/東京都知事76号)●都市綜研インベストファンド株式会社は不動産特定共同事業法に基づき大阪府より許可を受けております。(許可番号/大阪府知事8号)●手数料について(1)営業者へ譲渡する場合:出資の価額の3.0%相当額(税別)(2)第三者へ譲渡する場合:出資の価額の1.0%相当額(税別)●クーリングオフ制度により、契約書面の交付を受けた日から8日間は、書面より契約の解除をすることができます。

みんなで大家さんの換金方法

中途解約は、譲渡することで可能にしており、譲渡は60日後に入金されるようです。その際、手数料は3%かかります。
換金譲渡契約後入金日解約手数料
解約可能
60営業日以内
3.0%

みんなで大家さんの組入物件

組入物件は、レジデンスではなく複合商業施設が多く、事務所や店舗などを法人向けに貸している物件が多いようです。
組入傾向組入物件主な賃借人の種類物件の立地
複合商業施設
事務所、店舗、駐車場
法人
商業地

みんなで大家さんの元本安全性

不動産特定共同事業法商品によく見られる優先劣後システムを採用、劣後出資は20%が主流のようです。運用実績もHP上で開示されています。
優先劣後システム優先劣後比率運用実績のHP開示
あり
8対2
あり

みんなで大家さんの実績

過去の販売実績は、現時点で19商品、過去商品の償還実績もあります。
販売数償還実績
19
あり

不動産特定共同事業法商品一覧

不動産特定共同事業法に基づく、不動産ファンド・資産運用商品を数銘柄、比較し易くまとめています。不動産特定共同事業法商品は、比較的安定した資産運用をお求めの投資家向きの商品といえます。
商品 ポイント
マリオンボンド出資金額や分配回数が商品によって選べるのが特徴。営業・販売会社が不動産賃貸業を中核として実績を積み上げているので、信頼度は高めと言える。
みんなで大家さん申込手数料がかからず、高い想定分配率が特徴。これまでの販売物件数や償還実績もあることから、運用部分の安全性・信頼度はある程度確保できる。
住友サーフ営業・販売会社の信頼度はかなり高いと言える。想定分配率は低めだが、商品の人気が高いのが特徴。初心者向けの堅実な商品と評価できる。
ウイングトラスト高い想定分配率が特徴。販売物件数が他と比べて少ないことが不安要素でもあるが、利回り重視の資産運用には適している。
インベストプラス中途解約不可能型で想定分配率が低めながら、商品の人気が高いのが特徴。会社の信頼性とこれまでの運用・償還実績から安全性を重視する方には適していると言える。
各ページで紹介している比較内容は、当サイトが調査した時点の内容です。新商品の発売、発売商品の販売終了、商品内容の変更等により、最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。なお、商品毎に該当するHPへのリンクを掲載しています。最新の情報はそちらよりご確認ください。

みんなで大家さんについての質問です。詐欺に近いような様々な問題を起こしている...

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2014/1/900:16:07
みんなで大家さんについての質問です。詐欺に近いような様々な問題を起こしている会社ですが、
ここの経営陣はどのような経歴なのですか?
この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。
閲覧数:
18,173
 
回答数:
1
 
お礼:
100枚

ベストアンサーに選ばれた回答

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2014/1/1323:02:08
このみんなで大家さんの代表の柳瀬氏はかつて日本LCA(現:株式会社エル・シー・エーホールディングス)
の代表取締役でした。しかし、現在この会社は柳瀬氏らが関わった現物出資(実態価格の土地を法外な価格で評価)
で問題になっており、上場廃止の可能性が高くなっています。
詳しくは株式会社エル・シー・エーホールディングスのホームページで確認ください(http://lcahd.co.jp/
それ以外はわかりません。

ただ、ここはもう一人有名人がいます。
雨宮 眞也氏(弁護士)です。
雨宮氏はただの弁護士ではなく、元駒沢大学の教授であり、駒沢大学の学長になられたかたです。
その方がティーエスプロパティーズ有限会社(都市綜研インベストファンドの元の会社)の 
代表取締役をしておりました。
http://www.kabupro.jp/edp/20091106/S0004GR0.pdf#search='%E9%9B%A8%E... http://toushi.kankei.me/docs/text/S0004GR0 http://megalodon.jp/2013-0727-0130-53/news.marketgeek.net/file/html...

この会社は、都市綜研インベストファンドの元の会社でもあります。
つまり、詐欺的商法や粉飾などで問題になっている会社の代表を駒沢大学の元学長が
代表をつとめいたということです。
その後、雨宮氏はみんなで大家さん販売会社の顧問に退きますが、深い関係にあったのは、
確かのようです。
http://megalodon.jp/2013-0727-0119-11/xn--48j9ai7fued8283ezje.jp/co...

雨宮氏がこの会社の黒幕として詐欺的商法を考案したのか、ただ名前を利用されたのかは知りませんが、
いずれにしても駒沢大学の学長までされたかたが詐欺会社の一翼を担っていたというのは
残念ですね。
  • ナイス 

    みんなで大家さんの怪しい噂をぶった切り

    本来大きな資金を必要とする不動産投資を、複数の出資者から少しずつ資金を集めることで実現しよう、というのがみんなで大家さんの収益モデルです。
    この運用の利回りや、出資者を募る過程にいくつかの噂があり、情報が錯そうしているようですので、以下に主なものの真偽をまとめてみました。

    ■Web上にあるみんなで大家さんの噂■
    <Q&Aサイトで自作自演?>
    大手Q&Aサイトでみんなで大家さんの投資価値について質問を出し、好評価の回答をつけたのではという噂。
    ↓↓真/偽↓↓
    質問投稿時間と回答投稿時間に差がないものがネット上にいくつも見られるので、Q&AサイトでPRを行っていたことはほぼ確実と思われる。

    <想定利回り6.0%は集客のための嘘?>
    定期預金0.2%、国債1.5%。東証一部の配当平均1~3%。これらと比べ、みんなで大家さんの利回り6.0%は高すぎるという噂。
    ↓↓真/偽↓↓
    利回り6%は、高めではあるが不動産投資としては妥当。不動産投資では、場合によっては10%を超える利回りも期待できる。みんなで大家さんで注目すべきは、利回りの高さではなく、利回り6%を維持できる安定性にあるといえる。

    <債務超過があった?>
    みんなで大家さんは平成24年に債務超過で行政処分を受けており、配当が危うい事態に陥ったという噂。
    ↓↓真/偽↓↓
    債務超過が元で行政処分を受けたことは事実。ただ、行政側は不動産特定共同事業法を基準に審査しており、みんなで大家さんは法人税法を基準に会計処理をしていたとのこと。それぞれ主張の軸になる法律が違う上、どちらを優先するのかという規定も曖昧のようで、立場によって見方が変わるというのが妥当な所。

    <自転車操業で破綻間近ではないのか?>
    出資者を募る→不動産を運用し配当を配る→不動産を売り、出資者に償還金を払い戻す→出資者を募る…というサイクルを繰り返すモデルのため、どこかで躓いた場合にすぐ倒産してしまうのでは、という噂。
    ↓↓真/偽↓↓
    自転車操業のように見えるが、法律でも認められている健全なモデル。元本割れを起こした場合の補填資金の確保も法で定められており、万が一のリスクもフォローされている。
     

    みんなで大家さんは『悪』なのか

    http://www.estatefund-survey.net/app/webroot/img/page/minna.png何かとよくない噂の多いみんなで大家さんですが、応援している者からすると、根拠のないものが多すぎるように感じます。
    確かに、掲示板やQ&Aサイトで自作自演をするなど、過去の広報活動は褒められたものではなかったと思います。また、行政処分を受けているということも、悪印象を感じる大きな原因になっていることでしょう。
    しかし、余分な情報を排除して客観的にみんなで大家さんを評価すると、投資商品としての価値は見過ごせないものがあると思います。
    以下に、みんなで大家さんの投資商品としての特長をまとめてみました。過去の噂に惑わされないで、ぜひ1度、引いた目でチェックしてみてください。

    手堅く収益を上げられるみんなで大家さんの仕組み

手こすり健康法

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確かに効果ありますよ。

手こすり健康法

以前、両手をこすり、その手を患部に当てると、よくなるというのを紹介した。両手を擦り合わせると、摩擦熱が発生するからだろうか。よくわからないが、確かに効くという人は多い。流風も、時々、試してみることもある。
さて、今回紹介するのは、掌で直接、症状に関連している部分をこする方法。例えば、風邪気味だったら、肺の部分に手を当て、少し強くこすってみるのである。小さい頃、喘息だったので、近所の方に、乾布摩擦として、タオルでごしごしすれば、肺が強くなると教えられた。
ただ、今考えると、タオルでごしごしやると、皮膚を傷つけることになるので、本当は、あまり勧められない。韓国では、垢すりとか言って、そういう美容法があるそうだが、あまり健康にはよくないようだ。掌であれば、そういう危険性は少ない。
効果は、朝目覚めた時にやるのが効果がありそうだ。時々試してみるが、体がポカポカしてくる。これで、一日の開始がしやすくなる感じ。これからの寒い時期には、別にどこも悪くなくても、いいかもしれない。
また、花粉症の原因に、肺が弱っているからという人もいる(実は父が母の花粉症を見て、言っていた)ので、このやり方は、多少効果があるかもしれないが、はっきりとしたことは言えない。ただ試しても毒にはならないだろう。
*追記
他人にマッサージをやってもらうのもいいが、自分の手が届く範囲は自分でやった方がいい。

「さする」健康法を始めました 

http://pds.exblog.jp/pds/1/201606/13/35/e0190635_07484548.jpg
    肌を「さする」ことも中国の治療のひとつにあると以前本で読んだことがあります。始めて1週間か10日くらいですが、朝目を覚ました寝床のなかで手のひらを使って、自分の胸部と肩、首、脇の下の皮膚をさすります。時間にしたら何分ぐらいか計っておりません。5月に風邪気味になって以来、痰の量が増えて、薬を服用して収まりましたが、朝に咳が出そうな出なさそうな、仙台弁で表現すると「いづい」状態になります。それで考えて、さすることを始めました。乾布摩擦ではなくて、乾手(自分の手のひら)摩擦です。副作用もありませんし、気持ちの良い行為です。腕も上から下までさすります。朝ラジオ番組を聞きながらさすっています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201606/13/35/e0190635_07580336.jpg
    体の部分によって、手のひらを使うか指先を使うか適当に判断してさすります。話が横にそれますが、手当という言葉は子どもが腹痛を訴えた時、母親が自分の手のひらを子どものおなかに当てたと聞いたことがあります。現代では腹痛と言えば薬を飲むのでしょうが、昔薬がない時代は手を使って体を癒したということでしょうか。手にも癒す力があるなら、自分の体もさすって癒したいと思います。服の上からでもさすれます。今試しています。

毒出し体こすり超健康法―1日2回☓5分で効く ! 単行本(ソフトカバー) – 2015/7/10


内容紹介

体を上下にゆする、体の中心から外に向かって手でこするだけ。道具不要。毎日こすって体調がよくなることを実感してください。

●「体の外に向かって手でこする」「腕をブランブランと振る」「立って足を曲げて体を上下させる」、この簡単な動作を、1日3分~30分行うだけという、超健康法。じつは全身には、東洋医学で言うところの、「気・血・水」の流れる道=経絡というものがあります。経絡は全身の臓器と結びつき、この流れがどこかで滞ると不調としてあらわれます。そこでこの3つの動作を組み合わせ、マッサージして、体の中から毒を出そう、不調を治そうという一冊です。●監修の邱先生は、とにかく自分で続けられる、やってみてすぐに気持ちがいい、シンプルな方法を提案。収録している症状は、肩こり、首こり、腰痛解消、頭痛解消、ダイエット、セルライト除去、風邪を引きにくくする、冷え、むくみ、ストレス、疲労の撃退法など。やってみて即「気持ちいい」が得られ、続けることで慢性の不快症状が軽くなっていきます。せっかちな方に是非お試しいただきたい方法です。

内容(「BOOK」データベースより)

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2015年7月29日
形式: 単行本(ソフトカバー)
以前テレビで見たことのある邱先生の本を見つけて、ぐうたらな私でも出来そうなので参考に購入。
この先生のやり方は、テレビのときもそうだったがとにかく簡単で、
一言で言えば、体を上下にゆする、体内の毒を追い出すように体の外に向けて腕や足を手でこする、それだけ。
テレビを見ながらのろのろ30分ぐらいやっていると、体が温まるし、汗ばむことも。
肩こりで首から背中がバリバリだったのが、寝る前に20分10日ほど続けたところ、
背中が柔らかくなり頭痛がなくなったのでビックリ。


韓国の若者に「日本中毒」が続出

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こういう韓国人も多いというのを大事に考えなくてはいけないと思う。
日本人も韓国の反日だけに注意を向けてはいけない。


ざっくり言うと

  • 韓国で少数派ながら「日本好き」を公言する若者が増えている
  • 同国では「日本中毒」という意味合いで、彼らは「イルポン」と呼ばれている
  • 反日教育を受けた若者がネットで自国の問題点を知り、イルポンになるとの指摘も

本当か?「日本大好き!」韓国人たち 新世代「イルポン」知られざる実態

韓国で「日本が好きだ!」と公言する若者が続出している。
「嘘だ!」という人も多いだろう。なにせ「親日派」という言葉がそのまま「売国奴」を意味するようなお国柄だ。ところが韓国の掲示板サイトなどでは、実際にこんな投稿を見かけることがある。
「自分は日本が好きだ。良いものを良いといって何が悪い?」
「俺、いつかきっと日本に帰化するんだ……。秋葉原に遊びに行って日本の女子と結婚して娘には『あかり』って名付けるんだ……」
「韓国は日本に追いつくことなんてできない。そんな可能性は存在しない」

「日本」と「ヒロポン」でイルポン

もちろんこうした投稿は決して多数派とはいえない。他のユーザーを煽るための意図的な発言もあるだろう。だが、「反日」一色と評される韓国ネットの中に、少なからずそんな声が存在するというだけでも、ちょっとした驚きがある。
韓国の若者たちは彼らを、「イルポン」と呼んでいる。
「日本(韓国語でイルボン)」と、覚せい剤を指す「ヒロポン」を組み合わせた言葉で、「日本中毒」とでも意訳できるか。他人への迷惑を顧みない盲目的な愛国的言動=「クッポン(国+ヒロポン)」から派生し、特にここ数ヶ月で盛んに使われるようになった。
その特徴の1つは、自国への極端な否定だ。たとえばある「イルポン」は、韓国では日本に比べ詐欺事件などの発生件数が圧倒的に多いと指摘、自国を「嘘つき社会」「精神が破綻している」「一流国家の資格なし」などとさんざんにこき下ろす。
そして、「それに比べて……」と日本を盛んに持ち上げるわけだ。当然、他のユーザーからは叩かれまくるが、「隣の国が好きなことのどこが罪?」と開き直ってみせた。
彼らは歴史問題をめぐっても、慰安婦を「金儲け」「被害妄想」などとけなし、「日本統治のおかげで韓国は発展できた」と、日本の保守派さながらの主張を唱える。さらに極端になると、ブログに旭日旗の画像を掲げ、
「テンノウヘイカ、バンザイ!」
と叫ぶ、日本の「ネトウヨ」顔負けのイルポンもある。

ネットの普及で「自国の問題」知ってしまう?

イルポンの正体は、いったい何者なのだろうか。韓国内では10代など若い世代が多いと見る向きが多い。2012年には、「自分は大日本帝国臣民だ」などと自称していた13歳の韓国人少年が太極旗を燃やした写真をネットに公開し、検挙される事件が実際に起こった。この事件は日本でも話題となったが、実はほかにもこの前後には同様の騒動が2件発生している。彼らはともに10代で、典型的なイルポンだった。
ある韓国ブロガーは、イルポンが生まれる理由をこう分析する。
「問題は、ナショナリズムを強調し、反日感情をあおる韓国内の教育だ。子どもたちは極端な愛国者として育てられるが、中高生にもなればネットの普及もあり、どうしても自国の問題点を知ってしまう。そうした若者の一部が、ナショナリズムの代わりに日本に拠り所を求めるのでは」
アニメに代表される日本文化の影響も指摘される。完成度の高い日本アニメなどを通じて日本そのものへの関心を深めた若者たちが、10代特有の「自分は他人とは違う」という反抗心もあいまって、ことさらに「日本好き」を標榜するようになるとの見方だ。こうしたことから、イルポンを「中2病」(韓国でも日本に近い意味で使われている)の一種だと見る向きもある。「そのうち治る」との楽観的見方だが、その真偽は定かではない。


韓国人は反日でも日本が好きになってしまっている理由

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韓国に住んでいると日本の文化がいろいろなところに入り込んでいることが分かります。
そして、そういった日本の文化を韓国人は大好きになっていると感じることが多いです。
例えば、韓国のおもちゃ売り場に行くと、日本の戦隊ヒーローのおもちゃが売られています。
ちなみに今、韓国では、日本のゴーカイジャーのおもちゃを売っています。
IMG_2619
私が、ゴーカイジャーは、私が韓国へ移住する前に放送されていたので、なんだか懐かしい感じも*(^^)*
今、日本で販売されている最新の戦隊ヒーローのおもちゃを韓国の子供にプレゼントして上げると、喜ばれると思いますよ^^
ちなみに、戦隊ヒーローは、韓国では、파워레인저(パワーレンジャー)と呼ばれています。
そしてゴーカイジャーは캡틴 포스(キャプテンフォース)と呼ばれています。
なんで、パワーレンジャーと呼ばれているかまでは分からないですけど^^;

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日本の子供向けコンテンツの力はすごい!

韓国に来て思うのは、
「日本は子供向けの環境やコンテンツが充実しているなあ」
ということです。
日本には、

面白いアニメがあります。
戦隊ヒーローもいます。
仮面ライダーもいます。
ウルトラマンもいます。
プリキュアもいます。

でも韓国では、オリジナルの面白いアニメやいわゆるヒーローものと呼ばれる作品をほとんど見かけません。
日本は、しまじろうという子供たちの勉強を教えてくれるキャラクターもいます。
また、日本の運動会は、先生たちが入念に準備して親御さんにも全員に来てもらって、大規模にやって上げていますが、韓国の学校ではそんな感じではなく、ほそぼそとやっています。
日本には、祭りなどがあって、地域のコミュニティも充実しています。
韓国に来ると、日本が子供に提供している環境やコンテンツは世界に誇れると感じることが多いんですよね^^

日本は嫌いだけれども実は好きになってしまっている理由

韓国の学校は反日教育をされると言われています。
小学校にも「独島は我々のものだ」というポスターを貼っていますし・・・
IMG_2535
でもその一方で、日本の子供向けコンテンツは、韓国にどんどん入ってきています。

日本のアニメ
日本のヒーロー
日本の絵本

私の中三の息子の友達(韓国人)の中には、日本のアニメが大好きで見まくっているうちに、息子が驚くほど、流ちょうに日本語を話せるようになった子もいます。
こんな感じで韓国の子供たちは、自分でも知らない間に、日本の文化に慣れ親しみ、それが体に染みついて知らない間に日本が好きになっているのです。
これが、韓国の人達は、日本が嫌いなんだけれでも、実は好きになってしまっている理由かなと思っています。

日本が嫌いな気持ち
日本が好きな気持ち

どちらが強く出るかは人によって違いますが、この相反した両面性を韓国人は、誰でも持っていると感じます。
日本人の私としては、韓国人の日本が好きな気持ちをうまく引き出して上げれば良いのかな~と思います。

↓↓↓皆様からの応援が韓国生活の励みになっています!

北朝鮮はなぜ日本を狙い始めたのか

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全てチャイナ共産党の(反日、日本攻略)思惑どうりに事が進んでいるようだ。


北朝鮮はなぜ日本を狙い始めたのか

日本の上空を通過した北朝鮮の弾道ミサイル(写真:ロイター/アフロ)
 北朝鮮が日本をターゲットにし始めた。その理由は簡単。中国が北の先制攻撃に軍事的警告を発したのは「アメリカ領」であって、「日本」ではないからだ。中国の報復攻撃に怯えている北は、反日中国を意識している。

◆環球時報の北に対する警告を熟読してほしい

 筆者は何度も中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹紙である「環球時報」が北朝鮮に対して警告を発したことを書き続けてきた。たとえば、
 
などである。
 もう一度、その部分を復習しよう。
 8月10日、中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」は社説として以下の警告を米朝両国に対して表明した。
 (1)北朝鮮に対する警告:もし北朝鮮がアメリカ領を先制攻撃し、アメリカが報復として北朝鮮を武力攻撃した場合、中国は中立を保つ。(筆者注:中朝軍事同盟は無視する。)
 (2)アメリカに対する警告:もしアメリカが米韓同盟の下、北朝鮮を先制攻撃すれば、中国は絶対にそれを阻止する。中国は決してその結果描かれる「政治的版図」を座視しない。
 (3)中国は朝鮮半島の核化には絶対に反対するが、しかし朝鮮半島で戦争が起きることにも同時に反対する。(米韓、朝)どちら側の武力的挑戦にも反対する。この立場において、中国はロシアとの協力を強化する。
 
 この内の(1)と(3)は、北朝鮮にとっては存亡の危機に関わる脅威である。もし北朝鮮がグアムなどのアメリカ領を先制攻撃してアメリカから報復攻撃を受けた場合、中国は北朝鮮側に立たないということであり、その際、ロシアもまた中国と同じ立場を取るということを意味する。
 北朝鮮にとって中国は世界で唯一の軍事同盟を結んでいる国なので、中国が「中朝軍事同盟を無視する」と宣言したとなれば、北朝鮮は孤立無援となる。北朝鮮の軍事力など「核とミサイルと暴走」以外は脆弱なものだ。韓国や日本には大きな犠牲を招くだろうが、アメリカと一国で戦えば全滅する。したがって14日、グアム沖合攻撃は延期(実際上放棄)することを表明した。
 この文章をしっかり頭に入れていただきたい。

◆「日本領」とは書いていないことに注目すべき

 肝心なのは、環球時報の警告文の中には、「日本領」とも書いてなければ、「在日米軍基地」とも書いていないことである。すなわち
「北朝鮮が日本あるいは在日米軍基地を先制攻撃して米軍による報復攻撃をした場合、中国は中立を保つ」
とは書いてないことである。
 中国はあくまでも安倍政権が軍国主義の方向に向かっているとして、中央テレビ局CCTVでは日本よりも詳しく安保関連法案や憲法改正(特に九条)などに関して毎日のように報道してきた。「モリカケ」問題に関しても特集を組んだり、反安倍報道なら、喜んで報道する特徴を持っている。
 どんなに「日中雪解け」的な報道が日本であったとしても、それは一帯一路に日本を組み込みたい中国の魂胆があるだけで、「反日」の姿勢は絶対に代わらない。中国共産党の一党支配体制が崩壊するまで、その要素は絶対不変だと筆者は断言できる。中国の地に生を受け、革命戦争を経験し、毛沢東思想の洗礼を受け、76年間、この中国共産党との葛藤を続けてきたのである。それを学習できなかったとすれば、生き残ってきた意味さえないではないか。これは筆者の生涯を賭けて苦しんできた闘いの結果、初めて出せる結論なのである。
 習近平にとっては反日を叫んでいなければ、「毛沢東が建国前の日中戦争において、日本軍と共謀していた事実」が明るみに出る。これだけは絶対に避けたいために言論弾圧をヒステリックなほど強化している。グローバル化が進めば進むほど、「嘘をつき続けることが困難になる」からである。
 だから中国は決して北朝鮮に「北朝鮮が日本あるいは在日米軍基地を先制攻撃して米軍による報復攻撃をした場合、中国は中立を保つ」とは言わない!
 金正恩もまた、このニュアンスは嫌というほど「理解」しているはずだ。
 だから、もしかしたら中国による北朝鮮に対する武力攻撃があるかもしれないと察知した北朝鮮は、中国が政権の中心に置いている「反日姿勢」に迎合することを選んだのであろう。反日国家を武力攻撃するのは、中国にも躊躇が生まれる。尖閣を奪うためにも不利となるからだ。
 結果、金正恩にとって、「反日は(中国に対する)最高の保身」となるのである。
 韓国も「反日」を叫んでいる限り、安泰だ。中国に保護される。

◆日本は「反日の根深さ」を見逃さないように

 日本のメディアは最近、「なぜ北朝鮮は日本をターゲットにし始めたのか」に関して苦労しながら分析しようとしている。そのいずれも的を射ていない。
 それは中国の本心も北朝鮮の建国時の姿勢をもご存じないからだろうと思う。
 中国の革命戦争を潜り抜け、朝鮮戦争の時は戦火の延吉で朝鮮族とともに日々を過ごした筆者としては、せっかく生き延びているのだから、少しでも自分の原体験を活かして、日本の役に少しでも立つことが出来れば、生き残った甲斐も少しはあるのかと、私見をしたためた。

◆米中は圧力と対話で共通認識

 なお、10月2日付けのコラムで<中国が北朝鮮を攻撃する可能性が再び――米中の「北攻撃」すみ分けか>と書いたが、これは決して「武力攻撃」が決定的となったという意味ではない。あくまでも「万一にも米軍の先制攻撃となった時には、中国が米軍に代わって北朝鮮を武力弾圧する」という意味であって、中国はロシアとともに基本、「対話による解決」を掲げている。
 ティラーソンの発言は、この中国の「対話による解決」にも、臨機応変に対応しているということだ。そして中国は米軍の武力行使にも、やはり臨機応変に対応し、米中が話し合いの上で呼応しながら動いていることを言いたかっただけである。
 中国が先制攻撃をした場合は、当然北朝鮮には中国に都合のいい政権を創建することになるので、ロシアとしても文句はないだろう。そのために中露は今年7月に(平和のために)共闘することを誓った共同声明を出している。
 中国は北朝鮮に経済繁栄をもたらす改革開放体制を望んでいる。これはトウ小平以来の念願でもある。米軍は韓国に駐在する必要も無くなり、「新米中蜜月」の中で、中国はやがて世界のトップに躍り出ようという野望を持っている。
 ロシアは中国を介してアメリカとは、ほどよく友好的になる可能性を持っている。
 このシナリオの中で、中国が何としても絶対に譲らないのは「反日姿勢」である。
 中国共産党が日中戦争において日本軍と共謀していた事実が明るみに出ないようにするために、それだけは貫徹する。日本の真の平和は、中国の民主化によってしかもたらされない。
 日本の政治家は、大局的視点を持っていただきたい。
 「習近平が会ってくれる」とか「訪日して下さるかもしれない」などということを政権の宣伝に使うなど、情けないではないか。毅然と、現実を客観的に見る根性と思考力を望む。
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版も)、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』(中英文版も)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』、『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など多数。

Jアラートが鳴ったあとの数分で生死が決まる

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Jアラートが鳴ったあとの数分で生死が決まる

「自衛隊ができない20のこと 12」


 9月15日、北朝鮮によるミサイル発射が行われました。軍事的脅威がますます大きくなっています。9月3日の核実験は、CTBTの分析で「水爆であった可能性が否定できない」とされました。広島型は15キロトン、長崎型が21キロトンの破壊力でしたが、それをはるかに超えた70キロトンの威力を持つものだったと言われています。広島・長崎の原爆をはるかにしのぐ核兵器の実験が行われたということです。

 北朝鮮はすでに核弾頭の小型化を終え、ICBMの発射実験も多数行い、その精度を上げています。しかも、今回の核実験は水爆の実験だったと主張しています。私たちもいよいよイザというときの準備をしなければならないようです。

 我が国は、海上自衛隊によるSM-3という成層圏での迎撃システムと、最終フェーズを撃ち落とす航空自衛隊のPAC-3という弾道ミサイル迎撃システムを持っています。しかし、どちらも機械ですから、能力限界があります。各々の迎撃システムを中心とするドーム状の限られた射程範囲があり、当然ですが射程範囲外のミサイルを撃ち落とすことはできません。また、上昇中のものや水平に飛んでいるものは撃ち落とせません。あくまでも下降中のフェーズを撃ち落とすシステムです。日本は2重の弾道ミサイル迎撃手段を持っていますが、3重のSM-3、THAAD、PAC-3というミサイル迎撃態勢を持つ米国でも弾道ミサイル避難訓練をしているのです。備えあれば憂いなし、どんなに警戒しても「ゼロリスク」は幻想です。

 自衛隊は私たちを守るため昼夜ミサイルに目を光らせ、その動きに合わせた対応をしています。また、ミサイルの加速の様子をとらえ、現代の空襲警報である緊急警報システム(Jアラート)発令のための情報を伝えるのも重要な任務です。

 自衛隊は、台風や地震などの災害時には救難や災害復興等で私達のそばにいて助けてくれますが、軍事攻撃があった場合には正面から対処しなくてはならないために、私達の身近からいなくなることも考えられます。自衛隊はたとえ有事には救助に来られないとしても、私たちが生きるために必要な警報の元になる情報を伝えたり、ミサイルを迎撃したりしてくれているのです。貴重な情報を生かし、ミサイル攻撃が現実になった時に備えて、私達一人ひとりがそれぞれに生き延びる対策をしておきましょう。

 私達は地震や台風、竜巻などの自然災害が突然襲い掛かってきた時にどうするべきかを考えることには慣れています。それと同じように、弾道ミサイル攻撃にどう対処するのかについても事前に考えておかないといけません。いざ危機に直面すると身近な所に原因があるのではないかと考えがちですが、これは日本の政治のせいでありません。近隣諸国の軍事情勢の変化によるものです。日本が望むと望まざるとに関わらず、周りの国が軍事大国になり、ミサイルや核攻撃をしかけてくる時代になってしまったのです。その過酷な現実を受け止めないといけないのです。

 自然災害についての防災グッズや避難場所の確認はできても、弾道ミサイル攻撃からの避難は荒唐無稽な話と捉えがちです。実際、8月29日に現代の空襲警報とも言うべきJアラートが鳴りました。アンケートによると多くの人はJアラートが鳴っても、弾道ミサイル着弾までのたった数分の間に何をしてよいかがわからなかったために、結局は何もしなかったと答えています。

 北朝鮮から発射された弾道ミサイルは、15分もあれば確実に日本に着弾します。わずかな時間の中でやるべきことは、事前に準備しておかないとすぐには実行できません。弾道ミサイルが我が国の領土に着弾する可能性があると判断された場合にJアラートは、鳴ります。ミサイルは加速を続け領土を飛び越えて遠くの海に着水するかもしれないし、あるいは迎撃が失敗し、本当にあなたのすぐ近くに着弾するかもしれません。Jアラートが与えてくれるのはたった数分間の猶予ですが、この数分間の動きが生死を分けることになるのです。

⇒【資料】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1394328

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弾道ミサイルは大砲と似ていますが、大砲は発射されると、どこに落ちるかすぐにわかります
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ミサイルは大砲と違って、自分で加速しているので、どこまで飛ぶかすぐにはわかりません
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加速中は「どっちのほうに行くか」しかわかりませんが、加速が終わればどこに落ちるかわかります。前回はすぐに加速が終わり、日本まで届かないと判断したので、Jアラートは鳴りませんでした
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今回は日本に届くタイミングになっても、まだ加速が止みませんでした。このため即座にJアラートが発動しました。ココで重要なのは、まだどこに落ちるかは判らないという点です
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仮にココで加速が終われば、それは日本にミサイルが着弾することが判るので、すぐに迎撃をします。また、加速が終わらなくても、切り離した第1段が落ちてきたり、途中で爆発して落ちてくる、などの場合も迎撃します
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8月29日の弾道ミサイルは日本を飛びこえるところまで加速を続けていたことと、切り離したロケットや破片などが落ちてこないことが判ったので、迎撃はしませんでした
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8月29日の弾道ミサイルの件で、Jアラートから時間が短すぎる!と怒っている人がいますが、もし、今よりも早くにJアラートを出すと、何処に落ちるか判らないまま発令することになります。そうなると、北朝鮮がミサイルを発射するたびに発令することなり、その度に避難したり、電車が止まったりしてしまいます。そうやっていると、いわゆる「オオカミ少年」になってしまい、「どうせ今回も飛んでこない」といったことが起きてしまいます
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逆に今回も外れたじゃないか! 本当に落ちてくるのが確定してからJアラートを出せ!と言って怒っている人もいます。しかし、それが確定してからではほとんど時間がなくなってしまいます
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彼らが実際にどこを狙って発射したのか我々日本人には判らないため、これ以上早くすることも、遅くすることもできません。技術的な問題ではないのです。現在のJアラートは日本に落ちる可能性が出た瞬間という、考えられるベストなタイミングで発せられているのです
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このように、一刻を争う状況であるため、Jアラートが出る前から、すでに迎撃態勢を敷いていて、いざ日本にミサイルが落ちる!となったら、即座に対応できるようになっています。海上のイージス艦から発射されるSM3と各地に配備されたPAC3は、ご存じのとおり。ミサイルの種類が違うのは、普通の空と、宇宙空間とに分かれているためです
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Jアラートに文句が言えるのは、平和だからであって、そのシステムをつくり、運営している政府、そしていざとなったときのために、何もない時からずーっと守ってくれている自衛隊に文句を言うのは筋違いどころか、恩知らずもいいところ。文句が言えるのも、平和だからで、平和を守ってくれている人たちがいることを忘れないでくださいね
 Jアラートはミサイル発射後、軌道が我が国の領土に到達する可能性が出てきた段階でその地域に鳴ります。その段階ではまだ加速途中ですし、さらに加速が続くかもしれません。我が国の領土上空を飛ぶことが確定しても、加速して飛び越える可能性もあるわけです。しかし、Jアラートが鳴れば上空をミサイルが飛ぶわけですから、ブースターの破片による落下事故に遭う可能性もあるのです。

 ミサイルに搭載されているのが通常弾頭であれ核弾頭であれ、ともかく数分以内に頑丈な建物か地下に逃げる方が、衝撃波や熱線の影響を直接受けるのを避けられます。身近にある頑丈な建物に飛び込むのにどれくらい時間がかかるのか知っておくと便利です。建物の中では窓やドアから離れ、姿勢を低くして衝撃に備えましょう。ドアや窓は爆風で簡単に吹っ飛びますし、窓のそばにいる人は熱で炭化することがあります。広島・長崎の原爆でも、遮蔽物の陰にいた人と路上にいた人ではその被害に大きな差があったと聞きます。遮蔽物の陰に身を伏せましょう。爆発が起こった方向に目を向けたくなるのはわかりますが、火球を直接見ると失明するので目を覆いそちらを見ないようにします。そういった対処方法の情報を集め、家族との連絡方法や待ち合わせ場所を決め、持ち出すものをあらかじめ準備しておけば、同じ数分でもさっと動くことができるはずです。

 突然のJアラートに「数分では何もできない! ただうるさいだけだ!」と批判があるそうですが、数分もあれば頑丈な建物に飛び込め、生き残る可能性が上がるのです。爆心地の直下はともかく、数キロ離れた場所では頑丈な建物の陰にいるかいないかで生死を分けることもあるのです。終戦直前の広島の原爆投下直前に空襲警報が解除になっていました。もしもあの時、空襲警報が解除されていなければという話が多く残っています。

 自衛隊が伝えてくれるたった貴重なたった数分間をどう使うか。あの時、広島・長崎の人たちにその数分があったらと考えれば、今、私達は弾道ミサイルからの避難を恥ずかしがらずにできるはずだと信じています。

【小笠原理恵】
国防鬼女ジャーナリスト。「自衛官守る会」顧問。関西外語大学卒業後、報道機関などでライターとして活動。キラキラ星のブログ(【月夜のぴよこ】)を主宰

中国人が日本領土爆買い「北海道は中国32番目の省になる」

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日本政府は何も対策しない。本当に馬鹿な国だ。

中国人が日本領土爆買い「北海道は中国32番目の省になる」

NEWSポストセブン / 2017年11月16日 7時0分
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産経新聞編集委員の宮本雅史氏
 いま北海道では、ゴルフ場や広大な農地、自衛隊基地近くの森林などが中国系資本により次々と買収されている。現地を取材した産経新聞編集委員の宮本雅史氏が報告する。
 * * *
 札幌市内から車でおよそ1時間、名山・羊蹄山の麓にある喜茂別町。奥深い山中を進み、「これより先、私有地につき関係者以外立ち入り禁止」という看板を越えた先に、美しい緑のフェアウェイが広がる。
 約210ha(東京ドーム45個分)の広大な敷地には、超豪華なクラブハウスが併設される。ゴルファーには楽園のような環境だが、コースで交わされるのは中国語ばかりだ。
 ここは、“中国人による中国人のためのプライベートゴルフ場”。運営会社が破綻して塩漬け状態のゴルフ場を2011年に中国の投資会社が買収したもので、複数の関係者が「100%、ある中国人オーナーのプライベートゴルフ場」と証言する。最近はゴルフ場予約サイトにも登場し日本人もプレーできるようだが、「オーナーの別荘」と囁かれる豪華クラブハウスに日本人プレーヤーの姿はない。
 いま、北海道で「中国による日本領土の爆買い」が進む。複数の専門家の意見をまとめると、これまで北海道で中国資本に買収された森林や農地などは推定7万haに達し、山手線の内側の11倍以上の広さになる。
 まずは以下に代表的な事例を紹介しよう。
 占冠(しむかっぷ)村にある総合リゾート施設「星野リゾートトマム」は、1000haを超える敷地に巨大タワーホテルやスキー場などを併設する。
「星野リゾート」という名称から日本企業の経営と思われがちだが、経営主体は2015年秋に同施設を買収した中国系企業で、「星野リゾート」は管理を行うのみだ。最近、同リゾートを訪れた知人によると、当地には中国人の利用客が大挙して押しかけ、場内アナウンスにも中国語が。知人は、「正直、ここはどこの国かと驚いた」と語った。
 他にも赤井川村では2016年にシンガポール系企業が270ha(東京ドーム58個分)のキャンプ場を買収し、現在も周辺を買い増す。また登別市上登別町では中国風テーマパークの跡地70 haを中国系企業が買収して太陽光パネル設置を進める。彼らはエネルギーにも触手を伸ばしているのだ。
 中国系資本による土地買収にはパターンがある。最初に「リゾート地をつくる」「医療ツーリズムの拠点にする」などの壮大な計画をぶち上げる。財政難の自治体が賛成した途端に買収交渉を進める。だが、最初の構想は一向に実現しない。
では何のために膨大な日本の領土を手に入れているのか。
 中国が買った土地には共通点がある。ほとんどが周囲を自然に囲まれて中の様子がわからない土地だ。出入りする場所が限られるため、出入口さえ封鎖すれば、外部からの干渉が難しくなる。
 しかもゴルフ場やキャンプ場はすでに土地が整備されていて水源が豊富にあり、開墾せずとも宅地や農地に転用できる。つまり、いつでも“自己完結型の自治区”となりうるのだ。
 最近は世界で移民問題が大きなテーマになっているが、隔離された土地に大勢の中国人が住み着き、農産物や水、エネルギーを占有すれば日本の領土に中国の自治区ができてしまう。それこそが彼らの狙いではないのか。
 事実、中国の一部メディアは、「北海道は十年後に中国の三十二番目の省になる」と予測しているという。ある在日の中国人論客は、「中国は北海道を二十年前から狙っている」として「これは武器を持たない、目に見えない戦争だ」と警鐘を鳴らす。
●みやもと・まさふみ/1953年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、産経新聞社入社。社会部編集委員、那覇支局長などを経て現職。侵食される北海道の現状を取材した近著『爆買いされる日本の領土』(角川新書)ほか著書多数。

義に生きる ~ 台湾を救った根本博・元中将

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台湾海峡の両側は台湾領土となっており、台湾、そして日本のシーレーンの安全上、戦略的な価値は計り知れない。


本国からの武装解除命令を無視してソ連軍と戦うことは、戦勝国からは「戦争犯罪」とされるが、根本中将はその責任は自分一人で負えば良いと覚悟していた。

 司令官の断固たる決意に、駐蒙軍の将兵も闘志を燃やし、攻め込んできたソ連軍と激戦を展開した。8月15日、16日のソ連軍の攻撃は特に激しかったが、駐蒙軍の頑強な抵抗によって、戦車15台の残骸を残して退却していった。
根本元中将は内モンゴルの日本人と台湾を救ったのみでなく日本の安全保障にも多大な貢献をした人物だ。
本国からの武装解除命令に従った満州の関東軍はほとんどが捕虜となりシベリアに抑留された兵は7割以上が酷寒と栄養失調で殺されたも同然だった。また軍の後ろ盾を失った民間人は逃げる途中機銃掃射にあったり婦女子はほとんどが強姦されるなどまさに地獄だった。
 今の日本で平和主義を唱える敗北主義者はこのことをなんとかんがえるのだろうか。
そんな大切な人なのに日本政府はその人のことを知ろうともしないし評価もしてない。
今の日本は明治維新の人物ばかり評価してドラマなど作られるがそれ以上の人物だと思う。(明治政府を作った偉人と言われる人々は佐久間象山から影響受けた吉田松陰の教え(過激な膨張主義)で日本は欧米列強と同様に海外進出(はっきり言えば侵略)をすべきだという思想が刷り込まれた政府だった。それが朝鮮満州へと進出していく素地となり日本人を不幸のどん底に突き落とした。
(もちろん近代化の業績は評価すべき)

 多くの日本人、台湾の人の命を救った人物、男の中の男~私を含めあまりにこの偉大な根本元中将のことを知ら無さすぎだ。

根本を送り出した元長は、疲労困憊して東京の自宅に戻ったが、わずか4日後、突然の死を迎えた。まだ42歳だったが、根本を送り込む工作で、精も根も尽き果てたのだろう。
>とあるように当時台湾に渡航=GHQ占領下の密航だけでも命懸けのことだったのがわかる。
根本元中将と協力者、元長さんら6人、彼らはなんの報酬も名誉も与えられることなくひっそりと人生を終えた。
この記事をもっともっと拡散して日本中に広げようではないか。

No.688 義に生きる ~ 台湾を救った根本博・元中将(上)

<<   作成日時 : 2011/02/27 08:06   >>

 国共内戦で台湾まで危なくなった時、「自分が行かねば」と根本・元中将は立ち上がった。


■1.「自分たちがあの戦争で死ななかったのは、ある日本人のお陰だ」

 福建省厦門(アモイ)市は、さすがに台湾の対岸らしく、台湾では「原住民」と呼ばれている民族と同様の色黒の人々が目につく。そのアモイの港からわずか2キロの海上にある金門島は、台湾領である。

 台湾からは180キロもあるが、この金門島が台湾領であるがために、台湾海峡の両側は台湾領土となっており、台湾、そして日本のシーレーンの安全上、戦略的な価値は計り知れない。

 金門島は四国のような形をしているが、その西北端にある古寧頭村は、蒋介石の国府軍と毛沢東の共産軍の最後の激戦である金門戦争が行われた土地であった。

 台湾の金門戦争の研究家・管仁健は現地を調査していて、次のような発見をした。

__________
 自分たちがあの戦争で死ななかったのは、ある日本人のお陰だ、という話を古寧頭村の古老が話してくれたのです。なんでも、日本人の将軍が国民党の軍にいて、その人が立て籠もった共産軍を村の外に出して、これを撃滅したというのです。その日本人のお陰で私たちは助かったと。[1,p264]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その「日本人の将軍」の名は、根本博・元陸軍中将。国共内戦で国府軍が大陸から駆逐されようとしていた絶体絶命のピンチにあった時に、忽然と日本から台湾に密航し、国府軍を補佐して金門島で共産軍を撃滅した。根本元中将のおかげで台湾の共産化が阻止され、それによって我が国の安全も確保されたのである。

 根本元中将がどのような動機でどのように台湾を救ったのか、その足跡を辿ってみたい。


■2.「私が身命を賭して守り抜く」

 昭和20(1945)年8月15日の敗戦の日を、根本は北京の北西150キロほどにある張家口で迎えた。張家口は万里の長城のすぐ外側にあり、そこから先は内モンゴルの地である。根本はモンゴルの大部分を警備する駐蒙軍の司令官であった。

 ラジオから流れてきた昭和天皇の玉音は、9年前の北海道での陸軍特別大演習で、巡視中の陛下から「将兵はみな元気か?」と直接かけられたお声そのままだった。

 玉音放送の後は、根本がマイクに向かって、「彊民(地元民)、邦人、および我が部下等の生命は、私が身命を賭して守り抜く覚悟です」と語りかけた。玉音放送の直後だけに、根本の声はモンゴル地区に散在していた日本人居留民たちを安心させた。

 放送の後、根本は全軍に命じた。「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」

 本国からは武装解除命令が出ていたが、ソ連軍の本質を見抜いていた根本中将はそれに従わなかった。日本軍が武装解除すれば、ソ連軍は邦人に対して略奪、虐殺、強姦の限りを尽くすだろう。6日前の8月9日から満洲に侵入してきたソ連軍の蛮行は刻々と伝えられていた。

 本国からの武装解除命令を無視してソ連軍と戦うことは、戦勝国からは「戦争犯罪」とされるが、根本中将はその責任は自分一人で負えば良いと覚悟していた。

 司令官の断固たる決意に、駐蒙軍の将兵も闘志を燃やし、攻め込んできたソ連軍と激戦を展開した。8月15日、16日のソ連軍の攻撃は特に激しかったが、駐蒙軍の頑強な抵抗によって、戦車15台の残骸を残して退却していった。


■3.4万人の日本人居留民を脱出させる

 駐蒙軍の目的はただ一つ、侵入してくるソ連軍と戦って、時間を稼いでいる間に4万人の居留民が安全に引き上げる時間を作ることだった。

 張家口から脱出した当時25歳の早坂さよ子さんは、当時の体験をこう語っている。

__________
 張家口はソ連邦が近いのでソ連兵が迫ってくるという話にも戦々恐々と致しました。5歳の女子と生後10ヶ月の乳飲み子を連れてとにかく、なんとか日本に帰らねばと思いました。・・・

 駅に着きますと貨物用の無蓋車が何両も連なって待っており、集まった居留民は皆それに乗り込みました。張家口から天津迄、普通でしたら列車で7時間位の距離だったと思いますが、それから3日間かかってやっと天津へ着くことが出来ました。・・・

 列車は「萬里の長城」にそって走るので、長城の上の要所々々に日本の兵隊さんがまだ警備に着いていて、皆で手を振りました。そして兵隊さん達よ、無事に日本に帰ってきてと祈りました。[1,p66]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 根本率いる駐蒙軍がソ連軍と激しく戦っている間に、4万人の居留民は、こうして無事に引き揚げる事ができたのだった。

 8月21日の午前中に、居留民の撤退が完了したという報告があがり、その夕刻から夜にかけて、駐蒙軍にもひそかに撤退命令が下された。将兵は、途中、生のトウモロコシなどを食べながら、歩いて北京に向かった。


■4.蒋介石への感謝

 その後、根本は北京に留まり、北支那方面の最高責任者として在留邦人および35万将兵の祖国帰還の指揮をとった。

 その年1945(昭和20)年12月18日、根本は中華民国主席・蒋介石の求めに応じて面会した。蒋介石と最初に会ったのは、陸軍参謀本部の支那研究員として南京に駐在していた1926(大正15)年、南京においてであった。二人は共に「東亜の平和のためには、日中が手をつないでいかなければならない」との理想を同じくしていた。

 蒋介石が北京に乗り込んできて、根本中将に会いたいと使者をよこした時、根本中将には蒋介石に対して、言葉では尽くせない感謝の気持ちがあった。

 一つには、在留邦人、将兵の帰国は、国府軍の庇護と協力によって無事に行われているのであり、それは満洲を略奪し、数十万と言われる日本人捕虜をシベリアに連れ去ったソ連とは対照的であった。

 もう一つは、1943(昭和18)年11月に行われた「カイロ会談」で、蒋介石がアメリカ・ルーズベルト大統領、イギリス・チャーチル首相に対して、日本の戦後の国体に関して、「我々は日本国民が自由な意思で自分たちの政府の形を選ぶのを尊重すべきである」と主張し、賛同を得たことである。ここから天皇制存続の道が開けていった。[a,b,c]


■5.根本の約束

 根本は、椅子が二脚しかない書斎に入っていった。蒋介石は根本の手をとり、椅子に座らせた。周囲には、国府軍の高官たちが立ったままでいる。

 蒋介石は、にっこりと微笑みながら言った。

__________
 今でも私は東亜の平和は日本と手を握っていく以外にないと思うんだよ。今まで日本は少々、思い上がっていたのではないだろうか。しかし、今度はこれで私たちと日本は対等に手を組めるだろう。あなたは至急、帰国して、日本再建のために努力をして欲しい。[1,p83]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その態度には、戦勝国代表の驕りは少しも感じられなかった。この時点で、国府軍と共産軍の衝突が中国各地で始まっており、蒋介石には、早く日本が復興して、自分たちを支援して欲しい、という気持ちがあったのだろう。

「東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」と、根本中将は約束した。

 在留邦人と将兵の帰国は約1年で無事完了し、根本中将は1945(昭和21)年7月に最後の船で帰国の途についた。


■6.「わが屍(しかばね)を野に曝(さら)さん」

 根本が東京南多摩郡の自宅に戻ったのが、昭和21(1946)年8月。敗戦からちょうど1年経っていた。それから3年、国共内戦は共産党の圧倒的な勝利に終わろうとしていた。

「自分が行かねば」と根本は思った。蒋介石への恩義を返すために、日本人として「何か」をしたい。押し寄せる共産軍に対して、自分が行って、たとえ役に立たなかったとしても、一緒に死ぬことぐらいはできる。「わが屍(しかばね)を野に曝(さら)さん」と根本は決心した。

 家計は困窮していたが、旅費を作るために、大切にしてきた書画骨董を売り払った。しかし戦後の混乱期ではたいした値段では売れなかった。

「李源」と名乗る台湾人青年が現れたのは、そんな時だった。台湾訛りの日本語を話すその青年は、「閣下、私は傳作義将軍の依頼によってまかり越しました」と語った。傳作義将軍は、根本が在留邦人や部下将兵の帰還の業務に当たっていた時に、面倒を見てくれた恩人であり、その人柄に深い感銘を受けていた人物である。武装解除命令に従わなかった根本が戦争犯罪人として訴えられなかったのも、傳作義将軍のお陰だった。

 なんとか蒋介石を助けたい、と思っていた矢先に、深い縁のある傳作義将軍を通じて、先方から難局の打開を頼み込んできたのである。その依頼に、根本はただ嬉しく、ありがたい、と思った。「私でできることであれば、何とか助力したい」とその場で答えた。


■7.根本を台湾に送り込んだ明石元長

 しかし、当時の日本はいまだ米軍の占領下にあり、海外渡航は自由ではなかった。したがって台湾には密航しなければならない。なによりも、そのための資金もなかった。

 根本を台湾に送り込むための金策と渡航工作に奔走したのが、明石元長(もとなが)だった。元長は、第7代台湾総督を務めた明石元二郎の息子で、本人も小学校を卒業するまで台湾で育った。

 明石元二郎は総督として、水力発電所建設、金融・教育・司法制度の整備、道路・鉄道の拡充、森林保護など、きわめて大きな業績を上げたが、赴任後、1年余にして惜しくも病死した。その遺言により遺体は台湾に埋められ、また明石を慕う多くの人々の寄付によって、200坪もある壮大な墓が作られた。[d]

 その息子、元長も台湾への思いは強く、戦後も台湾からの留学生や青年を援助していた。その縁で、李源青年とも知り合っていた。

 国府軍が敗走を続け、台湾までが危うくなった時に、元長も何かしなければならない、と考えた。そこで、根本を蒋介石のもとに送り込むための資金作りと渡航の工作を始めたのである。

 元二郎は台湾総督まで務めたが、金銭面はきれいな人物で、何の財産も残さずに死んだ。元長の学費すらおぼつかない状況だったが、政府の要人や友人たちが工面してくれたのである。だから元長自身にも財産はなく、あちこちのつてを辿って頭を下げ、資金提供を求めた。

 その甲斐あって、昭和24(1949)年6月26日、根本は延岡港から小さな釣り船に乗り、台湾に向かって出港した。

 根本を送り出した元長は、疲労困憊して東京の自宅に戻ったが、わずか4日後、突然の死を迎えた。まだ42歳だったが、根本を送り込む工作で、精も根も尽き果てたのだろう。


■8.「着いた。本当にやってきた」

 根本は元長の手引きで、警察や占領軍司令部に見つからないよう、転々としながら延岡まで行き、手配された釣り船に乗船した。6人の日本人が同志として付き従っていた。

 夜11時に出港した釣り船は、次第に激しくなる風雨の中で、木の葉のように揺れた。高波をかぶって、船室まで海水がどっと入ってくる有様だった。「こんな船で台湾まで本当に辿りつけるのか」と皆が思った。

 出航から4日目、時速5ノット(9キロ)しか出ない釣り船は、まだ種子島の西方を航行中だった。その夜、左舷船腹のあたりから、ガリガリと音がした。浅瀬の岩に船底をこすったのである。船底に穴が開き、海水が入ってきた。一同、手押しポンプとバケツなどで海水の汲み出し作業をしながら、なんとか近くの島にたどり着いた。

 応急修理として空いた穴に綿を詰め、板を打ち、再び、漕ぎ出したが、水漏れは完全には止まっていなかった。10分交替で常時一人が水汲みをしながら、のろのろと台湾に向かう。

 ついには食糧もなくなり、水も残り少なくなった頃、「山が見えた!」という声が聞こえた。根本が船首の方を見ると、鋸(のこぎり)のような連山の頂が薄く見えていた。

 防波堤の入り口に入ると、電灯がまばゆく輝く台湾北端の港湾都市・基隆(キールン)の市街が広がっていた。「着いた。本当にやってきた」

 腹の底から、喜びが湧き起こってきた。「これで、日本人として蒋総統に恩義を返すことができる」 延岡港を出航して14日目のことだった。

(文責:伊勢雅臣)
国府軍に迎えられた根本は、共産軍を迎え撃つ戦略を立てた。


■1.「根本先生!」

 小さな釣り船で2週間もかけて、ようやく台湾にたどり着いた根本・元中将の一行だったが、密航者として逮捕され、基隆港近くの監獄にぶち込まれた。根本は必死に「国府軍を助けに来た日本の軍人である」と訴えたが、獄吏は「何を寝ぼけたことを言っているのか」とまったく相手にしない。

 しかし2週間も訴え続けていると、「台湾を助けにきたという日本人がいる」という話は次第に広がり、国府軍幹部・鈕先銘(にゅうせんめい)中将の耳に入った。鈕中将は、根本が北支那方面軍司令官だった時に、よく交流していた人物だった。

「根本博」というその日本人の名前を聞いた時、鈕中将は反射的に立ち上がった。根本の人格と信念を知る鈕中将は、「あの根本中将なら、台湾に来ることもあり得る」と直感したのである。その場で、車を基隆に走らせた。

 鈕中将が来ると知らされた獄吏はあわてて根本たち一行を風呂に入れ、食事をさせた。根本たちは急に待遇が変わったので、「いよいよ処刑か」と勘違いをして覚悟を決めたいた。

 そこに現れた鈕中将は「根本先生!」と駆け寄って、その手をしっかり握って話さなかった。その姿は鈕中将の感激の大きさを物語っていた。


■2.蒋介石との再会

 根本ら一行は8月1日に台北に連れて行かれ、湯恩伯(とうおんぱく)将軍の歓待を受けた。湯は根本と会うのは初めてだったが、その名前と実力のほどはかねてから聞き知っていた。湯自身、日本に留学し、明治大学と陸軍士官学校を出た知日派で、流暢な日本語で根本と語り合い、すぐに打ち解けた。

 根本が来たと知らされた蒋介石は、即座に会見を求めた。根本らが応接室に入ると、満面の笑みを浮かべた蒋介石が「好(ハオ)、好、好」と固く手を握った。

 根本の胸中に万感の思いがこみあげた。天皇制を守ってくれ、また終戦時に在留邦人と日本軍将兵の帰国を助けてくれた恩人に、3年前の別れの時に「私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」と約束していた。その約束をついに果たせたのである。

 しばらく話が弾んだ後で、蒋介石は真剣な表情で、こう切り出した。「近日中に、湯恩伯が福建方面に行きます。差し支えなければ湯と同行して福建方面の状況を見ていただきたい」

 蒋介石は長かった日中戦争で、日本軍の実力を良く知っていた。蒋介石はその力をどうしても借りたかったのである。

「私は、福建でもどこでもまいります」と即座に快諾した根本に、蒋介石は感激した面持ちで「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。


■3.大陸での最後の足場

 その2ヶ月前、国府軍は上海を失っていた。上海防衛を指揮していた湯は、殺到する共産軍を前に、市民を巻き込む市街戦を回避するため、上海から撤退したのである。

 上海を失った事で、国共内戦の行方はもう誰の目にも明らかに見えた。5日ほど前にはアメリカ国務省も「中国は、もはや共産主義者の手の中にある。国民党政府はすでに大衆の支持を失っている」として、「軍事援助打ち切り」を発表していた。

 大陸での最後の足場が福建だった。ここも失えば、一気に台湾まで存亡の危機に直面する。湯は「最後の御奉公」に福建に赴く覚悟だった。根本に一緒に福建に行って貰いたい、というのは、湯自身の希望だった。

 福建行きを承諾してくれた根本を、湯は「顧問閣下」と呼び、食事の際には一番の上席に座らせた。根本が恐縮して辞退しても、湯はそれを許さなかった。

 1949(昭和24)年8月18日、根本一行は、福建に向けて出発した。これが自分の「死地」になるかもしれない。恩義を返すべき蒋介石にも自分の気持ちを伝える事ができた。もう何も思い残すことはない。晴れ晴れとした爽やかな気持ちだった。

 根本らは、国府軍の軍服を与えられ、また蒋介石から贈られた中国名を名乗ることとした。根本は「林保源」と名乗った。湯に仕える兵団長らは根本の素性などは知らされなかったが、湯の「顧問閣下」と礼を尽くした態度から、極めて重要な人物であることを感じとっていた。


■4.根本の具申した基本方針

 根本は福建の中心である商都・厦門(アモイ)の地形、経済などを調べた。そして即座に「この島は守れない」と判断した。

 商都・厦門は、厦門湾の中の島にあるが、北、西、南の3方が大陸に面し、狭いところではわずか2キロしか離れていない。三方から攻撃を受ければ、ひとたまりもない。また、商業都市で20万人もの住民が住んでおり、食糧の自給ができないため、持久戦も不可能であった。

 一方、金門島は厦門湾の外にあり、海峡は流れが速い。白くうねった波が遠目にもよく見えた。共産軍が押し渡ろうとしたら、この波を乗り越えなければならない。人口は4万にも満たず、漁業やさつまいもの栽培で暮らしていた。「この島は『自活』できる。大陸との通行をたとえ遮断されても、ここを拠点にすれば長期間、戦い抜ける」と、根元は判断した。

 その夜、根元は湯に、自分の考えを示した。「共産軍を迎え討つのは、金門島をおいてほかにありません」

 湯は押し黙った。「福建を守る」とは「厦門を死守する」ということだった。仮に金門島で戦って勝ったとしても、共産軍は厦門を落としたということで、大きな宣伝材料にするはずだ。蒋介石の怒りも買うだろう。

 しかし戦略的には金門島を死守することが「台湾を守る」ための大きな力となる。自分の名誉を犠牲にしても、長期的に台湾を守る道筋をつけることが、軍人としての務めではないのか。

「わかりました」と湯は答えた。厦門は放棄し、金門島を死守する、という基本方針が、根本の具申通りに決定された。


■5.上陸してくる共産軍を一挙に殲滅する

 その基本方針に則って、根本は戦術を考えた。共産軍は海軍を持っていない。海峡を押し渡るには、近辺の漁村から小型の木造帆船(ジャンク船)をかき集めて、押し渡ってくるのは確実だ。

 それを海で迎え討てば、一時的な勝利はできるだろう。しかし、それでは敵の損害は少なく、勢いに乗った共産軍を押しとどめることはできない。敵の大兵力を上陸させてから一気に殲滅することで雌雄を決しなければ、金門島防衛は成功とは言えない。

 そのために、根本は日本陸軍が得意とする塹壕戦法をとることとした。海岸や岩陰に穴を掘り、敵を上陸させてから戦うという、硫黄島や沖縄戦などでも、圧倒的な戦力の米軍に対し大きな損害を与えた戦法である[a,b]。

 この塹壕戦法を応用して、敵を上陸させた所でジャンク船を焼き払ってしまえば、敵は増援部隊は送り込めない。逃げ道を失った敵兵士は動揺する。ましてジャンク船では重火器は積めないので、相手は銃器を持った兵隊だけだ。こちらには戦車も野砲もある。上陸した兵を一挙に殲滅できる。

 根本は共産軍の上陸地を想定し、塹壕陣地の構築、敵船を焼き払うための油の保管など、日夜島内を巡りながら、指示して廻った。


■6.共産軍の上陸始まる

 10月1日、毛沢東による中華人民共和国の成立宣言が全世界に向けて発信された。敗走を重ねる国府軍は、金門島にまで追い詰められている。勢いに乗った共産軍は、「こんな小島をとるには何の造作もない、大兵力を送り込んで残党をひねり潰すだけの事だ」と、国府軍を舐めきっていた。

 10月半ば、金門島の対岸にある石井港には、灰色の共産軍の軍服を着た兵士たちがあふれ、中国各地の聞いた事もないような方言が飛び交っていた。「漁民は船を提供せよ」と、有無を言わさぬ強制徴用が始まった。

 10月24日夜、共産軍の上陸が始まった。大きな船には百人あまり、小さい船にも50人ほどの兵士が乗って上陸してきた。海岸が兵士の群れで埋まった。そして敵兵が上陸して行った後で、塹壕に隠れていた国府軍兵士たちは、ジャンク船を焼き払った。

 夜が明けてから、出動した国府軍の戦車21両が上陸した共産軍に襲いかかった。37ミリ砲を撃ちまくる戦車隊に、共産軍は多くの犠牲を出しながら、敗退するしかなかった。

 司令部で、湯は根本の手を握って「すべて予定通りです。顧問閣下の判断と計画のおかげです」と語った。「いささかなりとも、お役に立てた」と根本は実感した。


■7.「金門の勝利」

 しかし、まだ戦さの最中である。前線に出れば、さまざま指示も出来るだろう。根本は湯の許可を得て、ジープに乗って前線に向かった。

 共産軍は金門島の西北端にある古寧頭村に立てこもり、村人を盾に必死の抵抗を続けていた。一方、長年、敗北を続けてきた国府軍は、初めてと言ってもよい大勝利に、血気にはやっていた。

「このままでは、巻き添えで一般の村民が大勢死ぬ」と根本は危機感を抱いた。村民が大勢殺されたら、今後、ここを国府軍の本拠として抵抗を続けていくことも難しくなる。根本は冷静に作戦を立てて、湯に献策した。

 まず古寧頭村の北方海岸にいる戦車隊を後退させ、南側から猛攻をかける。それによって敵を古寧頭村から北方海岸に後退させる。そこを砲艇で海上から砲撃させ、戦車隊と挟み撃ちにして、敵を殲滅する、という作戦である。湯の幕僚会議は、根本のいちいち納得のいく作戦を、一致して支持した。

 10月26日午後3時、根本の作戦に基づく南側からの猛攻が始まった。夜になって銃砲声が静まると、敵は予想通り、北側の海岸に向かって後退を始めた。そこに静かに進航してきた砲艇の火砲が炸裂した。共産軍に逃げ場はなく、砂浜は阿鼻叫喚の地獄と化した。
 午後10時、共産軍の生存者は武器を捨てて降伏した。正確な数字は定かではないが、古寧頭戦史館の調査によれば、上陸した共産軍は2万、うち死者1万4千、捕虜6千と推定されている。国府軍の方は、死傷者3千余名に過ぎなかった。

 本編(上)の冒頭で紹介した古寧頭村の古老の言葉、「自分たちがあの戦争で死ななかったのは、ある日本人のお陰だ」というのは、この戦いの事を指している。

 かくしてわずか2昼夜で「金門の勝利」が確定した。勢いに乗って攻め立てた共産軍は、主力を殲滅されたため、その進撃は完全に止まった。金門島はそれから60年を経た今日も台湾領であり、中国の海峡制圧と台湾侵攻を防いでいる。


■8.釣り竿を担いでの帰国

 10月30日、湯は幕僚たちを引き連れて、台北に凱旋した。その中に密かに「林保源」こと根本・元日本陸軍中将がいることは、集まった新聞記者たちは誰一人知らなかった。

 湯一行を迎えた蒋介石は、根本の手を握って「ありがとう」と言った。蒋介石総統に恩を返す、それだけのために台湾に密航した根本にとっては、その言葉で十分だった。

 昭和27(1952)年6月25日、根本は羽田空港に降り立った。小さな釣り船で延岡を出航してから、丸3年が経っていた。出発した時と同様に、釣り竿を担いでいた。いかにも、台湾でちょっと釣りをして帰ってきた、という出で立ちである。

 その頃、日本国内では、蒋介石が戦局挽回を図るために、日本の旧軍人たちを募兵しており、それに根本が関係している、との噂が立っており、大勢の報道陣が待ち構えていた。

「台湾で何をしてこられたんですか」との質問に、「日本の天皇制は蒋総統のおかげで助かったので、その感謝の気持ちを伝えたかっただけだ」と根本は本音を漏らした。「でも、噂のような募兵計画などに参加したり、前線に出て部隊の指揮をとったりしたことはないよ」と、巧みにはぐらかした。


■9.一対の花瓶

 台北の中心に立つ巨大な中正紀年堂には、蒋介石の巨大な像とともに、彼の執務室を再現した部屋がある。その中に高さ40センチほどの花瓶が置かれている。他の壺や置物は一対となって左右に分かれているのに、この花瓶は一つしかない。

 この花瓶は1947年に2個1セットとして3セット作られ、イギリスのエリザベス女王に1セット、日本の皇室に1セット贈られた。残る1セットの一つを蒋介石は自分の手元に置き、もう一つをこう言って根元に与えたのである。

__________
 これは、あなたと私がいつも一緒にいるということです。常にそばにいて、お互いがお互いを忘れないという意味で、この花瓶を贈ります。[1,p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 それは命をかけて蒋介石の恩義に報いようとした根本に対する蒋総統の真心を表したものだった。根本に贈られた花瓶は、今も日本国内のある場所で大切に保管されている。

 根本と蒋介石は共産軍に対して共に戦ったのだが、中国の軍事的脅威は今も続き、その下で日台は運命共同体である。現在の日台両国民も、この1対の花瓶を分かち合っていることを忘れてはならない。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(191) 栗林忠道中将~精根を込め戦ひし人
「せめてお前達だけでも末長く幸福に暮らさせたい」と、中将は36日間の死闘を戦い抜いた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog191.html

b. JOG(196) 沖縄戦~和平への死闘
 勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米国の無条件降伏要求を撤回させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog196.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 門田隆将『この命、義に捧ぐ ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~ 』★★★、集英社、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4087805417/japanontheg01-22/


■「義に生きる ~ 台湾を救った根本博・元中将」に寄せられたおたより

■「特選隊/山口」さんより

知りませんでしたー。根本中将と蒋介石総統、日本と台湾の繋がりの強さ、お互いの関係の深さを知りました。

「八田与一」や今回の話を知って日本と台湾は一つなんだな、と感じました。終戦後アメリカ連合軍によって台湾、沖縄、日本と分断されてしまいましたが、アメリカの委任統治領の沖縄は昭和42年に沖縄県として日本に復帰。沖縄県尖閣諸島と台湾(中華民国)はとても近い。台湾と日本は一つだなという感じを持ちました。当たり前ですけど国民性も台湾と日本はととても似ていて信頼できる。

随分前に、15年ほど前、台湾人の老夫婦(70~80才)が会社の前でうろうろしていたので「どうしましたか」と訊ねると広東語か何かで話すので筆記で話を聞き、台湾人であること、「花卉市場」を探していることが分かりました。花卉市場まで車で乗せていきました。
現場に近くなると花卉市場の大きな文字を見つけて、喜んで安心して車から降りました。私も車から降りこの辺がそうです、と身振りで伝えてから車に乗りました。老夫婦は二人そろって頭を下げて御礼をいってくれました。喜ぶ姿が嬉しかったです。

今これを書いてて思ったのは、よくぞ安心して車に乗ってくれたものだと思いました。つまり台湾でも日常的な親切なんでしょね。それと深々と頭を下げてお礼のお辞儀をしてくれたこと。その時は感じませんでしたが、お辞儀は日本式の挨拶ですよね。これはこれは!台湾と日本はもっと親密な、というより密接な関係にならなきゃ大変だ。

根本中将がロシア(ソ連)軍の進行を防ぐための決断。現地の日本軍に「自衛の為の戦闘」は許可されていても千島列島の最北端、「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」のように、ソ連が連合軍であることを利用して根本中将に戦闘を停止させるための工作はしたでしょう。

しかし根本氏は騙(だま)されずにロシア軍を撃退した。ロシアに対して防御を止めた国や地域はロシア人に蹂躙されることは明白です。平成23年、現在の北海道も一部地域をロシアに占領され日本国民がロシア人に射殺されている。この現実を直視しなければなりません。北海道知事や外務省は何をしている。関係ないか。

とにかく、台湾の親日の心、台湾日本武士道精神。ほのぼのとする話を有り難うございました。根本さんの日本人精神、大和魂、武士道を感じました。


■「noz」さんより

メルマガでご紹介いただいた『この命、義に捧ぐ ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~』を早速拝読しました。私個人としては「義」というよりも、在留邦人、部下の引き上げ、帰国を成功させてくれたことへの「恩」を返すための行動という感想を持ちましたが、上層部の命に反してもソ連軍に抗戦を続けて居留民を守りきり、恩ある蒋介石、台湾のために敢然と立ち上がり、即行動に移す実行力と覚悟に感銘を受けました。

根本中将の活躍は政治的な思惑もあって歴史の闇に葬り去られようとしていたようですが、今回こうして光があてられたことに、日本人として嬉しく、誇りに思います。

■編集長・伊勢雅臣より

「義」というより「恩義」と言った方がぴったりですね。

もうじき日本の海が死ぬ : 「史上最悪の原油流出」が日本の海域を直撃する予測が英国海洋センターより発令。

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しかし、この時点以降、「日本語での報道はほぼ消えた」のですね。
そういうこともあり、「何とか問題なく収まったのだろう」と思っていましたら、唐突に、その後の状況が「極度に悪化する予測となってきている」ことを知りました。それを知ったのは海外の、たとえばロイターの報道であり、それを取りあげていたアメリカの人気ブログ、ゼロヘッジの記事だったりしたのです。


https://www.youtube.com/watch?v=j8DwHSpLS-s

もうじき日本の海が死ぬ : 「史上最悪の原油流出」が日本の海域を直撃する予測が英国海洋センターより発令。3ヶ月以内に九州から東北までの全海域が汚染される可能性

投稿日:2018年1月30日 更新日: 2018年2月1日

そして、拡大が続く「日本周辺のデッドゾーン化」もさらに加速することが確実に

ロイターの記事を引用した1月28日の米国ゼロヘッジより
英国海洋センターによる今後3ヶ月の原油の拡大の予測を示した記事
2週間ほど前に中国沖で発生した石油タンカー事故が、とんでもない状況を日本にもたらす可能性が大きくなっています。なぜか日本では報道が皆無の状態なのですが、海外では、さかんに「アジアの海の危機」として報じられています。
しかし、その予測地図を見ると、アジアといっても、「日本が最も大きな影響を受ける大災害となる可能性が強い」のです。
このことを、わかっている限りご紹介したいと思います。ちょっとこれは、まずい感じです。
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2018年早々の日本の「大厄災」が進行中

未曾有の事態となりつつある事象を起こした事故そのものは、今年 1月6日に発生した貨物船と石油タンカーの衝突事故でした。
下は、1月15日、つまり半月ほど前の AFP の日本語の報道からの抜粋です。

中国沖タンカー事故、深刻影響の恐れ 前代未聞の油流出量との指摘も

AFP 2018/01/15
中国沖で6日に貨物船と衝突・炎上し、14日に沈没したイラン企業所有の石油タンカー事故について、中国国営メディアは15日、現場海域で最大約130平方キロにわたって油が流出したと報じた。環境専門家らは、海洋生物に深刻な被害を与える恐れがあると警鐘を鳴らしている。
中国の交通運輸省によると、タンカーから流出した油は現在も燃え続けているという。中国共産党機関紙の人民日報は15日午後の時点で、現場を起点に長さ約18.5キロ、幅約7.4キロの範囲に油が広がっていると伝えた。
沈没した同タンカーは、軽質原油13万6000トンを積載していた。
米アラスカ州を拠点とする石油流出対策の専門家、リチャード・スタイナー氏はAFPに対し、「1週間にわたって爆発・炎上が続いた船体の損傷を考慮すると、貨物倉や燃料油貯蔵タンクのうち無傷で残っているものはなく、従ってコンデンセート(超軽質原油)と燃料のすべてが流出したというのが私の推察だ」と語り、1回で海洋流出したコンデンセートの量としては史上最多と指摘している。
仮に流出したのが積載量の20%だったとしても、1989年に発生したアラスカ沖で発生した石油タンカー「エクソン・バルディーズ(Exxon Valdez)号」の事故の際の原油流出量に匹敵する規模だという。
しかし、この時点以降、「日本語での報道はほぼ消えた」のですね。
そういうこともあり、「何とか問題なく収まったのだろう」と思っていましたら、唐突に、その後の状況が「極度に悪化する予測となってきている」ことを知りました。それを知ったのは海外の、たとえばロイターの報道であり、それを取りあげていたアメリカの人気ブログ、ゼロヘッジの記事だったりしたのです。
そのタイトルには、
「過去数十年で最悪の原油流出」
とあります。
この数十年で最悪の原油流出被害といえば、2010年のメキシコ湾原油流出事故を思い出しますが、タンカーによる「史上最悪の環境事象」となりますと、
1989年のエクソンバルディーズ号原油流出事故(米国アラスカ州沖)
となります。
これは、Wikipedia の冒頭から抜粋しますと、以下のようなものです。

エクソンバルディーズ号原油流出事故 - Wikipedia

エクソンバルディーズ号原油流出事故は原油タンカーエクソン・ヴァルディーズが座礁により積荷の原油を流出させた事故。この事故はこれまで海上で発生した人為的環境破壊のうち最大級のものとみなされている。
それで、今回、中国沖で事故により沈没したタンカー「サンチ」号については、上の AFP の記事に出て来る専門家によれば、
> 1回で海洋流出したコンデンセートの量としては史上最多と指摘している。
というようなことになる「可能性」があるわけで、つまり、「これまでの史上最悪の海洋環境事故を上回ることが起きるかもしれない」ということになっているのです。
 
それはどこで起きるのでしょうか?
 
・・・というのが、冒頭に示しましたもので、イギリスの海洋センターが、「緊急海洋模型シミュレーション」の実施をして発表した予測図によると、
「その影響のほとんどを日本が受ける可能性」
が出てきているのです。
英国海洋センターが発表した3ヶ月後までの予測図が、ロイターに掲載されていますので、それをご紹介しておきます。
はっきりいって、このシミュレーション通りになってしまうと、いろいろな意味で壊滅的な状況になることもあり得るかもしれません。
影響の色分けは、青や水色の海域は壊滅的な影響となり、茶色の部分は中程度の影響がある可能性のある海域を示しています。
 

英国海洋センターにより更新された最新の緊急海洋シミュレーション

 
 
 
 
そして、原油流出から3ヶ月の、4月中旬には、以下のように原油が海域に広がるという計算結果が出されています。

 
このシミュレーションを見た時には「これは……」と絶句しました。
予測などに関しての軽々なことは書けないですが……要するに、原油の広がり方は、おそらくはこれと準じたものとなると思いますが、それによる海への直接的な被害がどのくらいになるかはわからないわけで……何とも先行きを書くわけにはいきません。
この海域のあたりは、そうとう豊富な海産資源の場所なのではないかというような気もしますが、後述しますけれど、原油の場合、影響が「長い」可能性があるのです。
それにしても、「アジアで日本だけ」が影響を受ける位置で事故が発生してしまっているというのは、何ともアレですが、起きてしまっていることは事実で、そして、原油がこれから日本列島の周辺海域に漂い始めるのも避けられないことのように思われます。
そして、こ少し過去を思い返すと、かなりの厄災のように思うのです。
 

2010年のメキシコ湾の原油流出の7年後に

私がこの In Deep というブログを書き始めて、比較的すぐの頃に、アメリカでメキシコ湾での石油採掘リグの事故による大規模な原油の流出が起きました。その頃の In Deep は、単に海外の記事を翻訳しただけの記事が多かったですが、
という記事には、「メキシコ湾が死の海域(デッドゾーン)となっていく」ことを指摘するアメリカの専門家の研究を取りあげた記事をご紹介していました。
デッドゾーンというのは、酸素の欠乏などにより、文字通り「生き物が生きることができない死の海域」のことです。
メキシコ湾での原油の流出は 2010年のことでしたが、その後どのようなことになっているかご存じでしょうか。
昨年、つまり原油流出から 7年後の 2017年の夏に、以下のような記事を書いたことがあります。
これは、アメリカのメキシコ湾(2010年の原油流出の海域)のデッドゾーンが、過去最大になったことが報じられていたことをご紹介したものです。
2017年8月2日のアメリカの報道より
上にリンクした過去記事の中では、「 2010年から 2017年までの間に、どのようにデッドゾーンが拡大していったか」ということも図で説明していますが、要するに、
「大規模な原油流出が起きた場合、《海の死》は緩慢ではあっても進行し続ける」
ことを、この 2010年から 2017年のデッドゾーンの推移が証明しているともいえるのかもしれません。
さらには・・・。
現在、世界の海域に、あるいは日本の海域に「どのくらいデッドゾーンが広がっているか」をご存じでしょうか。
実はこれは、今年 2018年1月5日の科学誌サイエンスに発表されていた研究結果にあり、「機会があればご紹介しよう」と思っていたのですが、まさかこんな機会でご紹介することになるとは思いませんでしたが、下の図が、「現在の世界のデッドゾーン」です。
2018年の世界のデッドゾーン。赤が沿岸。青は海洋
この図ではわかりにくいかもしれませんが、日本の沿岸のかなり多くが「すでにデッドゾーンと化している」ことがこの調査でわかるのです。
赤い部分は沿岸がデッドゾーンと化している海域がある部分です。
現時点でこの状態の海域に、「これから原油が来る」のです。
・・・・・何か良い方向の示唆でも見出したいですが、なかなかそれは難しく、相当厳しい状況が今年の日本の海を襲うことになってしまうのかもしれません。
今後の海流の流れの方向や、原油の流出量がはっきりしてくることなどで状況は変わっていくと思いますが、現時点での予測では、日本の海がこんなに厳しい環境事変を受けたことはあまりなかったのではないかというような事象に発展する可能性は残っていると思います。
それにしても、この緊急事態がどうして一切報じられないのですかね。防ぎようがないことかもしれないにしても、海に関する仕事に関わっている人たちは知るべきことのように思うのですが。
予想していなかった部分で日本は厳しい 2018年の始まりとなりそうです。

北の脅威に時代錯誤の防衛…有効な自衛手段まったく持たないことへの懸念 ワシントン駐在客員特派員・古森義久 反応 おすすめ記事を受け取る 反応

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憲法9条が日本を守ってきたという大馬鹿左翼思想。
世界でも不思議な馬鹿な考え方ということに気がつかない。
悲惨な戦争体験から戦争は絶対にしてはならないという情緒が全てに優先して自分の身は自分で守るという根本を忘れてごっちゃにしている。


北の脅威に時代錯誤の防衛…有効な自衛手段まったく持たないことへの懸念 ワシントン駐在客員特派員・古森義久

http://www.sankei.com/images/news/180325/wor1803250011-n1.jpg2月8日、平壌で行われた軍事パレードに登場したミサイル(朝鮮中央通信撮影・共同)
 ワシントンではいま北朝鮮の脅威についての論評が盛況をきわめる。北朝鮮の核兵器やミサイルが東アジアだけでなく、米国自体の安全を脅かすのだから当然の反応ではあろう。
 そんな中で「迫りくる北朝鮮の核の悪夢」と題する最新刊の書が関心を集め始めた。筆者は中央情報局(CIA)や国務、国防両省で25年以上、北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルの動きを追ってきたフレッド・フライツ氏である。いま民間研究機関の安全保障政策センター副所長という立場にある。
 同書が注目されるのは第1に、北朝鮮の核とミサイルの開発の現状や経緯が類書よりずっと詳細に記されている点だった。米国当局や脱北者の情報を基に、北領内の核やミサイルの施設多数をも不確実部分は不確実という注釈をつけながらも、きわめて具体的に明示していた。
 第2に、同書がトランプ政権の北朝鮮政策を読む指針になる点である。オバマ政権の「戦略的忍耐」を非難し、トランプ政権の「最大圧力」の効用を強調する。最悪事態に備えての限定的な予防軍事攻撃の具体的なシナリオをも描いていた。
 フライツ氏は今回、国家安全保障担当の大統領補佐官となるジョン・ボルトン氏の国務次官時代の首席補佐官だった。トランプ路線の支持者なのだ。第3は、日本の視点からだが、同書が日本への北朝鮮の脅威を詳述している点だった。米国自体を脅かす兵器類とは別に、弾道ミサイルでは短距離のスカッドのうち西日本にも届く数十基に始まり、準中距離のノドン、中距離のムスダン、潜水艦発射のKN11など、みな日本を射程におさめ、その多くが日本に照準を合わせているという。
 同書は北朝鮮が日本をいかに激しく敵視しているかを説明し、北当局の「日本列島を核爆弾で海に沈める」という昨年9月の言明を引用して、日本が北朝鮮の核弾頭ミサイルの攻撃さえ受ける可能性を指摘していた。
 そのうえで同書の著者フライツ氏は、いまの日本が北朝鮮のこれほどのミサイルの脅威に対しても有効な自衛手段をまったく持たないことへの懸念を表明していた。
 「日本の現憲法は日本に向けての発射が切迫した北朝鮮のミサイル基地を予防攻撃することを許さない。米国に向けて発射されたミサイルを日本上空で撃墜することも認めない。憲法9条の規定により、日本領土外の敵は攻撃できず、同盟国を守るための軍事行動もとれないというのだ。日本は自国の防衛を正常化する必要がある」 憲法9条に根拠をおく専守防衛、そして集団的自衛権禁止という年来の日本の防衛態勢の自縄自縛が北朝鮮のミサイルの脅威によって明らかな欠陥をさらした、ということだろう。
 日本の現憲法が占領米軍によって書かれた当時、日本の防衛といえば、敵の地上軍が日本領土に上陸して初めて活動開始というのが概念だった。遠方から飛んでくるミサイルが日本の防衛を崩壊させるという現在の常識は夢想だにされなかった。日本の憲法と防衛のそんな時代錯誤はいま米国で出た書によっても裏づけられたといえよう。

杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか

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ここにもいた忘れられた偉大な日本軍人その名は

樋口季一郎中将。

ユダヤ人の命を救ったのみならず大挙して北千島に攻め込んできたソ連軍に大打撃を与え北海道民を救ったのに日本政府からなんの評価も与えられてないと言っても過言ではない。



海外の反応 驚愕と感動「今こそ恩返しの時だ」日本人もびっくり仰天【リスペクト日本CH】

https://www.youtube.com/watch?v=jyf-Pp0e8Dc



杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか 新潟県立大学教授・袴田茂樹

 9月初め、露ハバロフスクに近いユダヤ自治州ビロビジャンのユダヤ教会を訪問した。スターリン時代にユダヤ移住地に指定された自治州は、実際は辺鄙(へんぴ)な「幽閉地」で、移住したユダヤ人も殆(ほとん)ど逃げ、人口の2%以下だ。
 教会内展示室には、1940年に「命のビザ」で多くのユダヤ人を救ったリトアニア領事代理の杉原千畝の写真もあった。
 パターン化された歴史認識
 教会の案内人に、では杉原以外にも、38年にソ連・満州国境で、ナチスの弾圧を逃れソ連を通過した数千人のユダヤ難民を救った日本人がいるのをご存じかと尋ねたら、全く知らないと言う。
 樋口季一郎中将(1888~1970年)のオトポール事件のことで、彼の名はユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」にも載っている。わが国でも、樋口を知っている人は少ない。露でも日本でも政治により戦前の歴史には蓋がされて、国民にリアルな現実認識がないからだ。このような状況下で、今日また深刻化した戦争や平和の問題が論じられている。
 近年、冷戦期に二大陣営の枠組みに抑えられていた民族、宗教、国家などの諸問題が、国際政治の表舞台に躍り出て、混乱と激動の時代となり、世界の平和と安定の問題が喫緊の課題となっている。
われわれ日本人がリアルな現実認識を欠き、パターン化した歴史認識のままで、複雑な戦争や平和問題を論じ安保政策を策定するのは危険である。一人の日本人による満州でのユダヤ難民救済事件を例に、歴史認識のパターン化について少し考えてみたい。
 樋口は陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸大卒の超エリートだ。戦前の陸大は東京帝大より難関とされた。1938年のユダヤ難民事件のころ彼は諜報分野に長(た)けた陸軍少将で、事実上、日本の植民地だった満州のハルビン特務機関長であった。同機関は対ソ諜報の総元締で、樋口は日本陸軍きってのロシア通だった。
 捨て身でユダヤ難民を助けた
 38年3月10日、彼は満州のユダヤ組織代表、カウフマンから緊急依頼を受けた。ソ満国境のオトポールにたどり着いた多数のユダヤ人が、満州への国境通過許可がもらえず、酷寒の中で餓死者、凍死者も出る事態になっており、すぐにも彼らをハルビンに通してほしいとの必死の依頼だ。
当時、日本はナチスドイツと防共協定を結んでおり、ナチスに追われたユダヤ人を満州に受け入れることは、日本の外務省、陸軍省、満州の関東軍にも反対論が強かった。しかし緊急の人道問題だと理解した樋口は馘(くび)を覚悟で、松岡洋右満鉄総裁に直談判し、2日後にはユダヤ難民を乗せた特別列車がハルビンに到着した。
 案の定、独のリッベントロップ外相から外務省にこの件に関して強い抗議が来た。樋口の独断行為を問題にした関東軍の東条英機参謀長は、新京の軍司令部に樋口を呼び出した。しかし強い決意の樋口は、軍の「五族協和」「八紘一宇」の理念を逆手にとり、日露戦争時のユダヤ人の対日支援に対する明治天皇の感謝の言葉なども引き、ナチスのユダヤ人弾圧に追随するのはナンセンスだと、人道的対応の正しさを強く主張した。
 樋口の捨て身の強い信念と人物を見込んだ東条は、彼の行動を不問に付すことに決めた。樋口は関東軍や東条の独断専行には批判的だったが、後に「東条は頑固者だが、筋さえ通せば話は分かる」とも述べている。

リアルな理解が国際政治の基礎
 樋口がユダヤ人にここまで協力したのは、若い頃ポーランドに駐在武官として赴任していたとき、ユダヤ人たちと親交を結び、また彼らに助けられたから、さらに37年に独に短期駐在して、ナチスの反ユダヤ主義に強い疑念を抱いていたから、といわれる。
 戦後、ソ連極東軍は米占領下の札幌にいた樋口を戦犯としてソ連に引き渡すよう要求した。その理由は、樋口がハルビン特務機関長だっただけでなく、敗戦時には札幌の北部司令官であり、樺太や千島列島最北の占守(しゅむしゅ)島でのソ連軍との戦闘(占守島でソ連軍は苦戦した)の総司令官だったからだ。
 しかし、マッカーサー総司令部は樋口の引き渡しを拒否した。後で判明したことだが、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会が、大恩人の樋口を守るために米国防総省を動かしたのである。
 私たちは、同じように日独関係の政局に抗して数千人のユダヤ人を救い、映画にもなった外交官の杉原は知っていても軍人の樋口についてはあまり知らない。それは「将軍=軍国主義=反人道主義」「諜報機関=悪」といった戦後パターン化した認識があるからではないか。ビロビジャンのユダヤ教会も、遠いリトアニアの杉原は知っていても隣の満州の樋口は知らない。露でも「軍国主義の戦犯」は歴史から抹消されたからだ。
 私は、リアルな歴史認識こそが国際政治や安保政策の基礎だと思っているので、自身も長年知らなかった事実を紹介した。(新潟県立大学教授・袴田茂樹 はかまだ しげき)

池上彰も「驚くべき史実」と語る占守島の戦い

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日本人が絶対に知るべき歴史。

占守島(しゅむしゅとう)の戦い、司令官池田末男大佐。
規模は全然違うが日本を守った日露戦争と同等の価値あるこの歴史を教科書に載せるべきだ。
 結局この戦いも本国の命令で武装解除し捕虜となりシベリアに抑留され悲惨な末路となった。
 なぜ日本から迎えの船を出さなかったのか。
ソ連兵を窮地に追い詰めていたのに。大群のソ連兵を殺そうと思えば殺せた有利な条件と引き換えに日本兵を安全に日本に返すこともできたのに。
政府に有能な人材がいなかった。

池上彰も「驚くべき史実」と語る占守島の戦い


「まさに教科書に載っていない歴史」(池上彰)


 今年の夏以降、にわかに話題を集め続けている太平洋戦争期の「秘史」がある。1945年8月の「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」だ。
 占守島の戦いとは、太平洋戦争が「終戦」した2日後の1945年8月17日深夜(18日未明とも)、日本領だった千島列島北東端・占守島に、ソ連軍が攻め込んだ出来事だ。当時、日本とソ連は中立条約を締結していたが、ソ連は千島列島、樺太、さらには北海道の北部を日本から奪い取ろうと「不法侵攻」を仕掛けた。

 この時、ソ連軍の侵攻を食い止めたのが、占守島に残っていた日本軍将兵だった。この史実は、戦後の日本においては、作家の浅田次郎氏が小説『終わらざる夏』で題材にしたことはあったが、語られることは多くはなかった。

 しかし今年の夏、「終戦70年」を契機として、いくつかのメディアが占守島の戦いを取り上げた。また、11月上旬には、今年に占守島などで見つかった日本軍将兵の遺骨が、ロシアから日本の遺族団へと返却されたことも報じられた。

 そして、ここにきて再び、地上波のテレビでも占守島の戦いが取り上げられるなど、メディアの注目も高まっている。11月22日(日)19時54分から放送される『池上彰の教科書に載っていない20世紀~戦後ニッポンを救った知られざる人々~』では、実際に占守島をルポ取材。番組についての記者会見で、ジャーナリストの池上彰氏は「(もしも日本軍守備隊の活躍がなければ)北海道北部に『日本民主主義人民共和国』ができていたかもしれない。まさに、教科書に載っていない20世紀の歴史」だと指摘した。

 「当時、ソ連のスターリンは第2次世界大戦の戦いを『大祖国戦争』と呼んだ。祖国を守る戦い、ドイツから祖国を守る戦いだったはずが、実は『祖国の栄光のために』と、日露戦争で日本が領有化した土地を『奪い返す』という思いも抱いていました。

 実は、占守島で日本軍の守備隊が必死に戦った結果、北海道北部がソ連に占領されないで済んだんじゃないか……。これは、驚くべき話です」(池上彰氏)

「8月15日、皆が無事に帰れたわけじゃない」(宮崎美子)


 同番組に出演し、実際に占守島で取材した宮崎美子氏は、次のように語る。
 「終戦って、いつなのか。1945年8月15日じゃなかったのではないか。どこで区切りつけるのか。占守島の戦いは、まさにその話。8月15日に玉音放送があって、その場で全部戦闘は終わり、皆、無事に帰れたわけじゃなかった。そこから始まった戦いがあって、その結果が、今の北方領土問題にもつながっています。

 今回、ロシアでの取材で現地の方の話を聞きました。千島列島は、もともとは平和的にロシアと日本で条約が結ばれて、平和裏に日本の領土になったのですが、そうじゃないように現地では教えられていました。『日露戦争の時に奪い取られた千島列島を、我々が血で購って取り返した』と。

 『だから北方領土も自分たちのものだ、当然だろう』って怒られたこともありました。そうした点は、実際に取材を行なわないと分からないことです」(宮崎美子氏)

 ロシアの教科書には、占守島の戦いでは「正義の戦いとして載っている」(池上氏)という。その一方で、日本においては宮崎氏が「正直、私もこれまでは知らなかった」と語るように、ほとんど語られることはなかった。

 だからこそ、今こそ占守島の戦いを伝えたい。そう語るのが、池上氏の番組のプロデューサーを務めた堀靖彦氏だ。

 「占守島と聞いて、終戦後に日本とソ連が死闘を繰り広げた場所という史実を、果たしてどれだけの日本人が知っているでしょうか。歴史を知ることこそが、私たちの進むべき道を教えてくれます。

 正しい歴史認識のためには、正しい歴史教育が必要なのは言うまでもありません。そんな思いを抱くなかで、今回の番組も生まれました」(堀靖彦プロデューサー)
 池上氏は、「占守島の戦いに関しては、まだ当時を体験したご存命の方もいらっしゃいます。しかし、これからは、そうした方々がいらっしゃらなくなっても、『日本には色々な戦いがあったんだよ』と伝え続けることが必要ではないでしょうか。今回は占守島の戦いですが、インパール作戦やノモンハン事件もそうでしょう」と語る。

 占守島の戦いがなければ、戦後の日本の歴史は、多かれ少なかれ変わっていた可能性が高い。その意味では、終戦後、待ち焦がれていた故郷に帰る夢を置き、再び武器を手に取った日本軍将兵の姿は、池上氏が語るように、先の大戦の史実の中でも、特に今後も語り継がれるべきであろう。


占守島の戦い、少年戦車兵の証言~「どこでもいいから撃て。乱射せい」

2017年08月04日 公開
相原秀起(北海道新聞函館支社報道部長)

占守島、竹田浜
ソ連軍が攻め込んできた竹田浜
(写真提供:相原秀起)
 

火を噴く15サンチカノン砲

小田英孝(旧陸軍元少年戦車兵)は戦車前方の車載機関銃を握っていた。だが、周囲は低木のハンノキやハイマツが茂り、小さな覗き窓から前を確認しようとしたが、木々の枝が視界を遮り、何も見えなかった。併走しているはずの第四中隊の他の戦車の位置もまったくわからなかった。97式車載重機関銃は20発入り箱弾倉(カートリッジ)を使用する。撃発機構は単、連発を手加減で行う引金式を採用し、引き金を引きっぱなしにすると連射が可能だった。ところが、1回に発射する弾数を多くすると、照準線が乱れて次第に弾は狙いを大きくずれるという欠点があった。連続発射の限度は約300発とされ、それ以上の連続発射は銃身が過熱して焼けつく危険性もあった。このため、銃手は引き金を一度絞っては離し、一度に3~5発ずつ発射する「点射」を心がけた。
伊藤は「弾薬は豊富にある。万一、戦闘になったら弾薬のことは遠慮せずに撃ちまくれ」と常に訓示していた。機関銃弾のカートリッジ75個は機銃の近くに並んで差し込まれ、床下に置かれたものも含めて、機銃弾の総数は約4000発にも達した。
小田にとっては初の実戦だったが、不安は感じなかった。戦車帽をしっかりとかぶった。
戦車第11連隊にとって初めての本格的な戦闘が、当初の「仮想敵国」のソ連軍と満洲の平原ではなく、この北千島で相対することになったのも運命のいたずらと言えた。
小田からはハンノキが遮って前が何も見えなかったが、一段高い砲塔にいた車長兼砲手の宮沢は周囲が良く見えた。軽戦車の車長には座席はなく、立ったまま指揮を執り、肩から上を砲塔のハッチから出して周囲をうかがい、操縦手の金谷に向かう方向を指示した。言葉だけでは騒音で聞き取れないため、右に旋回する場合は操縦手の右肩を足先で蹴り、左旋回は左肩を蹴った。急停止は後頭部を小突くのが合図だった。現在の戦車のような防音対策などもなく、小さな戦車内の3分の2はエンジンが占拠していた。
操縦手の左右には、現在の自動車のサイドブレーキのようなレバーがあり、「操向制動連動機」と呼ばれ、レバーはクラッチとブレーキに連結されていた。手前に半分だけ引くと半クラッチ状態となり、さらに引くとブレーキが掛る。左右それぞれが、左と右のキャタピラを制御しており、例えば右のレバーだけをいっぱいに引くと、左側のキャタピラだけが駆動するため、戦車は右旋回した。
軽戦車は通常の道を走るだけならば、操縦は難しくなかったが、戦闘中の操縦は高度の技術を要した。敵の砲弾を回避しながら、自車から発射する砲弾の命中率を高めるために安定走行をしなければならないからだ。

宮沢は中隊を代表する射撃の名手だった。37ミリ砲を肩に担ぎ、体を動かして砲に備え付けられた照準用の眼鏡を覗き込み、真ん中の十字に照準を合わせ、引き金を絞り、次々に砲弾を放った。「スターン」というかすかな音が砲塔内に響いた。「小田。なにやっている。撃て、撃て」宮沢は怒鳴った。
「敵が見えません」
「見えなくてもいい。前は全部敵だらけだ。撃て。どこでもいいから撃て。乱射せい」
その声に応えて、小田は車載銃を右から左へ、左から右へと振り向けながら機銃弾を放った。
「当たっている。当たっている。そのまま撃て、撃て」
宮沢の絶叫が聞こえた。

キャタピラによってずたずたに折られた枝が吹き飛び、戦車に踏みつぶされたソ連兵の体がちぎれて飛んだ。狭い軽戦車内は砲煙と機銃の白い硝煙が充満して、小田は喉がひりひりし、目も痛かった。足元には砲弾と機銃弾の空薬莢がバラバラとはねて転がった。
ソ連軍の小銃弾が戦車の装甲を削り、火花とともに細かな鉄粉が飛び散った。それが小窓から飛び込んで硝煙の煙と入り混じって目に入り、痛くて、小田は何度も目をしばたたかせた。
小田は「戦争とはこんなに息苦しいものなのか」と思った。


砲弾は、着弾時に炸裂して鉄片を四散させる歩兵攻撃用の榴弾と、対戦車用の徹甲弾との2種類を装備していた。砲弾は砲塔部の内側の砲弾収納スペースに1発ずつ格納され、榴弾が90発、徹甲弾20発だった。これらは、ばね仕掛けで砲弾の尻を押すと砲弾が飛び出す。各砲弾は通常、安全ピンによって暴発を防ぎ、戦闘直前に安全ピンを抜くことになっていた。
徹甲弾は地面に突き刺さって爆発しないため、宮沢は榴弾を選んだ。
戦車隊の猛攻にソ連軍は四嶺山からじりじりと後退した。突然の戦車の来襲にソ連軍は動揺を隠せなかった。この第一次攻撃は約40分間にわたって続いた。各戦車は四嶺山の山麓に戻ってきた。
その時、小田は雷が落ちたような豪音を耳にした。同時に地面が大きく揺れ、戦車が一瞬、地面から浮き上がったような気がした。
四嶺山の山麓に設置されていた日本軍最新鋭の96式15サンチカノン砲の砲声だった。
砲弾はロパトカ岬のソ連軍陣地に向けて発射された。
同砲の砲身は口径149ミリ、全長7メートル86センチ、重量6.781トンあり、93式尖鋭弾、95式破甲榴弾、96式尖鋭弾を発射し、最大射程は26.2キロにおよんだ。大阪造兵廠第一製造所が昭和17年10月に調査した完成数は計31門で、神奈川県三浦半島観音崎の東京湾要塞花立新砲台や、津軽海峡を守る津軽要塞汐首岬第二砲台、樺太南端の宗谷要塞西能登呂砲台など、国内や朝鮮半島、樺太の重要な港湾や主要海峡に置かれた。
対米戦を念頭に占守島と幌筵島にも、朝鮮半島の羅津重砲兵連隊から抽出して、両島に昭和19年夏に計4門が配備された。この最新兵器が置かれたことだけを見ても大本営が北千島の防衛をいかに重視していたかがわかる。
15サンチカノン砲は、狙いをロパトカ岬のソ連軍陣地に定め、担当の砲兵らは距離や所定の仰角、方位角などの数値諸元を割り出していたが、終戦時に秘密書類とともにすべて焼却していた。だがその数値を描き込んだメモが残っていた。
砲兵たちは訓練通り、カノン砲を整備し、砲身を高く上げて、砲弾を発射した。その砲弾は、3発目がソ連軍の弾薬庫に命中、ロパトカ岬の砲声はやんだ。小田はソ連軍陣地から黒い煙が上がるのを見た。
15サンチカノン砲に続いて、10サンチカノン砲も火を噴き始めた。高射砲は水平射撃でソ連兵をなぎ倒した。小田は「これは勝ったな」と思った。


2016年11月04日(金) 07時19分22秒
テーマ:自虐史観払拭!
おはようございます。
長谷川です。
 
ご存知でしょうか?
終戦直後の1945年8月18日に突如として
戦闘が始まり、そしてこの戦いに日本は勝ったことを…。
 
 
「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」について
お話をします。
 
 
戦いが行われた占守島とは…
 
 
占守島は、北方諸島の最北端にあり
面積で言うと琵琶湖程度の小さな島です。
海抜200m未満の丘陵と沼地、草原が入り混じり、
樹高1mくらいの這松や榛の木が群生しています。
 
夏は15度で濃霧が発生し、冬にはマイナス15度で猛吹雪になる気候。
東西20km、南北30kmあまりの小島だが、北はカムチャッカ半島、
東はアリューシャン列島と交差する要所で、日本領の最北端でした。

日本はアリューシャン列島を西進してくるアメリカ軍の侵攻に備えて、
戦車隊を擁する精鋭守備軍2万5000をここに置いていました。
1945年当時、すでにアリューシャン列島のアッツ島やキスカ島は、
米軍によって陥落していました。

戦いは不意打ちから始まる…
 
1945年8月15日、終戦と当時に
大本営は日本軍に武装解除を命じます。
 
もちろん、占守島にもこの伝令が伝わり
未使用の弾丸などを海中投棄したり
爆弾の震撼を抜いたりと、引き上げる準備を始めていました。

そして夜は、早くから酒を酌み交わし、故郷の土地を
懐かしむ者もいたそうな…。
 
そして…
 
8月18日午前2時。濃霧が強い夜でした
司令部に監視所から報告が入ります。
 
「敵上陸、兵力数千人。国籍不明!」
 
 
占守島の北端、竹田浜に陣を敷いていた
北端の守備を任されていた歩兵282大隊の村上大隊長は命令を下します。
 
「軍使が夜中に来ることはない。射撃開始!」
対岸のロパトカ岬から砲撃が加えられます。
報告を受けた隣の幌延島の第91師団本部から下令されます。
 
「占守島の戦車連隊、歩兵73旅団は敵を海に叩き落とせ!!。
幌筵島の歩兵74旅団は占守島に移動、援護せよ!」
 
 
この戦車連隊‥・戦車第十一連隊は、「十一」を合わせて「士」、
通称「士魂部隊」と呼ばれた精鋭部隊で、
「戦車隊の神様」と言われた池田末男大佐が指揮していました。

18日午前3時半 敵主力部隊が竹田浜に上陸し、
日本軍の砲火をかいくぐって、四嶺山に到達します。
日本軍守備隊は敵に包囲されます。

 
見事な撃破!
 
 
この包囲された状況に対し「士魂部隊」の池田連隊長が訓示を出します。
 
「我々は大詔を奉じ家郷に代える日を胸に、ひたすら終戦業務に努めてきた。
しかし、事ここに至った。もはや降魔の剣を振るうほかはない。そこで皆にあえて問う。
池田末男少佐諸氏は赤穂浪士(あこうろうし)となり、
恥を忍んでも将来に仇あだを報ぜんとするか、あるいは白虎隊(びゃっこたい)となり、
玉砕もって民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか。
赤穂浪士たらんとする者は一歩前へ出よ。白虎隊とならん者は手を挙げよ!!」
 
全員が歓声を上げて両手を挙げます。
「連隊はこれより全軍を挙げて敵を水際に撃滅せんとす」
 
 
連隊長は先頭を進む戦車の砲身に日章旗を手にしてまたがります。
そこに30数台の戦車が…続々と
 
18日午前6時20分 戦車連隊はソ連軍が包囲する四嶺山麓に到達します。
 
6時50分 池田連隊長より師団指令部あて打電します。
「池田連隊は四嶺山の麓にあり、士気旺盛なり。
ゼロロクゴゼロ(0650)、池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。
祖国の弥栄いやさかを祈る!!」
 
午前中いっぱい、四嶺山から竹田浜にかけて、激烈な白兵戦が展開されます。
竹田連隊長の戦車に敵の対戦車砲が貫通しますが戦闘は続行され、
午後にはソ連軍を竹田浜に追い詰めました。
ソ連軍は戦車部隊を持たず致命的なダメージを被ります。
通常の爆弾や対戦車用炸裂弾を搭載して攻撃を加え、
航空部隊の戦後も加わり
輸送船2隻、駆逐艦2隻、艦種不明1隻撃沈、輸送船2隻撃破
という大戦果を収めました。


戦いの後…
8月19日 ソ連共産党機関紙『イズベスチア』にてこのように書かれました。
「占守島の戦いは、満州・朝鮮における戦闘よりはるかに損害が甚大であった。
8月19日は、ソ連人民の悲しみの日である」
 
驚くことにソ連は占守島を1日で占領する予定でした。
しかし、4日間、日本軍の善戦により3000名以上のソ連兵が
死傷し、目的を達成することができませんでした。
8月23日、千島列島の日本軍は武装解除し
ソ連は南樺太と共に占拠します。

なぜ突如、上陸したのか?スターリンの分断計画
 
ここまで話を聞くと
「なぜソ連は攻め込んできたのか?」という疑問が沸いてくるでしょう。
 
 
大戦終了間際、
スターリンは、日本分断という卑劣な計画を遂行しようとしていました。
 
1945年、フランクリンルーズベルト、チャーチル、スターリンの間で
かわされたヤルタ会談の際、ソ連は千島列島にみならず
北海道の北半分も手中に収めるという密約も結んでいたと言われています。
スターリンは北海道だけでなく東北も赤化するという
分断工作を企てていました。

アメリカの勝利が目前となったとき
ソ連は、その機会に一気に日本領土を奪おうと虎視眈々と狙っていたということです。
北海道まで自国の領土となれば、太平洋がすぐ眼前に広がり
その後の世界革命にも有利になると考えていたのでしょう。
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
 
このような経緯もあり
 
終戦後すぐソ連は千島に攻め込んできたのです…
しかし、日本は、この占守島の戦いに勝利しということもあり
スターリンの計画は崩れました。
北海道まで占拠されることを免れたのです。

我々は、常に大きな世界の野望の中を生きなければなりません。
敵対する国家が、非道な手段で
日本を分断しようとする…これは戦略的観点から使われる手段です。
 
これは先の大戦のときだけでなく…
今でも分断工作というのは使ってきているのです。
しっかりとこの部分は見極めなければいけないと思います。
 
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ライフデジタル ・・・・がんは光(波動の共振)で簡単に殺すことができた

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私の生活に無くてはならない存在です。

がんは光で簡単に殺すことができた


医療従事者でも、その名を知っている人は、少ないのではないでしょうか。 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士。これほど、医療において革命的な発明・発見をした人物はいないと言っても過言ではありません。ライフ博士の偉業を、誰にでもわかるように簡潔に言ってしまえば、 人々を苦しめる、あらゆる種類の病気を、完全に治療する方法を、約 80 年も前に見つけた人物です。 果たしてそんなことが可能でしょうか。とても信じられませんね。残念なことに、病気で死んでいく人は後を絶ちません。 

ライフ博士の魅力的な治療が本物であるならば、先進治療として、スタンダードになっていいはずです。誰もが抱く疑問の答えは、医療の正史には決して出てこない、抹殺された天才の壮絶な人生が物語っています。隠され続けた発明と、ライフ博士の生涯を振り返ってみることにしましょう。 


多くの専門分野を持つ科学者

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ロイヤル・レイモンド・ライフは、機械系の技術者であった父ロイヤル・レイモンド・シニアと母アイダ・メイ・チェイニ-の次男として、 1888 年 5 月 16 日に米・ネブラスカ州で生まれました。母は、ライフが生まれて 8 ヶ月後に病気で他界しました。その後は、叔母のナイナが、 17 歳までのライフ少年を自分の子どものように育てました。 

幼いころから様々なことに興味を持ち、多才で聡明だった
 
ライフは、医者になることを決意し、ジョンズ・ホプキンス大学に進学し、医学を勉強し始めました。次に細菌学に興味を持ったライフは、ハイデルブルグ大学で多くの菌類標本の写真の撮影に成功しました。その分野での多大な功績をたたえ、後の 1914 年には、同大学から寄生虫学の名誉博士号を授与されています。また、微生物の観察に関し、当時の顕微鏡の倍率の限界に不満を感じたライフ博士は、随一の技術を有する光学レンズ会社・ツァイス社で働き、光学レンズについての知識を深めました。 

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その後、ライフ博士は、病理学における微生物の生態研究を深めるためにカリフォルニアに移ります。そこで、知りあった東洋系アメリカ人女性メイニー・クインと知り合い恋に落ちます。当時の強い人種差別の風潮の中でも、ライフ博士は、彼女に対する思いを変えることはありませんでした。その想いを詩にして手紙に書き、二人は結ばれます。 1912 年に結婚し、子宝には恵まれませんでしたが、メイニーはライフ博士のよき伴侶であり続け、その結びつきは 1957 年にメイニーが亡くなるまで続きました。 
ライフ博士は、専門分野をいくつも独学で身につけており、それまでの科学の枠にとらわれない答えを直感で探し当てることができる科学者でした。つまり、ひとりで各分野の科学者や技術者が集まったチームのように、知識や技術を自由に操ることができたのです。ゆえに、新たな目的のために新しい技術が必用とされるときに、ライフ博士はすべて自分で機械を発案し、設計していました。ライフ博士の数々の発明品の中には、ヘテロダイン・紫外線顕微鏡やミクロ解像管、極微操作装置などがあり、広範囲にわたる知識を有していたことがわかります。 

ロイヤル・レイモンド・ライフ博士 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士 
(1888-1971) 
 

ライフ夫妻

 
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驚異の顕微鏡「ユニバーサルマイクロスコープ」

1910 年代当時、がんやその他の病気の原因である病原菌の真の正体をとらえようと研究していたライフ博士は、当時の顕微鏡の性能に限界を感じていました。当時の顕微鏡の倍率の限界であった 2500 倍では、実際に病気を引き起こしているウイルスを見ることはできないと、自らの手でより優れた性能の顕微鏡の開発に乗り出します。 

して、 1920 年までにライフ博士は、ウイルスを見ることができる世界初の顕微鏡を完成させました。また、 1933 年には、約 6000 個の部品で作り上げた驚くほど複雑な装置である「ユニバーサル・マイクロスコープ」を完成させました。 

これは、 60000 倍もの倍率を誇る顕微鏡です。 この驚異的な顕微鏡によって、 ライフ博士は生きたままウイルスを観察した世界初の人間となったのです。 60000 倍という拡大率は、今日の技術水準からしても、驚異的な数字といえます。 

ちなみに、現代の電子顕微鏡を使用すると、その観察下で即座に全ての微生物は死んでしまいます。そのミイラ化した残骸か死骸が観察できるだけなのです。一方、ライフ博士の顕微鏡のもとでは、生きているウイルスが目まぐるしく動き回り、環境の変化によって形を変えたり、発がん性物質と反応して素早く複製したり、また正常な細胞をがん化させていく様子を観察することもできたのです。 

極小の微生物を生きた状態で 観察できるのは、診断と治療という目的のためには、非常に重要なことでした。 


ユニバーサルマイクロスコープライフ博士が設計したユニバーサルマイクロスコープ。1933年に製造されたこの3号機は、ウイルスを生きたまま観察できる機能を持っているものです。 


博士の技術



ライフ博士は抜群の拡大率を持つ顕微鏡を作るだけでは、無色のウイルスを見るには不十分であることに気付きました。既存のアニリン染料で無色のウイルスを着色することはうまくできなかったのです。ウイルスは染料のコロイド粒子を吸収するには小さすぎたのでした。 

そこで、 ライフ博士は、まずスリット分光器を使って、辛抱強く様々な病原菌、細菌のひとつひとつの分光学的特徴を特定しました。その後、石英ブロックのプリズムをゆっくりと回転させ、研究対象の微生物に特定の波長の光を当てます。この特定の波長は、現在では立証されている「すべての分子は固有の周波数で振動している」という事実に基づいて、分光学的特徴である固有の周波数と共鳴するものを選択したのです。 

すべての分子を形作る原子は、エネルギーの共有結合をした分子構造の中で、その分子固有の電磁波周波数 を出したり、吸収したりしています。そして、同じ電磁波振動やエネルギー特性を持つ分子は二つとしてありません。ちょうど海で二つの波が重なると激しさが増すのと同じように、ある分子とその分子固有の周波数と同じ波長の光が重なると共振現象によって光が増幅され、強まるのです。 




共振する特定の色の波長の光を微生物に当ててやると、それまで通常の白い光のもとでは見えなかったその微生物が 、その色の光に共振してあざやかにその姿を現します。ライフ博士はこのようにして、通常の光では見ることのできない微生物を見て、それが活発に細胞組織を侵食していく様子を観察できたのです。 

このユニバーサル・マイ クロスコープを使ってライフ博士が見ることのできた微生物のうち 75 %は、紫外線を使ってのみ観察できるものでした。そして、紫外線は可視光線の波長の範囲外の光なので人間の肉眼でみることができません。そこで、ライフ博士は初期のラジオ放送ではよく用いられていたヘテロダイン(周波数を変換する技術)を使い、この問題を解決しました。 

それはどのようにするかというと、まずそ の微生物に共振する紫外線の波長のうち、二種類の異なる波長の光を当てます。紫外線であるこれらの光は、重なり合うとお互いの波長を妨害しあい、それぞれの振動数を弱めます。このように二つの光の波が干渉しあい、お互いの波を弱め合い、打ち消しあうことによって、より長い波長の光が新しく生まれます。これは、可視光線の範囲の波長の光であるため、肉眼で見ることができるのです。このようにして、ライフ博士は、現代の電子顕微鏡でもまねのできないウイルスを生きたまま観察する技術を完成させたのです。 


1929年11月3日付のサンディエゴ・ユニオン紙。トップ見出しで「地元の科学者が病原菌の驚きの世界を解明」として、ライフ博士と博士が映像に収めた菌類の顕微鏡写真を数点を掲載しています。 上部の連続写真は、ストロンギロイデス属の鉤虫が活動する様子をフィルムに収めたもので、その左下写真は破傷風菌(胞子の状態)を217,000倍に拡大した世界記録の映像であると注釈があります。1929年11月3日付のサンディエゴ・ユニオン紙。トップ見出しで「地元の科学者が病原菌の驚きの世界を解明」として、ライフ博士と博士が映像に収めた菌類の顕微鏡写真を数点を掲載しています。 上部の連続写真は、ストロンギロイデス属の鉤虫が活動する様子をフィルムに収めたもので、その左下写真は破傷風菌(胞子の状態)を217,000倍に拡大した世界記録の映像であると注釈があります。
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認められなかった偉大な功績


特筆すべきことに 、ライフ博士は、 なんと 1920 年にはヒトにがんを作るウイルスをすでに発見していました。 正常な細胞をがん化させる研究を 2 万回以上試みたのです。さらにこの微生物の培養液から 400 種類もの腫瘍を作りだすことにも成功しました。そして、これらの過程をすべてフィルムや写真に収め、その詳細にいたるまで記録に残し、このがんウイルスを「クリプトサイズ・プリモーディアルズ」と命名したのです。 


ライフ博士は、 1930 年代当時の科学者には信じられないほどに進んだ境地に達していたため、理解できる人がいませんでした。そのため、多くの科学者は、米・サンディエゴにある博士の研究所を実際に訪れて、自分の目でその事実を確認したのです。 


バージニア・リビングストン博士は、ニュージャージ 州からライフ博士の研究所のあるサンディエゴに引っ越して、頻繁にライフ博士の研究所を訪れました。彼女は、がんを引き起こす様々な細菌を特定した研究書を 1948 年から出版し始め、今ではその功績が讃えられる有名な科学者です。彼女は、後に研究書の中で、がんウイルスを“プロジェニター・クリプトサイズ”と新しく名付けています。しかし、ライフ博士の名前は、彼女の研究書の中には、一切記されていません。実際、このようにライフ博士の研究による大発見のほとんどが、ライフ博士の功績としては認められていないのです。 


バージニア・リビングストン博士 バージニア・リビングストン博士

彼女の功績は、がんを引き起こすウイルスを特定し、発見したことで医学界で認められていますが、ライフ博士と交流していた事実は医学史において認められていません。 


激しい論争



また、当時ライフ博士の顕微鏡でウイルスが様々に形を変化する様子を目撃した科学 者とそれを見たことのない科学者との間では、激しい論争が起きていました。当時、影響力のあったトーマス・リバーズ博士などは、何の調査をすることもなく、ウイルスの形態変化を否定します。リバーズ博士の顕微鏡では、これらのウイルスの形態変化は観察できなかったため、彼は、「このウイルスの形態変化説というものには論理的根拠がない」と論破したのです。 

現代においても正統派の科学者たちは 、代替医療に関して、まったく同様の観点から評価して結論付けています。前例がないのなら、すべて否定するのです。 1930 年代の空の旅は、危険をともなう大変なことであったので、彼らのほとんどは、ライフ博士の研究所があるサンディエゴまでわざわざ足を運んで自分の眼で確認することなどしませんでした。それゆえに、 ウイルスのライフサイクル(生涯過程)は、実際にそれを観察したこともない人たちの手によって結論づけられ、科学的事実として確立されてしまったのです。 

多くの科学者や医者たちも、暗視野顕微鏡を用いたライフ博士のがんウイルス発見と 、がんウイルスの多様に変化する性質の発見については、その功績を認めるところです。また、ライフ博士は、当時の最先端をいく科学者たちとも仕事をしていました。



名前を挙げると、大手の非営利医療機関であるメイヨー・クリニック所長を長年務めたE.C.ローズナウ博士、ノースウェスタン・メディカル・スクール理事長アーサー・ケンダル博士、世界的に有名なジョージ・ドック博士、高名な病理学者であるアルビン・フード博士、南カリフォルニア大学学長のルーファス・クレイン・シュミット博士、パラダイスバレー療養所・監督責任者R.T.ヘイマー博士、米国医師会・南カリフォルニア支部長ミルバンク・ジョンソン博士など、その他にも大勢います。 

そのような論争の中でライフ博士は、一切その騒ぎにかかわることなく、ただこの小さな殺人者・ウイルスを破壊する方法をより洗練されたものに仕上げていく研究に没頭し ました。ライフ博士は、その姿を視覚化させるのに用いた技術と同じ共振・共鳴の原理を用いてウイルスを破壊することに応用したのです。 

アーサー・ケンダル博士 アーサー・ケンダル博士
彼は、微生物が生きたままその中で観察できる培養液( K-medium) を開発し、ライフ博士の研究に協力しました。 


ミルバンク・ジョンソン博士


1929年のサンディエゴ・ユニオン紙を見て驚いた友人のアーサー・ケンダル博士から依頼されライフ博士の研究所を訪問、その後、ライフ博士の治療器をがん治療に用いる研究を共にしました。

1931年11月20日にミルバンク・ジョンソン博士が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の功績を讃えるために催した晩餐会。当時のアメリカのトップの医学博士44名が、「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」二人を讃えるために集まりました。一番奥に立っている白いスーツの人が、ジョンソン博士、右がケンダル博士、左がライフ博士。
1931年11月20日にミルバンク・ジョンソン博士が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の功績を讃えるために催した晩餐会。当時のアメリカのトップの医学博士44名が、「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」二人を讃えるために集まりました。一番奥に立っている白いスーツの人が、ジョンソン博士、右がケンダル博士、左がライフ博士。
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1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙。大見出しで「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」とあり、小見出しには「医学界への福音」とあります。またその右には、「ライフ博士、18年間の苦労の末のがん退治」とあります。
1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙。大見出しで「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」とあり、小見出しには「医学界への福音」とあります。またその右には、「ライフ博士、18年間の苦労の末のがん退治」とあります。




ウイルスを破壊する技術




ライフ博士は、 すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。そして、そのウイルスと共振する周波数の光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。 微生物がその構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。 ライフ博士は、この周波数を「致死反応振動数(MOR)」とよびました。そして、 この「致死反応振動数(MOR)」の光は、ウイルス以外の周りの正常な細胞には、いっさい害を与えないのです。 




また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。脱毛などの副作用に苦しんだりすることもなく、患者は、すみやかに治療されて、無事に家族の元にもどれるのです。抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法や外科手術のように命を危険にさらす必要もありません。 




この治療法の仕組みは、ワイングラスをある特定の音波で、破壊できることに似ています。目には見えませんが、ワイングラスの分子は、すでにいつも特有の音(その音波のいくつかの高調波と同じ振動数)で振動しています。その音と共鳴しているのです。全てのものは、その物質個有の振動数で振動しているので、その音波で破壊されるのは、そのワイングラスだけです。まさにありとあらゆる全てものは、他とは異なるそれ固有の共鳴振動数を有しており、それこそありとあらゆる周波数が存在しているのです。 
ワイングラスが声で割れる!
https://youtu.be/NsZYBIUBUho

この技術を完成させるのにライフ博士は、ヘルペスや小児麻痺、脊髄膜炎、破傷風、インフルエンザなどを含む数多くの危険なウイルスなどの病原菌を破壊する特定の周波数を発見するために一度に丸二日( 48 時間)通しで働くという生活を長年行っていました。 


著名な博士たちとの共同研究

 

1929 年、「ライフ博士が開発した顕微鏡でウイルスの生態の観察に成功した」という新聞記事が出ると、アーサー・ケンダル博士が友人のミルバンク・ジョンソン博士にライフ研究所を訪問して、本当か確認してくるよう依頼しました。依頼の通り研究所を訪問した、ミルバンク・ジョンソン博士は、ライフ博士の先進的な研究に興味を持ち、協力者となりました。また、アーサー・ケンダル博士も、ウイルスを培養して、生きたまま観察できる培養液(K- medium) を開発し、ライフ博士と共同研究をはじめました。 


そして、 1931 年 11 月 20 日には、ミルバンク・ジョンソン博士による晩餐会が催され、米国内で最も尊敬される医学界の権威である 44 人が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の共同研究の功績を祝いました。 


1934 年、南カリフォルニア大学は、特別医療研究委員会を設立して、ミルバンク・ジョンソン博士のパサデナ郡立病院の末期がん患者を対象にライフ博士の研究所でがん治療実験を実施しました。その研究チームには医者や病理学者が加わり、患者の診察を行いました。 3 カ月の診療の後、委員会は 86.5 %の末期がん患者が完全に治癒したと報告したのです。さらに治療は継続され、残りの 13.5 %の患者も 4 週間後にはこの治療によって完治してしまいました。ライフ博士の技術による治癒率は何と 100 %だったのです。 現代の最先端治療でさえ、がんの平均治癒率は、 15 ~ 30 %と言われていますから、この数値が、どれほど驚くべきものかおわかりになるでしょう。 

しかし、驚いたことに 1939 年までには、晩餐会にまつわる医者や科学者のすべてが、ライフ博士という人物に会ったことなど一度もないと証言する事態にいたります。ともに、研究をしたアーサー・ケンダル博士や、よき協力者であったミルバンク・ジョンソン博士も例外ではありませんでした。いったい何があったというのでしょう。 


悲劇のはじまり

 
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悲劇の兆候は、まずライフ博士を買収することから始まりました。 1934 年 には、米国医師会の株式をすべて所有していたモーリス・フィッシュベイン氏が、弁護士をよこして、ライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求しました。しかし、ライフ博士は、それを断ったのです。 



フィッシュベイン氏は 、過去にも、がんの薬草治療を開発したハリー・ホークシー博士を押さえこむために、圧力をかけたことがあります。 

フィッシュベイン氏は、強力な政治的影響力を行使して、 16 カ月の間にホークシー博士を 125 回も逮捕させたのです。 

全ての罪状は、無免許での医療行為であり、裁判では訴追を免れ ましたが、この度重なる嫌がらせのおかげで、ホークシーは精神的に追い詰められました。フィッシュベイン氏は、アメリカ医学協会の会長であり、アメリカ医学協会誌の主任編集員でもありながら、生涯一度も患者を診たことがありませんでした。彼は命を救うことよりも、金銭と権力への飽くなき欲望に意欲をもやす人物でした。 


フィッシュベイン氏は、ライフ博士に対して同様の作戦を用いることは裏目に出ると考えたため、ライフ博士は、ホークシー博士のように無免許での医療行為と称して逮捕されませんでした。というのは、もしそのように疑惑をねつ造して、逮捕させてから裁判に持ち込んでも、ライフ博士と研究をともにしていた著名な医療関係者たちが博士を弁護する証言台に立つことになります。そうなると、当然、弁護側は、 1934 年のパサデナ郡立病院での臨床試験を持ち出してきます。 医薬品業界が一番恐れているのは、この痛みも費用もかからずに末期がんを 100 %完治させてしまう治療法の存在が明るみに出てしまうことなのです。 


それに付け加え、ライフ博士は長年の研究内容の全てを詳細にいたり、フィルムや写真に収めています。これ以上の明確な証拠はありません。 


だから、まったく別の方法 で潰されたのです。まず、ライフ博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれました。しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。そして、ライフ博士の研究を立証するため、何億円もかけて設立されたニュージャージー州のバーネット研究所が放火されたのです。 


これによって 、ライフ博士も窮地に立たされました。というのは、コンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからです。さらに、ライフ博士の貴重な顕微鏡は何者かによって、破壊され、 5682 もの部品が盗まれました。そして、最後にとどめを刺したのは、警察による令状なしの捜索と違法な没収です。これにより、 50 年に渡るライフ博士の研究の残骸もすべて処分されてしまったのです。 
 

モーリス・フィッシュベイン氏

 
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AMA(米国医師会)の理事長である彼は、医療業界にとって不利益になる数々の治療法を弾圧してきました。 

徹底的な圧力と破滅




1939 年には、製薬産業を牛耳る一族の代理人は、元ビームレイ・コーポレーション社員の、フィリップ・ホイランド氏を援助して、ビームレイ・コーポレーション社のライフ博士のパートナーを相手取って根拠のない訴訟を起こさせました。このビームレイ・コーポレーション社が博士の治療器を製造していた唯一の会社でした。ホイランド氏は、敗訴しましたが、この訴訟を起こすことによって、ビームレイ・コーポレーション社に莫大な訴訟費用の負担をかけ、倒産に追い込みました。 




当時、世界恐慌の時代 のさなか、この会社が倒産することは、ライフ博士の治
療器が商業的に生産される道が、完全に閉ざされてしまうことを意味していたの
です。 




同時に、ライフ博士を擁護した医者たちもすべて、研究費の支給が打ち切られ、職場を追われることになりました。 

一方、ライフ博士の治療法について知りながらも、そ れについて口を固く閉ざした者には、多大な資金的援助があてがわれました。博士の研究を抹殺するには、いっさいお金に糸目をつけなかったのです。なぜかといえば、日本を例にすると、がんの先進医療に対し、一人当たり平均して、約 300 万円(自己負担金額)も費用がかかります。つまり、膨大な利益を生む一大産業なのです。 




このような事情から、当時、ライフ博士とがんウイルスの研究を共にしたノースウェスタン・メディカル・スクール理事長のアーサー・ケンダル博士などは、当時では破格の 2500 万円もの恩給を受け取り、さっさと引退してメキシコに引っ越してしまったし、また別の高名な医学博士で、ライフ博士と共同研究したにもかかわらず、固く口を閉ざしたジョージ・ドック博士なども莫大な恩給を受け取り、米国医師会から最高の栄誉ある地位を授与されています。 




関係者のすべてが、アメとムチで釣られていく中で、クーチェ博士とミルバンク・ジョンソン博士だけは、ライフ博士の研究を続行することを断念し、もとの処方薬を用いた医療の世界に戻っていきました。




また、製薬企業からの資金で出版され、米国医師会によって牛耳られている医学雑誌は、 ライフ博士の治療について、どんな形であれ掲載することを禁じています。そのため、医学生は大学で勉強中も就職後も、ライフ博士の医学上の大発見について全く知る機会もないのです。 




ライフ博士の生きた時代は、まさに文明が急 速に進化していった時です。馬から自動車、そして、飛行機へと。ライフ博士は、 1905 年にアメリカ人の 24 人に 1 人が、がんにかかっていた時代から、亡くなる 1971 年には、それが 3 人に 1 人の割合まで急速に増えていく様をみつめていたのでした。 




ライフ博士はまた、 米国がん協会やソーク・ファウンデーションなどその他の多くの医療組織が、彼がサンディエゴの研究所でとうの昔にすでに解決してしまった病気の治療のために、数百億円もの資金を調達し、その後急速に大成長を遂げていった様子もすべて知っていました。 ある時期には、 176,500 種類ものがん治療薬が医薬品として認可されるために検査を受けていたこともあります。これらの中には、わずか 0.17 %でも好ましい結果が得られただけで医薬品として認可されたものもあります。また、致死率が 14 ~ 17 %もあるもので認可されたものもあるのです。 




この結果、がんでなく医薬品によって死亡した ケースにおいても、診断書には「完了」とか「部分的緩和」と書かれます。なぜなら、患者は実際がんによって死んではいないからです。事実、 医学界におけるがん治療において重要とされているのは、患者ががんで亡くなる前に薬の作用で殺して、それでがんに勝ったことにしてしまうことなのです。 

結論として、ライフ博士の生涯をかけた研究と大発見は無視され、潰されただけでなく、おそらくは、ライフ博士とともに埋もれてしまったものと思われます。ライフ博士の最後の 3 分の 1 の人生は、アルコールに溺れたものでありました。無駄になった 50 年の研究生活からくる精神的な痛み、またすべてを鋭敏に知覚できる意識は、膨大な利益を手にする少数の既得権益者たちの傍らで、無為に苦しむ何百万もの人々を、酒の力なしで、忘れることはできなかったのでしょう。




1971 年、ライフ博士は、バリウム(精神安定剤)とアルコールの過剰摂取により帰らぬ人となりました。 83 歳でした。ライフ博士は、自身の発明した治療器の特殊な光の照射を浴び続けていたため、アルコールの乱用にもかかわらず、これほど長生きできたといわれています。 

ビームレイ社の周波数治療器

ビームレイ社の周波数治療器
左がライフ博士、右側で共振周波数を発するアルゴンガス管を指さしているのは、ホイランド氏。ホイランド氏は同社において、周波数治療器の製造と改良を担当しました。後にAMA(米国医師会)の支援を受け、同社を相手取って長引く訴訟を起こし、ライフ博士を疲弊させました。 

The Cure That Worked
バリー・ラインズ著の「The Cure That Worked」(成功したがん治療)

この本には、ライフ博士が発明したがん治療とそれを製薬業界・医学界が抹殺し、50年に渡り隠蔽してきた歴史が詳細に書かれてあります。 

現在のライフ治療器


中国、アフリカに6兆円超支援 習氏、「運命共同体」構築

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米国が中東とアフガンに大量の無駄金を使っている間にチャイナはアフリカに着実に我が物にしようと布石を打っている。

アフリカの資源マーケットがチャイナに食われてしまう。

中国、アフリカに6兆円超支援 習氏、「運命共同体」構築

共同通信 / 2018年9月3日 21時11分



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北京の人民大会堂で開かれた「中国アフリカ協力フォーラム」首脳会合で演説する中国の習近平国家主席=3日(共同)
 【北京共同】中国とアフリカ各国が参加する「中国アフリカ協力フォーラム」首脳会合が3日、北京の人民大会堂で始まった。習近平国家主席が開幕式で演説し、アフリカとの「運命共同体」を構築し、アフリカの経済発展のため総額600億ドル(約6兆6600億円)規模を拠出すると表明した。「保護主義や単独主義に反対する」とも述べ、保護主義的な通商政策をとるトランプ米政権をけん制した。
 天然資源や巨大市場を抱えるアフリカ諸国と連携を強める姿勢を示した。習指導部が提唱する現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の枠組みで経済協力を進め、アフリカの発展を中国の成長に取り込む。
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