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アメリカ、連合国側にナチス、ヒトラーを悪者にする資格は全くない。それは日本に対しでも同様だ。


アメリカ、連合国側にナチス、ヒトラーを悪者にする資格は全くない。それは日本に対しでも同様だ。
>全て歴史はアメリカのロックフェラーを筆頭とするアメリカ財閥が裏で糸を引いて多くのドイツやフランス、イギリス。旧ソ連、アメリカ、その他多くの国々の民、兵士が殺された。それが第二次世界」対戦だ。日本もそのアメリカ財閥の手のひらに転がされ地獄へと突き進んでいった。日本の天皇をはじめとする軍部、政治家上層部は最初から日本の敗戦がわかって戦争へと舵を切った。
そのつけは何も知らない一般国民が払わされた。
日本をはじめ世界のほとんどの人々が騙されている。
 これらを教訓にではこれからの日本はどうすればよいか。
今もこれからも最大の驚異は支那だ、アメリカも基本的には信用できないが支那より100倍ましだ。協力関係は絶対に必要。
 (いま気になるのはバイデン副大統領が親中派(金で支那から篭絡)で安部総理に批判的な点とアメリカのマスコミも同様である点だ。)
そのうえで徐々に自立しイスラエル、インド(他にも仏、英)のように軍事的に強い国になる必要がある。
 戦争はするべきはないがそうかと言って逃げてばかりいては敵は図に乗ってくる。起こしても局地戦のみ。敵=支那、韓国、朝鮮から舐められない体制を整える。
国=軍事力がわかっていない日本人が多すぎるのが今の日本の
現状。

ナチスとアメリカ企業の協力関係
 
 
戦争の歴史には、その裏に必ず、人々を戦いに駆り出す利権
争いと、そこで死体を見ながら札束を数える軍需産業の介在がある。
第二次世界大戦中、ナチスを支援した企業には、驚くことにアメリカの
企業が複数含まれていた。またスイスも重要な役割を果たしていた。
この奇妙な利権構造の実態について触れていきたいと思う。
 

第1章第2章第3章第4章
「I・G・ファルべン社」とナチス
「スタンダード石油」とナチス
「フォード社」とナチス
「デュポン財閥」とナチス

追加1追加2追加3
「IBM」とナチス
映画 『ザ・コーポレーション』
『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』
↑読みたい「章」をクリックすればスライド移動します
 
 

 
■■第1章:「I・G・ファルベン社」とナチス

●「ナチスとアメリカ企業の協力関係」を語るには、何よりもまず最初にドイツの企業「I・G・ファルベン社」の存在について触れなくてはならない。
「I・G・ファルベン社」抜きには語れないテーマである。
 
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ドイツの巨大企業「I・G・ファルベン社」(1935年)
 
●「I・G・ファルベン社」は、1925年にドイツの8大化学会社が合併して設立された、従業員13万人の巨大企業である。
「I・G・ファルベン社」の株主はユダヤ人が多く、社長もカール・ボッシュというユダヤ人だったので、最初はヒトラーから「国際金融資本の手先」と攻撃されていた。
※ カール・ボッシュは高圧化学の発明と開発で、1931年にノーベル化学賞を受賞。

●しかし、ナチ党が勢力を強めるにつれ、ヘルマン・シュミッツ会長やゲオルク・フォン・シュニッツラーなどの取締役たちはヒトラー支持の尖兵へと変身していった。
※ カール・ボッシュはヒトラーと合わず、やがて追われてしまう。
 
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「I・G・ファルベン社」の
ヘルマン・シュミッツ会長
 
●「I・G・ファルベン社」の幹部は、1933年2月20日、ドイツ産業界の重鎮数人とともに、ベルリンでヒトラーおよびゲーリングと会談し、ナチズムに対する政治的財政的支持(「4ヵ年計画」の実行役)を約束した。
また、ヘルマン・シュミッツ会長は、ナチス御用達の銀行だった「BIS(国際決済銀行)」の設立にも参画し、第二次世界大戦終了時まで役員を務めた。
 
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アドルフ・ヒトラー
 
●「I・G・ファルベン社」は、1939年までにドイツの外貨の90%、輸入高の95%を稼ぎ出し、かつ「4ヵ年計画」に基づいた軍需製品および工業製品の85%を製造した。従業員は10万人に達し、世界の大企業の中でもアメリカの「GM」「USスチール社」「スタンダード石油」につぐ4番目、化学会社としては世界最大の企業にのしあがった。
「I・G・ファルベン社」は、ドイツの化学工業をほぼ独占し、ナチス戦争経済を維持するうえで不可欠だった2つの製品を供給した。それは合成石油と合成ゴムで、その大半はアウシュヴィッツで運営していた同社の巨大化学工場で、被収容者を労働力にして製造されたのである。
 
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アウシュヴィッツの第三収容所=モノヴィッツ(1944年)

この収容所は被収容者を労働力とする「強制労働収容所」であり、
収容所内の工場は「I・G・ファルベン社」が操業を行なっていた。
その他にも「クルップ社」 「ジーメンス社」 「ウニオン社」
といった大企業の工場も置かれていた。
 
●『第三帝国の興亡』の著者ウィリアム・シャイラーは、この「I・G・ファルベン社」を「ナチスが国家事業として遂行した大量虐殺のひとつの象徴」ととらえ、こう記している。
「ドイツ有数の実業家、信心家の呼び声高き人物を取締役陣にそろえた企業である『I・G・ファルベン社』ほどの世界的企業が、このアウシュヴィッツ収容所を舞台に収益活動を展開した事実は、ヒトラー政権下のドイツ人、とりわけ人望厚き人々を理解するうえで避けて通れないものだ。」


●ところで、ナチス崩壊後、破壊されたフランクフルトに入ったGI(米軍兵士)たちを驚かせたのは、その破壊の規模ではなかった。「I・G・ファルベン社」の建物が無傷で建っていたからである。「I・G・ファルベン社」は敵国最大の企業だったのに、空軍が一切の攻撃を加えなかったのはなぜなのか? 彼らはそのような問いかけをして理解に苦しんだ。(この建物は戦後CIAのドイツ本部となった)。
アメリカ戦争省はのちにこう語ってる。
「『I・G・ファルベン社』の巨大生産能力、その徹底した調査能力、巨大な国際的つながりがなければ、ドイツの戦争遂行は考えられなかったし、実現することもできなかった。」

●ちなみにイギリスは、このドイツの「I・G・ファルベン社」に対抗して、1926年に「ノーベル産業」「モンド社」「ブリティッシュ染料」「ユナイテッド・アルカリ」の4社を合同させた「ICI社」を設立。
グッゲンハイム=ロスチャイルド一族のアルフレッド・モンドが初代会長に就任した。
そして同じ1926年に「I・G・ファルベン社」は早くも「ダイナミット社」(かつての「アルフレッド・ノーベル社」)と提携したが、これにより、表向きは平和の顔をした中立国スウェーデンの「ノーベル・トラスト」は、それぞれの分身が奇しくも同じ年に、敵国同士であるドイツとイギリスの巨大企業「I・G・ファルベン社」と「ICI社」に、同時介入を果たしたことを意味した。(敵対国の双方に弾薬を送り込む死の商人「ノーベル・トラスト」の実態については別の機会に触れる予定)。
 
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《 ドイツ工業界からナチスへの資金の流れ 》

この系図は広瀬隆氏が作成したもの(『赤い楯』より)。
この系図の左上に「I・G・ファルベン社」の名前がある。
 
 

 
■■第2章:「スタンダード石油」とナチス

●「I・G・ファルベン社」はアメリカ企業、特に世界最大の石油会社「スタンダード石油」(エクソン)と密接な関係にあった。
この石油会社はロックフェラー財閥が所有していた。
「スタンダード石油」のウォルター・ティーグル会長は、「I・G・ファルベン社」のヘルマン・シュミッツ会長と早い時期から友人関係を結び、「I・G・ファルベン社」のアメリカの子会社「GAF」の取締役に就任した。ティーグル会長はこの「GAF」に多額の投資をしたが、シュミッツ会長も「スタンダード石油」に多額の投資をしていた。ティーグル会長は1938年に「GAF」の取締役を退いたが、「I・G・ファルベン社」との協力関係は維持し続けた。
 
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WASP勢力の中心に君臨しているロックフェラー一族

世界最大の石油会社である「スタンダード石油」(エクソン)は
ロックフェラー財閥の会社である。大戦中、ナチスを支援した。
 
●当時、ドイツ空軍はテトラエチル鉛がなければ爆撃機を飛ばすことができなかったが、テトラエチル鉛の権利を持っていた「スタンダード石油」は、イギリスの系列会社である「エチル社」を通じて、「I・G・ファルベン社」にテトラエチル鉛を供給し、ドイツ空軍が戦えるように手助けした。
この結果、ドイツ空軍はこの貴重な物質を供給してくれたロンドンを空爆することができたのである。その上、「スタンダード石油」はテトラエチル鉛を日本にも供給し、日本軍が第二次世界大戦を戦う手助けをしたのだった。
更に皮肉なことに、イギリス空軍の航空燃料はロンドンを空爆しているナチスの爆撃機が使用しているものと同じだったので、イギリス空軍は特許使用料を「エチル社」経由でナチス・ドイツに支払わねばならなかったのである。
 
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「スタンダード石油」=現エクソン社

(「エクソン」の海外ブランド名は「エッソ」である)
 
●1939年になると、アメリカのゴム不足は深刻になった。アメリカ軍は軍用機、戦車そして軍用車両の車輪を完成させるのも困難な状態になっていた。
この時期、「スタンダード石油」はヒトラーと契約を結び、ヒトラーは「スタンダード石油」製の何種類かの合成ゴムを取得することができた。この契約は真珠湾攻撃後まで継続した。しかし、「スタンダード石油」はアメリカ合衆国に対して合成ゴムの供給を一切しなかった。
「スタンダード石油」と「I・G・ファルベン社」は、世界中で獲得した石油と化学製品の独占権で、世界市場を文字通り分割していたが、「スタンダード石油」と「I・G・ファルベン社」が協定していたおかげで、アメリカ政府は真珠湾攻撃後でさえ、貴重な合成アンモニアの製造工程を取得できなかった。それだけでなく、天然ガスから水素を取り出す技術、高高度で飛行する爆撃機のエンジンにガソリンを円滑に流入させるための製品、すなわちパラフローも取得することができなかった。

●アメリカが参戦する前、ヨーロッパにおける戦争が長引くにつれてドイツは深刻な石油不足に陥り、石油の備蓄はごくわずかしかなかったが、「スタンダード石油」は、ルーマニアの油田をドイツにリースし、更にハンガリーの油田を売り渡して、ナチス政権を助けた。
また、「スタンダード石油」はカナリア諸島のテネリフェ島に石油を運び、そこで燃料を補給すると共に、運んできた石油をハンブルグ行きのドイツのタンカーに移し替えていた。アメリカ政府がUボートヘの燃料補給など道義上、容認できないと言明し、その上、大西洋でアメリカ国籍の商船がUボートに撃沈され、ルーズベルトがいわば宣戦布告なしの戦いをしていたにもかかわらず、「スタンダード石油」のタンカーはUボートに給油をしていたのだった。
また、「スタンダード石油」は、ナチス政権のために毎週1万5000トンの航空燃料を生産する製油所をドイツ国内(ハンブルグ)に建設してもいた。


●1941年7月15日、アメリカ陸軍情報部のチャールズ・A・パローズ少佐が、「スタンダード石油」はオランダ領西インド諸島にあるアルバ島からアフリカのカナリア諸島のテネリフェ島へ石油を輸送している、と陸軍省に次のように報告している。
「『スタンダード石油』はこの燃料油の20%を現在のドイツ政府に流用している。この航路に就航している約6隻のタンカーに乗船している高級船員のほとんどは、ナチ党員のドイツ人であると考えられる。船員たちはカナリア諸島のすぐ傍で潜水艦を何回も見たこと、また潜水艦がカナリア諸島で燃料補給をしていることも知っている、と我々の情報提供者に話している。『スタンダード石油』のタンカーは魚雷攻撃を今日まで1回も受けたことがないにもかかわらず、異なった航路に就航している他のアメリカの会社は、魚雷攻撃でタンカーを失っている、とこの情報提供者は述べている。」
この報告を受け、1941年7月22日、アメリカ財務省は「スタンダード石油」が行なっているタンジール向けの石油輸出について国務省と会議をしたが、「スタンダード石油」に対して何らかの圧力をかけることはしなかった。
結局、真珠湾攻撃後も、財務省と国務省は、「スタンダード石油」や他の大企業がナチスの協力者と戦争中も取り引きすることを許可し、証明書を発行していたのである。


●「スタンダード石油」は、第二次世界大戦を通してファシストの国であるスペインにも石油を輸送していた。
スペインヘの石油輸送は間接的に枢軸国を援助することだった。スペインのタンカー船団は定期的にドイツに航行し、ドイツの大使館、軍事基地、戦車と装甲車、そしてロシア戦線にスペイン軍を運ぶ輸送車などに燃料補給していた。(スペインの軍隊はアメリカと同盟しているソ連軍と戦っていた)。

●このような状況を憂えた経済学者のヘンリー・ウォルドマンは、1943年2月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙に次のような意見を載せた。
「考えても見てください。戦争の真っ最中に敵国を実際に手助けをしている国がアメリカなのです、そればかりではなく、スペイン大使が詳細に述べているように、アメリカはこのような援助を続けるばかりか、援助を拡大する準備までしているのです。スペインは『敵国』です。しかしそれでも、アメリカはスペインを援助しているのです。」
それでも、状況は改善されなかった。毎月4万8000トンのアメリカ産の石油が、スペインを経由してナチスに供給され続けたのである。

●このような状況の中、イギリス情報機関が秘密作戦を駆使してアメリカのメディアを操り、「スタンダード石油」と「I・G・ファルベン社」との提携関係を暴露し始めた。すると、予想通りスタンダード首脳陣は国民から猛烈な非難の声を浴びることになった。
「『スタンダード石油』は『I・G・ファルベン社』と組んでアメリカの戦争を妨害している!」と、アメリカ国内では「スタンダード石油」批判が沸き起こったのである。

●このイギリスが仕掛けたネガティブ・キャンペーンにより、「スタンダード石油」のティーグル会長と、彼の跡を引き継いだビル・ファーリッシュ新社長は、「裏切り者」「国賊」というレッテルを貼られ、ファーリッシュ新社長はショックのあまり、まもなく心臓発作で亡くなってしまった。残されたティーグル会長も、顧客の信用を一気に失い、精神状態が不安定になり、失意のうちに第一線を退くことになった。
この反スタンダード石油キャンペーンを受けて、アメリカ政府による調査が開始された。
しかし、「アメリカ陸軍省」と「戦略情報局(OSS)」は、「スタンダード石油」の助けなしにはアメリカは戦争を継続できないことを熟知していたため、スタンダード攻撃をある程度のところで止めるように働きかけたといわれている。
 
 

 
■■第3章:「フォード社」とナチス

●「フォード社」の創業者ヘンリー・フォードは、熱烈な反ユダヤ主義者であった。
1919年に『ニューヨーク・ワールド』誌で初めて反ユダヤ主義を表明し、1920年にはユダヤ人に対する悪意に満ちた『国際ユダヤ人』を出版した。
また、ヘンリー・フォードはヒトラーを溺愛し、1922年という早い時期から、外国人としては初めてナチスに資金援助をした。その見返りとして、ヒトラーはフォードの大統領選挙立候補を助けるために突撃隊の派遣を申し出た。
 
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「フォード社」の創業者
ヘンリー・フォード

熱烈な反ユダヤ主義者で、
ナチス・ドイツに資金援助をした
 
●このヘンリー・フォードが書いた反ユダヤ主義の本『国際ユダヤ人』(1920年)は、16ヶ国語に翻訳されたが、ヒトラーはこの本に感銘(かんめい)を受けていた。
戦史作家である児島襄氏によると、その成果は、のちに発表されるヒトラーの著書『我が闘争』にあらわれ、そのユダヤ人批判の部分は、中にはそっくり引用したとみられるものもあるほど『国際ユダヤ人』の内容に類似していたという。
また1923年に入ると、ヒトラーは公然とヘンリー・フォードを礼賛し、ミュンヘンの自宅の居間にフォードの肖像画をかかげ、来訪者にドイツ語版の『国際ユダヤ人』をプレゼントしていたという。
 
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ヘンリー・フォードが書いた
反ユダヤ主義の本『国際ユダヤ人』
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「ヒトラー・ユーゲント」の指導者
バルドゥール・フォン・シーラッハ

『国際ユダヤ人』は、一般のドイツ人にも大きな影響を与えた。
「ヒトラー・ユーゲント」の指導者バルドゥール・フォン・シーラッハは、
この本を読んで「反ユダヤ主義者」になった、と述懐している。
 
●ところで、ヘンリー・フォードは1938年の75歳の誕生日に、
非ドイツ人に与えられたものとしては最高の「ドイツ大鷲十字章」を、ヒトラーから授与されている。
 
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(左)アドルフ・ヒトラー (右)ナチスの「ドイツ大鷲十字章」
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1938年、デトロイト駐在のドイツ領事がヘンリー・フォードに
「ドイツ大鷲十字章」を贈り、ヒトラーの謝辞を伝えた
 
●戦史作家である児島襄(こじま のぼる)氏は、著書『誤算の論理』(文藝春秋)の中で
ヘンリー・フォードとヒトラーの関係について次のように述べている。
参考までに紹介しておきたい。

「1938年7月30日、自動車王ヘンリー・フォードの第75回誕生日記念日に、デトロイト駐在ドイツ領事F・ハイラーが来訪し、ナチス・ドイツが制定して以来3人にしか授与されていない『ドイツ大鷲十字章』を贈り、ヒトラーの謝辞を伝えた。 〈中略〉
ドイツは4ヶ月前にオーストリアを併合し、1年後には第二次世界大戦を開幕する。色濃さを増す戦雲に世界が視線を奪われている時期であり、ドイツのユダヤ人迫害の情報も伝えられている。アメリカ国内で、一段とフォード批判の声が高まったが、自動車王フォードは、勲章を返すつもりも捨てるつもりもない、と言明した。
ところで──、
ヒトラーの謝意は、フォード個人の献金に対するもののほか、自動車王フォードが支持している事実が、ドイツ内外の財界、政界のナチ党支持の誘い水になった事情を表示していた。
ヒトラーとドイツ政財界上層部の間で、その後も自動車王フォードの支援は、アメリカの『真の実力者』たちのナチス・ドイツに対する応援の表象であり、米ジャーナリズムのナチス批判はアメリカの真意ではない、との理解が存続したことは、戦争の経緯が告げている。
その意味では、自動車王フォードが第二次世界大戦への道程で果たした役割を大きいといえる。」
 
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『誤算の論理』
児島襄著(文藝春秋)

戦争とは、政治的手段と異なる手段で
継続される政治にほかならない、といわれる。
軍事と政治の相関と混乱を分析する「パットン
将軍の死」をはじめ、ユダヤ嫌いからヒトラーを
支援した自動車王フォードの大いなる失策を
描く「王たちの誤算」など、11篇を収録。
 
●ヘンリー・フォードには、エドセル・フォードという息子がいた。
エドセル・フォードは1930年代を通じて、「I・G・ファルベン社」のアメリカの子会社「GAF」の取締役を務めた。
フォード親子はイギリスのために航空機エンジンを製造することを断わり、その代わりにドイツ陸軍の輸送部隊の主力となった5トントラックの部品の製造を始めた。その上、アメリカ国内のタイヤ不足にもかかわらず、ドイツへのタイヤ輸送も手配していた。「フォード社」からタイヤ輸出の30%はナチスが支配する地域に出荷されていたのである。
 
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●1940年に「フォード社」は、ナチス占領地域にあるフランスのポアシーに自動車工場を建設し、ドイツ政府に納入するための航空機エンジンの製造に着手した。また、この工場はドイツ陸軍のトラックや軍用車両の製造も手がけた。更に「フォード社」は北アフリカにも自動車工場を建設し、ロンメル軍団のためにトラックと装甲車を製造した。
こうして1942年には、ナチス・ドイツで使用されていたトラックのうち、約3分の2をフォード製が占めるようになった。
 
  第二次世界大戦期におけるドイツ・フォード社の
生産推移 (1940~1944年)


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●真珠湾攻撃後、エドセル・フォードはヨーロッパにおける「フォード社」の権益をナチス占領下のフランスに移行した。この措置はナチス・ドイツ政府との癒着を公表するようなものだったが、あえて敢行して「フォード社」の権益を守ったのであった。

●こうした「フォード社」のナチス・ドイツにおける企業活動は、アメリカの本社によって完全に把握されていた。
しかし戦後「フォード社」は、「強制労働者補償基金」設立の際、アメリカのユダヤ人団体によって、「ナチスへの加担企業リスト」に名前が公表されるまで事実を認めようとしなかったのである。
 
 

 
■■第4章:「デュポン財閥」とナチス

●アメリカのデュポン一族が経営する「GM」とナチスの関係は、フォードに負けず劣らず親密なものだった。
「GM」とナチスの関係は、ヒトラーが政権を握った時から始まった。
 

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