【4月15日 AFP】中国国民党軍の兵士だったZeng Hui氏は旧日本軍と戦ったにもかかわらず、第2次世界大戦(World War II)後、数十年の間、中国共産党による迫害を受けていた。だが中国政府は、100歳を過ぎた同氏を今度は反日プロパガンダに利用し、アジアにおける歴史認識の一致を狙っている。
 車いすに乗り、胸に軍の勲章を着けたZeng氏は、1940年代に自身が加わった旧日本軍との数々の戦いを必死で思い起こそうとし、ある時、「Songshan(松山)」とはっきりした声で述べた。
 1949年、国民党軍は毛沢東(Mao Zedong)率いる共産党に敗北し、蒋介石(Chiang Kai-shek)を始め国民党の指導者らは台湾へ逃れた。だが、Zeng氏のような一般の兵士の多くは中国にとどまった。Zeng氏は、「階級の敵」とされた人々が監禁や暴力、さらに厳しい仕打ちに直面していた毛沢東政権下で、迫害を受けた。Zeng氏は今でも自分がどんな目にあったのか語ろうとはしない。
 息子のZeng Longxiang氏(63)は「父は国民党の一員だった。文化大革命の影響で、父は加わった戦いについて多くを語ろうとはしない。私たち子どももその話題は決して持ち出さない」と話した。
 蒋介石が死去してから40年、新たな時代に中国政府は国民党の元兵士を反日の象徴にしようとしている。中国南部、雲南(Yunnan)省にあるZeng氏の故郷には、同氏を「国家の柱石」とたたえる旗が掲げられ、同氏の上着に付けられた勲章には「対日戦の英雄」と刻まれている。
 元兵士や歴史学者によると、雲南省で旧日本軍に立ち向かったのは主に国民党軍だったという。42年に国民党軍に加わったXiang Xueyun氏(90)はAFPに、「国民党は実際の戦争で戦ったが、共産党はゲリラのようなものだった」と語った。
 だが、内戦で共産党が勝利すると、歴史は書き換えられ、国民党軍が果たした役割は覆い隠された。まず批判の対象となったのは蒋介石だった。毛沢東は「選集」の中でこう述べている-共産党軍の兵士が敵陣に立ち向うなか、蒋介石は遠隔の南西へ逃れた。戦いが終わると、勝利の果実を得るために山から下りてきた。
 雲南省の騰衝(Tengchong)県にある国民党軍の数千人の犠牲者の墓石は、毛沢東の指導のもと結成された紅衛兵により破壊されたが、今では修復されている。香港浸会大学(Hong Kong Baptist University)の政治学部長、ジャン・ピエール・セバスチャン(Jean-Pierre Cabestan)氏はAFPに、「中国共産党は、国民党と台湾に向かって共同戦線政策を強調している」と語った。
 中国政府は今年、大規模な軍事パレードを開催する予定だが、中国共産党の機関紙・人民日報(People's Daily)によると、パレードの目的は「日本に強い印象を与える」ことだいう。セバスチャン氏は、中国政府は中国国民およびアジア全土に反日感情を呼び覚まし、増幅させようとしていると指摘した。(c)AFP/Sébastien BLANC