大国以外は政治的な発言力は大きくなかった。例えば中国や韓国は十分な補償を得たという認識をしないまま、戦後処理が完了したものとされた。
その後、ODA(政府開発援助)を日本は継続して行っています。これは、受け取る当事国から見れば賠償金そのものですが、日本国内から見ればあくまで援助であるというタテマエがあります。国民を騙しながら、日本は賠償金を支払い続けるしかなかったのです。たとえば日韓請求権協定を巡っては、「韓国人の財産請求権は日韓請求権協定で解決済みだ」とする立場と、不法行為とは無関係な経済協力協定に過ぎないとの立場が現在でも対立しています。
例えば、日韓請求権協定を根拠に日本政府は、『「戦後賠償は解決済み」と定めた』と主張する。だが、実際の日韓請求権協定の前文においては「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のように協定した」としている。そこには賠償という言葉は一言も含まれていない。なぜ、明文化することを避け、当然後で蒸し返されるような協定を結んだのだろうか?
米国は、採算性がないことを把握しながら、原子力を日本に持ち込んだ。一方、自国ではスリーマイル事故以降30年以上も開発を凍結していた。
米国はあらゆる手段をもって、日本の対米債務を解消させようとしていた。米国では原発建設を停止していたが、将来的な処分やリスク保証を行うと採算性がまったくないという結論をだしていたことが米国で公開された公文書から明らかになっている。富を回収する手段として、積極的に日本に技術移転を行ったのである。
日本への原発導入は、米国が日本から借金を返済させるための手段の一つだった。原発の採算性がないことは当時の米国の公文書でも明言されており、米国がついに採算性を向上し本当の意味で原発を実用化したのは2000年代に入ってからだった。
米国が自国に原発を作らず、日本に作らせたのは何のためか?
本来なら、電力会社は原子力発電のリスクに見合った保険料を支払い、それを電力料金に転嫁し、電力を利用する事業者の商品代金に上乗せされなければならない。日本人は、その上乗せをしないで「安い日本製品」を輸出し続けた。
「政府保証による原発事業」それは、日本人にリスクと将来の処分費用を負わせ、「安く」製品を作らせ、それを米国に安いまま輸出させる植民地メカニズムに他ならない。
日本の原発は、リスクを日本国内に残し(災害時のリスクを保険ではなく政府補償によってまかなうものとした、原子力損害の賠償に関する法律/昭和36年)たことによって、電力会社はリスクを加味せずに電気料金を設定できるようになり、日本の製造業はその電気料金に立脚して価格設定をした。そのため、日本国内に生じたリスクが商品代金に上乗せされることなく国外に日本製品が輸出された。
日本の経済発展は、一面的には国を豊かにしたように見えるが、実際には膨大な帳簿上の負債、そして簿外債務を伴うものであった。見えない負債として、将来に問題を先送りさせ、富を先取りさせることで、あたかも経済発展しているかのように見せながら、富だけを搾取する。このような政策は、第二次世界大戦以前の列強の植民地政策から一貫している。
せっせと日本国内のリスクを増大させながら、製品を安く輸出させられることで産み出された高度経済成長と呼ばれる時代。
日本は経済成長したと言われるが、結果として蓄えてきたものは財産ではなく負債だ。
あらかじめ、日本国民にリスク負担させる法整備をして日本に原発を導入させたしたたかなアメリカ。一方、一切のリスクを日本国民に負担させて原発を輸出しようとする日本政府の今の姿がある。日本人を他国に隷属させようとするのは外国人ばかりではない。
戦後、日本の政治家は「民主的な手続きを経て」選ばれたことになっている。だが、現実には米国による内政干渉を受けていた。
太平洋戦争のA級戦犯被疑者の一部や、有力者の一部がCIAから資金を受け取り、戦後日本の政治に深く関わった。いわば、傀儡政権があったのだ。
2007年に米国務省は、日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。
戦後の米国の対日政策のもう一つの重要な要素は、台頭するソビエト連邦に対する対共産圏政策だ