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「原発ゼロ、生きているうちに」~小泉元首相講演~

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原発反対=サヨクと決めるウヨクや保守層、
現実を見ない、判断できないアタマが悪いとしか言いようが無い。
日本の防衛上も原発反対だ。イスラエルを見習え。イスラエルは原発はないが核は持っている。
小泉さんには頑張って欲しい。

「原発ゼロ、生きているうちに」~小泉元首相講演~


放射能被害、断定できないが…

 「私が生きているうちに原発ゼロを成し遂げたい」。5月26日、東京・有楽町で小泉純一郎元首相の講演会が開かれた。小泉氏は東京電力福島第一原発事故で放射能に被ばくしたとみられる元米兵に会い、記者会見で涙を流した話も披露。ちょうど主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が開かれ、27日のオバマ米大統領の広島訪問が注目を集めていたが、小泉氏は記者団に「核廃絶よりも原発ゼロの方が易しい」と強調した。(時事通信社編集委員・村田純一)

◇    ◇    ◇
 小泉氏は5月中旬、日系米国人の知人に依頼され、米カリフォルニア州サンディエゴを訪れた。2011年3月11日の東日本大震災後、米軍の「トモダチ作戦」に参加し、福島第一原発事故で放射能に被ばくしたと思われる元米兵の話をじかに聞くためだった。

 「5年前の米軍のトモダチ作戦、原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員が救援活動をしてくれた。その兵士たちの中で、放射能被害(被ばく)と思われる方々が今どんどん増えている。(原発事故後)2カ月間ほどあの東北沖に空母を止めて、ヘリコプターで被災地に救援物資を送り、津波で海に流された人たちを救う救援活動をしていた。(11年3月12日に)福島の原発が爆発して放射能が海に来た。それを知らされないまま救援活動をした。

 もちろん防護服なんて着ていない。あの救援活動に参加したのは海軍、海兵隊、空軍、陸軍合わせて2万人以上。原子力空母はガイガーカウンターを持っている。当時、救援活動が終わってガイガーカウンターが鳴り出した。これは放射能じゃないか。(兵士たちは)そういう大変な思いをしながら、よく分からないまま活動していた。半年ぐらいたった。どうも体がおかしい。海軍関係の病院は原因不明という。頑健な兵士が体をむしばまれて活動できなくなっている。放射能被害という断定はできない。

 3年たち、(被ばくしたと思われる兵士は)200人から300人に。ところが、報道機関はあまり報道してくれない。(兵士たちの話を聞いてほしいと頼まれ)これが本当だったら黙っているのは無責任じゃないかと思って、『行きますよ』と言った。5月15日から3日間、10人ほど、割合被害の軽い兵士たちの話をじかに聞いたんです」


病に苦しむ元米兵に支援を、涙の記者会見

 2012年12月、東京電力が原発事故について誤った情報を伝え、危険なレベルまで被ばくさせたとして、同社を相手に損害賠償などの支払いを求める訴えを米サンディエゴの連邦地裁に起こした原告は、空母ロナルド・レーガンの乗組員8人だった。今、その原告団は400人を超えているという。

 「当初はわずか8人の原告団を組織した。体が動かなくなると除隊せざるを得なくなる。海軍関係の兵士に対する医療が十分に受けられない。健康保険制度がないので、高い医療費は払えない。当初、(空母レーガンは)サンディエゴから韓国に行く予定だったが、東北へ行けという指令が来たから東北に行った。(原発事故から)5年2カ月。今は400人を超える原告団を結成している」

 「(話を聞いた元兵士は)あまり愚痴っぽいことは言わない。でも、苦しい病にめげず、『仕事だから一生懸命やった』と話すわけです。私は3日間の(元兵士らとの)会見が終わったあと、記者会見に応じた。私が行けば少しは病に苦しんでくれる人を報道してくれるだろうと(思った)。かなりマスコミが来て、米国でも(テレビ映像を)流していた。

 そのとき、涙が記者会見で出ちゃってね。困ったなと思った。政治家は涙を見せてはいけない。政治家が公開の場で涙を見せるのは政治家失格だと多くの米国人は受け止めるからね。『何か日本に言いたいことは』と(元兵士に)聞いた。『自分はもう自らの任務を果たすのに精いっぱい』と。それを思い出して、つい涙が出ちゃったんですけど。これはかわいそうだ、気の毒だと言うだけでは済まないと思った。今、病に苦しんでいる兵士の役に立ってもらうために基金を設立しようじゃないかと考えているんです」

 「原発の放射能汚染は目に見えない、においがない。当時の状況を兵士たちが携帯電話に映していた。それを見たら、ガイガーカウンターが鳴っている。服を脱いでシャワーを浴びる。服を脱いでもまだ鳴っている。実態を聞いてみると、2カ月半ぐらい放射能を避けて(東北)沖合に出ていた。救援物資を運びながら、自分たちは海水の塩分を取って真水でシャワーを浴びていた。料理も海水の塩分を取った真水で料理したが、放射能物質は取れない。それを食べたから、外部被ばくと内部被ばくと両方受けている(可能性がある)。日本の救援にかけつけた兵士が除隊せざるを得なくなり、体が動かなくなり、仕事がなくなり、つらい思いをしている。こういう方たちに何がしかの支援の手を差し伸べたいなと思っているんです」

都知事選敗北後も屈せず

 「原発は安全で、コストが一番安くて、クリーンエネルギーだ。推進論者が言っている3大スローガン、これは全部うそだと分かった。うそだと分かって、総理大臣をやめて国会議員を引退したからといって、黙っていていいか。原発ゼロはやればできる夢の事業、壮大な事業だ」

 続いて、フィンランドの核廃棄物最終処分場の「オンカロ」を視察した話を披露したが、本サイトでも過去の小泉氏の講演内容を既に詳述しているので、ここでは省略する。以下、2014年2月投開票の東京都知事選に出馬した細川護煕元首相を支援した話に入り、いつもの持論を展開した。

 「大都市・東京で、『原発ゼロでオリンピックをやろう』と言えば、原発ゼロ(運動)に弾みがつくんじゃないかと思って、(候補者に)若い人を探したが誰も出てくれない。細川さんが義侠心を出して都知事選に出てくれることになった。寒い中よく人が集まってくれた。勝つと思ったが、敗れた。そうしたら、『そらみろ、これで小泉の原発ゼロ運動はおしまいだ。小泉は晩節を汚した』と言われた。ところが、都知事選に敗れたけれども、あの都知事選の最中より現在の方が、ますます原発はゼロにしなければならない、原発は絶対にやめなければならない、という確信を持ちました」


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