真実は当初から超国家権力によって隠蔽され続け、20数年間深い闇の中にあった。しかし、近年になってようやく、新たな証言者が現れ、この問題を長年追い続けて来た人達と結びつき、遂に闇の核心部分に光が当たるようになった。墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった!(以下参考サイト)

☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。しかし、4人は報道直後突然失踪!彼らは一体どこへ消えたのか!?

さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。

☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。)

☆日航機元客室乗務員、作家・安部譲二氏談:御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。(これこそ123便が空中で爆発した目撃証言ではないのか?何故事故調査委員会はこの証言に耳を傾けなかったのだろう?空中爆発だと何が都合悪かったのだろう?)

☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。

☆元日航職員佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):JAL123は小型中性子核ミサイルによって撃墜された
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な日航関係者だった。2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。享年59歳。

☆JAL123便撃墜の証拠が写真誌フォーカスに!!第3エンジンから突き出る不発弾と思しきファルコンミサイル!
軍事専門家談:これは大型機撃墜のため開発されたファルコンミサイル。1985年当時における空対空ミサイルの起爆タイミングは、命中直撃を無理に狙わず、敵機近傍で爆発し、確実にダメージを与える「近接爆発方式」が主流。ただし、ファルコン系列ミサイルは、「直撃」が可能なら自律的にそちらを選択する。(「ミサイルは近接信管(きんせつしんかん)だから123便に命中する前に爆発するはずだ。このサイトの筆者はそんなことも知らないのか!?」等という馬鹿にしたような書き込みが時々ある。この方は自衛隊関係者なのかもしれないが、ファルコンミサイルの実際を知らないようだ。軍事専門家によれば、ミサイルはセンサーが敏感過ぎてちょっとの振動で爆発しても危険なので、敏感すぎないよう調整されており、その理由からおよそ50%は不発弾になってしまうという。)

☆墜落現場123便第3エンジン付近に散乱する米国レイセオン社製空対空ミサイルの部品!
ブログ主:これまで私が書いてきたことに対して、色々なご意見やご批判があるようですが、お願いしたいのは、人生、たかだか数10年のご経験やそこから得てきた常識だけで物事を判断するのを止めていただきたいことです。読者の皆様に限らず、この調査に協力していただいているメンバー全てが、最初は目の前に突きつけられた現実に対し拒絶の念を覚えながらも、自身の経験と常識を乗り越える選択をし、このブログでの発表を決意したのです。(中略)批判を行う方は、少なくとも現地を訪れ、群馬県上野村、および事故現場周辺のあの独特の雰囲気を肌で感じてください。また、土の採集や放射線測定器で調べればより多くのことがわかってくるでしょう。ただし、くどいようですが、現地は最高レベルの監視体制下に置かれていることだけは、初めにご忠告申し上げます。

☆墜落現場に残るイエローケーキ(核兵器に使用される軍用の濃縮ウラン、錬度が高く、レンガ色をしている。墜落現場で収集した方が123便事件講演会会場に持ち込んだところ、多くの人が体調に異変を来たす。その症状から放射性物質と判明したという。)

(新)日本の黒い霧-現場に散乱する破片を収集、軍事専門家による分析の結果驚愕の結論に至る  

田村珠芳-軍事使用目的プルトニウム運搬、目撃者殺害/誘拐による隠蔽工作  

NEWS U.S.- 戦後日本最大級の事件、日米露を巻き込んだ軍事衝突 

犠牲者の霊に導かれ…現場に小型中性子核ミサイル使用の痕跡を見る

日本と世界の闇の権力者間で起こった核兵器開発を巡る軍事衝突。その背景には為替レートを円高誘導せよという国際金融寡頭勢力と、それを拒否する日本経済界の壮絶なしのぎ合いがあった。
JAL 123 18
今年も8月12日、日航123便墜落事故の日が巡って来る。この事件は16年後に起こる、911事件と似通っている。列挙してみると。
① 明らかに素人でも分かる嘘をつき、国家ぐるみで真実を隠蔽しようとする。例:圧力隔壁破壊の嘘。
② 軍事演習の最中で起こった、核兵器使用の痕跡を残す、尋常ならざる破壊の跡と情け容赦ない乗客殺害部隊。
③ メディア総動員による撹乱。大衆を真実から遠ざけようとする、超国家的権力の存在。
④ 以後の世界的変化。
まず①の「明らかに素人でも分かる嘘」について。
上空8000mで機体に大きな穴が空けば、他の航空機事故に見られるように、機内に急減圧が発生。機内の物は人間を含み外へ吸い出される。空気が薄くなることから、実験では5分くらいで一般人なら意識を失う危険な状態に陥る。しかし、生存者の落合由美さんの証言ではそんな事態は起こらなかった。という訳で事故調査委員会の公式発表「圧力隔壁破壊」は子供でも「嘘」とすぐ分かる。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm
Drill JP&US 05
事件の日、日米合同軍事演習が行われた。海では、相模湾。伊豆沖で当時の最新鋭護衛艦「まつゆき」を中心に艦船、潜水艦が出動。空では、茨城県百里基地所属の航空自衛隊戦闘機、また航空自衛隊や在日米軍の電子戦機が待機。はるか上空では米軍の軍事衛星が演習を監視。陸では、ゲリラ訓練場となっている御巣鷹山とその周辺に、特殊部隊が集結。

18:12 JAL123便は羽田を離陸。12分近く経過したとき、相模湾上空で123便のクルーは、右前方から接近する奇怪な飛行物体を発見。コックピットに緊張感が走る。乗客も気付いていた。「あれは何だ?」、「ミサイルのようだ」、「こっちに向かってくる、危ない!」
JAL 123 30
18:24:35 ドーンという衝撃音と共に何かが123便の尾翼部に激突。座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)はその飛行物体を接近段階から撮影、後に事故現場で発見され現像。デジタル解析の結果、オレンジ色の物体と判明。

18:56過ぎ、123便はレーダーから消える。しかし、場所についての報道は二転三転し、123便の行方は特定されない。翌日明け方になるまで救助活動が開始されず搭乗者の家族は焦燥感が募る。

8月13日の午前5時10分、航空自衛隊救難隊による「機体発見」、続く陸上自衛隊偵察ヘリによる機体確認、5時37分の長野県警ヘリによる墜落現場の確認と、各自衛隊や警察のヘリによって次々と墜落現場の状況が確認される。群馬県上野村の黒沢丈夫村長(当時)は、テレビ報道の映像を見て、現場が村内の「スゲノ沢」であると判断。土地勘のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請。
 
墜落からおよそ14時間が過ぎた午前8時半、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下。その後陸上自衛隊第一空挺団の隊員が現場に降下して救難活動を開始。陸路からは、上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着。ようやく本格的な救難活動が開始される。

縦割り組織警察の常識を無視して「全員死亡による救助打ち切り命令」で動けない群馬県警管轄地域へ越境進入したのは長野県警レスキュー隊。また、早々と現場で「全員即死宣言」をした自衛隊幹部に「まだ生存者がいるぞ!!」と怒鳴って救助活動を促した報道関係者や消防団員の人達。彼等がいなければ、落合由美さん達女性4人も助かっていなかっただろう。

「現場にいたある消防団員は『最初は医師・看護婦は現地に送り込まれていなかった。生存者が発見されてから急にあわてた。生存者に対する準備ができていなかったような気がする』と話していた。はじめから生存者がいないと決めてかかっていたのではないかと私も感じた」(元日航パイロット藤田日出男著「隠された証言・日航123便墜落事故p.56、8行目)

「11時生存者発見、12時仮設ヘリポートへ、ヘリポートで1時間30分以上待たされ14時15分ごろやっと病院へ搬入」(元日航パイロット藤田日出男著「隠された証言・日航123便墜落事故p.55、2行目)…せっかく発見され一刻を争う救命処置が求められる生存者を現場に2時間近く放置、病院搬入まで3時間以上も費やしている。まるで生き延びてもらっては困るかのように。

②の核兵器使用の痕跡と、情け容赦無い殺害部隊の存在

核兵器使用の痕跡。ピカッと雷光のように走った閃光、黒いキノコ雲が目撃されている。

墜落現場に残るイエローケーキ(核兵器に使用される軍用の濃縮ウラン、錬度が高く、レンガ色をしている。墜落現場で収集した方が123便事件講演会会場に持ち込んだところ、多くの人が体調に異変を来たす。その症状から放射性物質と判明したという。)
JAL 123 10
骨が約3cm刻みの破片になって飛び散るほどの、広島原爆の30倍以上と推定される衝撃。これらは小型の核爆弾使用を示唆している。決して不時着態勢に入っていた速度の航空機のものではない。
元日航職員佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):JAL123は小型中性子核ミサイルによって撃墜された